先輩との出会い

赤葦あかあしさいど

「光太郎の双子の兄の佑月です。
弟のことを木兎って呼んでると思うので、俺のことは佑月って呼んでください」

 その声が聞こえた瞬間、体育館の空気が少しだけ変わった気がした。

 合宿初日のミーティング。

 一年の俺たちは緊張で固まっていたけれど、その中で佑月さんは、落ち着いた声で自己紹介をした。

「佑月ー今年もよろしく」
「はい、よろしくお願いします」

 三年生がそう言ったのを聞いて、前回の合宿にも手伝いで参加したのだと思った。

 初めて佑月さんを見たとき、木兎さんの兄だとすぐにわかった。顔立ちが似ているとか、雰囲気が同じだとか、そういう表面的な理由もある。

佑月さんの立ち方。
話すときの間。
人を見るときの目の動き。

 どれも木兎さんと似ている。

「なになにー佑月のこと気になんの?」

 隣で木葉さんが肘でつついてくる。

「木葉さん、」
「俺、二年間ずっとおんなじクラスで仲良いぞ。紹介してやろっか」
「やめてください、そういうのじゃないんで」

 二年生に双子がいるという噂は、部活に入る前から有名だった。それがまさか、憧れていた木兎光太郎だったなんて、ってそれだけ。

 そういうのじゃない。…はずだった。



 それから合宿がはじまった。

 気づけば、彼を目で追ってしまう。
 
 触れたら指が沈みそうな、軽い髪質。体育館の風が吹くと、その髪がゆっくり揺れて光を拾う。本人は気づいていないけれど、佑月さんの髪は、風が吹くたびに表情を変える。

「髪伸びたねぇ、マッシュにしたんだ」
「あーそう。癖っ毛だからストパ当てた。来年は受験でこんなことやってられないしな」
「いいねぇ、さらさらじゃないの」
「そ、さらさら」

 合宿の夜、外で黒尾さんと話していたときに見た横顔は、夜風に揺れて儚さが増して、胸がざわつくほどだった。
 
 練習の最中。

「佑月! やっと来た!」
「ちょ、光太郎、危な——」
「すきありー!」

木兎ツインズのスキンシップの多さにはさすがに驚いた。

「いつもあんな感じなんですか」
「まぁいつもあんな感じだな」

 先輩方はそんな姿に目もくれず、練習に励む。動揺しているのは一年生の俺たちだけのようだ。

「佑月!佑月!ちょっと試合見てけよ!次、俺試合でるぞ!」
「そうだよ。佑月くん見ていきなよ」
「まだ仕事あるから、後な。さっさ、コート戻って光太郎もクロも頑張ってー」

飛び跳ねて佑月さんを追いかけ回す木兎さん。
嫌がるわけでもなく受け止める佑月さん。
それを見て笑っている黒尾さん。

その光景は、この合宿で何度も見た。

 木兎さんは、感情がそのまま外に溢れるタイプだ。喜べば跳ねるし、悔しければすごく悔しがる。まっすぐで、嘘がつけない。

 佑月さんは、感情をすぐには表に出さない。でも、隠しているわけでもない。静かに、丁寧に、相手の言葉を受け止めてから返す。

木兎さんが“太陽”なら、
佑月さんは“灯り”だ。
明るさの種類が違う。
でもどちらも、周りを照らす。

 そんな木兎さんの双子の兄の佑月さんは、静かめで優しい。でも、ただの優しさじゃない。誰かを気遣うために、自分を後回しにする優しさだ。兄の鏡みたいな人だと思った。

 そのせいで、佑月さんが一人でいる時は、時々ふっと影が落ちる。

 その影が、儚さを増す。気づけば、
その影ごと目で追っていた。

(……なんでこんなに気になるんだろう)

 その答えに気づくのは、もう少し先の話だった。


 
 合宿二日目の夕方。練習が終わって、体育館の外でクールダウンをしていたときだった。

「あの、」

 背後から呼ばれて振り返ると、佑月さんがタオルで首元を拭きながら立っていた。

 その声は、木兎さんの“勢い”のある声とは違って、静かで、柔らかくて、耳に落ちると不思議と心が落ち着く声だった。

「はい、なんでしょう」
「えっと……アカシくん?」
「……アカシ?」

 思わず聞き返してしまった。佑月さんは「あれ?」という顔をして、少しだけ首を傾げた。

「光太郎がそう呼んでたから……アカシくん、で合ってる?」
「……あか“あし”です。赤葦(あかあし)」
「あ、やっぱりそうだよな。ごめん、光太郎の言うこと鵜呑みにした」

 佑月さんは、少しだけ恥ずかしそうに笑った。
その笑顔が、体育館の夕陽に照らされて柔らかく光って、胸の奥がじわっと熱くなる。

「木兎さん、また俺の名前ずっと間違えてるんですね」
「…なんか“アカシくん”って言ってた。…でも、俺はちゃんと“赤葦くん”って呼ぶね」

その言い方が、妙に丁寧で、妙に優しくて。

名前を呼ばれただけなのに、胸の奥がざわついた。

「赤葦くん」

もう一度、今度はゆっくりと。
その声は、俺の名前を確かめるようで、
大事に扱ってくれているようで。

「……はい」

 返事が少し遅れたのは、自分でもわかっていた。佑月さんは気づいていないようで、でもどこか照れたように目をそらした。

「…それ空だったら持ってくよ。これ新しいやつ」
「あ、ありがとうございます」
「いきなり変だったよな、ごめん」
「変じゃないです。むしろ……」

 言いかけて、自分でも驚くほど言葉が出てこなかった。

むしろ、嬉しかった。

 そのことに気づいた瞬間、胸の奥が静かに跳ねた。

(……なんだこれ)

佑月さんは、俺の反応に気づかないまま、ふっと優しく笑った。

「じゃあ、また頑張ってな。赤葦くん」

 その“赤葦くん”が、やけに胸に残った。
名前を呼ばれただけなのに、こんなに心が動くなんて思わなかった。

(……ああ)
(この人、やっぱり綺麗だな)

 そのときはまだ、それ以上の意味に気づいていなかった。

 でも、この日を境に、佑月さんの声で呼ばれる“赤葦くん”が、俺の中で特別な響きを持ち始めた。