これのあと迎えに来た阿近の話
「あ、阿近こっちこっち〜!」
松本乱菊からの地獄蝶を受け指定された居酒屋に足を向けると、一升瓶片手に完全に出来上がった張本人と、その正面でテーブルに伏す紫乃の姿があった。はあ、と溜め息を吐いて二人の元に向かう。
「遅いわよも〜」
「急に呼ばれたにしちゃ早ェ方だろ」
「どうせ紫乃の名前聞いて慌てて出てきたんでしょ」
詮索してくる松本を適当にあしらいながら、完全に潰れている紫乃の顔色を窺う。気持ち良さそうに寝息立ててやがるし、特に問題は無さそうだ。ったく、弱ェくせに飲むんじゃねえよ。たいして飲めもしねえこいつが何故この酒豪と居酒屋なんて入るのか、というかこの酒豪も飲めねえ奴誘うんじゃねえっつの。
「どんだけ飲ませたんだよ」
「ちょっと失礼ね、紫乃が自分で飲んだのよ」
自分で飲んだとはいうものの、そう仕向けたのはきっとこいつだろう。起きる気配もねえし、俺が背負って帰るしかねえか。がしがし頭を掻きながらダメ元で名前を呼んでみるも反応なし。ここからこいつの自室まで結構距離あんだよな……。
「いくらだ」
「んー?いいわよ今日はあたしの奢りで。潰しちゃったしね」
やっぱテメーが潰したんじゃねえか。居酒屋に着いてから既に二度目になる溜め息を溢し、紫乃の体を持ち上げる。想像より遥かに軽いこいつを背中に回すと、酒のせいで高くなった体温が俺の背一面を覆った。あー……くそ。にんまり顔で俺を見上げる松本の視線も気に入らなくて、不快感を隠すことなく睨んでおく。
「紫乃の感触しっかり堪能しなさいよ」
「アホなこと言うな」
「紫乃とね、ずーっとあんたの話してたのよ」
「……そうかよ」
「あんたのこと優しいって」
「……」
「この前も実家のことで助けてくれたって喜んでたわよ」
紫乃の生家のことは、この女も知っている。まあ確かにこいつは貴族ってくらいで態度変えるような人柄じゃねえし、こいつに明かすことで紫乃の心の拠り所が増えるならそれに越したことはねえ。流魂街育ちのこいつとは分かち合えることは少ねえかもしれねえが、まあ女同士の方が話しやすいこともあるのだろう。
「じゃ、紫乃のことよろしくね」
ひらひらと手を振る松本を尻目に居酒屋を出れば、熱気のこもった店内とは打って変わってピュウと冷たい風が肌を刺す。人通りの少ない物静かな通りを、背に乗せた紫乃の呼吸を感じながら歩き出した。
松本の言葉がどういう意味か、読み取れねえほどバカじゃねえ。あいつに言われるまでもなく、紫乃の気持ちには気付いてる。そして、それに対する俺の答えも。全てわかってて何も言わねえ俺の態度は、間違いなくこいつを傷つけているのだろう。意識がないためズルズルと落ちてくる紫乃の体を何度も背負い直し、その軽さや細さに改めてこいつが女であることを実感させられた。
「ん……」
小さな声と共に、背中で紫乃がモゾモゾと動き出す。起きたか、と言葉を掛けると、あこんさん?と呂律の回っていない返事が返ってきた。ったく、一体何杯飲みやがったんだこのバカは。あこんさん、と何度も俺の名を紡ぐ紫乃は、俺の鼓膜だけでなく脳髄までもをビリビリと揺らす。クソ、耳元でそう何度も呼ぶんじゃねえよ。
「あこんさん」
「なんだ、うるせえぞ酔っ払い」
「あこんさん……」
紫乃の腕が、俺の肩を包むように抱き締める。さすがに少し動揺しつつ、絡み付くなアホ、と平静を装って何でもないように返す。すう、と息を吸う音が耳元で聞こえ、また名前でも連呼されんのかと考えた矢先。こいつの口から漏れた言葉は、俺に更なる動揺を与えた。
「……すき」
そう、聞こえるか聞こえないかの声で呟いて、紫乃は再び寝息を立て始めた。思わず止まった足はなかなか動かない。こいつ、なかなかタチの悪ィことしてくれやがる。酔うと決まって記憶を飛ばすのは紫乃の悪い癖だ。こうして俺に気持ちを告げたことも、どうせ明日になりゃ全て忘れちまうんだから。
「言うだけ言って寝てんじゃねえぞ」
既に眠りの世界へ誘われてしまった紫乃は、俺の言葉に少しも反応することはなかった。この女は、と数えるのも面倒になってきた溜め息を吐き、止まっていた足を進める。こんなことぼやいといて明日になったら何も覚えてねえなんざ、随分な真似してくれやがる。
「知ってるっての」
お前の気持ちなんかとっくにバレてんだよ。ずり落ちる紫乃を再び背負い直し、夜空に浮かぶ三日月を見上げた。これからこいつの部屋に行って、どうせ畳んであるだろう布団も敷いて、こいつを寝かせて技局に戻って。やり残してきた仕事の量を思い出して憂鬱な気分になりつつ、まあいいかと自分を納得させる。背中に感じる温もりを、松本の言う通り今くらいは堪能することにしよう。
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