僕と先輩の距離

月島つきしまさいど

 合宿5日目。朝食には少し早い時間に目が覚めてしまったので、そのまま軽くランニングをしていた。ひんやりした朝の風が、火照った身体にちょうどいい。

 体育館のまわりを一周して、そろそろ戻るかと思ったところで、倉庫の前に人影が見えた。その人は、両腕いっぱいにタオルを抱えて、体育館の方へ向かおうとしている。その横には、畳まれたタオルの山。まぁ、量は多いけど、二人で運べば一回で終わりそう。

「佑月さん」と、声をかけると、僕の方へ振り向いた。

「蛍、おはよ。早いね」
「おはようございます……それ、手伝いますよ」
「え、大丈夫だよ。往復するし。蛍も練習あるだろ」
「今日、少し早く起きたので。朝食まで時間もありますし。それに佑月さん、おっちょこちょいだから」
「…おっちょこちょいなのはゲームだけだっつーの」

 そう言いながら、タオルを半分押しつけてくる。洗濯されたタオルの柔軟剤の匂いがふわっと広がって、鼻をくすぐった。

 別に、手伝うのが目的じゃない。こうやって佑月さんとの時間を増やそうとしただけだ。

 タオルを半分受け取って歩き出す。朝の空気はまだ冷たくて、汗が引いていくのがわかる。

「蛍、朝から走ってたの?」
「……まぁ。早く起きただけです」
「偉いなぁ。俺は起きるの本当ダメ…」
「寝起き悪すぎデショ」
「うっ…」
「図星」

 佑月さんが苦笑する。その横顔が、朝の光でやけに柔らかく見えた。

「蛍は、朝強いんだ。羨ましい」
「別に強くないですケド、佑月さんが弱すぎるんじゃないですか?」
「わー出た、蛍の煽り」
「煽ってないデショ」
「まぁ事実だし、いいけど。あ、蛍は練習試合、楽しみ?」
「別に。普通です」
「普通って便利な言葉だなぁ」
「……何が言いたいんですか」
「俺は試合楽しみ。昨日の3or3みてて面白かったから」
「ふぅん」
「なんだよ、蛍、やっぱ低血圧で機嫌悪いんじゃない?」
「別に。普通です」
「またそれ」

 佑月さんが笑う。その笑い方が、昨日より少しだけ違く感じる。

「佑月さん、今日のスケジュールは?」
「昼間は練習試合するって言ってたから、俺は一旦部屋に戻って自習するよ。午後は個別だから手伝いながら掃除したり補給と洗濯とか?」
「…じゃあ見れないじゃないですか」
「試合は今日の夜、第三体育館で見る。俺の弟は強いから、蛍はブロック出来るかな」
「っ、ブラコン」
「よく言われますー」

 すっと伸びてきた手が、俺の腕を掴む。

「ん、見た目より筋肉はありそうだけど。光太郎のストレート受けたら折れちゃいそ」
「大丈夫です。佑月さんよりは。それに僕成長期ですし」
「え、俺そんなに非力に見えんの?」
「パワーがあるようには見えない」
「ひどっ」

 佑月さんが笑う。その笑顔に胸の奥がまたざわつく。体育館の扉が見えてきた。

「蛍、ありがとうな。助かった」
「これぐらい大丈夫です。」

 助かったのその一言が、朝の空気よりずっと温かく響いた。身体がまた静かに熱くなる。



 負け試合のペナルティを終え、忘れたタオルを取りに体育館へ戻った。

 練習試合が続く中、体育館の空気はまだ熱を残している。視線の先、コートの端で佑月さんがタオルを肩にかけていた。汗に濡れた髪が光を受けて、柔らかく揺れる。

 あれ、午前中は自習してるって言ってたはずなのに。その手にはスコア表だろうか。向かいに立つのは赤葦さん。

 佑月さんが持っていたボトルを差し出し、赤葦さんが受け取る。ただそれだけなのに、空気が違った。距離が近い。声は聞こえないのに、佑月さんの笑みが“誰かに向ける特別”に見えた。

 胸の奥がざわつく。理由なんて、考えたくない。赤葦さんが何かを言い、佑月さんが笑う。その笑い声が体育館のざわめきに溶けていく。見なければよかった。と、そう思ったのに、目が離せなかった。

「っ、…」

 ボトルを返す赤葦さんの指先が、佑月さんの手に触れた。ほんの一瞬。それだけで、胸の奥が痛くなる。…何やってんだ、俺。視線を逸らして、無理やり息を吐いた。落ち着け。別に、何でもない。

「あら月島くん、次の試合の準備しなくていいのカナー?」

 黒尾さんの声に振り返る。

「黒尾さん」
「だから、あんまり深く突っ込むなって忠告したのに。俺、優しいんだよ?」
「はぁ、赤葦さんって、佑月さんのこと」
「見ればわかるでしょ。本人は自覚ないらしいけど。もう去年からずっとあの調子」
「意外と、拗らせてますね」
「相手が佑月だからなぁ。でも今年は何か発展があるかもって期待してる」

 そう言った黒尾さんの表情が気になった。「黒尾さんも、」と、言いかけたところで、その答えを僕が聞く必要はないと思って話すのをやめた。

「…それでも、僕は…」
「…お、ツッキー。おチビちゃん達が呼んでるぞー」

 黒尾さんは、ずるい人だ。忠告したって止める気はないんだから。
 忘れたタオルをとって、コートへ戻る。冷静なふりをしても、心臓の音だけは誤魔化せず、体育館の光が、少しだけ眩しかった。