いつもより早く起きる。合宿の疲れが出てもおかしくないのに、身体は妙に軽かった。
今日も絶好調な寝起きの悪さだった気がする…が、何も覚えてない。完全に目覚めた頃には服は着替えて髪型もセットされている状態で、今日は光太郎が全部やった!と報告してくれたので早く起こした申し訳なさと感謝を込めていっぱい頭を撫でてやった。部屋を出る前に赤葦くんを見ると、疲れも溜まっているのかまだ寝ているようだ。
長期遠征には、マネージャー達にも疲労が見えてくる。昨夜、白福から雀田の体調があまり良くないと連絡が来たので、明日は一日休むよう伝えたが、それは悪いからと断られてしまった。
ならば朝だけでも、と引き受けたのだ。
マネージャー補佐といえど、各高校みんな手際のいい人たちばかりだし、やる仕事は力仕事がメインだ。こうやって、早く起きて準備してくれてる彼女達がいるからこそ練習がスムーズに行えるんだと改めてマネージャーの仕事の大切さを知る。白福は食堂の準備があるからと、力仕事も含めたタオルなどの準備は俺が引き受けることになった。
外に出ると、朝の空気はひんやりしている。倉庫の前に積まれたタオルの山が目に入った。
「……多いなぁ」
洗濯を終えたタオルは全高分あるのだから、相当な数だった。腕いっぱいに抱えて運ぼうとしたところで、「佑月さん」と、聞き慣れた声が背中から届いた。
「蛍、おはよ。早いね」
振り向くと、少し息の上がった蛍が立っていた。朝の光が髪に反射して、金色が柔らかく揺れる。
「おはようございます……それ、手伝いますよ」
「え、大丈夫だよ。往復するし。蛍も練習あるだろ」
「今日、少し早く起きたので。朝食まで時間もありますし。それに佑月さん、おっちょこちょいだから」
「……おっちょこちょいなのはゲームだけだっつーの」
そう言いながら、タオルを半分押しつける。蛍は文句を言いながらも、ちゃんと受け取ってくれた。本当は、最後の一言は照れ隠しなんだろうな、素直じゃない。と、そう思ったけど、言わない。言ったら、蛍はきっとまた上手いこと言って誤魔化すから。
歩きながら、蛍に話しかける。
「蛍、朝から走ってたの?」
「……まぁ。早く起きただけです」
「偉いなぁ。俺は起きるの本当ダメ…」
「寝起き悪すぎデショ」
「うっ…」
「図星」
と、蛍が少しだけ笑う。その笑顔を見ると、蛍の高校一年生らしさが見えてなんだか嬉しい。
「蛍は、朝強いんだ。羨ましい」
「別に強くないですケド、佑月さんが弱すぎるんじゃないですか?」
「わー出た、蛍の煽り」
「煽ってないデショ」
そんな他愛ない会話が、妙に心地よかった。月島も手伝ってくれたのもあってそれから俺の仕事は程なくして終わった。
「んんん、マネージャーも大変だな」
と、今さっきモップがけし終えた体育館に寝そべる。ヒンヤリした冷たい床が案外気持ちよくて目を閉じる。
「佑月さん、」
「ん、赤葦…くん?なんでここに」
「白福さんに食堂で聞きました。そろそろ仕事終わるだろうから迎えに言ってほしいって…そんなとこで寝たら流石に風邪引きますよ。朝食行きましょう」
そう言って俺に手を伸ばす赤葦くん。もうちょっと寝たい、なんて少し眠気が勝ってしまいまた目を閉じる。
「…佑月さん」
「…」
「佑月さん…」
「……」
「…眠たいときのわがままなところは、木兎さんによく似てると思います」
赤葦くんの声が、すぐ近くで落ちてくる。その言葉に、思わず口元が緩んだ。
「……褒めてる?」
「褒めてません。事実を言っただけです」
「…」
「木兎さんの話すれば起きると思ったのに」
「赤葦くんも俺のことブラコン扱いするんだ」
「…も?」
「蛍にも言われた」
「まぁ、事実じゃないですか」
相変わらずだなぁ、と思いながら、今度は床に頬を押しつけたまま、もう一度目を閉じた。布越しじゃない体育館の床からひんやりした温度が伝わってきて眠気がじんわり戻ってくる。
「……佑月さん、起きてください」
赤葦くんの声が、さっきより少しだけ近い。気のせいじゃなく、ほんの少しだけ優しい。
「あと五分……」
「五分で起きた試しがないでしょう」
「う……」
図星すぎて反論できない。その沈黙を、赤葦くんはため息で受け止めた。
「……仕方ないですね」
そう言った瞬間、俺の手首をそっと掴む感触があった。強くない。でも、逃げられないくらいにはしっかりしている。
「立てますか」
「……赤葦くん、優しい」
「優しくしないと起きないでしょう」
言い返せない。だってその通りだから。ゆっくりと身体を起こされる。赤葦くんの手が、俺の肘を支えてくれる。
「っわあ、」
そのまま、赤葦くんに腕を引かれて、胸元へ抱きしめられる。胸元に引き寄せられた瞬間、赤葦くんの体温がじんわり伝わってきて、思わず息が止まった。
「あ、赤葦くん、」
「また月島と会ったんだ」
低く落ちた声。いつもの冷静さとは違う、どこか拗ねたような響きと口調。そんな声を出すなんて思ってなくて、驚いたついでに、俺の口調まで変になった。
「手伝ってもらった…だけです…」
赤葦くんの胸元に手を置いたまま、変な体勢で抱きしめられたからか、俺の方が身長が高いはずなのに少し赤葦くんを見上げる形になる。お互いの視線がぶつかって、距離が近すぎて、胸の奥がじんわり熱くなる。赤葦くんの指が、俺の手首を掴んだまま離れない。
「……恥ずかしい」と、小さく言うと、赤葦くんは一瞬だけ目を丸くして、それから視線を逸らした。
「すいません。調子乗りました」
俺から離れた赤葦くんの耳が、ほんの少し赤い。その色が、なんだか俺の胸をくすぐった。
「…じゃあ」
「うん」
体育館の扉を開けると、朝の光が差し込んでくる。外はまだ肌寒くて、思わず肩をすくめた。その時、赤葦くんが、自分のジャージを俺の肩にそっとかけてくれた。
「汗、冷えますから。…さ、行きましょう」
でも、その言い方はどこか優しくて。俺の胸の奥に、じんわりと温かいものが広がった。朝の光の中で、赤葦くんの横顔が少し眩しく見えた。
胸の奥が、静かに熱くなる。
赤葦くん、ずるいな。と、思わず口に出そうになって、慌てて飲み込んだ。でも、心の中でははっきり思っていた。
(こういうの、俺だけにしてほしい)
赤葦くんの横顔は、朝の光に照らされて少し眩しく見えた。その背中を追いながら、俺は静かに息を吸った。胸の奥の熱を、どうにか誤魔化そうとした。
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午前中は自習するつもりだったが、朝食後に雀田の調子がまだ良くないと白福に呼ばれた。みんなには、軽い熱中症ということになってるが、あれの日が始まって二日目で辛いのだと言う。
「…別に、俺にも軽い熱中症ってことで良かったのに」
「佑月には言ってもいい…本当にお腹痛くて…明日は大丈夫だと思うから今日だけお願いしてもいい?」
「…無理すんなよ。これ、俺が持ってた鎮痛剤だけど、よく姉貴も飲んでるから。昼、食べに行った時医務室寄って薬もらってこいよ。無理だったら俺がもらってくるし。なんかあれば連絡して?」
心配したことをそのまま伝えると、雀田と白福は目を合わせて頷く。
「やっぱり佑月に声かけて正解だったねぇ」
「本当、これが素で出来るんだから」
「?」
「助かる!」と、そのまま彼女の仕事の引き続きを聞いてから、雀田には一日休んでもらうことにした。
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「佑月もマネージャー補佐からマネージャーへ昇格だねぇ」
「お世話になります。白福先輩」
「んん、かおりより頼りにならないかもだけど頑張るよー」
体育館で、メンバーの一部として試合を見るのは初めてだった。監督には白福が事前に伝えてくれていたらしい。
「木兎調子が良くなるといいんだが」
「俺もそう思います」
監督の言葉に素直に頷いた。調子のいい光太郎ほど目を奪うものはない。
体育館に入ってきた光太郎は、まだ俺のことに気づいていないようだ。
「なー本当に大丈夫かな。ビョーインとか行かなくても平気?」と、雀田のことを気にしていて少しソワソワしているらしい。
「光太郎」
「佑月?」
「雀田の代役」
それからバレー部のみんなが集まって、雀田が体調に問題は無いことと休んでることを伝え、俺が代役をすることを伝える。
「よっしゃー!じゃあ雀田が元気になれるようにと!佑月にかっこいいとこ見せないとなー!まずは一勝!!!」
案の定、光太郎の調子は良かった。それから練習試合中、スコア付けも白福に教わりながら、俺がつけることになった。
「これは白福がやった方が良くない?俺ドリンクとか補充やるし」
「でも昨日つけてたんでしょー?自主練のとき」
「そうだけど…」
「佑月は要領いいからすぐ覚えられるよーほら今点入ったよー…そしたらここに線引いて…」
それから梟谷がフルセットとって、練習試合は終了。負けた方はペナルティがあるらしい。恐ろしや。
「なーそのまま佑月、マネージャーやれよ」
「秋紀、冗談でも無理。マネージャーの大変さもっとわかった方がいい。二人に感謝しろ」
「佑月、スコア表とこれ赤葦に持ってってくれるー?」
「ん、了解」
なにかと白福が赤葦くんのところに行かせたがる気がする。朝もそうだったけど。理由を考えても意味はないかと、コートの端にいる赤葦くんの元へ向かう。
「お疲れさまーこれどうぞ」
差し出すと、赤葦くんは少し驚いたように瞬きをして、それから静かに受け取った。
「……ありがとうございます」
赤葦くんの声に、胸の奥がくすぐったくなった。それから水分補給をする赤葦くんに、スコア表を見せる。
「飲みながらでいいんだけど…これスコア表。聞きながらやったから大丈夫だと思う」
赤葦くんは表情を崩さない。スコア表を確認しながら、俺の横に立って、少しだけ顔を寄せてくる。
「…大丈夫です。問題ありません」
横顔がすぐそこにあって、呼吸の音まで聞こえそう。落ち着けと言い聞かせても、指先の熱が消えない。
「ありがとう」
「…木兎さん、こんなに点入れてたんだ」
と、ほんの一瞬だけ目が柔らかくなった。その変化に気づいてしまう自分が、なんだかおかしくて、嬉しくて。
「調子良かったですもんね、なんか託したボール全部点決めてくれるんじゃないかと思いました」
「そういうのわかるんだ」
「まぁ、なんとなくですけど」
ボトルを受け取ろうとした瞬間、赤葦くんの指先が、俺の指にかすかに触れた。
「…っ、ごめん。受け取る」
自分でも驚くほど声が上ずっていた。ほんの一瞬。その一瞬で今朝の体育館の出来事が蘇って胸の奥がふっと跳ねた。赤葦くんはいつも通りの声で「ありがとうございます」と言ったけど、変だと思われなかっただろうか。
触れた指先の温度が、まだ残っている。
スコア表を持つ手が、妙に落ち着かない。
さっき触れた場所が、じんわり熱くなった。
(俺、赤葦くんのこと)
そこまで考えた瞬間、心臓が跳ねた。言葉にするのはいけない気がする、でも、もう気づいてしまった。
(……好き、なのかもしれない)
触れられた指先が、またじんわり熱くなった。