練習を終えて歩いていると、案の定、第三体育館の前で声が飛んできた。
「ツッキー、ちょっとブロック飛んできなヨー」
「そうそう、今ならブロックし放題!」
はいはい、出たよ。黒尾さんと木兎さん。この二人のテンションは、もはや天災みたいなものだ。避けれない。
それに繁華街の呼び込みような誘いに捕まった時点で、今日も自主練コース確定。
まぁ、来る前から覚悟はしてた。「そのつもりで来ました」なんて言ったら、どうせ二人が面白がって倍は弄ってくる。言わなくて正解だったと、胸の中で小さく息をつく。
「あれ、赤葦さんは今日いないんですか」
「あぁ、赤葦くんは佑月くんタイム。邪魔しちゃダメだよ」
「…言われても、どうしろって感じですけど」
佑月くんタイム、とは。と、その言葉に、自然と黒尾さんが指差す方へ視線がそちらへ向く。
そこにいたのは、木兎さんと似た髪色なのに、雰囲気はまるで逆の人だった。落ち着いていて、柔らかくて、空気の温度が一段下がるような……いや、違うな。静かにあたたかい、って言うべきか。
そして、その佑月と呼ばれた彼の隣で、赤葦さんが向ける表情が、いつもよりずっと優しい。
あんな顔、するんだ。ちょっと意外。
黒尾さんの集合の声が響き、スパイク兼ブロック練習が始まる。
「なぁー佑月ー!応援して!俺一本もブロックにとられないようにするから!」と、木兎さんが叫べば、黒尾さんまで面白がって同じことを言う。
「なんなんですか、あれ」
「いつものこと。気にしないで」
赤葦さんは淡々としているのに、視線だけは佑月さんに向いていて、そこだけ温度が違う。
そして「光太郎もクロも頑張れよー」と、得点ボードの横で教材を読んでいた佑月さんが、興味があるのかないのか分からない調子で声を上げた。
その声が、胸の奥をかすかに震わせる。
(……この声、どこかで)
耳の奥に残っている“あの声”。落ち着いていて、妙に安心する声。いや、そんな偶然……あるわけない。そう思うのに、胸の奥が勝手にざわつく。
それから日向が合流し、3on3が始まる。この体力バカたちとやるのは、正直しんどい。でも、さっきから胸の奥が落ち着かなくて、疲れの感覚がどこかへ行ってしまっている感覚もした。
「佑月ー、俺にもー」
「光太郎はこれ」
「サンキュー!ありがとな!」
「はいはい、…月島くんもタオル使う? あと飲み物」
「あ、ありがとうございます」
受け取ったタオルの向こう、視界の端で黒い三日月のピアスが揺れた。
(……同じだ)
ゲームのアイコン。声。ピアス。バラバラだった記憶が、ひとつに繋がっていく。
(……まさか、本当に?)
胸の奥が、じわりと熱を帯びた。期待とも不安ともつかない感情が、静かに膨らんでいく。
夕飯の時間が間に合わなくなると、練習はそこで打ち切られた。黒尾さん達の背中を日向達が追って、それに木兎さんと佑月さんも続く。
「……赤葦さん」
声をかけると、赤葦さんがこちらを見る。その隣に立ちながら、俺はさっきから気になっていた人物へ視線を向けた。
「あの人、誰なんですか?」
自分でも、少し興味が滲んだ声だと思う。でも仕方ない。気にならない方がおかしい。
「梟谷のマネージャー補佐。木兎さんの、双子の兄」
「双子」
思わず言葉が漏れた。どうりで、だが双子と言えど似ているようで似ていない。
「赤葦さんと仲良いんですか?」
気づけば、口が勝手に動いていた。悪い癖だとわかっているのに、どうしても気になった。赤葦さんがわずかに言葉を詰まらせる。あ、図星。
「へぇ……赤葦さんもそんな顔するんですネ」
「月島、」
「観察ですよ。ただちょっと確かめたいこともあって」
だって本当に、ただ観察しているだけだ。いや、少しだけ興味があるのは否定しないけど。木兎さんの声に、赤葦さんがハッとする。俺たちは歩き出し、すぐに佑月さん達に追いついた。
「すみません」
声をかけると、佑月さんが振り向いた。
「ん?月島くん?」
「さっきはちゃんと名乗ってなかったので。烏野高校一年、月島蛍です」
「あ、改めてよろしく。梟谷のマネージャー補佐の木兎佑月です」
柔らかい笑顔。木兎さんとは似ても似つかない、落ち着いた笑い方。
「……やっぱり似てませんね、木兎さんとは」
「よく言われる。光太郎は……まぁ、これだから」
二人で軽く笑い合う。佑月さんと喋る時間は、気分の悪くない時間だった。
▼
食堂に着く前に赤葦さんと佑月さんと別れ、黒尾さんや日向と合流する。
「ツッキー、あんま佑月に構っちゃダメよ」
「?」
「佑月くんは赤葦くんのお気に入りだしねー」
冗談めかして言う黒尾さん。でも、その言葉の裏に、妙な含みを感じる。
「でも関係ないですよね、ソレ」
「まぁ、本人次第だしね。これ以上は俺も言わない。ただ、あんまり深く突っ込むと、沼に溺れるから気をつけろよ」
「は、それどういう意味…っ」
「佑月くんを知ったら抜け出せないってコト」
…なんだよ、それ。
胸の奥がまたざわつく。 さっきから、落ち着かない。そんな気持ちのまま、食事を受け取って、山口のいる席へ向かう。
「お、ツッキーお疲れー!今から?」
「うん。もうクタクタ」
「でもなんか、楽しそうな顔してるよ?」
「まぁ、面白い発見があったから」
「面白い発見?」
佑月さんの方へ視線を向けると、山口もそちらを見る。
「梟谷のマネージャーの人がどうしたの?」
「あの人、木兎さんの双子の兄らしい。それにマネージャーは補佐でやってるだけ」
「へぇ、ツッキー詳しいね」
「まぁ、詳しい人に聞いたから」
食堂を出ると、他のメンバーが先に戻っていき、佑月さんが少し遅れて歩いているのが見えた。
「山口、先戻ってて」
「ん?わかったー。また大浴場でねー!」
山口が去った瞬間、足が勝手に前へ出た。
いや、別に話したいとか、そういうんじゃない。ただ、さっきの声が気になっただけだ。あのピアスも。偶然にしては妙に一致してるから、確認したいだけ。ほんと、それだけ。それにこれは、ただの“情報収集”で、気になってることを放置するのが嫌なだけ。
…モヤモヤしたまま寝るのも落ち着かないし。
そう、これは必要な確認作業。別に、あの人に興味があるとか、そういうんじゃない。ない、はずだ。なんなんだ、僕。自分でも理由がわからない。わかりたくもない。でも、足は止まらなかった。
(……今しかない)と、胸の奥が跳ねたのは、走った後の余韻みたいなものだ。そういうことにしておく。胸の奥がまた跳ねる。うるさい。落ち着け。ただ歩いてるだけだろ。疲れてるんだ、きっと。
佑月さんの背中が、少し前を歩いている。ただそれだけの光景なのに、視界の端が妙にそこに引っ張られる。
別に、話したいわけじゃない。そう言い聞かせる。言い聞かせながら、歩幅が自然と速くなるのが腹立たしい。
確認したいだけだ。あの声と、あのピアス。偶然かどうか、確かめるだけ。それ以上でも、それ以下でもない。
もし本当に“あの人”だったとして、だから何だ。別に嬉しくなんか…いや、違う。そもそも嬉しいとかそういう話じゃない。ただ、気になるだけだ。気になるのは普通だ。普通……だろ。
そうやって必死に理屈を積み上げているのに、足はもう佑月さんのすぐ後ろまで来ていた。声をかけるか、やめるか。その一歩手前で、喉がひりつく。
なんで僕が、こんなに迷ってんだよ。自分でもわからない。わかりたくもない。
足が止まるが、これはただ、歩幅が合わなかっただけだ。そういうことにしておきたいのに、喉がひりついて声が出ない。
佑月さんの背中が、あと数歩の距離にある。
呼べば届く。でも、その一歩が踏み出せない。
そのときだった。
「月島くん」と、不意に、振り返った佑月さんと目が合った。一瞬、呼吸が止まる。いや、止まった気がしただけだ。
「さっきから後ろにいるの、気づいてた」
柔らかい声。責めるでもなく、ただ事実だけを告げる声。その自然さが、逆に心臓に悪い。
「……あ、いや、その」
言い訳を探す脳がフル回転するのに、口はまったく追いつかない。こんなに言葉が出てこない自分に、さらに焦る。佑月さんは、そんな僕の混乱を見て、ふっと目を細めた。
「もしかして、俺と話したい的な?」
その一言が、胸の奥を正確に射抜いた。違う。いや、違くないだろ。なんでそうなる。否定したいのに、声が出ない。出ないどころか、心臓の音だけがやたらとうるさい。
佑月さんは、僕の返事を待つでもなく、少し歩み寄ってくる。
「それとも確認したいことがあるとか」
その距離の詰め方が自然すぎて、逃げ場がない。
「なんで、」
「なんでって……気になったから」
佑月さんの言葉が胸の奥に落ちて、まだ波紋が広がっている。その波紋を必死に押し沈めようとしている。落ち着け。別に深い意味なんて、ない。そう思った瞬間だった。
佑月さんが、少しだけ首を傾けてこちらを見る。その仕草が妙に自然で、あざとさを覚えた。
「月島くんってゲーム、やってる?」
「……なんで急に」
「確認したいことがあって。俺もやってるんだ。夜、よくログインしてる」
その言い方が、まるで“知っている”みたいで、胸の奥がざわつく。
「月島くん、さ」
佑月さんが一歩近づく。
「“ケイ”って名前でやってるでしょ」
驚きより先に、嬉しさが込み上げてくる。でも、それを表に出すなんて絶対に無理。恥ずかしすぎる。
「……っ、なんで、そう思うんですか」
声が震えたのを、どうにか誤魔化す。誤魔化せてない気がするけど、今はそれどころじゃない。佑月さんは、僕の反応を見て、ふっと目を細めた。
「だって、声が似てたから」
その言葉だけで、胸の奥がじわっと熱くなる。声を覚えてくれてた。あのゲームの中の、短い会話だけの声を。
(……そんなの、嬉しいに決まってるだろ)
でも、絶対に顔には出せない。
「……似てただけじゃ、わからないデショ」
精一杯、冷静を装う。装えてるかどうかは知らない。佑月さんは、少しだけ近づいて、僕の目をまっすぐ見た。
「あぁそれそれ。わーケイだわ、わかる。その感じでいつもなんかあると俺、煽られるの」
「それは」
「それはー?俺が下手くそだからって?上位ランキング常連のケイに言われたらそりゃ俺なんか下手くそですよー」
佑月さんが、わざとらしく肩をすくめてみせる。その軽さが心地よくて、胸の奥がまたじんわり熱くなる。
「そっちも気づいてた、って感じかな」
「まぁ、そのピアスと声で…最近、あんまりログインしないからどうしたのかと思ってて」
気づけば、言葉が自然と出ていた。
「あぁ…最近は受験もそうだけど、合宿の手伝いもあってあんまゲームやってる暇なくて。でもまさかケイが年下だったとはなぁ」
「……別に、煽ってたわけじゃないです」
できるだけ淡々と言ったつもりなのに、声がほんの少しだけ柔らかくなってしまった。自分で気づいて、内心で慌てる。佑月さんは、そんな変化を見逃すはずもなく、ふっと笑った。
「うん、知ってる。あれ、煽りじゃなくてアドバイスくれてたんだもんな」
「……」
「でもさ、ケイにたまーに“そこ違う”とか言われるの、好きだったんだよね。なんか、指示的確だし、頼れる感じで」
その言葉に、胸の奥がぎゅっとなった。
「別に、頼られたくて言ってたわけ」
「でも頼ってたよ、俺は」
歩幅を合わせて並んで歩きながら、佑月さんは自然に距離を詰めてくる。肩が触れるか触れないかの距離。
「ケイがログインしてると、すぐチャット飛ばしちゃうし」
「……なんでですか」
「なんでって……強いし、落ち着いてるし、なんか一緒にまわるのも、気が楽だったから」
佑月さんの、一言が、胸の奥に静かに落ちていく。そんなふうに思われてたなんて、嬉しい。嬉しいけど、認めたら絶対に顔が熱くなる。
俺もそうです、とは言えなかった。マルチプレイが基本だが、時々レイドプレイもある。仕方なしに他人と組むこともあったが、別に誰と組もうがチャットだけで済ませていた。
たまたまレイドプレイの際に出会ったのが佑月さんだった。佑月さんは特別で、チャット以外にもたまにマイクも入れて話しながらやってた。
「あ、でも…」
佑月さんが、少しだけ横目で俺を見る。
「声、ゲームの時のほうがちょっと低いかも?」
心臓が跳ねる。跳ねた音が、耳の奥で響く。そんな細かいとこまで覚えてるのかよ。
「……あ、そう言えばこの間話してた…」
佑月さんが、また何か言いかけたその瞬間。
「佑月さん、」
低く落ち着いた声が、二人の間にすっと割り込んだ。振り返ると赤葦さんが立っていた。無表情のはずなのに、どこか“探していた”気配がある。
「……赤葦くん?」
佑月さんが少し驚いたように目を瞬かせる。赤葦さんは、僕と佑月さんの距離を一度だけ確認するように視線を落とし、そのまま佑月さんへと歩み寄った。
「…探しました。戻るなら一緒に」
その言い方は淡々としているのに、どこか佑月さんを連れていくという意志が強い。胸の奥が、わずかにざわつく。
別に、取られたとかじゃない。そんなのじゃない。そう言い聞かせるのに、喉の奥がきゅっと締まる。
佑月さんは、赤葦さんの気配に気づいたのか、少しだけ苦笑した。
「ごめん、ちょっと話してて」
「ええ。見ればわかります」
赤葦さんの視線が、ほんの一瞬だけツッキーに向く。その目は冷たいわけじゃない。ただ、状況を正確に把握している目だ。
なんだよ、その理解してますみたいな顔。胸の奥がまたざわつく。佑月さんは、そんな空気を気にする様子もなく、僕に向き直った。
「また話しようね。続き、まだあるし」
その言葉に、胸の奥がじんわり温かくなる。
「……別に、いいですけど」
そっけなく返したつもりなのに、声がほんの少しだけ柔らかくなった。佑月さんは、それに気づいたように微笑む。
「じゃあ、おやすみー蛍くん」
赤葦さんと並んで歩き出す佑月さん。その背中を見送りながら、胸の奥はまだざわざわしていた。
(……名前)
たったそれだけで、こんなに心が動くなんて。自分でも理由がわからないまま、その場に立ち尽くした。