俺は後輩に会いたい

しゅさいど

 定食屋の湯気が、ふわりと二人の間を漂っていた。忙しさに追われた一日がようやく落ち着いて、温かい味噌汁の香りが胸の奥まで染みていく。

「最近バタバタしてたよな、大学忙しい?」
「……まぁね。いろいろあって。光太郎は、大学楽しい?」
「ん!楽しまないと損だろ!」
「光太郎らしい」

 光太郎が唐揚げを頬張っている姿を見て、少し懐かしさを感じた。お互い大学は違うところへ進学した。光太郎はバレーの成績もあって推薦。俺は大学では経営学部を選んだ。

 俺はポケットの中の小さな箱に触れた。指先が、ほんの少し震える。

(……今日、渡したい)

 渡さないと次いつ光太郎と会えるかわからないし、お互いの忙しさに流されて、このタイミングを逃したくなかった。

「光太郎」
「ん?」

 呼びかけた瞬間、胸の奥がきゅっと縮んだ。言葉にするのが、少しだけ怖い。

「……渡したいものがあるんだ」

 光太郎が箸を止め、不思議そうに首を傾げる。佑月はポケットから小さな箱を取り出し、そっとテーブルに置いた。

「これ……第一号。俺が作った、最初の指輪」

 光太郎の目が大きく開く。

「え、これ……佑月が?」
「うん。まだ全然未熟だけど……でも、最初に渡すなら光太郎がいいって思った」

 言葉にした瞬間、胸の奥がじんわり熱くなる。光太郎は箱を開け、小さな銀の輪を見つめたまま固まった。店内のざわめきが遠のく。

「……これ、佑月と、お揃い?」
「うん。俺のも、同じデザイン」

 佑月は自分の左手の小指を見せた。光太郎の指輪と同じ、細くて控えめな銀のリングが光っている。

「ルミノ…?」
「光って意味。光太郎の名前にも、ちょっと似てるだろ」

 指輪の内側に刻まれた文字に気づいたら木兎がそういう。言ってから、少し照れくさくなった。でも、光太郎はすぐに笑った。

「離れてても……ちゃんと繋がってるって思えるように」

 光太郎の喉が、かすかに震えた。

「……佑月」

 その声は、いつもの明るさとは違っていた。

「めっちゃ……嬉しい。ほんとに、めっちゃ嬉しいよ」

 光太郎は指輪を小指にはめ、ぎゅっと拳を握った。佑月は、少しだけ視線を落とした。胸の奥に、静かに灯るものがある。

「俺、絶対大事にする」

 その言葉に、胸の奥がふっと軽くなる。

 どうして、と言われなくて安心した。マネージメント業務もそうだが、いつか俺の企業した会社で、光太郎のスポンサーになれるように、それが俺の目的になり、それに他にもやってみたいことが俺にはたくさんある。

「赤葦くんにも渡す…つもり」

 そう言うと光太郎は笑って一言だけ「そっか」といってからあげを一口。この事についても光太郎は深く聞いてこなかった。それからお互い他愛もない話をし、光太郎が先に食べ終えて、スマホをいじりはじめるのを横目に俺はまた生姜焼きを一口頬張る。

 するとすぐに、俺のスマホが光った。

【@boku_kouにタグ付けされました】

 通知を押して、光太郎のストーリーを開くと、先ほど店の前で撮った二人の写真が上がっていた。

「ちょ、光太郎……勝手載せんなよ」
「いいじゃん、佑月可愛かったから自慢!」

 光太郎は悪びれもせず笑う。

「はぁまぁこういうのも慣れてる…」
「そうだろそうだろ!あ、黒尾からイイネきた、あいつも暇だなー」
「俺たちよりクロの方が忙しいだろ」
「ん?そうなのか」
「みんなに…会いたいな」

 卒業したのはつい数ヶ月前だというのに、もう高校時代が懐かしくてたまらなくなっていた。

「赤葦と連絡とってるのか?」
「あぁ…それがさ、赤葦くんの連絡先聞くの忘れてて」
「は?まじ」
「赤葦くんも部活とか忙しいだろ。俺もいろいろあったけど落ち着いてきたし…映画でも誘おうかと思ったんだけど」
「俺が赤葦の連絡先教えればよくね?」
「…その手があったか」
「と、なればすぐ連絡!!善は急げだ!!」
「返事来るかな」
「さ?来るだろ!」
「適当だなー」
「佑月は心配しすぎだって!ほら、送った!」

 光太郎のその明るさに救われることも多い。でも、赤葦くんから連絡が来ないまま時間が過ぎていくと、胸の奥がじわじわと重くなっていった。

(……やっぱり迷惑だったのかな)

 箸を持つ手が止まる。スマホを見つめる時間が増える。光太郎がそれに気づいた。

「佑月、赤葦のこと気にしてんの?」
「……うん。連絡、来ないから」

 言葉にした瞬間、胸の奥がきゅっと痛んだ。光太郎は少し考えてから、スマホを取り出して何かを打ち始めた。

「光太郎?」
「ちょっと待って」

 数秒後、自分のスマホが震えた。また光太郎がストーリーを更新してタグ付けされた通知。

『連絡来ないって心配そうにしてるぞーストーリー見てんなら連絡してやれ!』

「ちょ、光太郎!!」
「いいからいいから!赤葦、絶対見てるって!」

 顔が熱くなる。恥ずかしさと期待が入り混じって、胸が忙しい。

(……見てるかな)

 スマホを両手で持って、画面を見つめる。
「あ、ほら赤葦、ストーリー見てるぞ」と、光太郎が横で笑っているのも耳に入らなかった。



 定食屋を出た後、夜風に揺れる駅前の灯りをぼんやり眺めながら、スマホを握る指先に力が入っていた。

 赤葦くんと話をしたい。ただそれだけなのに、胸の奥は落ち着かず、呼吸が浅くなる。

(……迷惑だったかな)

 直接連絡先を知らない。だから光太郎に頼んだ。送ってしまったあと、胸の奥に沈むような不安が広がっていく。

 赤葦くんは忙しいだろう。部活もあるし、勉強もある。自分のために時間を使わせてしまうのは、どこか申し訳ない気がしてしまう。

でも、会いたかった。

 去年の合宿のとき、赤葦くんが読んでいたあの本を、帰ってから自分も読んだ。ページをめくるたびに、赤葦くんの横顔が浮かんだ。その本が、映画化するらしい。小さい劇場でしかやらないような、そんな作品だけど、赤葦くんと見たいなと思った。

 帰り道、祈るような気持ちで画面を見つめる。そして、通知が光った。

『赤葦です。よろしくお願いします』

 その一文を見た瞬間、胸の奥が一気に熱くなった。息が止まる。指先が震えて、スマホを落としそうになる。

「……光太郎」
「来た?」
「……うん」

 声が震えていた。光太郎は満足そうに笑う。

「ほらな。絶対来るって思ってた」

 返事を打とうとした瞬間、光太郎が俺のスマホを取り上げる。

「まずは電話だろ、久しぶりに赤葦とちゃんと話すこと」

 光太郎が、通話ボタンを押した瞬間、心臓がひとつ跳ねた。
 渡されたスマホを耳に当てる。呼び出し音が一度、二度、三度——その間、静けさがやけに大きく感じられる。

 四度目のコールの途中で、ふいに音が途切れた。

 心臓が跳ねる。喉が乾く。
 

『……赤葦くん?』

 自分の声が、思っていたよりずっと弱くて、自分でも驚いた。でも、返ってきた赤葦くんの声は、静かで、優しくて、胸の奥にすっと染み込んだ。

 話すたびに、赤葦くんの声が胸の奥を撫でていくようで、息をするのも忘れそうになる。

『……映画、行きたいです。佑月さんと』

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がぎゅっと縮んで、次の瞬間、熱が一気に広がった。

 涙が出そうになるほど嬉しかった。

『……ありがとう。本当に、嬉しい』

 自分の声が震えているのが分かった。でも、隠せなかった。赤葦くんが、自分のために時間を作ってくれる。自分と映画を観たいと言ってくれる。その事実が、胸の奥に灯りをともした。

 電話を切ったあと、しばらく動けなかった。

 スマホを胸に抱えたまま、夜空を見上げる。
さっきまでの会話が、胸の奥で何度も反響する。

(……会いたい)

 その言葉が、静かに、でも確かに胸に落ちた。光太郎が横から覗き込む。

「どうだった?」
「……土曜日、映画行くことになった」
「おー!やったな!」

 光太郎の声が弾む。その明るさに、胸の奥の光がさらに強くなる。

 赤葦くんの声が、まだ耳の奥に残っている。その余韻だけで、世界が少しだけ優しく見えた。