10

 机の上には煌びやかな布が広がっている。その横に、同系色の糸。床には色とりどりの裁縫道具たちが散らばっていた。

 その中心に、帝王が立っている。力任せに振り回し、投げ倒し、手芸部室を滅茶苦茶にしたのは斎宮宗だった。頭を抱えて息を荒くしている。帝王の肩書きとは裏腹に、理性を無くした獣のように。品のない姿を晒していた。

「失礼しま〜す……って、お師さん⁉ な、なんやねん、この状況……」

 扉を開けて飛び込んできた光景に目を丸くしたみかは、肩で息をする宗の背中を心配そうに見つめた。

「……まさか、昨日のライブの後の話、引きずっとん? そりゃそうやね、あの人、なずな兄ィのこと人質にして……Valkyrieを引きずり出そうとして……」

 昨日の放課後、Valkyrieは地下のライブハウスで本番を迎え、そこに現れた生徒会長・天祥院英智によって宗は追い詰められた。Valkyrieを解散、それの巻き添えを喰らい、Ra*bitsまでもが消滅する恐れがある。

「……は」
「……? ごめん、お師さん。おれ、あんま耳ようなくて聞こえんかった……」
「…………を」
「……え?」
「──僕はとんでもないことを、とんでもないことをしてしまった……!」

 宗はぎゅう、と拳を握った。血が滲む程に、美しい衣装を生み出す神の手に傷がつく程に強く。そして叫ぶように言った。

「愛しい氷室を泣かせてしまった……! 僕はッ、大罪人だ──!」

***

 同時刻。
 ぴょいん、と頭の触覚を弾ませた桃李は弓弦と共にレッスン室へと向かっていた。間近に迫った七夕祭。今日はfineが集結し、レッスンを重ねる予定だった。

 その途中の廊下。桃李は目の前を歩いてくる、アイドル科の水色の制服とは異なる制服を着た女子生徒に気づいた。弓弦も「おや、あれは」と呟く。元気よく手を振って「おーい!」と呼び掛けた桃李であったが、少女の様子が可笑しい。いつもふわふわと、まるで浮いているようにゆったりと動き、ゆっくりと話す乙女ではあったが、今の彼女は千鳥足にも近い覚束ない足取りで、一歩一歩を確実に踏まないとバランスが取れないようだった。棒のような足が不安定に揺れている。

 彼女が転んで怪我でもしたら危ない、と思った桃李は廊下を叱られない程度に軽く走った。弓弦も主の後に続く。桃李は美雪の前に回り込んで「大丈夫?」と覗き込んだ。

「……美雪? 体調悪いの?」

 俯いたままの美雪に桃李が尋ねると、美雪はゆっくり顔をあげた。いつものような、人形のような無表情が飛び込んでくると思っていた桃李と弓弦は目を見開く。
 彼女は目元を赤くさせて、ポロポロと涙を零していた。

「──え、えっ、だ、大丈夫っ?」
「……う、ぅ」
「怪我したのっ? ど、どっか痛い?」
「…………ん、っ、ふぅ、う」
「ど、どうしたの? 教えてくれないと、ボクわかんないよ……」
「…………しゅ、宗様っ、に、嫌われちゃったぁ……」
「──しゅうさま?」
「う、ひぅぅっ……」
「あ、あわわ……ゆ、弓弦っ、どうしよう……!」
「……氷室様、落ち着いて、呼吸をしましょう」

 助けを求める主の視線に、弓弦は美雪の背中を撫でながら語り掛けた。肩を震わせている美雪は弓弦に言われたとおりに呼吸しようとするが、涙が止まらない。ふっ、ふっと一生懸命息を吸って、頬を伝って顎まで垂れた真珠のような涙が床に落ちていく。

「……ふ、うぅ、うっ、ん」
「……一先ず、レッスン室に行きましょう。此処にいるよりも落ち着けると思います。氷室様、失礼致します」

 弓弦は美雪の肩と膝裏に手を回して抱えると早足に歩いた。桃李は弓弦が部屋に入れるよう先に扉の前に行き、開けて待った。

「Amazing……! まさか姫君と執事さんよりも私が先にレッスン室に来ることになるとは! 私は今の今まで、一人寂しく我らfineの稽古が恙なく行えるように準備を……おや? 執事さんが抱えていらっしゃるのは……なんと! 美雪さんではありませんか⁉」
「大声出さないで、ロン毛!」
「坊ちゃまもお静かに」
「あっ、ごめん」

 二人よりも先にレッスン室に居たらしい渉が花を撒き散らしながら出迎えようとするが、弓弦が美雪を抱っこしている光景にぎょっと飛び退いた。美雪がむずかっているのがわかった渉は部屋に常備されているブランケットを取ってきて大急ぎで美雪をくるんだ。

 弓弦は昔から桃李にやっていたからか、動じずに美雪の背中を撫でている。ブランケットにくるまった美雪は落ち着いたのか泣き疲れたのか、スゥと眠りについた。渉はズイズイと身を乗り出して美雪の顔を覗き込む。

「ちょっとロン毛、あんま近づかないであげて。泣き疲れちゃったみたいだから……」
「赤ちゃんみたいですねぇ……」
「……美雪が泣くなんて、珍しい。いつもロボットみたいに無表情なのに」
「……普段感情を出さない分、爆発してしまったのかもしれませんね。自分でもどうすれば泣き止めるのか、わからなかったのかも。姫君と執事さんが来てくれて安心したのではないでしょうか」
「……そうかなぁ。そうだと良いけど」

 桃李は不安そうに美雪の前髪をサラ、と指先で流した。幼子のような美雪は、桃李にとっては妹のような存在であった。実際に妹がいる兄として、美雪のことが気にかかる桃李は自分に出来ることはないか考え、眠っている美雪に寄り添うことにした。

「ごめん、待たせたね……って、あれ? 美雪ちゃん?」
「あ、会長」

 生徒会の業務に追われていたのか、遅れてやってきた英智が美雪を見つけて目を丸くする。彼女の目元が赤くなっていることを確認した英智はすぐに顔を強張らせた。

「一体どうしたんだい?」
「廊下で泣いていらっしゃったのを坊ちゃまと私で発見し、保護致しました。経緯まではわかりかねます」
「そう……何か、不敬を働く生徒がいたのかな?」
「…………いや、たぶん、喧嘩だと思う」
「え?」

 英智と渉の視線が桃李に集まる。弓弦は目を瞑って桃李の言葉を遮ることなく、主に任せることにした。

「美雪、言ってたんだ。泣きながらだから聞き間違えてるかもしれないけど、『しゅうさまに嫌われちゃった』って」
「しゅうさま……斎宮くん? まさか……」

 Valkyrieを贔屓している美雪と、そのValkyrieを率いる宗の喧嘩。
 英智は昨日の自分の行為が、二人が衝突する発端になったのではないかと勘繰る。

「あの人、美雪のことすっごく可愛がってるみたいだから、ボクも信じられないんだけど……もしかしてこの学院に斎宮先輩と同姓同名が居たりする? 他に『しゅう』って人がいるとか……」
「……いや、居ないね」
「そっかぁ……どうしたんだろ、ほんと」

 唇をきゅっと噛んだ桃李は瞳を潤ませて美雪にすり寄った。彼女の涙の跡が残っている頬を、弓弦がぬるま湯で湿らせたハンカチで拭う。ハンカチが冷たかったのか、身じろいだ美雪が睫毛を震わせて目覚めた。

「ああ、すみません、氷室様……もう少し暖かいお湯を用意すべきでした。突然のことで気が利かず、申し訳ございません……」
「…………」
「……氷室様?」

 いつもは南の海のように澄んだ色をしている彼女の瞳は、どこか陰っていた。反応しない美雪に弓弦が呼びかけると、美雪は仄かに唇を震わす。

「…………五線紙」
「……ええと、五線紙にございますか?」

 弓弦は困った様子でレッスン室を見渡し、五線紙がしまってある場所から何枚か引き抜いて持ってくる。ブランケットに包まれた美雪は弓弦から五線紙を受け取ると、今度は「……ペン」と呟いた。胸ポケットに入っているペンを取り出した弓弦は「ボールペンですが宜しいでしょうか……?」と言って差し出す。

「……もう一本」
「え、もう一本ですか?」
「あ、ボク持ってるよ」
「すみません、坊ちゃま。ありがとうございます。…………氷室様、二本揃いましたが……」
「……ありがとう」

 両手に一本ずつボールペンを握った美雪は、床に五線紙を並べると音符を書き始めた。彼女の頭の中では既にメロディが流れているのか、その手は止まることを知らずにスラスラと次々に音符を書き進めていく。あっという間に四小節が出来上がり、八小節が出来上がった。

「……こ、こういう風に作曲してるんだ?」
「…………」
「……えっと、美雪? もう大丈夫なの?」
「……坊ちゃま。あまり話しかけない方が宜しいかと」
「え? な、なんで?」
「……集中していらっしゃるようです」
「……そっか」

 小声で会話をした主と従者はそっと美雪から離れ、英智と渉の元へと歩み寄る。四人揃ったのならば、レッスンを開始しなくては。

「えっと、どうしよっか。美雪、集中してるみたいだから、あんまり大きな音立てない方が良いよね……? 別の部屋に移動する?」
「この状態の氷室様を放置していくのは……如何なものかと」
「ふむ……どうします? 英智」
「そうだね……」

 英智はちらり、と美雪を横目で見る。艶やかな髪を地面につけて、一心不乱に音楽を生み出している彼女の姿は異様でいて美しい。

「まだセットリストを決めていなかったから、まずはそれを考えようか。その間に美雪ちゃんが書き終えるかもしれない。曲を決めるくらいなら、そこまでの騒音にはならないだろう」
「……うん、わかった」
「承知致しました」

 fineの四人は七夕祭で使用する曲目を話し合う。
 七夕に合わせて新しい曲を用意するか、既存の曲で臨むか。
 幸い、今彼らのすぐ近くに作曲家がいる。桃李は彼女が了承するのであれば、美雪に七夕の新たな曲を作ってもらうのはどうかと提案するが、英智は気が進まなかった。

 名波哥夏はValkyrie専属の作曲家だ。彼女は音楽科に所属する前から、一年前からValkyrieに楽曲を提供している。宗も名波哥夏の曲を気に入り、はじめて使用したときからずっと彼女の曲の恩恵を受けている。今回はValkyrieの命運がかかったドリフェスだ。それと敵対するfineを、果たして彼女が支援するかどうか。

 それに加えて、桃李から聞いた二人の喧嘩。昨日の忠告という名の脅迫が、一体彼女の何を刺激したのか。英智はそれを確実に掴めないでいた。

「……あ、美雪?」

 ペンを置いて五線紙を眺めている美雪に気づいた桃李が呼びかけた。桃李は美雪に駆け寄って五線紙を覗き込み、メロディを口ずさむ。目を輝かせた桃李がはしゃぎながら話しかけた。

「相変わらず美雪の曲は凄いね! ボク、はじめて美雪が作曲してる姿を見たんだけど……いつもあんな感じなの?」
「──え?」

桃李なりに泣いていた美雪を気遣い、敢えて言及しないように、いつも通りに接した。茫然と出来上がった楽譜を見つめていた美雪はパチリと瞬きをして桃李を見る。人がいることを忘れていたかのような反応だ。それからその後ろに弓弦や英智、渉がいることを確認すると「……fine」と小さく零す。

「えっとさ、もし美雪が元気だったらで良いんだけど、七夕祭で新しい曲を、ボクたちに作ってくれないかな〜……って」
「…………ごめん。できない」
「──へ?」

 桃李の申し出を断った美雪は、床に散らばる五線紙を拾い集めながら、誰も見ずに言う。

「ただの勝ち負けの話なら私も手伝えたし、目も瞑ったよ。けど、ただの勝ち負けだと思ったものはそうならなかったし、今回は確実に『そうじゃない』らしいから。私だって『彼』との約束は守りたいけど……ごめんね、私の一番はValkyrieなの。七夕は、fineの味方は、できない」

 珍しく長い台詞を桃李に向けて言った美雪は、後ろにいる英智と目が合うと口を噤んで逸らした。扉に向かい、ドアノブを掴んで下したところで振り返る。

「…………お世話になりました」

 そう言って美雪は出て行った。
 拒否された桃李は固まり、美雪の言葉が自分に向けられていると気づいた英智はじくりと痛む胸を抑えた。弓弦が桃李の肩を支え、空気を読んだ渉が花を撒き散らそうとしたとき、再びレッスン室の扉が開かれる。

「……ごめんなさい。ボールペン持っていっちゃった」

 なんともタイミングの悪い。居心地の悪そうな顔をした美雪が扉の隙間から顔を覗かせ、ボールペンを乗せた手を差し込んでいた。
 美雪が日を改めることなく帰って来たお陰で、二本のボールペンは持ち主の手にきちんと戻って来た。

***

 約一時間前の話。
 宗は英智にValkyrie解散の恐れ、七夕祭に参加しなければRa*bitsもその巻き添えを喰らうという報せを受けたことから、七夕祭に参加せざるを得なくなった。

 みかと共に慣れない手付きでドリフェスの手続きを済ませ、本日が『Valkyrieの日』である為にやってきた美雪に、宗はValkyrieが七夕祭に参加することを決めたと伝える。

 これまでのValkyrieは目立ったドリフェスには参加せず、ほとんど学院の外、こじんまりしたライブハウスで活動をしていた。美雪がその場に足を運ぶことはなかったが、映像に記録されたもの全てに、彼女は目を通していた。一年前と同じように。

 Valkyrieの今後の話ついて、宗とみか、美雪で話し合った場面は少なくはない。
 宗としては、未だ本調子ではないため勝敗に関わる・成績に関わるドリフェスに参加はしたくない。みかはそれに従う。
 一年前の輝かしいValkyrieを愛していた美雪にとって、彼らのその意思は尊重しなければならないものであったが、何も思うところがないわけではなかった。宗もそれを知っていた。

 宗はValkyrieが七夕祭に参加することを、美雪が喜んでくれると思っていた。喜んで新たな武器──曲を作ってくれると。

 実際、七夕祭のことを伝えると美雪は無表情ながらも、いつもよりも明るい雰囲気で宗の話に乗っかった。何故、参加をする決意をしたのかと美雪は宗に尋ねた。

「──Valkyrieが出場しなければ、僕たちValkyrieが消滅するだけではなく、Ra*bitsも破滅するからだ」

 宗がそう言うと、美雪は顔色を変えた。

「Ra*bitsは生まれたばかりのユニットだ。あまり良い表現ではないかもしれないが、弱小だね。君が曲を提供するには未熟だから知らなくて当然だ……Ra*bitsには仁兎なずな……去年までのValkyrieに所属していた、彼がいる」

 宗が告げると、美雪は間髪入れずに口を挟んだ。いつも会話のテンポが遅れる彼女にしては珍しい行動だった。

「知っています。仁兎なずなはValkyrieを、貴方を捨てて別のユニットに行った。正式な手続きも踏まずに、Valkyrieの足枷になっている」

 机の上で組んだ指をぎゅう、と握りしめた美雪が俯きながら言う。いつもしんしんと話す彼女の声は怒気を孕んでいて、宗は戸惑いを隠すことができなかった。唖然と、真正面に座る彼女を見つめていた。

「仁兎なずながいるから、何なんです……?」
「……僕は、仁兎が抜けた時点で、Valkyrieには芸術的価値はないと判断している」
「──何を、」
「Valkyrieを解散させるだけなら、僕は七夕祭にエントリーしなかった。しかし流れ弾でRa*bitsまで破滅の道に逸れるのは、僕の意志に反するのだよ。僕は仁兎を……守りたい。かつて僕の人形だった愛すべき彼を見殺しにするわけには……」
「……なんで」
「……氷室?」

 ぎゅ、と眉間に皺を寄せて目を瞑った美雪が、詰まった息を吐き出すようにした。宗は彼女の無でもなく、呆れでもない表情を初めて見た。悩まし気で怒りを感じさせ、哀しみを帯びている。美しいと感嘆するよりも先に、宗は不安に襲われた。椅子から立ち上がって手を伸ばす。

「氷室……? どうした?」
「……」
「……まさか、泣いているのか?」

 頬に触れようとする宗の手を避けた美雪は立ち上がり、はじめての胸の内のどうしようもない渦巻きに自分でも戸惑いながら、感情を放出した。

「──なんで! 私がっ、私は……貴方に、こんなに……貴方にどれだけ……! なぜ、どうして私よりも、仁兎なずなを……私がどれだけ曲を作っても、送っても、使ってくれなかったのに……! 歌ってくれなかったのに……なんで……なんで、解散しても良いなんて、価値がないなんて……っ、う、……はぁっ」

 溜まりに溜まった涙が瞳から零れ、美雪は額を抑えるようにして前髪をぐしゃりと潰した。何度か浅く呼吸をした美雪は震えながら息を吐いて、宗に背を向けた。力なく伸ばした宗の手は彼女に届くことなく、美雪はそのまま手芸部室から出て行ってしまう。

 彼女の泣き顔が、言葉が宗の頭から離れない。愛しい彼女を泣かせた事実が重く圧し掛かり、宗は自分への怒りに耐え切れず、丁重に扱うべき手芸道具たちを力に任せてなぎ倒したのだった。

「……美雪ちゃん、泣いたんや」
「……ああ。ハァ、僕はなんてことを……死んでも償い切れない」

 時は現在。
 みかに事情を伝えた宗は、椅子に腰掛け頭を抱えていた。みかは彼の話を聞きながら、散らかった部屋を片付けていた。ことり、と最後の糸を箱に戻し、ちらりと宗の様子を窺う。美雪を泣かせた事実に打ちのめされている彼の状態では、間近に迫った七夕祭も不調になってしまうかもしれない。みかの中でも、Valkyrieの解散・Ra*bitsの破滅は望ましいものではなかった。

 ふと手芸部室にノックの音が響く。宗が返事を出来る状態ではないため、みかが「はあい」と言って扉を見遣った。がちゃりと開いた扉から、目元を少し紅くした美雪が登場する。みかが「美雪ちゃん……」と言うと、椅子に座って俯いていた宗が顔を上げた。

「氷室……」

 不甲斐なさから駆け寄ることもできない宗の縋るような瞳に、美雪は長い睫毛を伏せて扉を閉めた。がちゃん、と金具の音が大きく響く。美雪はみかにも宗にも背を向けたまま小さく口を開く。

「……私はお二人ほど、仁兎なずなに対して愛着はありません。彼が一年前Valkyrieの一員で、Valkyrieの完璧な舞台を、世界を構成していたことはわかっています。けれど、お二人から離れ、別のところで勝手に動き出した彼を、私は……Valkyrieが新曲を出せなかったことに彼の声変りが影響していたのも、私としては、複雑な心境です。……Valkyrieが追い詰められているのは彼のせいだと、そう思ってしまう。私はまだ、……人の心がよく、理解できていませんので。私自身の今回の感情も、まだよく、わかっていないんです。……これがなんなのか、わからない」

 胸の内で蠢く、それが何であるか形容し難いものの輪郭を掴もうとするかのように、美雪は制服のリボンを握った。

「氷室、僕は」
「一先ず、私のことは良いんです。斎宮先輩が仁兎なずなを守りたいというのも、……理解できているわけではありませんが、それは見なかったことにしましょう。事は一刻を争います。Valkyrieが解散することを私は許しません。……私はfineを憎めない立場に居ますが、今回彼らに加担する心算はありません」

 宗を遮るようにして美雪は振り返り、『Valkyrie』である二人を透き通る瞳で見つめた。

「Valkyrieの名誉のために、私の曲を使ってください」

 その瞳は潤み、目元は兎のように紅くなっていた。

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