先輩のことが気になるらしい

赤葦あかあしさいど

 合宿1日目の休憩中。佑月さんが参加してくれたおかげで、木兎さんは練習中ずっと機嫌がいい。今のところは、だが。

 このまま最後まで保ってくれればありがたいが、そう簡単にはいかないだろう。佑月さんだって、ずっと体育館にいるわけではない。

 合宿を手伝う条件として「練習試合中、仕事がなければ数時間は自習したい」と言ったのは佑月さん本人だ。受験生にとって大事な夏休み。その時間を双子の弟のために割いているのだから、やはり優しい人だと思う。

「佑月ー遅いぞ!早く!」
「いや光太郎が早すぎるんだよ。っか休憩しろよ、俺がやるし」
「嫌だ!!俺がいれば2倍だろ!半分の時間で終わるんだから、そしたら一緒に休憩する!」
「光太郎がそれでいいならいいけど…」
「よっしゃーじゃあさっさと終わらせんぞーっ!」

 休憩中だというのに、木兎さんは体育館を走り回ってモップ掛けをしている。その光景を見ていると、他校のよう選手に「お宅のエースは元気だね」と声をかけられ、面倒になって外に出た。

あぁ、いいな。木兎さんも、佑月さんも。あの距離感が、羨ましい。
 別に、嫉妬とかではない。ただあの二人にしか分からない空気があるのが、少し胸に引っかかるだけ。双子だし当然なんだろうが。

「いやー木兎ツインズは相変わらずデスネ」

 声を聞いただけで誰か分かる。黒尾さんだ。今はあまり話す気分ではないが、顔を上げる。

「……どうも」

 軽く笑ってみせるが、話題には触れたくないというオーラは出しておいた。

「あぁ怖っ。やっぱ佑月くんの事になると反応違うねぇ。で、最近どうなの、佑月くんと」
「どう、とは」
「ほら、去年の合宿でさぁ。お前、分かりやすかったよ?」
「分かりやすいって何がですか」
「へぇ、自覚ないんだ」

 自分では全く心当たりがない。黒尾さんはニヤニヤしている。

「言いたくないことは言わなくていいと思う」

 黒尾さんの背後から孤爪が顔を出した。ドリンクを飲みながら、淡々とフォローしてくれる。

「そうする」
「ほらクロ、そういう聞き方がダメなんだよ」
「いやいや、俺はただ気になってるだけで」
「気にならなくていいです」

 自分でも驚くほど即答してしまった。黒尾さんが「ほらね」と言わんばかりにニヤつく。

「……赤葦ってさ、佑月くんの話になると、ちょっと声のトーン変わるよね」
「変わってません」
「変わってるよ。なぁ、研磨」
「まぁ変わるとは思うけど」
「……」

 否定できない空気に、言葉が詰まる。そんなやり取りをしていると、灰羽が合流してきた。

「黒尾さん達ー、あの人誰なんっスか? 梟谷の人じゃないですよね」
「あれは木兎の双子の兄貴」
「え!マジですか……あ、本当だ似てる!」

 灰羽は遠慮なく続ける。

「でも双子なのにあんま似てないっスね」
「いや、どっちだよ。佑月くんはお姉さん似だからねぇ、どっちかというと」
「なるほど。綺麗な顔してますよね、佑月さん」

 その言い方に、胸がざわつく。理由は分からない。ただ、落ち着かない。

「あ!俺、見ちゃったんですけど」
「なに」
「あの人の腰んとこ、キスマークいっぱい付いてたんです」
「は?」

 黒尾さんが即座にツッコむ。

「お前どこ見てんだよ」
「いや違うんスよ!荷物運んでて手伝ったら、佑月さんがTシャツで汗拭いてて……」
「それでお腹見たの?」
「見たっていうか、見えたっていうか……佑月さんって彼女いるんですか」

 その瞬間、三人の視線が俺に向いた。

「……いない、と思います」

 声が少しだけ低くなった気がした。すると黒尾さんがニヤリと笑う。

「へぇ、“思います”なんだ」
「事実を言っただけです」
「ふーん。赤葦ってさ、ほんと分かりやすいよね」
「分かりやすくありません」
「いや、分かりやすい。なぁ、研磨」
「まぁ分かりやすいとは思うけど」
「……」

 また言葉が詰まる。灰羽はさらに続ける。

「じゃあ聞いてきていいっスか?佑月さんに」
「やめろ」

 即答だった。黒尾さんが腹を抱えて笑う。

「ほらほら、やっぱり赤葦って佑月くんのこと」
「違います」
「違いますって言うときの顔が一番怪しいんだよねぇ」
「クロ、やめなよ。赤葦、耳赤い」
「……っ」

 自覚していなかった。触れると、確かに熱い。体育館から灰羽を呼ぶの声が聞こえ、「ヤベェ!夜久さんだ!」と、急いで灰羽はそちらへ走っていって、それに孤爪も続いた。黒尾さんは最後に、わざとらしく肩をすくめる。

「まぁ、気づかないならそれでいいけどネ。自覚したら面白そうだし、赤葦」
「何がですか」
「さぁ?」

 黒尾さんは笑って体育館へ戻っていった。残された俺は、耳の熱が引かないまま、胸の奥のざわつきの理由をうまく言葉にできずにいた。

 体育館へ戻る三人の背中を見送り、ひとりになった途端、耳の熱がぶり返す。なんなんだ、これは。風が通るはずの外なのに、妙に暑い。汗をかくほどではないが、胸の奥が落ち着かない。

 さっきの会話を思い返す。佑月さんの話になると声のトーンが変わる、とか。耳が赤い、とか。分かりやすい、とか。そんなわけがない。自分のことは自分が一番よく分かっている…はずだ。

「…はぁ、」

 深呼吸をしてみるが、胸のざわつきは消えない。理由が分からないのが、余計に気持ち悪い。

 佑月さんに彼女がいるかどうかを聞かれたとき、なぜあんなに即答したのか。いない、と思います、あれは事実を述べただけだ。ただ、知っている情報を整理して答えただけ。別に、他意はない。

 それに灰羽の「キスマーク」という言葉が頭に残っている。あれを聞いた瞬間、胸がざわついたのは、なんでだ。別に、佑月さんが誰とどうしようが関係ない。俺には関係ない。関係ないはずだ。のに、あの言葉だけが、喉の奥に引っかかっている。あぁ、理由を考えようとすると、思考が空回りする。理屈で説明できない感情なんて、扱いづらい。

 体育館の方から木兎さんの大声が聞こえた。むしろそのキスマークの相手が木兎さんだったらいいのに、とすら思う。

 ぼんやり佑月さんの笑い声も混じっている。その声を聞いた瞬間、胸のざわつきがまた強くなる。
……本当に、なんなんだ。分からない。分からないから、余計に気になる。気になる理由が分からないことが、さらに気になる。堂々巡りだ。

 結局、俺は体育館に戻るタイミングを掴めないでいた。

 それから耳の熱がようやく引きかけた頃、佑月さんの声がした。

「赤葦くん、ここにいた」

 振り返ると、佑月さんが立っていた。汗を軽く拭ったばかりなのか、首元にタオルをかけている。胸のざわつきが、また少しだけ強くなる。

「……どうかしましたか」
「いや、光太郎が赤葦がいない!!って騒ぎ始めてさ。探してこいって言われて。あと5分で練習始めるって」
「そうですか」

 佑月さんは苦笑しながら近づいてくる。その距離が縮まるたびに、理由の分からない緊張が喉に引っかかった。

「外、暑くない?大丈夫?」
「問題ありません」

 即答したが、声がほんの少しだけ硬かった気がする。佑月さんは気づいたのか気づいていないのか、柔らかく笑った。

「ならよかった。……あ、耳赤いけど」
「っ……」

 反射的に手が耳に触れた。さっき黒尾さんに指摘された場所だ。

「熱中症とかじゃないよな?」
「違います」
「そっか。ならいいけど」

佑月さんは本当に心配しているだけの顔をしている。そこに他意はない。ないのに、胸のざわつきは、また強くなる。

 理由が分からない。分からないから、余計に落ち着かない。

「赤葦くん、戻れそ?光太郎が練習モードになってて赤葦がいないとーってうるさいから」
「……はい」

 体育館へ向かって歩き出す。佑月さんが隣を歩くたび、視界の端に入る横顔が気になって仕方ない。別に、特別な意味はない。

 ただ、気になるだけだ。気になる理由は……まだ分からない。

「赤葦くん、今日なんか静かだな」
「いつも通りです」
「そっか。じゃあ俺の気のせいか」

 佑月さんはそう言って笑った。その笑顔に、胸のざわつきがまたひとつ増える。体育館の扉が近づく。中から木兎さんの声が響いてくる。

「あかーしーーーーっ!!どこ行ったんだー!!」
「……戻りましょう」
「うん」

 扉を開ける瞬間、俺は自分の胸の奥にあるざわつきを、まだ名前のつけられないまま抱え続けていた。



 練習が再開してしばらく。木兎さんへトスをあげながら、俺はどうにも集中できなかった。ボールは上がる。
手は動く。
判断もできている。はずなのに、どこか噛み合わない。

「あかーしぃ!さっきのちょっとズレてた!」
「……すみません」

 珍しく木兎さんに指摘され、小さく息を吐いた。自分でも分かっている。今日は、何かがおかしい。その“何か”の正体が分からないのが、さらに気持ち悪い。そんなときだった。

「赤葦くん」

 背後から名前を呼ばれ、反射的に振り返る。佑月さんが、タオルを手に持ってこちらへ歩いてきていた。距離が近い。いつもより、ほんの少しだけ。

「……どうしましたか」
「いや、戻ろうと思ったけどクロが様子見てこいって。やっぱり今日、調子悪い?」
「そういうわけではありません」

 即答したが、佑月さんは首をかしげる。

「だってさっきから、なんか落ち着いてない感じするし。トスもいつもより慎重すぎるっていうか……」
「見てたんですかっ、」
「どうした?やっぱ熱中症とか…」

その瞬間、佑月さんがさらに一歩近づいた。距離が、近い。近すぎる。視界に佑月さんの睫毛が入る。汗の匂いが少しだけする。胸のざわつきが、また強くなる。

「赤葦くん、やっぱ顔赤い」
「……っ」

 自覚していなかった耳だけでなく、頬まで熱い。

「本当に大丈夫なの、俺心配なんだけど」
「違います」
「ならよかったけど……なんか、無理してない?」
「無理はしていません」

 言葉は冷静なはずなのに、声がわずかに震えた。佑月さんはその震えに気づいたのか、眉を寄せる。

「……俺のこと避けてる?」
「避けてません」

 即答した。即答しすぎた。佑月さんが目を丸くする。

「じゃあ、なんでそんなに緊張してるの?」
「緊張……?」

 しているのか?自分では分からない。ただ、胸がざわついて、呼吸が浅くなるのは確かだ。理由は分からない。分からないから、答えられない。

 そんな俺の姿をコートの端からじっと見ている影があった。黒尾さんだ。目が合った瞬間、ニヤァ……と口角が上がる。嫌な予感しかしない。

「赤葦くんー、ちょっと」

 黒尾さんがわざわざ近づいてきた。その顔は、完全に“面白いものを見つけた”人の顔だ。

「……すみません、佑月さん。行ってきます」
「赤葦くん、本当に大丈夫そ?」
「……問題ありません」

 佑月さんは小さく笑って、俺の肩を軽く叩いた。

「結構、重症だ」
「は?」
「佑月くんのことだよ。赤葦くんってさぁ…ほんと佑月くんの事になると分かりやすい」
「分かりやすくありません」
「いや、分かりやすい。めちゃくちゃ分かりやすい」

 黒尾さんはわざとらしくため息をつく。

「自覚ないのが一番タチ悪いんジャナイ。見てて飽きないけど」
「……何の話ですか」
「さぁ?でも自覚持ったほうが今のお前には楽かもな」

 そういって笑って黒尾さんは肩をすくめ、コートへ戻っていった。残された俺は、胸のざわつきがまたひとつ増えた気がして、深く息を吐いた。

 本当に、何なんだ。分からない。分からないまま、練習に戻るしかなかった。