先輩とデートする

赤葦あかあしさいど
 待ち合わせ場所に着くと、先に佑月さんが立っていた。制服じゃない佑月さんは、少し大人びて見える。春の光が髪に落ちて、輪郭が柔らかくなっていた。

「赤葦くん」
「久しぶりですね」
「うん。会えてよかった。部活お疲れ様」

 その笑顔に、胸が静かに揺れる。並んで歩きながら話していると、ふと佑月さんが手を上げて髪を整えた。その瞬間、小指で光が反射した。

(……指輪?)

 見覚えのある細いシルバー。あの、シンプルで控えめなデザイン。

「それ……木兎さんも、つけてるやつですよね」
 
 佑月さんは一瞬驚いたように目を瞬かせ、それから笑った。

「赤葦くん、よく見てる。そう、光太郎とお揃い」
「…前に木兎さんが載せてて、綺麗だなと思ったので」
「へぇ」
「なんですか」
「ん、これ俺が作った指輪なんだ」
「佑月さんが?」

 胸の奥が、ふっとざわつく。嫉妬じゃない。ただ、言葉にできない感情が静かに揺れた。

「……似合ってます」
「ありがとう」

 佑月さんは、少し歩みを緩めた。春の風が二人の間を通り抜ける。

「これ、実はね、赤葦くんの分も作ってある」

 呼吸が止まる。

「……俺の?」
「うん。でも渡すのは、赤葦くんが卒業してから。その方が、ちゃんと意味がある気がして」

 胸の奥が熱くなる。言葉が出ない。佑月さんはポケットから小さな箱を取り出した。

 開けると、細いシルバーのリングが光を返す。

「今日は……確認だけ」

 そう言って、俺の方へ向き直る。

「赤葦くんは、どこの指がいい?」

 その問いは、静かで、でも確かに未来を示していた。胸が強く脈打つ。指先が少し震える。

「……佑月さん達と同じが、いいです」

 自分でも驚くほど自然に言葉が出た。佑月さんは、少しだけ目を細めて笑った。

「じゃあ、小指だね。"未来を掴む”って意味があるんだよ」

 その言葉が、春の光より温かく胸に落ちる。

「……卒業したら、ちゃんと渡すから」

 その声は優しくて、でも揺るぎなくて。俺は静かに頷いた。

「……はい」

 それだけで十分だった。佑月さんは満足そうに微笑む。春の風が吹いて、佑月さんの小指のリングが光った。その輝きは、未来の約束みたいに静かで、確かだった。

「じゃあ、映画行こ。俺、結構楽しみにしててさー…」

 佑月さんと並んで歩くのは、どうしてこんなに落ち着かなくなるんだろう。

 歩幅を合わせようとすると、自然と呼吸まで合わせてしまう。そのたびに胸の奥が、ゆっくりと波打つように揺れた。

 春の風が吹くたび、佑月さんの髪がふわりと揺れる。その横顔を見るのが、どうしようもなく心地よかった。

「赤葦くん、今日寒くない?」
「……大丈夫です。佑月さんこそ」
「俺は平気。春って好きなんだよね、空気が柔らかくて」

 その言葉が、佑月さん自身の雰囲気と重なって聞こえた。柔らかくて、でも芯があって、触れたらきっと温かい。
  
 そんな人だ。ふと、佑月さんがポケットに触れる。さっき見せてくれた小さな箱の存在が、胸の奥で静かに熱を帯びる。

(……俺の分の指輪)

 卒業したら渡す、と言われた瞬間の胸の高鳴りがまだ残っている。

未来を掴む指。
小指。

 その言葉が、何度も胸の中で反響する。

「赤葦くん、今日の映画さ、静かめの作品だから……眠くなったら起こすね」
「寝ませんよ」
「ふふ、冗談」

 佑月さんが笑うと、胸の奥がふっと軽くなる。
その笑顔を見るたびに、自分の中の何かが少しずつ変わっていくのを感じた。

 映画館の看板が見えてくる。

 その瞬間、佑月さんが少しだけ歩幅を緩めた。

「……赤葦くんと映画行くの、なんか不思議だな」
「不思議、ですか」
「うん。高校の時は、こんな日が来るなんて思ってなかったから」

 その言葉が、春の光よりも温かく胸に落ちた。

「……俺は、嬉しいです」

 気づけば、自然に言葉が出ていた。佑月さんが驚いたように目を瞬かせ、それからゆっくり笑う。

「俺も」

 その一言だけで、胸の奥が静かに熱を帯びる。映画館の自動ドアが近づく。ガラスに映る二人の姿が、どこか“これから”を示しているように見えた。

「じゃあ、入ろっか」
「……はい」

 佑月さんの小指のリングが、春の光を受けてまたきらりと光った。その輝きは、未来の約束みたいに静かで、確かだった。



 暗くなった館内に、スクリーンの光だけが揺れている。

 佑月さんの隣に座ると、さっきまで外にあった春の空気が嘘みたいに静かになった。

 肘掛けが触れそうで触れない距離。呼吸のリズムが、かすかに重なる距離。その近さに、胸の奥がじんわり熱を帯びる。

 映画が始まってしばらくすると、佑月さんが少しだけ姿勢を変えた。その動きに合わせて、小指のリングが光を返す。

(……綺麗だ)

 そう思った瞬間、胸の奥がふっとざわついた。その指輪と同じものが、いつか自分の小指にもはまるのだと思うと、呼吸が少し深くなる。

 スクリーンの明かりが揺れるたび、佑月さんの横顔の影が変わる。その変化を追ってしまう自分がいる。ある場面で、佑月さんが小さく息を呑んだ。

 その反応が、なぜか胸の奥に優しく落ちてくる。気づけば、自分の手は膝の上で固く握られていた。

(……触れたいわけじゃない。でも、触れられたら困る)

 そんな矛盾した感情が、暗闇の中で静かに渦を巻く。ふと、佑月さんがこちらを見た。スクリーンの光が瞳に映って、その表情が少しだけ柔らかくなる。声は出せない。でも、目が合っただけで胸が熱くなる。

 佑月さんは、ほんの一瞬だけ微笑んだ。

 その笑顔は、映画の光よりもずっと温かかった。そして、ゆっくりと肘掛けに手を戻す。その手が、自分の手のすぐ近くに置かれた。触れてはいない。でも、触れようと思えば触れられる距離。

 その距離が、映画の内容よりもずっと気になってしまう。

(……こんなに近いのに)

 佑月さんの体温が、暗闇の中でじわりと伝わってくる気がした。映画の静かなシーンで、佑月さんが小さく囁くように言った。

「……赤葦くん、眠くない?」

 声が近い。耳の奥に落ちてくる。

「大丈夫です。佑月さんこそ」

 佑月さんは、スクリーンを見たまま小さく笑った。

「赤葦くんが隣なら、眠くならないよ」

 その言葉が、映画の音よりも強く胸に響いた。暗闇の中で、ふたりの距離は確かに近づいていた。