罪人の話






金を貸してくれ。百合子には決して言わないと決めた言葉である。宿無しの俺に良くしてくれているからというのもあるが、何となくこれ以上世話になるわけにはいかないという気持ちもしていた。一宿一飯の恩義、とは言うものの、俺に出来ることなんて限られている。せいぜい百合子が風呂に入っている間に皿洗いとかそんなものだ。
名前は百合子。机に出しっぱなしの社員証を見る限り、結構いいところで働いているようだ。年齢は俺より少し上。コーヒーが苦手で紅茶が好き。 誕生日は秋が深まってきた頃。彼女にほとんど自分のことを話していないのに、俺は彼女のことをよく知っていた。
「お皿洗いありがとう。お風呂、次どうぞ」
「ん」
髪をわしわしと拭きながら、百合子が浴室から出てくる。ふわりと甘い香りが漂った。
なんだかんだ、初めて泊めてもらった日から三ヶ月弱が過ぎていた。その間にあったことと言えば、俺に帰る家ができたということ。百合子が帰ってくる頃に帰る……つまりは早めに帰るということを覚えたのである。それでもギャンブルは相変わらず続けている。百合子は時々母親みたいなことを言うけれど、せいぜい飯はちゃんと食えとかその程度のものだ。一緒にいて息苦しくない相手というのはきっとこういうのを言うのだろう。
「あ、そうだ。帝統お酒飲める?」
「いや、飲んだことねえけど……まあたぶん、飲める」
「そっか。じゃあ早めに上がってね」
まだギリギリ未成年だとは言えなかった。…いやいや、それは置いておいてだ。早めに上がってね。どういうことか分からなくて浴室の前でぼけっとしてしまった。よし、ちゃんと二本はあるなという彼女の声が聞こえてくる。それが缶ビールの話であるとすれば、だ。俺は人生初の酒すらも百合子に恵んでもらうということである。
「え、マジで?いいの?」
「いいよ。一人で飲むお酒って寂しいだけだし」
ね、早く上がってきてね。もう一度言われて、浴室に急いだ。そこもまた、百合子からした甘い匂いがして心が休まらなかった。

「知り合ったのがもうちょっと早かったら、帝統もこうして祝ってあげられたのにね」
今日は百合子の誕生日だったようだ。ケーキもない、大した食事もない、テーブルには酒と彼女が用意したつまみが少し。ケーキは嫌いじゃないが好きでもないし、外れたらなんか嫌だし、というのが彼女の言い分であった。だからいつも、適当につまみを作って酒を飲んで、1つ歳をとったなぁと思いながら眠るのだ、と。百合子らしいと言えばらしい。
「それでも今年は帝統がいるから。いつもよりちょっとだけ盛大」
「何だそれ」
「いいの」
俺責任重大じゃねえか。だからいいのってば、人がいるっていうのはそれだけで嬉しくなるものだから。百合子は茹でた枝豆に手を伸ばす。
きっと俺も百合子も、酒のせいでおかしくなっていたのだ。ここから壊れ始めた。「女の人を抱いたことってある?」百合子の頬が紅潮していた。風呂上がりだからと理由をつけたが、何時間前だという話である。「ううん、別にいいや。どっちでも」そこを超えたらもうどこにも戻れないというのに。俺だってお前との生活で何度も引き返してきた。そこをお前が易々と超えて来たのがいけなかった。「私のこと、抱ける?」お前が戻れても俺が戻れない。「こんなのお酒の勢いだっていうの分かってる。嫌ならそう言って」気付いたら夢中でキスをして、彼女を押し倒していた。


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