目覚ましが鳴る少し前、ふと意識が浮上した。薄い光がカーテン越しに差し込み、部屋の空気がゆっくりと動いている。
思ったより寝れた。というかぐっすりだった。木兎さんは…結局そのまま黒尾さん達の部屋で寝たらしく部屋にいないようだ。
――腕が、重い。
嘘だろう、と視線を落とすと、案の定、佑月さんが自分の腕に抱きついて眠っていた。頬を寄せ、指先までしっかり絡めてくるその姿は、完全に朝の俺には目に毒だ。
寝起きが弱いのは昨日で理解した。朝はいつもこうやって、誰にでも無意識に寄ってくるのも理解した。理解はしたけれど、慣れたとは言えない。
昨日より悪化してないか。今日なんて特に、距離が近すぎる。
「……佑月さん、起きてください。もうすぐ目覚まし鳴りますよ」
小声で呼びかけると、彼は小さく唸って、さらにぎゅっと抱きついてきた。
「……赤葦く、ん……」
寝言のように名前を呼ばれて、思わず固まる。この破壊力は、慣れようがない。
「……寝起き弱いのは分かってますけど、これは」
そっと腕を抜こうとすると、佑月さんは眉を寄せ、子どもみたいにしがみついてくる。
「……赤葦くん……どこ行くの、……?」
「どこにも行きませんよ。顔洗いに行くだけです」
「……無理、もうちょっと寝る……」
完全に寝ぼけている。普段の落ち着いた佑月さんとは別人みたいに甘い。俺はため息をつきながらも、腕を抜くのをやめた。寝起きの佑月さんは、弱くて、懐っこくて、甘えん坊で。それを知ってしまったからこそ、尚更強く拒めない。
「……少しだけなら」
そう言うと、佑月さんは嬉しそうに頬を寄せてきた。その仕草があまりにも自然で、胸がじんわり熱くなる。
「…赤葦くん……」
「……はいはい。分かりましたから」
返事をしながらも、心臓は落ち着かない。胸の奥が甘く締めつけられる。
しばらくして、お互いの目覚ましが鳴ってようやく佑月さんが完全に目を覚ました。自分の腕に抱きついていたことに気づいた瞬間、彼の顔が一気に赤くなる。
「っ……あ、赤葦くん!? 俺、またやらかした…っ、」
「寝起き弱いの知ってますから。気にしないでください」
「赤葦くん、流石に嫌だったろ、」
その確認の仕方がまた甘くて、胸がきゅっとなる。
「昨日も言いましたけど、嫌じゃないです。慣れたいですし、まだ合宿5日ありますしね」
「……慣れたいって、……なんか恥ず……」
佑月さんは照れたように笑い、頬を掻いた。その仕草がまた可愛くて、俺は視線をそらすしかなかった。
その後、佑月さんが完全に目を覚ましたあとも、頬の赤みは引かなかった。自分の腕に抱きついていたことを思い出したのだろう。布団の上で小さく縮こまり、視線を合わせようとしない。
「……本当ごめん。俺、寝起きだと頭働かなくて」
「知ってます…昨日もアレでしたし」
「アレって……そんなに?」
「そんなに、です」
淡々と返すと、佑月さんはさらに顔を覆った。その仕草があまりにも可愛くて、胸の奥がじんわり熱くなる。
慣れるためには、俺からも触れたほうがいいのかもしれない。そう思った瞬間、気づけば手が伸びていた。
「……寝癖。ここ」
軽く指先で髪を整える。ほんの少し触れただけなのに、佑月さんはびくっと肩を揺らした。
「っ急に触られたら、ビックリする…」
「佑月さん、これくらい慣れてください」
「……赤葦くん、結構意地悪だね」
「慣れるためです」
わざと淡々と返す。けれど、触れた指先の余韻に、俺のほうが落ち着かなくなっていた。佑月さんは困ったように、でもどこか嬉しそうに目を伏せる。
「……じゃあ俺からも、慣れるためにしていい?」
「え?」
「やられっぱなしはちょっとね」
その表情が、木兎さんが試合で見せる真剣な顔に似ていて、思わず息を呑む。佑月さんは俺の手首をそっと掴んで、指先を自分の手に当てる。
「……赤葦くん、俺より手はおっきいよな」
「っ……!」
心臓が跳ねる。完全に不意打ちだ。
「慣れるため、だろ?赤葦くんが言った」
「……それは……」
言い返そうとした瞬間、佑月さんがふっと笑った。
「赤葦くんの顔赤くなってるー」
「……そっちが勝手にやったんでしょう」
「さきにやったのは赤葦くんだろ。それに、赤葦くんが触ってくれたの嬉しかったからお返し」
その言葉が甘すぎて、胸がぎゅっとなる。
「……冗談ですよね?」
「半分は冗談。半分は本気」
「……やめてください、そういうの」
佑月さんは、少し照れたように笑いながら、俺の袖を摘む。
「やめたくないな、…俺、もっと慣れてほしくなったかも。赤葦くんに」
その一言が、朝の静けさに落ちて、甘く響く。俺はため息をつきながらも、袖をつまむ手をそっと握り返した。
「……じゃあ、もう少しだけいいですか、」
「うん、もう少しだけね、」
距離は昨日より確実に近くて、お互いにちょっかいを出しながら、どちらも止める気はなかった。
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朝食を終えて体育館に入った瞬間、自分でも分かるくらい身体が軽かった。昨日まで胸の奥に引っかかっていたものが、すっかり消えている。
原因は……まあ、分かっている。今朝の佑月さんだ。寝起きで腕にしがみついてきて、頬に俺の手を当ててきて、冗談まじりに「慣れてほしくなった」なんて言ってきて。あんなの、調子が良くならないわけがない。
そして、午後の個別練習。
「赤葦、今日なんかキレッキレじゃねぇ?」
スパイク練習でトスを上げていると、木兎さんが目を丸くしてそう言った。
「そうですか?」
「そうだよ!いつもよりトスが優しいっていうか……なんか、包容力ある!」
「包容力……?」
そんなもの、意識した覚えはない。ただ、今日は自然と相手の動きがよく見える。木兎さんの助走の癖も、踏み込みのタイミングも、全部読みやすい。
「昼間は月島のブロックから逃げてましたよね、木兎さん」
「あかーしー!それまだ言うの!!ズリぃ!避けたんだって!!」
「あーはいはい」
昨日とは全然違う。気持ちが軽い、こんなに違うのか。自分でも驚くほど冷静で、でも心は妙に温かい。
ふと視線を感じて振り向くと、佑月さんがこちらを見ていた。目が合うと、彼は少しだけ笑う。その笑顔が、胸の奥をふわっと温かくする。
「うわっ!佑月だー!!!おーい!」
木兎さんが佑月さんを見つけるなり、一直線に走っていく。双子の弟のポジションが羨ましいと、少しでも思ってしまった自分に苦笑する。
佑月さんは…朝のこと、覚えてるだろうか。思い出しただけで顔が熱くなる。けれど、その熱は今日は嫌ではなかった。
木兎さんと入れ違うように「赤葦くんー今日なんかいいことあった?」と、黒尾さんがニヤニヤしながら肘でつついてくる。
「別に、何も」
「絶対なんかあっただろ。顔がいつもより柔らかい感じするけど?」
「柔らかいって」
「アレアレー佑月くんのことかなー?」
黒尾さんが手を振ると、佑月さんがまたこちらを見て、今度は小さく手を振ってきた。その瞬間、胸の奥が一気に熱くなる。
「仲良くなれた?」
「はぁ…まぁ、」
「そりゃ良かった」
佑月さんとの関係性が良くなったというのも、調子がいい理由のひとつではある。
「佑月も赤葦と仲良くしたいって言ってたからさ、まぁこれからも仲良くやりなさいよ」
「黒尾さんに言われなくても…」
(そのつもりです)と、そう思いながら、自然と口元が緩んでしまう。
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やっぱり昨日までの悩みが嘘みたいに、今日の俺は、どうしようもなく調子が良かった。それから練習がひと段落した頃、汗を拭いていると、木兎さんが妙にキラキラした目で近づいてきた。
「赤葦〜〜〜〜〜〜〜!」
嫌な予感しかしない。
「……なんですか」
「やっぱ、絶対なんかあっただろ!!」
体育館に響く声量。周りの視線が一斉にこちらに向く。
「別に、何も」
「嘘だ!絶対嘘だ!今日のお前、トスが優しすぎる!包容力がすごい!」
「それ何回言うんです……」
「あと顔がなんかこう…恋してる人の顔って感じ!」
「そんな顔、してません」
即答したのに、木兎さんはニヤニヤが止まらない。
「じゃあ聞くけどさぁー」
木兎さんがぐいっと顔を近づけてくる。
「なんで佑月と目が合うたびに、ちょっと笑ってんの?」
「……笑ってません」
「笑ってる!絶対笑ってる!俺は見た!」
うるさい。けど、図星すぎて反論できない。ふと視線を向けると、木兎さんが騒いでいるからか、佑月さんがこちらを見ていた。
目が合うと、彼は少し首を傾げて手を合わせてごめんと、笑って見せる。やめてほしい。それは、今本当にやめてほしい。
案の定、木兎さんが大声を上げた。
「ほらぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「……何ですか」
「今の!今の!」
「……ただこっち見てただけでしょう」
「赤葦の顔がニヤけてた!!」
「ニヤけてません」
「ニヤけてた!!俺は見た!!」
周りの部員たちまでクスクス笑い始める。本当に最悪だ。そこへ、当の本人が近づいてきた。
「赤葦くん、ごめん。光太郎の面倒見てもらって」
「いつもなので」
「あかあしぃ…」
「あ、赤葦くん。さっきの練習試合見た。今日は、調子良さそうでよかった」
柔らかい笑顔。その声だけで胸が温かくなる。
「…そうですかね」
「うん。赤葦くん、バレーやってるとき本当に楽しそう」
そんなこと言われたら、また顔が熱くなる。
「ほらぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
木兎さんの叫びが体育館に響く。
「なんか絶対あった!!!」
「……何もありません」
「じゃあなんであかーしの、耳が真っ赤なの!」
「……っ」
触らなくても分かる。確かに熱い。
佑月さんは、そんな俺を見て、くすっと笑った。
「……赤葦くん、可愛い」
「っ……!」
「はい確定!はいもう確定ー!!お前ら絶対なんかあっただろー!!」
「もー光太郎、うるさい」
木兎さんが大騒ぎするせいで、体育館中が笑いに包まれた。
「俺だけ仲間はずれじゃん」
「え、急にしょぼくれモードですか、木兎さん」
「ズリィ!俺も仲間に入れて!!」
「…光太郎、あんま赤葦くんに迷惑かけんなよ。かけるなら俺に…」
「じゃあーー!あ、そうだ!今日の夜、第三体育館で俺たちの自主練手伝ってくれ!」
相変わらず突然の双子の弟わがままに、佑月さんはやっぱり頷く。
「いいんですか、勉強もあるのに」
「結局、光太郎に弱いからな…」
「自覚あるんですね」
「まぁ俺、兄ちゃんだから」
その木兎さんのおかげで、また佑月さんとの時間が増えたので俺も嬉しい。
▼
夜の空気は、昼間よりずっと冷たかった。
第三体育館にはボールの弾む音がひとつだけ響いている。いつものメンバーに加えて今日は佑月さんと日向と灰羽も合流した。黒尾さんの発案で、丁度いいから3対3をやるはめになったわけだが。
「あの、これすげぇバランス悪くないっすか」
俺のチームは木兎さんに日向と俺。
相手チームには黒尾さんと月島に灰羽。
得点係に、佑月さんを加えて試合が始まる。
試合が始まるなり、時間はあっという間に過ぎ去って、夕飯の時間を注意されるほどだった。黒尾さんを筆頭に他の面々もそれに連なる。
「佑月さんも、行きましょ」
「あ、うん…」
「どうしました?」
「いや、バレー見てるの面白くて、もっと見たいと思った」
「ははーん、佑月もついに俺のかっこよさに惚れたなー!」
「光太郎もかっこよかった」
も、ってなんだ。それって、と思う頃には木兎さんが佑月さんの手を引っ張って食堂へと向かってた。
「……赤葦さん」
月島が声をかけてきて、俺の隣に立つ。
「あの人、誰なんですか?」
月島が興味深そうに佑月さんを見た。
「梟谷のマネージャー補佐。木兎さんの、双子の兄」
「双子」
月島の目がわずかに輝いた。珍しいものを見つけたときの反応だ。
「へぇ……似てるようで似てないですね。性格も、あんまり似てないかも」
「まぁ、そうだね」
まるで佑月さんの性格を知っているような、月島の言い方が少し気になったが、この時は気にかけなかった。ただ、ふぅんと月島がさらに興味を深めたのが分かった。
「赤葦さんと仲良いんですか?」
唐突すぎる質問に、思わず言葉が詰まる。
「へぇ……赤葦さんもそんな顔するんですネ」
「月島、」
「観察ですよ。ただちょっと確かめたいこともあって」
月島は悪びれもせず言う。その視線は完全に“面白いものを見つけた”という目だった。
「あかーしーも早くこいよーっツッキーも!」
木兎さんの声にハッとなって、その後を向かう。俺と月島はそのまま歩き出し、すぐ佑月さん達に追いついた。
「すみません」
月島が声をかけると、佑月さんが振り向く。
「ん?月島くん?」
「さっきはちゃんと名乗ってなかったので。烏野高校一年、月島蛍です」
「あ、改めてよろしく。梟谷のマネージャー補佐の木兎佑月です」
佑月さんが柔らかく笑う。その笑顔に、月島がわずかに目を細めた。
「……やっぱり似てませんね、木兎さんとは」
「よく言われる。光太郎は……まぁ、これだから」
「これ、ですね」
「これって何だよ!」
木兎さんがそういうと、二人が軽く笑い合う。その空気が妙に自然で、胸の奥がざわついた。なんだ、この感じ。別に、佑月さんが誰と話そうが関係ない。そう思うのに、視線が勝手に二人を追ってしまう。
「それにしても、佑月さん」
「ん?」
「赤葦さんと仲良いんですね」
「赤葦くん?」
またそれだ。月島は本当に核心を突くのが好きらしい。
「仲良い。赤葦くん、優しいんだよ。それに光太郎の自慢の後輩だし」
佑月さんが、迷いなくそう言った。その言葉が、胸の奥にじんわり落ちてくる。
「へぇ……」
月島が興味深そうに俺を見る。「月島」と、低く名前を呼ぶと、月島は「はいはい」と手を振った。
「…じゃあ、僕は先に行きます」
そう言って、月島は少し先を歩く日向達の方へ向かって行った。残された俺と木兎さんと佑月さんの間に、少しだけ静かな空気が落ちる。
「ツッキーってあんな喋るんだな」
「光太郎、それ失礼だろ。なんか、聞いたことある声してるんだよな、月島くん…」
そう言った佑月さんの言葉を聞き流したことに後から後悔した。まだこの時は、まさか佑月さんと月島が知り合いだったなんてこと俺は知らないのだから。