夜。寝る前にゲームにログインすると、フレンドに佑月さんのアイコンが光っていた。
青いバツマーク――ログイン中。
(……起きてる)と、胸の奥が、じわりと熱を帯びる。すぐにチャットを送った。
「まだ起きてるんですか」
「あれ、蛍も?ログインボーナスの受取が今日までだから」
なんだ、ただそれか。少しだけ肩の力が抜ける。でも、同時に胸の奥がきゅっと締めつけられた。会いたい、なんて…言えるわけない。
聞けば、今日は梟谷のマネージャーさんが体調不良になってしまったらしい。軽い熱中症だとか…その代役として佑月さんは、マネージャーの業務をこなしていた。他にもコートのモップがけ、ドリンク補充、重い荷物の運搬も。そんな中、谷地さんが「佑月さん、すぐ気づいてくれて手伝ってくれるので、助かってるんです!」と笑っていたのを思い出す。忙しい中、人にも気を使って…。
そんな人に、“会いたい”なんて言えない。
ゲーム画面を閉じようとした、その時。
「部屋の外見て」と、短いメッセージ。
意味が分からず、網戸を開けて外を見る。
「蛍、こっち」
声のする方を見ると、暗がりの中に佑月さんが立っていた。夜風に揺れる髪、白いTシャツ、手を振る仕草。
なんで、いるんだよ。と、胸が痛くなった。部屋を抜け出すのは難しいと判断して、靴を掴んで窓から外へ出る。
「何してるの、そんな格好で風邪引きますよ」
「星、見にきた」
「星?」
「んで、月も見てたら蛍のこと思い出して、ゲームのことも思い出したってわけ」
「ふぅん」
悪くない理由だった。見上げると、夏の夜空が広がっていた。街灯の少ないこの場所は、星が驚くほどよく見える。
「仙台も綺麗だろうな」
「……見にくればいいデショ。案内しますよ」
「わっ、蛍が案内してくれるの。助かるー卒業旅行で光太郎と二人で行こうかな」
「それ黒尾さんもついてくるやつじゃないですか」
「確かに、そしたら楽しいだろうな」
素直に喜ぶ声が、夜気の中でやけに近く響く。そんな顔で言うなよ。胸の奥が、また熱くなる。
「…そういえば前、話してた悩み、解決した?」
オンラインゲームでのことだ。たまたま部活の悩みを相談したら、真剣に聞いてくれたのが佑月さんだった。
「覚えてたの、あんな話。ちょっと話しただけなのに…」
「気になってはいた……けど、俺が忙しくなって中々話できなかっただろ。それから心配してて」
心配、してた。顔も知らない僕に。どこまでお人好しなんだ、この人は。
「初めて会ったのに…本当に、初めて会った気がしない」
「まぁ、そりゃゲームで何回か話したし」
「そうだけど、そうじゃなくて」
「ん、なに?」
佑月さんが見上げてくる。その瞳に、星空が映っていた。あぁ、もう無理だ。胸の奥に溜め込んでいた言葉が、こぼれそうになる。
「…僕が、」
「先に出会ってたら」なんて、喉が熱くて、言葉がうまく出てこない。夜の静けさの中で、その言葉だけがはっきり響いた。佑月さんの目が、ゆっくりと見開かれる。
「蛍……」
名前を呼ばれただけで、胸が跳ねた。
「俺、今から蛍に辛いことするかもしれない」
そう思った瞬間、佑月さんの手がそっと俺の服の裾を掴んだ。その小さな仕草が、何よりも甘くて、何よりも残酷だった。
「…さっきの続き」
「…はい、」
「蛍は、お兄さんいるんだよな。俺は弟がいて、すごい自慢の弟なんだ。でも、頑張って上手くいかない姿も、悔しがる姿も見てきた。だから、応援したいって思う」
佑月さんは、そっと背伸びして俺の頭を撫でた。
「蛍のことも一緒でさ。蛍がやりたいこと、やってみたいこと、俺は全部応援したいよ」
その言葉だけで、胸の奥が一気に熱くなる。「蛍は蛍だし」と、そんな顔で、そんなふうに触るな。喉が熱くて、呼吸が浅くなる。夜風が肌を撫でても、身体の内側の熱はまったく冷めなかった。
佑月さんが、少し不安そうに、でも俺から逃げずに見上げてくる。その瞳に映っているのは、俺だけ。もう無理だ。高校一年生の理性なんて対したことはない。胸の奥で、何かがはっきりと形を持った。
「佑月さん、……」
言葉を探すより先に、身体が動いていた。佑月さんの手首をそっと掴んで、自分の方へ引き寄せる。距離が一気に縮まる。夜空よりも近い、息が触れそうな距離。
「蛍、」
「もし、僕が好きだって言ったら佑月さんはどうする」
気づけば指先に力が入っていた。
「見知らぬ誰かを好きになるとか馬鹿らしいけど。ゲームしてた、時から…佑月さんとしかトークチャットもしてない。それに相談したのも、佑月さんだったからあんなこと話したんだと思う、」
掴んだ手首を離したくなかった。
胸の奥に溜め込んでいた独占欲が、もう抑えられなかった。佑月さんの手を、指を絡めるように握る。佑月さんの目が揺れる。
もっと近づきたくて、もっと触れたくて、気づけば佑月さんの腰に手を回そうとしていた。
その瞬間「蛍、だめ」と、佑月さんの手が、俺の手首をそっと押さえた。強くはない。でも、確かに“止める”力だった。
「……なんで」
思わず声が低くなる。
「今の蛍、ちょっと勢いに任せすぎ」
佑月さんは、困ったように笑った。
「嫌じゃないよ。嫌じゃないけど……」
言葉を探すように、視線が揺れる。
「俺、男だし。その、なんていうか…」
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
「男だからとか、関係ないデショ…」
「あ、蛍っ、…だめ。落ち着けって…蛍の気持ちは、ちゃんと伝わってる」
その声が、夜の静けさの中で甘く響いた。
「だけど」と、胸の奥が、熱と痛みでいっぱいになる。でも、佑月さんの手を離さない。
「赤葦さんのこと?」
いろいろ全部思い出して、余計に独占欲が膨らんだ。
「ねぇ、佑月さん。赤葦さんが見てたら、困る?」
わざと低く聞くと、佑月さんは小さく肩を震わせた。
「困るよ。赤葦くん、と約束したし」
「どんな約束したの、」
「…それは言えない」
その言葉に、胸の奥がざわつく。知ってるよ。あの目を見れば分かる。どうせ他の人には触らせるなとか距離感が近いだとか、そんなことだろう。
「蛍がこんなふうに触れたら…赤葦くん、絶対っ、」
「気づいたら、どうなるの」
自分でも驚くほど、声が低くなった。佑月さんは、少しだけ目を伏せて、でも、俺の手を離さないまま言った。
「赤葦くん、蛍のこと、良くないと思うかもしれないっ」
もう多少なりとも思われてる、と喉まで出かかった言葉を飲み込む。
「だから、ごめん」
佑月さんは、俺の胸にそっと手を置いた。押し返すようでいて、完全には離れない距離。
「断るなら、きちんと断らないと」
「っ、」
「じゃないとこういうことされる」
「蛍っ、」
そう言って、佑月さんが近づいてきた俺に驚いて目を伏せた瞬間、我慢できなかった。僕は佑月さんの頬に、そっとキスを落とした。
「…最後に、もう一回言ってもいいですか」
気づけば、身体が勝手に動いていた。ぎゅっと、佑月さんの身体を引き寄せる。
「僕、佑月さんが好きです」
驚いた声が耳元で震える。夜風よりも、ずっと近い温度。佑月さんが言葉が詰まる。その反応が、可愛くてたまらないけど、胸が苦しくて痛い。
「ごめん」
佑月さんは、俺の手を胸の前に戻した。でも、指先だけは離さなかった。その温度が、逆に苦しい。
「蛍」
夜風に揺れる声は、優しすぎた。優しさで包まれた刃物みたいに、胸に刺さる。
「……赤葦さん、なんですか」
自分でも驚くほど声が低かった。佑月さんは、少しだけ目を伏せて、でも逃げずに俺を見た。
「……うん」
その一言で、心臓が落ちる音がした。佑月さんは、ゆっくりと言葉を選ぶように続けた。
「赤葦くんのこと、好きなんだと思う」
言葉は静かで、優しくて、だからこそ残酷だった。
「……いつから」
「わかんない。でも……気づいたら、赤葦くんのこと考えてて」
僕のことじゃない。最初から、僕じゃなかった。分かってた。分かってたのに。
「蛍のことは、大事だよ。でも…蛍と同じ意味での、“好き”は、違う」
佑月さんは、俺の手をそっと包んだ。優しい手だった。
「蛍の気持ち、嬉しかった。本当に」
その優しさが、胸を焼く。
「でも、応えられない」
はっきり言われた。優しい声で、はっきりと。逃げ場なんてない。
「……わかりました」
声が震えた。でも、これ以上みっともないところは見せたくなかった。
「ごめん」
「謝らないでください」
謝られる方が、ずっと痛い。佑月さんは、俺の手を離した。でも最後に、指先だけが触れた。その一瞬が、胸に焼きついた。
「蛍は、いい子だよ」
「…」
そんな言葉、今は聞きたくない。佑月さんは、悲しそうに笑った。
「蛍の気持ち、大事にするよ。でも……俺は赤葦くんが好きだ」
その言葉で、完全に終わった。夜空は綺麗だった。星も月も、やけに明るかった。でも俺の視界は、少しだけ滲んでいた。