09

「あら! ちょっと、やだぁ! あらあらあらあらァ〜⁉」
「んあ? どないしたん、なるちゃん」

 とある日の放課後。
 二年B組の仲良し二人組である嵐とみかは教室を出て食堂に向かおうとしていた。目的は二人が昼食を取りながら話した、甘くて美味しくて可愛いと噂の新作スイーツである。苺をふんだんに使ったそれを食べたいという話になり、嵐はみかを引っ張って廊下を突っ切っていた。されるがままに人形のように引っ張られていたみかは、嵐がクネクネしながら声をあげたことに首を傾げる。

「ちょっと、ほら! あれ見て、あれ!」
「ぐえっ。ちょ……なるちゃん、痛い痛い」
「あの美少女よ! 見て!」

 遠慮という言葉を知らないらしい嵐はみかの背中をバシバシと叩く。みかが渋々嵐の指さした方向を見ると、そこには食堂の券売機をじっと見つめている美雪が立っていた。放課後の食堂は昼間ほど混まないが、それなりに人がいる。他の生徒たちは美雪を見てはポッと頬を染めて立ち止まり、遠巻きに見つめていた。お陰でちょっとした人だかりが出来ている。

 美雪は廊下やレッスン室などに出没することはあっても、こうして多数の生徒が利用する食堂に来たことはなかった。『アイドル科に訪れる音楽科の美少女』という噂を耳にしても実物を見たことがなかった生徒たちは「あれが噂の」「本当に居たんだ」「……お前行けよ」「無理だよ」と口々に言っている。

「あれ、なんで美雪ちゃんがこんなとこにおるんやろ? 今日って『Valkyrieの日』やったっけ?」
「えっ! みかちゃん、あのコのこと知ってるの⁉」
「知ってるっていうか、美雪ちゃんはValkyrie専属の……あ、これあんま言っちゃあかんのやった。あー、お師さんに怒られる……」

 美雪が作曲家であることを言いふらしたくない宗によって、みかは口留めをされていた。それを思い出したみかは既の所で止めて自分の口を縫い付け、宗に怒られることを覚悟した。それから色違いの瞳をスッと細くして、美雪を囲む男共をじっくり観察する。

(美雪ちゃんに手ぇ出す輩がおらんとは限らないもんな。お師さんが居ない今、おれがしっかり見張らんと。この子はお師さんの大事な子や。Valkyrieに必要不可欠な存在なんや。Valkyrieはお師さんと美雪ちゃんで、完璧な世界を作っとる)

 ほとんどの者は美しいものを称賛する眼差しで美雪を見ている。それは世の条理だ。しかし中には邪な気持ちを抱いている者も。手中に収めてやろうとする、雄の本性が剥き出しの野蛮人がいた。

「──美雪ちゃん!」
「……影片先輩」

 にこっといつもの笑みを浮かべたみかは手を挙げて美雪に声をかけた。いきなりのことに準備できていなかった隣の嵐は「えっ、えっ⁉」と動揺し、乙女の澄んだ瞳を見て(やだ……ほんッとに綺麗なコ……)と頬を染めた。

「食堂にいるなんて珍しいなぁ。今日はここで、どっかのユニットの人とお話するん?」
「……いえ。歩いていたら、ここに来てしまいました」
「また道に迷ってたん⁉ 相変わらず方向音痴なんやなぁ。迷子になったら誰かに道聞いて……あー、お師さんから『君を前にした他人を信用するんじゃないよ』って、口酸っぱくなるくらいに言われてるもんなぁ。美雪ちゃんはお人形さんみたいに可愛いんやから、助けを求めたはずが誘拐されてた、なんて有り得るもん。うんうん、お師さんの言うこと守ってて偉いなぁ♪」
「…………」

 上機嫌になったみかは美雪の髪を撫でた。不思議そうな顔をしながら彼の手を受け入れている美雪にハッとしたみかは、手を引っ込めてあわあわし始める。

「んああっ、頭撫でてしもた! お師さんに見られてたら怒られるところや……ごめんなぁ?」
「……撫でられるのは、嫌いではありませんので」
「そお? 良かったわぁ。一番怒られるのは、美雪ちゃんが嫌がることしたときやもん……って、なるちゃん? なんでおれの背中に隠れてるん?」
「だ、だって……! こんなコを目の前にしてよく冷静で居られるわね!?」

 生まれて初めて見た『美しさそのもの』のような女の子を嵐は直視できなかった。泉といい、美しいものに慣れ・自分こそが美しくあらねばならないモデルにとって、この少女は裸足で逃げ出したくなるくらいに綺麗な存在なのだろう。しかし、逃げてしまうには勿体ない。氷室美雪は常に眺めていたいと思うくらいの可愛らしい少女だった。

「こんなコって……美雪ちゃんのこと? ああ、美雪ちゃんはお人形さんみたいやもんね。はじめて見た人は『生きてる人形や〜』ってビックリしてまうかもしれんなぁ。おれも初めて会ったとき、なんちゅう綺麗なもん見てるんやろって思て」
「は、はわわ……」

 みかの背中からちらりと美雪を覗いた嵐は、澄んだ瞳とばっちり目が合ってしまい小動物のような声を漏らした。みかは「……え、今の声なるちゃん?」と戸惑っている様子。

「……こんにちは、はじめまして」
「……えっ、今、もしかしてアタシに話しかけたっ⁉」
「……? はい」
「ま、まあ……えっと、な、何かしらっ?」
「挙動不審すぎん?」

 キョドキョドしながら声が裏返っている嵐に、みかは苦笑いを浮かべた。美雪と対面して話すことにすっかり慣れたみかですら、彼女を目にすると「相変わらず綺麗やなぁ」と口にしている。嵐は目をあちらこちらに泳がせながら美雪の言葉を待った。

「……私のこと、知ってますか?」
「へっ?」
「……最近、名乗ろうとしても、不思議なことに『知っている』と言われることが多くて。……もしかして、先輩も私のことを知っているのかと思ったんですが」

 美雪は嵐がみかと行動し、青色のネクタイをつけていることから『先輩』と判断して会話をしていた。『音楽科の美少女』という話を小耳に挟んだことくらいはあった嵐は「あ、ああ。えっと」と考え込む。

「噂はちょっとくらい聞いたことあるわ。確かあなた、音楽科で作曲をしているのよね……? でもごめんなさいね、名前まではちゃんと覚えてなくて……ほら、この学院って噂に尾鰭だけじゃなくて背鰭も胸鰭もジャンジャンつける人たちが多いから、正直なところ信じてなかったのよね……」
「……そうですか。私は、氷室美雪と言います」
「……あっ、アタシは鳴上嵐よォ」

 モデルをしていることもあって、自分を美しいと自覚している嵐はその噂を聞いても真に受けていなかった。噂通りの乙女が存在するのだとすれば、既にスカウトされてメディアに出ていて、芸能界でも有名になっていると思ったのが理由だった。噂の少女が音楽科の一般生徒である以上、その少女というのは『そのレベル』なのだと高を括っていた。

(嫌だわ、ほんっとに、とんでもない美少女じゃない。あの泉ちゃんでも、このコを見たら裸足で逃げちゃうんじゃないかしら。ハンカチ食いしばって『覚えておきなよぉ〜⁉』とか言って)

 その泉が美雪を猫可愛がりしながら撮影大会をしたことを知らない嵐は失礼なことを考えていた。一瞬でも空想に耽った嵐は、美雪を前にして跳ね上がった心臓を落ち着けることが出来た。息を吸って吐いて、深呼吸をする嵐の隣で、みかが口を開く。

「予定あるなら、そのユニットのところまで案内するで?」
「ああ、いえ。大丈夫です。もう用事は済ませましたから」
「そうなん? ちなみに今日はどこのユニットやったの? まさかまたfineじゃあ……」
「……影片先輩も斎宮先輩も、fineがお嫌いなんですか?」
「あ、えっと、嫌いっていうか……まあ、ええ感情は持ってへんけど」

(あんまfine……というか、天祥院って人のことは言わんように言われてんやった。美雪ちゃんに、あの人がValkyrieを陥れたこと、去年のことを言っちゃあかんって。お師さんは美雪ちゃんにアイドルの穢れを見せたくないんやな……)

 宗の言伝を思い出したみかは言葉を濁した。言わないという選択肢を取った二人は、何も知らずにfineにも曲を渡している美雪を止めることも出来ず、複雑な思いをしている。本音を言えば美雪の曲だけを使うと誓ったValkyrieと同じように、美雪にもValkyrieだけを選んで欲しい。けれど美雪がそれを望んでいないのだ。宗はなずなの件から、愛する人を縛りつけることだけが愛情ではないことを学んでいる。

「…………」
「……えっと、で、何処のユニットやったん?」
「……今日は『Switchの日』でした。2winkも一緒でしたけど」
「あー、つむちゃん先輩から聞いた気がするわ。サンシャワーフェスタ、やっけ?」

 同じ手芸部員であるみかは、Switchのメンバーであるつむぎから近々開催されるフェスの話を聞いていた。そこにSwitchと2winkが参加すると知っていたみかが確認すると、美雪はこくりと頷く。

「はい。そこで使う曲の試作を渡して、すぐにレッスン室を出て来たんですけど……新しい道を見つけて、そこを通っていたら、ここに」
「……あのな、美雪ちゃん。絶対迷うんやから寄り道したらあかんって。来た道そのまま帰らんと」
「……でも、ずっと同じ道では新鮮味に欠けるじゃあないですか」
「帰り道に何を求めてるん?」

 みかは宗と美雪の約束事の中に『寄り道をしない』という項目を増やすべきではないかとため息を吐いた。成り行きを見守っていた嵐が「でも」と口を挟む。

「何となくわかる気がするわァ。ずっと同じ道ってつまんないのよね。気分転換したくなっちゃうっていうか」
「……はい。新たな発見があるかもしれません。アイドル科は、知らないところが多いので。……特に、Switchの集合場所はいつも面白いです。不思議なところから逆先先輩が出てきてくれます」
「ああ、なっくんは魔法使いやからね」
「……あれは、魔法なんでしょうか。絡繰りに近いような」
「……というか、ちょっといいかしら? ずっとここにいると他の人たちが食券を買えなくなっちゃうから移動しましょ?」

 三人が会話をしているのは券売機の前。みかと嵐が美雪に近づいたことで遠巻きに美雪を囲んでいた生徒たちは散り散りになってはいる。嵐は自分の背後に食券を買おうとしている一年生が困惑した表情で立ち尽くしていることに気づき、場所を移動することを提案した。嵐の後ろにいる人物に気づいたみかは「あ、ほんまや。すんません」と言って美雪の背中を押しながら券売機の前から退いた。

「……食券って何ですか?」
「え、嘘。知らない?」
「あー……なるちゃん。この子、割と世間知らずやで」
「まぁ箱入りお嬢様っぽい見た目はしてるから想像通りって言えばそうなんだけど……食券っていうのは、さっきの機械から出てくる切符みたいな紙よ。それをご飯を作ってくれる係の人に渡してちょっと待つと、注文したものが出てくるって感じかしら」
「……何故、それを導入したんでしょう?」
「え? そうねェ……スペースの問題じゃない? お料理するところにレジを置いたら邪魔だし、機械に清算してもらった方が楽でしょ?」
「……成る程」

 納得はできても想像が出来ていない様子の美雪に、嵐は券売機に並んでいる生徒の数が一人であることを確認する。

「実際にやってみましょうか。美雪ちゃん、何か食べたいものはある?」
「……いえ。特に何も」
「アタシたち、新作のパフェを食べようって話してて。マカロンが乗ってて可愛いのよ。良かったら一緒にどうかしら」
「…………いいえ。折角ですけど、ごめんなさい。あまり、食べるのが好きじゃなくて」
「……あら、そうなの?」

(言われてみれば、折れちゃいそうなくらい細いわね。みかちゃんも不健康な体してるけれど、このコもなかなか……棒みたいだわ)

 アイドル科ではない制服に身を包んだ彼女の体はとても華奢だった。薄い肩に、半袖から覗く二の腕は白く細い。スカートから伸びている脚も同様だ。足首も腕も、男の片手ですっぽり掴めてしまいそうだった。

「食べるのが好きじゃないって……はは。お師さんみたいなこと言うんやね〜」
「……? 斎宮先輩も、栄養摂取が苦手なんですか?」
「栄養摂取て。ん〜、お師さんの場合は偏食って言うんかな。クロワッサン以外にあんま興味ないみたいやから」
「ああ……あの人がクロワッサンを好きだというのは聞いたことがあります」
「え、そうなん? ライブとかテレビで話したこともあったんやっけ……覚えてたんや、美雪ちゃん、お師さんのこと大好きなんやね♪」
「……あまり個人的な話をしない斎宮宗が、好物の話をしたのが印象的だったので」

 二人のやり取りを横目で見た嵐は財布を取り出して券売機に千円札を二枚投入した。学院の食堂にある以上、嵐が今回求めているパフェも一応は学食にあたるはずだが、それなりに高価なものらしい。『苺とカスタードのパフェ』と書かれているボタンのランプが赤く光る。

「ほら、美雪ちゃん。押してごらんなさい」
「……これですか?」
「そうよ。どーぞ」

 ちょんちょんと肩を突かれた美雪がボタンを確認して押すと、ピッという音の後に紙が落ちてくる。嵐が返却のレバーを下げると小銭が落ちて来た。小銭を集めて財布に仕舞った嵐は、食券を美雪に渡して「行きましょ」と言う。

「あら、嵐ちゃんにみかちゃんじゃない」
「こんちは〜」
「新作食べに来たわよォ♪」
「相変わらず早いわねぇ」
「ふふっ」

 食堂の職員である五十代くらいの女性と顔馴染みの嵐とみかはにこやかに挨拶をする。美雪を見た女性職員は「んまっ。可愛い子……」と零した。「この人に渡してちょうだい?」と嵐が促すと、美雪は食券をじっと見てから女性職員に渡した。

「……お願いします」
「はいはい、ちょっと待っててね。パフェって時間がかかるのよ〜」
「ごめんなさいねェ。いくらでも待つから」
「あ、じゃあおれと美雪ちゃんは先に席探して待ってるな」
「ありがと、みかちゃん」

 辺りを見渡して空いている三人分の席がないか探したみかは、少し離れたところに四つの椅子があるのを見つける。美雪に声をかけたみかは席に座って嵐を待つことにした。

「お待たせ」
「お〜。想像より大きいパフェやね」
「ええ、ほんとに。一人で食べたらカロリーオーバーしちゃうから、みかちゃんに来てもらって良かったわァ」
「半分強制やったけど……」

 苦笑いを浮かべるみかに、嵐は柄の長いスプーンを渡す。女性職員はパフェを三人で食べると予想して、ソーダスプーンを三本用意していた。美雪に渡すか悩んだ嵐は「食べたくなったら遠慮しないでね」と言ってスプーンを渡した。

「ン〜〜〜甘酸っぱい! ベリーが瑞々しいわァ」
「ほんまやねぇ。血みたいに真っ赤や」
「食事中にその例えはやめてちょうだい……」

 ベリーソースがかかったソフトクリームの天辺を掬って口に入れた嵐は、サイドに添えられているマカロンを取って半分に割った。食事が好きではないと言った美雪をちら、と見て「……いる?」と聞くと、美雪は首を振る。嵐は仕方なく半分に割ったマカロンをみかに向けて「あ〜ん」と言って差し出し、みかは口を開けてそれをパクリと食べた。

「……ご飯が好きじゃないって言ってたけど、食事はどうしてるの?」
「……飲み物とか、サプリメントとか」
「うわっ。それ、とっても不健康だわァ……? 食事も取って、足りない栄養素をサプリで補うならわかるけど……全部サプリメントはお勧めできないわよォ?」
「……食べてますよ。ゼリーとか、スープとか」
「病人の食事みたいじゃない⁉」

 信じられないものを見るような目をしている嵐に、みかはちびちびとパフェを食べ進めていた手を止めてゴソゴソとポケットを漁った。

「なんか可哀想になってきたわ……おれの飴ちゃん食べる?」
「……飴。飴は、口の中で融けますよね」
「……? そうやね?」
「……じゃあ、いただきます」
「ちょっと。飴ばっか食べるのも良くないわよ」
「でも飴ちゃん食べると元気になるで?」
「それは一時的なものよ……」

 不健康な二人に嵐は頭が痛くなってきた。食べすぎも良くないが、食べなさすぎも良くない。自分の体を管理しているプロフェッショナルでもある嵐にとって、二人の食事生活は信じられないものだった。
 バランスの悪いパフェを器用に切り崩した嵐は、ソーダスプーンに小さな苺を乗せて美雪の口元に運んだ。

「ほら、美雪ちゃん。苺くらい食べなさい。フルーツも食べすぎは厳禁だけど、栄養素が豊富だから健康に良いわ。ハイ、あ〜ん……♪」
「……」
「このアタシの『あ〜ん』を拒否ですって……⁉」

 ぷいっと顔を背けてしまった美雪に、嵐はわなわなと震える。

「あ、美雪ちゃん。苺の飴ちゃんあるで♪」
「苺味なら良いってもんじゃないのよ!」
「あいてっ」

 ピンク色の包装紙に包まれた飴を取り出したみかの手を嵐がペシリと叩いた。テーブルに転がった飴を、美雪はちゃっかり回収する。

「美雪ちゃん……というか、みかちゃんも。そんな食生活だから棒切れみたいな体になるのよ?」
「でもなぁ……特に困ってへんし」
「……はい、私も」
「な〜♪」
「仲良くしてんじゃないわよッ、まったくもう……『お師さん』は何も言わないわけェ?」
「お師さんが偏食やから」
「そうだったわ……」

 ユニットのリーダーですらその調子では、みかの健康状態が良くなるはずがない。二人の会話から『お師さん』と美雪にも繋がりがあることを察していた嵐だったが、お行儀悪くテーブルに肘をついて深いため息を吐いた。

「美雪ちゃんは食べ物の何が気に入らないのよ。ゼリーとスープが大丈夫ってことは、固形物が嫌なの? 苺なら舌でも潰せるから頑張って……」
「……咀嚼は良いんですけど、嚥下が苦手で。体内に異物を取り込むのはちょっと……」
「あ、お師さんも似たようなこと言ってたわ〜♪ 流石、二人は似た者同士やね♪」
「…………どうにか解決策を考えないと」

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