合宿前のミーティング。部室の空気は、いつもより少しだけ張りつめていた。
佑月さんが合宿に来てくれる条件、その二つ目。
【部屋割りは木兎ツインズで二人部屋がいい】
前回の合宿でも同じ条件だったが、今回は部屋数の都合で難しいらしい。三人部屋になるため、佑月さんに同室のもう一人を選んでもらうことになった。
部室に、妙な緊張が走る。
断られる可能性もあるよな、わざわざ条件にするくらいなのだから。誰もが息を飲んで見守る中、佑月さんは表情ひとつ変えずに口を開いた。
「赤葦くん」
「……え?」
思わず変な声が出た。部室の視線が一斉にこちらへ向く。
「お願いしてもいいかな。同室」
「……俺で良いんですか?」
「赤葦くんが嫌じゃないなら、だけど」
「嫌じゃないです」
自分でも驚くほど迷いがなかった。
「じゃあ、一週間、よろしく」
「よろしくお願いします」
嬉しい。跳ねた胸の感覚、の理由だけは分からない。説明が再開され、ざわついていた空気が落ち着き始めた頃。佑月さんが、また小声で俺に話しかけてきた。
「……本当にいいのか?赤葦くん、迷惑じゃない?」
「迷惑じゃないです」
「そっか。よかった。……赤葦くんって優しいよな」
「優しくしてません」
「してるよ?」
ふっと笑う。その笑顔に、胸のざわつきがまたひとつ増える。なんなんだ、これ。理由は、やっぱり分からない。
「なぁなぁ、赤葦。俺、修学旅行んとき同室だったんだけどさ…」と、隣の木葉さんが何か言いかけた瞬間。
「木葉、それ内緒にしてくれって言っただろ」
佑月さんが顔を赤くして詰め寄っていた。
「いやいや、ちょっとだけ……!」
「ちょっともダメ」
クラスメイトの二人は仲がいい。羨ましい。俺も今回の合宿で、もっと佑月さんと距離を縮めたい。その距離を縮めたいという気持ちの意味も、まだ分からない。
▼
合宿一日目の夕食。
あの後なんとか気持ちを切り替えて、佑月さんのことを考えないよう練習に集中した。時々目が合った黒尾さんには笑われたりして不愉快だったが。そして体育館での練習と自主練を終え、食堂へ向かう。部員たちのざわめきと、カレーの匂いが漂っていた。
佑月さんのことを見つけるなり、先にカレーを受け取った木兎さんは当たり前のように佑月さんの元へ向かう。
「赤葦くんはー?あっち行かないの」
「俺は…あっちが空いてるんで」
「ふぅん。じゃあ、俺が行ってこよ」
黒尾さんは面白がるように木兎さんの後を追った。
俺は梟谷の先輩達の集まる席に空いてる場所があったのでそこに腰を下ろした。…はずなのに、落ち着かない。理由は分からない。ただ、胸の奥がずっとざわついている。
視線の先には、先ほどの三人が座るテーブル。木兎さんと黒尾さんに挟まれて、佑月さんが笑っていた。
その笑顔を見るたび、胸が跳ねる。
(……なんなんだ、本当に)昼間の出来事が、何度も頭をよぎる。
耳に触れたときの体温。近づいたときの息遣い。俺を心配してくれたあの顔。全部が、胸のざわつきを刺激する。
「赤葦、食べねぇの?」と、隣の木葉さんが声をかけてきた。
「食べます」
「今日ぼーっとしてるよな?さすがに疲れた?」
「……疲れてません」
疲れてはいない。ただ、落ち着かないだけだ。
木葉さんは俺の視線の先を追い、にやっと笑った。
「……あぁ、なるほどね」
「何がですか」
「いや別に?ただ、先輩の木兎ツインズと同室って、緊張するよなぁって」
その言葉に、胸が跳ねた。あ、そうだ。俺は木兎ツインズと同室なんだ。と、忘れていた事実にまた別の理由で胸がざわつきを覚える。
佑月さんのことを考えると、呼吸が浅くなるのに、同じ部屋で寝なきゃいけないのか。想像しただけで、胸が苦しくなる。
「赤葦、どうした?」
「…別になんでもないですよ、」
「あ、あの時は言えなかったけど。佑月の寝起きは覚悟したほうがいい…」
と、木葉さんが言いかけたそのとき。
「赤葦くーん!」と、名前を呼ばれ、反射的に顔を上げた。佑月さんが、向かいの席から手を振っていた。
「部屋戻るとき、一緒に戻ろー?」
「……っ」
胸が跳ねた。跳ねすぎて、息が詰まる。
「……はい」
返事をする声が、少しだけ震えた。佑月さんは気づいていないのか、にこっと笑ってまた三人の会話に戻っていく。その笑顔が、破壊的だった。
「なに、今の。そんな佑月と仲良くなったんだ、赤葦」
「木葉さん、カレー冷めますよ」
俺は、胸のざわつきの理由が分からないまま、夕食の味がほとんど分からなかった。
「クロ…これでいいわけ?赤葦くん、なんかちょっと嫌がってなかった?」
「アレのどこが嫌がって見えるのよ、佑月くん。ありゃ赤葦くん、完全にアウトだな」
「ん、黒尾何がー?」
「木兎、食いながら喋るなよ。いやぁ……自覚ないのが一番おもしろいよねぇ」
向かいのテーブルで三人がそんな話をしているのは俺には聞こえない。
▼
夕食を終え、食堂を出ると、夜の空気は少しひんやりしていた。外廊下を歩く足音が三つ、規則的に響く。
「赤葦ー!今日の練習どうだったー?俺、絶好調だったよな!」
木兎さんは夕食後でも元気いっぱいだ。その横で佑月さんが苦笑している。
「光太郎、絶好調って言うけど。途中で監督に落ち着けって三回言われてただろ」
「えっ、そうだっけ?」
「そうですよ」
俺は淡々と返したつもりだったが、声が少しだけ硬かった。佑月さんが隣を歩いていて、胸の奥がざわつく。
「赤葦くん、やっぱ今日なんか静か」
佑月さんが覗き込むように顔を寄せてきた。
「……いつも通りです」
「本当?夕食のときもぼーっとしてた感じしたけど」
「ぼーっとはしてません」
「いいや、赤葦、カレーのルーだけ食べてたぞ!」
「……流石にそんな事しないですよ」
「なんかいつもよりツッコミのキレが悪い!!」
たしかに自分でも驚くほど、返事がぎこちない。
「赤葦くん、疲れた?」
「疲れてません」
「じゃあ……俺と同室だから緊張してる?」
「っ……してません」
また即答した俺に、佑月さんが目を丸くする。
「え、そんなに否定する?」
「違います。そういう意味ではなく……」
言葉が詰まる。胸のざわつきが強くなる。木兎さんが、にこにこしながら割り込んできた。
「赤葦はなー、こう見えて繊細なんだぞ!俺が言うんだから間違いない!」
「光太郎、それフォローになってない」
「えっ、そう?」
佑月さんが笑う。その笑顔が、また胸を跳ねさせる。三人で部屋へ向かう廊下を歩く。佑月さんがふと、俺の袖を軽く引いた。
「赤葦くん」
「……はい」
「今日、一緒の部屋でよかった。ありがと」
「……こちらこそ」
声が震えそうで、ぎりぎり抑えた。木兎さんが勢いよく部屋の扉を開ける。
「よーし!三人で楽しく寝るぞー!」
「光太郎、それ言い方おかしい」
「えっ、そう?」
「寝る前に風呂行かないと、三年が先ですよね」
「お、佑月!準備して向かうぞ!」
「はいはい、わかったから落ち着けって。光太郎、体力馬鹿すぎ」
佑月さんが笑い、俺は胸のざわつきを抱えたまま部屋に入った。やっぱり理由はまだ分からない。でも、分からないままでもいい気がした。この二人と同じ部屋で過ごす一週間が、少しだけ楽しみになっていた。