08

 自分がしでかしたこととはいえ、ユニット全体に迷惑をかけたとはいえ。
 プライドを人一倍持っている瀬名泉にとって、ここ最近の奉仕活動にも似たKnightsの動きはストレス以外の何物でもなかった。

 六月に入り湿気を帯び始めたこの季節。低気圧がじゃんじゃかやってきては、早起きしてセットした泉の髪の毛をぐしゃぐしゃにかき混ぜていく。
愛する後輩を思いやりで拉致監禁したツケが、一つ二つ三つと回ってきているのだろう。

 舌打ちして、いつもの口癖を零した泉は首から髪を掻いた。いつも以上に毛先がくるんと丸くなっている。空を見上げると灰色。泉は顔をぎゅっと顰めて傘を畳んで、下に向けて振って雫を落とした。乱雑に振り回された傘は仕返しにと、泉の制服目掛けて水滴を跳ばす。

「だぁーーーーーーーッ! もうッ、ちょ〜〜〜〜〜〜〜うっざァい!」

 靴下はびしょぬれ、制服の中はじめじめと鬱陶しい、髪はぐるぐる。
 泉は、梅雨という季節が、雨という天気が嫌いで嫌いで仕方がなかった。

(だいッたい! なんでこの俺が! あーんな下っ端がやるような仕事を! 笑顔で引き受けなきゃなんないわけぇッ⁉ 最悪最悪最悪最悪ッ! むっかつく〜ぅ! もうッ、ゆうくんの分からず屋!)

 鞄からハンカチを取り出して制服についた雫を拭きとっていく泉の手付きは、穏やかとは言い難いものだった。今日の天気も彼の心も荒れ模様。

(絶対Knightsに来た方がゆうくんは……って、負けた俺が言える立場じゃないけど。Trickstarはしっかりfineに勝ったもんね……ああ、ウザ)

 湿ったハンカチを握りしめた泉はがくっと肩を落とす。馬鹿馬鹿しい、とかぶりを振って靴を脱ぎ、びしょぬれの靴下を引っこ抜いて新しい靴下を履いてから、緑縁の上履きに足を入れた。

「お早う、瀬名くん。聞いてくれる? 聞きたいよね、俺の恋の話。しょうがないから話してあげる♪」
「うざ」

 教室に入った泉を出迎えたのは羽風薫だった。薫は机に肘をついてキメ顔で泉を見上げている。ファサ、と前髪を掻き上げて、ファンであれば黄色い声をあげて卒倒するであろうアイドルウインクをかました。それを白けた目で見下ろした泉は自分の机に脚を向けた。

「あれはそう、つい昨日のこと。時間に換算すると約十六時間前の話……」
(語り始めやがった)

 反応を示さない泉がなんだかんだ聞き耳を立ててお節介に口を挟んでくることを薫は理解している。理解していて、話し始めたのだ。
 そして泉自身もなんだかんだ時計を見上げて(今八時だから、十六時間前だとすると昨日の放課後か)と計算していた。

「俺は遂に、あの子と会ったんだ」
「……? あの子って」
「あの子とは誰だ⁉」
「うるさっ」

 泉の数秒後に教室に飛び込んできた守沢千秋が滑り込むようにして会話に参加する。
 話に食いついてきた千秋に、薫は「ふふん♪」と上機嫌に鼻を鳴らした。

「あの子とは言うまでもなく、『ヴィーナスちゃん』だよ」
「ヴィーナスちゃん……ああ、氷室のことか」
「そうそう。氷室、美雪ちゃんね。漸くフルネームがわかったんだよ……」

 窓の外を見上げた薫は、空模様がまるで快晴のように晴れ渡った表情をしていた。意図せず美少女の下の名前を知ることができた泉は「ほほう」とひっそり引き出しの中にその情報を仕舞った。薫の話に素直に耳を傾けている千秋は目を丸くして首を傾げる。

「なんだ、知らなかったのか?」
「……え?」
「ここ最近、氷室のことは結構話題になっているぞ? 『アイドル科に訪れる音楽科の美少女』と言われているな。俺は部活で小耳に挟んで……まあ、挟む前から氷室のことは知っていたし、何回か話したことはあったんだが。羽風は噂を聞かなかったということか」
「……え、え、ちょっと待ってよ。嘘。皆知ってたの? 俺が一番最初に美雪ちゃんを見つけたのに⁉」

 聞き捨てならない、と薫は勢いよく机を叩いて立ち上がった。
 言わずもがな、薫は真面目に授業に参加もしなければ、ユニット活動にも部活動にもゆるゆると、気が乗れば参加するだけだ。そんな彼が美雪の噂を耳にすることは難しいことなのかもしれない。

 横で聞いているだけの泉も自粛しつつKnightsの奉仕活動に追われていたため、部活に参加することは出来ていなかった。
 千秋は鞄から筆箱を出しながら平然と口を開く。

「知っているというか、よく話すぞ。流星隊の活動に顔を出してくれることもあるからな」
「はあっ⁉」
「流星隊以外のユニットとも関わりがあると聞いたぞ。特に斎宮と行動していることが多いとか」

 千秋の台詞を聞いた薫はすぐさま教室の隅にお行儀よく座っている宗を振り返った。話が聞こえているのか、宗の眉間には濃い皺が出来上がっている。

「ちょっとちょっと。斎宮くん、マジなの?」
「……フン。氷室はValkyrieの専属作曲家だからね、当然のことなのだよ。余所のユニットには僕の厚意で貸し出してやっているんだから、感謝することだね」
「貸し出しって。氷室は図書館の本じゃあないだろう」

 少し離れたところからでもコミュニケーションを取った宗の言葉に、泉だけが「え」と零した。

「あの子って作曲家なの?」
「あ、それは俺も知ってるよ。良かった、瀬名くんに先越されてなくて」
「うっざ。どうせアンタは昨日知った口でしょ」
「な、なんでわかったの」
「アンタが今べらべら話してるからでしょうが。もっと前から知ってたなら聞いてもないのにぴぃちくぱぁちく喋ったでしょ〜?」

 図星だった薫は「こほん」と咳払いをして話を切り返そうとしたらしい。勝気な笑みを浮かべて泉を見る。

「まあ? 美雪ちゃんと瀬名くんが接触する機会なんてそうそう訪れないと思うけどね」
「……なんでよ」
「美雪ちゃんがいくつかのユニットに関わってるのは作曲のためだからだよ。Knightsには専属の作曲家がいるんだから、美雪ちゃんは無関係ってことだよね」

 Knightsのリーダー、月永レオ。
 彼は今現在、学院を休んでいるためKnightsの曲が増えることはない。泉としてもメンバーとしても、『Knightsの曲を作るのは月永レオ』という暗黙の了解染みているものを覆す気はないため、他の作曲家の曲を使うことはないだろう。

 泉は薫の言うことを真っ向から否定することができなかった。いつか帰ってくると信じている気持ちもあったから。
 とはいえ、薫に上から言われて素直に「ハイそうですね」と返すことは、瀬名泉という男にはできない。

(意地でも会ってやるよ。その『美雪ちゃん』とねぇ)

 胸の内で燃え滾った泉は、美雪探索をする決意をした。

「あ、でもね、朗報。美雪ちゃんってアイドル科のこと結構詳しいんだよ。俺が自己紹介をするまでもなく『羽風先輩ですよね』って言ってくれてさ。俺、もう嬉しくて嬉しくてしょうがなくて。抱きしめてキスの雨を降らしたくなっちゃったくらい」
「おい。そんなことをやってみろ、羽風。君の首を切るよ」
「何、斎宮くん。男の嫉妬はキモいよ?」
「氷室に贔屓してもらっている僕が妬むはずがないだろう」
「……贔屓?」
「君の耳はお飾りかね。先に述べたように、氷室はValkyrieの専属だ。つまり数ある夢ノ咲学院のアイドルの中であの子が一番に愛しているのは、僕らValkyrieということなのだよ」

 勝ち誇った表情の宗に、薫は「ぐぬぬ」と悔しがる。

「で、でも? 俺たちUNDEADにだって提供してくれてるわけだし、名前だって覚えてくれてたし……あ、瀬名くんに朗報ってのはね、美雪ちゃんはアイドル科に詳しいみたいだから、きっと瀬名くんのことも知ってると思うよっていうことなんだけど」
「ふぅん。まあ、俺を知らないヤツなんて余程テレビも雑誌も見ない、メディアに触れてない田舎者くらいだからねぇ。他学科でも夢ノ咲にいるなら、俺のことを知らないわけがない」

 自分の顔で数億円が動くことを自覚している泉は腕を組んで当然のことのように語った。

***

 放課後になっても雨は止むことを知らない。
 数日間も泣き続けているように感じる空に、泉は本日何度目かのため息を吐いた。

 気圧が低いせいか、小さな頭痛がする額を抑えながらレッスン室に向かおうとする泉は、廊下の窓辺に佇んでいる他学科の生徒を見つける。アイドル科ではない制服に、スカートを履いた彼女は、腕に鞄を抱えたまま灰色の空を見上げていた。

 例の少女だった。四月下旬頃、教室に現れた音楽科の美少女。薫が一目惚れし、『ヴィーナス』と称した乙女。今朝教室で話題になった、氷室美雪。

 小ぶりな鼻がツンと立ち、丸い頬の曲線を描く横顔。ぱちり、と瞬きをしただけで羽ばたいているような長い睫毛。そして大きな瞳は、世界中の何処を探しても見つからないだろう宝石のようだった。
 遠目からでもわかる、この美貌。

 泉は息を飲んだ。昔、遊木真という可愛い後輩と出会ったとき以上の稲妻が、彼の脳天にピシャリと落ちて来た。

(あれ、あれ、あの子! あの子って、羽風が言ってた『ヴィーナスちゃん』だよねぇ⁉ うわ、ラッキーすぎない⁉ こんなに早く『美雪ちゃん』に会えるなんてことある……? 神様、絶対に俺のこと応援してるでしょ……!)

 噂をすれば影が差す、というヤツだろうか。
 興奮を隠せない泉は、何故か廊下の陰に身を顰めて美少女を見つめていた。

(そ、それにしても……ちょ、ちょー可愛いッ……! 羽風も守沢も斎宮も、よくあんな美少女と真正面に向き合って話せるねぇ? ……慣れってヤツか。羽風のヤツは絶対慣れてないだろうけど。…………って、あれ?)

 陰に隠れた泉が悶々と考え込んでいると、泉がいる場所とは反対側の廊下から見知らぬ生徒が歩いてくる。ネクタイの色は青。二年生だ。アイドル科という割には華のない男は、廊下に佇む美雪に意気揚々と近づいていく。

「ねえねえ、君。作曲家の子だよね?」
「……? ええ」
「あのさ、良かったらオレのユニットに曲作ってくれないかな?」
「……お名前と、ユニット名を教えてくれますか?」

 淡々と話す美雪に対して、二年生の男は鼻息を荒くして答える。美雪は男の名前とユニット名を呟き、少し俯いた。

「……聞いたことがないです。貴方、真面目にアイドル活動をされている方ですか?」
「……は?」
「私は椚先生に学院の中である程度の実力を持っていて、私が曲を預けるに値するユニットを選別してもらっています。そのリストの中に貴方のユニットの名前もなければ、貴方自身の名前もない。つまり、椚先生が『アイドルとして相応しい』と判断していないということです」

 静かに、業務的に、感情のない人形のように事実を述べる美雪に、泉も男もポカンと口を開けることしかできなかった。
 やがて男は美雪にも章臣にも馬鹿にされていると感じたのだろう。わなわなと震えながら拳を握った。

「じゃあ、何だよ。曲は作らねぇってこと……?」
「……今ので、理解することはできませんでしたか? すみません。言い換えると、貴方は曲を作るに値しないということです」

 カッとなった男は美雪の制服の襟を掴むと壁に押し付けた。体重の軽い美雪は爪先をぷらん、と浮かせてされるがままになっている。美雪の腕の中にあった鞄は廊下に音を立てて落ちたが、きっちり留め具がされていたお陰で中身が飛び出ることはなかった。

「ッざっけんなよ……顔が可愛いからって調子に乗りやがって。お前が色んなユニットに曲作ってるって知ってんだぞ? 一個増えるくらいどうってことないだろ、すぐ作れるんだろ、なあ。ストックしてるのとかあんじゃねーの? それでも良いからさ……」
「……無理です、ごめんなさい」
「なんでだよッ」

 喧しく騒ぎ立てる男に、美雪はフッと目を逸らして呟く。

「……妥協案として。貴方とユニットがそれなりのアイドルとしての活動をするのであれば、私が曲を作る可能性は上がるかと。私からは頑張ってください、としか」
「ハッ。そんな面倒なこと誰がするかよ、お前が曲をくれればそれで良いんだよ」

 それが男とユニットの本性なのだろう。真面なアイドルとしての活動をすることはなく、その肩書だけでちやほやされたいだけの連中、ということだ。fineが革命を起こし変革を遂げても、そういう連中の息の音を確実に止めることは出来ていないということだ。数は減っても、しぶといのがまだ生きている。

 成り行きを見守っている泉は美しいと称され、自負をしている顔を顰めていた。
 一個増えるくらいどうってことないだろ、すぐ作れるんだろ、ストックしてるのとかあんじゃねーの、お前が曲をくれればそれで良いんだよ。
 全ての言葉に聞き覚えがあるように、泉には思えた。

(『王さま』に、ううん、れおくんに。似たようなことを言っているヤツらがいた)

 名曲が生み出されるまでの苦悩を知らない、作曲の何たるかを知らない実力不足の素人同然な輩に限って、そういう言葉を平気で発するのだ。ただ優れた曲に乗っかってお粗末なパフォーマンスをするだけの連中が、そうやって天才の生み出した芸術を食い漁る。蝗のように群がる。

 それに笑顔で応じて曲を与え続けた天才作曲家は、壊れた。抗争時代、泉は彼を助けることが出来なかった。助けを求められていたはずなのに、素直になれないというだけで、その手を伸ばし掴むことが出来なかった。

(ほんっと、気色悪い)

 泉の制服の裾に皺ができた。

「……あア、わかった。お前、曲作ってる連中と『そういうこと』してんだろ。可愛い顔して、誰にでも股開いてんだ?」
「……? そういうこととは、どういうことですか?」
「かまととぶってんじゃねーよ!」

 逆上した男の行為はエスカレートする。掴んでいた襟を引き千切るようにして、美雪の体を暴こうとし始める。シャツの釦が二、三個飛んだ美雪はぎょっとして抵抗しようとするが、男の力の方が数倍は上だ。

「ゃ、めて……!」
「良いだろ、別に。何回ヤったって変わんねーっての。……あー、良い匂い。上玉とヤれるなんて、マジでラッキーだよ」
「ヒッ……」

 ベロ、と首筋を舐められた美雪は悲鳴を上げる。感じていると都合よく解釈した男はニヤリと笑みを浮かべて服の中に手を差し込もうとした。

 カシャ。

「はーい、そこまでだよ。レイプ魔」

 ポケットに仕舞っていたスマートフォンでその場面を撮影した泉は颯爽と登場する。まさかこのまま女の子がレイプされていく様を傍観しているはずもなかった。

 泉は画面に写った事件現場の証拠写真を男に見せつけるようにしてスマートフォンを揺らした。男は面白いくらいに、みるみるうちに顔面蒼白になっていく。

「えーっと? 二年B組の尾野山だっけ? 俺、そこまで優しくないからこの写真は普通にしっかり椚先生に提出するつもりだけどぉ。ちょびっとでも名誉挽回するために、俺たちみたいに奉仕活動でもしたらぁ?」
「け、消せ!」
「……それが先輩に対する態度なわけぇ? 『消してください』、でしょぉ? 俺の機嫌を損ねても良いことなんてないよ、この状況見ればわかるだろうけどさぁ。ま、泣きつかれてもこの写真を消すつもりは毛頭ないけどね。バックアップも取ったからいつでもパソコンからプリントアウトできまーす、残念でしたぁ♪」

 証拠を突き付けて犯人を追い詰める趣味の悪い刑事役が泉に来ない理由がわからない程、今の泉は輝いていた。ぐっと唇を噛んでどうすることも出来ないでいる男に、泉は美しい顔を歪めてぶっきらぼうに言う。

「……さっさと失せろって言ってんだけど。アンタ、マジで理解力ないんだね。そんなんだから知名度上がんないんでしょ。俺、暴力沙汰みたいなの起こしてまた活動自粛になるの勘弁だからさぁ……早く消えてくれる?」
「……くそっ」

 小物悪役のように捨て台詞を吐いてそそくさと逃げていく男の背中を、泉は豆粒になっても睨みつけていた。力を入れ過ぎて目が疲れた泉は、男の姿が完全に見えなくなったところで脱力して目頭を揉んだ。美雪はそんな泉を、廊下に座り込んで見上げている。

「……大丈夫? な、わけないよねぇ。立てる? ……あ、俺が触っても平気? 此処には女が居ない……こともないか。あの転校生がいるけど、生憎俺はアイツの連絡先を知らないから呼び出せないんだよねぇ。この状態の女の子を放置して行くことも出来ないし、ゆうくんに連絡してもほとんど無視されるし。……ごめんね、俺、人脈なくて。ああいや、あくまで此処での話なんだけど」
「……はぁ」
「……取り敢えず、これ」

 珍しく落ち込み気味の泉は制服のベストを脱いで美雪に預けた。ベストを受け取った美雪は袖を通せば良いのか分からずに、泉を見上げる。いつまでも体を隠そうとしない美雪に、泉は訝し気に眉を顰めた。

「……前、隠して?」
「……ああ」

 指示を出されて漸く胸元を隠した美雪を、泉は(頭の回線つながってない子ぉ……?)と不安そうに見下ろした。
 廊下に散らばった釦を拾った泉は美雪にそれを渡した。

「斎宮と仲良いんでしょ? アイツ、裁縫得意だから縫ってもらいな。俺も手芸部室まで付き合ってあげるから」
「……はい。ありがとうございます」

 二人はそうして、手芸部室に向かって歩き始めた。
 泉は重く口を開く。

「……さっきのでわかったとは思うけど、男だらけの此処で無防備にならない方が良いよ。アイドルとはいえ盛りのついた雄猿ばっかなんだから、何されるかわかんないって思っておいて。……今回のはアンタが百パー悪いとは言えないけど、躱し方とか考えておいたら? ああいうヤツは少なくないし」

 レオのときもそうだった、と泉は落ち着かない心で呟く。

「……躱し方、ですか」
「躱し方っていうか、断り方? 馬鹿正直に言うと今回みたいに逆上されるってこと。色々あるでしょ。椚先生を通してください、とかさ」
「……通したところで、結果は変わらないと思いますが」
「曲を作る作らないが問題じゃなくて、依頼してきた相手を上手く断るのが課題ってことだって。自分の身を守る手段だよ」
「……ああ、成る程」

 泉の解説に納得した美雪はゆっくり相槌を打った。会話のテンポの遅さに、泉はなんだか歯痒くなる。

「……すみません、お名前を、教えていただけますか?」
「──ハァッ⁉」
「……? ベスト、すぐに返せるかわからないので。お名前を伺った方が良いかと思ったんですが……」
「いや、それはそうだけど……アンタ、俺の名前知らないの?」
「……はい、ごめんなさい」

(羽風のヤツ……アイドル科に詳しい子だから俺のことも知ってるだろうって言った癖にぃ……知らないんじゃん! ってか俺のことは知らなくて羽風のことは知ってるってどういうこと? 知名度的には俺の方が上じゃない⁉)

 彼女が自分のことを知っている前提で話を進めていた泉は恥ずかしくなって、顔に熱を溜めていく。モデルもやっていることでアイドル科の中でも有名な泉は、まさか借りにも夢ノ咲学院の生徒が自分を知らないなんて思ってもいなかったのだ。

「俺は……瀬名泉。三年A組」
「……三年A組の、瀬名先輩ですね。よろしくお願いします。私は音楽科一年の……」
「あー、良い。大丈夫。アンタは有名だから俺も知ってるし」
「……そうなんですか」

 有名、という言葉に美雪は首を傾げた。彼女は自分がアイドル科で噂になっているということを知らない。

「……瀬名先輩は、ソロで活動をされているんですか?」
「まさか。今の制度でソロなんてやってんの三毛縞だけ」
「……では、瀬名先輩は何というユニットに?」
「…………Knightsだけどぉ」

 そこまでの弱小ではないはずだ、DDDの一件はあったが寧ろ強豪ユニットの部類に含まれる。泉がそう思いながらユニット名を告げると、美雪は腑に落ちたのか「ああ」と声をあげる。

「Knights。Knightsでしたか」
「……Knightsは知ってんの?」
「聞いたことはあります。でも、私はKnightsには曲を作れないので、きちんと把握していませんでした」
「……じゃあ、アンタが覚えてるアイドルっていうのは、自分が曲を提供してるユニットのメンバーってこと?」
「はい」
「……ふぅん」

 だから自分のことを知らなかったのか、となるわけではないが泉は粗方の納得をすることができた。関わって数分ではあるが、美雪の雰囲気からメディアに精通しているとお世辞にも言える子ではないことを、泉は理解することが出来ていた。

 手芸部室に辿り着いた泉は扉をノックし、目当ての人物がいることを確認すると美雪を中に入れた。制服の釦が取れている美雪を見た宗は悲鳴を上げて駆け寄り、泉から事情を聞くと般若の如く顔を歪めて「その不届き者は何処に行った。僕が殺す」と唸ったが、泉が「それより早く直してやんな。制裁は俺が下すから」と椅子に座らせた。

「……氷室。僕が制服を直している間、その、……こ、この衣装を着て、待っていてくれないか。そして……あわよくば写真を撮らせて欲しいのだが」

 宗がモジモジと取り出して来たのは、臙脂色を基調としたフリルがふんだんに縫い付けられているゴシックロリータだった。如何にも宗の趣味全開、といったところだ。これを身に着けた美雪は見目も相まって本物のお人形さんのようになるだろう。

 ゴシックロリータを受け取った美雪はじっと宗を見上げた。可愛い顔で見上げられた宗はドキマギしながら返答を待つ。

「……一枚だけですよ」
「そんな! 一枚だなんて、君の魅力が収まるはずがないよ!」
「……じゃあ三枚」
「ノンノン。せめて五十はくれないと」
「そんなに撮るつもりですか……?」
「勿論、約束通り外部に流出しないさ。僕のコレクションにするだけだ、信じてくれ」
「…………」

 美雪は助けを求めるように泉を見たが、泉自身もゴスロリに身を包んだ美雪を撮影したいという気持ちが溢れてきていた。ビシ、と挙手をする。

「ねえ、ごめん。俺も一眼持ってきて良い?」
「……瀬名先輩?」
「チッ。仕方がないね。絶対にSNSなどに上げない・誰にも渡さず自分のコレクションにすると約束できるのなら許可しよう」
「何故貴方が許可するんです……?」

 宗の許可を得た泉は爆速で手芸部室を飛び出し爆速で戻って来た。
 美雪は「着替えはこれしかないよ」と宗に見え透いた嘘を吐かれたが、素直に応じてゴシックロリータに着替えた。宗は目にも止まらぬ早業で美雪のシャツを直し終えると、部室の奥から照明セットを取り出して設置し、泉と共に撮影大会を始めた。

「氷室、ああ、氷室。とても可愛いよ。僕の作った衣装を着る君は、何よりも美しい……!」
「……そうですか」
「美雪、目線! 目線ちょうだい! こっちだよぉ〜! ほら、くまさんのお人形がいるよ〜!」
「……おい、待て瀬名。誰の許可を得て氷室を馴れ馴れしく呼んでいるんだ」
「別に良いでしょ、なんでアンタの許可がいるわけ?」
「さっきは僕に尋ねた癖に……随分といい度胸をしているね」
「……あの、もう良いですか? 着替えたいんですけど」
「待って!」
「待ちたまえ!」
「あと百枚!」
「あと千枚!」
「………………ハァ」
「ああッ、アンニュイな君も良いね! 愛らしいよ!」
「可愛いよ〜美雪!」

 美雪が解放されたのは、それから約一時間後。

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