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 初めての企画を任されたあんずは、出来上がった七夕祭の舞台セットの全体像が見えるよう遠くから眺めていた。七夕祭はS1。四月から経験を積み、アイドル科生徒たちと信頼関係も築いてきたあんずだったが、自分にはやや重みではないかと思いつつ、今までのライブを参考に独自のアイデアも織り込みながら立案したのだった。

 ゆっくりじっくり眺めている暇はあんずにはない。衣装や舞台セットなど、仕事が山積みになった結果、手が回らなかった部分がある。それをTrickstarを始めとする他のアイドル達に協力してもらいながら捌いている最中だった。

「おーい、あんず。こんな感じでいいかー?」

 脚立に乗った真緒が下にいるあんずに問いかける。七夕の飾り付けを済ませた笹を見上げ、あんずは丸のサインを真緒に送った。プロデューサーからオッケーを貰えた真緒は慎重に脚立を降りて、地面に足をつけた。

「……ん? あれ、美雪か?」
「あ、ほんとだ。おーい、美雪ー!」
「おわっ。お前らどっから出て来た?」

 真緒が屋台の前に立っている美雪を見つけたところに、後ろからスバルが飛び出してきて腕をブンブン振った。更にその後ろを真と北斗が歩いてきて「あれ、美雪ちゃんだ」「久しぶりに見た気がするな」とそれぞれ手を振り始める。あんずまでそれに倣ったため、真緒は空気を読んで控えめに手をひらひらとさせた。少し離れたところに居た美雪はTrickstarとあんずが自分にサインを送っているのに気づいて、手をパーにして少し動かした。

「やっほやっほ☆ 最近顔出してくれないから寂しかったんだぞ〜う?」
「……すみません、余裕がなくて」
「忙しかったのか。落ち着いたらで良いから、また力を貸してくれると嬉しい」
「……はい」

 ホップ・ステップ・ジャンプと美雪に抱き着いたスバルを北斗が引き剝がした。後ろからひょっこり顔を出した真が口を開く。

「それにしても珍しいね。美雪ちゃんがイベント事に顔を出してくれるなんて」
「……そうですか? 学院祭には、来たんですけど」
「え、来てくれてたの? 前夜祭も?」
「……前夜祭、学院祭の前の……それは行ってないです。『灰かぶり』を観に行ったので」
「なぁ〜んだ。前夜祭なら俺たちも出てたのになぁ」

 Trickstarは前夜祭に参加していたが、美雪は紅月が出るという『灰かぶり』の舞台を目的にしていたため、前夜祭はノーマークだった。肩を落としたスバルだったが、すぐに胸を張って自信ありげな表情に切り替わる。

「でもまあいいや! ここにいるってことは、今日は七夕祭を観てくれるってことだよね? 俺たちも出るから、そのキラキラのお目目に焼き付けちゃってよ!」
「……はい、耐え切れそうだったら」
「? 七夕祭に我慢大会なんてあったか?」
「氷鷹くん、ボケの方向性が斜め上だね……」
「今のはボケたつもりはないのだが……ボケには方向があるのか?」
「うん、あの、これ以上付き合ってると話が進まなくなりそうだから良いや」

 美雪の言葉の意図はわからないが、そういう意味ではないだろうと失笑した真が突っ込みを入れ、美雪に尋ねる。

「えっと、耐え切れそうだったら、ってどういうこと?」
「……私には少し、外の世界の音が大きすぎて。まだあちこちから音が響いている状況に慣れてないんです。だから学院祭のときも、用事を済ませたらすぐに帰りました」
「ふぅん……作曲家って、凡人にはわからない音まで拾ってそうだもんな。人混みもあんま得意じゃない感じか」
「……はい。でも、今回は、見届けたいと思ったので」
「ん? お目当てのユニットが出るの?」
「…………はい」
「それは、どの──」

 北斗が質問しようとしたとき、スマートフォンで時刻を確認した真緒が慌てた様子でメンバーに伝える。

「おい、まずいぞ。そろそろ開演時間だ。一番手じゃないにしても準備しないと間に合わなくなるぞ!」
「わわっ、ほんとだ! ごめんね、美雪ちゃん。もし良かったら見て行ってよ! 流星隊も一緒だからさ!」
「……はい。お気をつけて」

 一斉に駆け出していくTrickstarとあんずの背中を、美雪はゆっくり瞬きをしながら見つめていた。

 学院祭のときも出店はあったが、食にあまり興味がない美雪にとっては珍しいものではありつつも、進んで食べようと思えるようなものではなかった。とある事情により幼い頃から最近まで引きこもって生活をしていた彼女は、お金の使い方も理解できていない。屋台飯を買うのに必要な小銭すら持っていなかった。とはいえ、持っていたとしても買って口に含めるものはラムネ程度なのだが。

 美雪は七夕祭の舞台まで移動する。みかから方向音痴と呼ばれる彼女だが、人の流れを見ていれば何処が会場なのかくらいは理解ができた。騒がしく、ぺちゃくちゃと喋る大勢の人間にきゅっと唇を噛んだ美雪は、耳を塞いで早足に移動した。

 音楽が聴こえる。薄っすらと瞳を開けた美雪の目には、舞台の上に立っている紅月とRa*bitsの姿が見えた。ドリフェスでの雪辱を晴らそうとするRa*bitsの姿は、彼らの苦しみを知っているものからすれば健気で、応援したくなるものなのかもしれない。しかし美雪にとっては違う。

 Valkyrieを捨て、更には一年前に新曲を出せない原因となっていた、Ra*bitsのリーダー・仁兎なずな。

 彼を視界に入れた美雪は目を細くして、耳を塞ぐ腕に力を込めた。
 聴いている人を元気づける、勇気を与えてくれるはずの彼らの可愛らしい歌声は、美雪にとって毒だった。聞きたくない歌。耳障りな歌。

(ああ、どうして。貴方はValkyrieを捨てたのでしょう。どうして貴方は自分から動き出したのです。こんな貴方を見るなら、いっその事、物言わぬ壊れた人形にでもなってくれた方が『まし』だった)

 なずなは笑顔を振りまきながら元気に歌って踊って跳ねていた。自分の中で湧き上がる『不快』という気持ちを取り除こうと、美雪は瞼を強く閉じる。手で塞いだところで恐ろしいくらいに物音を拾う耳はシャットダウンできない。それどころか、視覚を奪ったことでより聴覚情報が入り込んでくる。ハァ、と息を吐き出した美雪は舞台から目を逸らすようにして瞼を開けた。

(なずな様、仁兎なずな。貴方は、宗様に守られる。どんな結果になろうとも。彼は貴方を見捨てない、彼がそう望んだから。……私はただ、遠くから見ていることしかできない。少しは近づけたと思ったのに、一年前と何も変わっていないなんて。……ああ、胸が重い。目が熱い。呼吸がし辛い。溺れてしまいそう。私の心が、新しい感情を覚えているの……? 苦しい、これは、何。『あのとき』とは違うの。教えて、私の大切な人。貴方ならわかる──?)

***

 七夕祭では多くの観客が支持したユニットが舞台に残り、負けたユニットは降りなければならない。けれど時間が経てば負けたユニットであっても再び舞台に上がることができ、それに対して、勝ち続けたユニットはそれだけ体力が削られる。

 紅月とRa*bitsの第一戦、結果は覆ることなく紅月の勝利だったが、生徒会の仕事が舞い込んできた敬人が辞退を宣言する。例のドリフェスの件を敬人なりに気遣い、Ra*bitsに花を持たせようとしたのだった。

 ところがそこにfineが乗り込んでくる。あまりにも性急すぎる英智の行動に、敬人と英智は口論になっているようだった。紅月が辞退したことで舞台に残ることになってしまったRa*bitsは夢ノ咲学院最強のユニットから、皇帝から逃れることができない。

 万事休すと思ったなずなの元に現れたのは、かつての仲間であるValkyrieだった。

(何だい、これは。『Valkyrie』とは、こんなユニットだったかな……?)

 英智は舞い踊りながら違和感を覚える。みかによって弓弦と桃李が翻弄され、宗により英智自身と渉が牽制されている。fineのライブ、Valkyrieのライブがそれぞれ行われるはずが、二つが一体になってしまっていた。

 捨てるべきものを芸術へと昇華し、人の域を超えたValkyrieは。

「斎宮くん。謝罪しよう、君たちを侮っていた。夢ノ咲学院の帝王は健在だったね」

 みかによって崩れた桃李を弓弦が立て直したのを見た英智は、曲の合間に宗に語り掛ける。

「よく調べたね、『fine』の曲調などの内実を研究し自らを調律して……けれど。僕たちを弱体化させても、君たちが強くなるわけじゃあないんだよ」
「まだ気づかないのかね、君たちはすでに蜘蛛の巣の上なのだよ? 完璧にあわせられるということは、僕たちは君たちの全てを完全に掌握しているということだよ」

 宗はfineを操り人形、Valkyrieを人形師と称し、曲調を変化させた。
 それは美雪が宗に授けた絶対の武器。最強の鉾。

(君は掴んでしまったのかい、斎宮くん。異常な思索と研鑽、修練と執念、才能と閃きの果てに──! そんなの、もはや人間業じゃないよ……?)

 英智はValkyrieのパフォーマンスが、自分の探し求めていたものであること、fineの進化形で、高次元のパフォーマンスであることを理解した。

「残念だったねぇ、天祥院英智! 卑劣な脅迫までして、わざわざ僕たちを舞台に招いて! 未知なる『Valkyrie』の現状を、赤裸々に暴き立てて! ……安心したかったのだろう? かつての夢ノ咲学院の帝王とはいっても、偉大なる『皇帝』である自分にとっては取るに足らない弱敵であると!」

 今までの恨みを語り、呪いをかけるように宗は言葉を並べていく。英智を煽り、後悔させ、全てを叩きつける。

「思い出させてあげよう! 毎晩、僕たちの姿を悪夢に見るがいい! 呪われてしまえ、末代まで! 何度死んで、生まれ変わっても!」

 観客席に目を向けた宗は、人混みの中に美雪がいることに気が付いた。
 美雪は何も持たずに、ただ舞台を観ていた。真っ直ぐに、宗を見ている。

 その透き通る瞳を見た宗の体から、怒りや憎しみといった感情がふっと消え失せた。
 彼女に対する宗の愛情が、彼自身をあたたかく包む。

(──氷室、氷室。……ああ、氷室。君は僕に微笑みかけてくれた戦の乙女、君こそがワルキューレ。あの日、あの舞台で死んだ僕らをヴァルハラに導き、来るべきラグナロクに向けて身を粉にして懸命に尽くしてくれた。……君を泣かせてしまった事実は永遠に消えないけれど、その涙が笑顔に変わる日が来るよう、君の心が晴れるよう、僕はただ、今は歌おう。……氷室、僕を見限らないでくれて、ありがとう。僕は、Valkyrieは消えない。君が望むのならば)

 美雪を見つめ返した宗は力強く決意した。
 拳を握り、戦いの血液を巡らせて戦場へと意識を戻す。

 宗の視線の先に美雪がいることに気づいた英智は、(ああ、そうか)と目を見開いた。

(──そうか、彼女か! 名波哥夏、氷室美雪! 君がValkyrieを怪物に仕立て上げたのか……悍ましい、エインヘリャルに! なんという事だ、ああ、震えてしまいそうだ。君は一年前ここには居なかったというのに、一年前から僕らと同じ戦場に立っていたというのか──⁉)

 全身に鳥肌が立った英智はValkyrieに、名波哥夏という作曲家に畏怖の念を抱いた。ここが舞台でなければ、彼は足がすくんで、恐れのあまり後退していただろう。

(──Valkyrieの『魔女』め)

 動き辛い舞台上で踏ん張る英智の耳に勝ち誇った宗の笑い声が響いた。
 それに重なるように、聞いたこともない乙女のくすくすと嘲笑う声がした。

***

 七夕祭、第二戦の結果はfineの勝利で終わった。
 多数のファン層を抱えているfineと、最近は目立った活動もしていなかったValkyrieとでは得られる票の数に格差がある。Valkyrieが優れたパフォーマンスをしてfineを狂わせたとしても、結果は敗北だった。

 しかし、この舞台で只ならぬ出来事が起こったことを、観客は理解した。
 Valkyrieというユニットの強さを、気高さを、素晴らしさを。

 夏の夜。涼しいとは言えないが、昼間に比べれば幾分かは気温も下がった屋上で、英智は仄かな風を感じながら座り込んでいた。今の今まで、英智はたった一人で第二戦を再現していたのだ、何度も何度も。桃李と弓弦が無事に家に到着したことを告げた渉に、英智は興奮した様子で話し始める。

「この指の角度! わかるかい! 何で思いつかなかったのかなぁ、すごいね!」

 先程の戦いを、肉眼で捉えたValkyrieを幾度となく再生した英智は習得した振り付けを渉に見せ、美しいメロディを口ずさむ。

「これ、この音節! 痺れるよねぇ、たしかにこの音程こそが最適解だ! これは彼女が、名波哥夏が、美雪ちゃんが決めたのかな? それとも二人で話し合って決めたのかな? ああ、どちらにしても、凄いな。凄い、凄い、羨ましい、羨ましい、ずるい」
「……英智」

 闇を帯びた瞳になった英智は正気ではなかった。渉が話しかけても反応を示さない。
 英智の目には見えないはずの光景が広がっていた。そこに宗は居ないのに、宗の隣に、彼に寄り添うようにして立つ美雪が見える。彼女の手を取った宗が愛おしそうに微笑んだ途端、英智はぎりっと爪を噛んだ。

「どうしよう、どうしたら彼女を斎宮くんから引き剥がせるかな? どうしたら僕のものになってくれるかな? ああもう、彼女が氷室じゃなきゃ、今すぐにでも天祥院の力で奪えるのに。いいなぁ、斎宮くん。いいなあ、いいなあ。なんで美雪ちゃんは僕じゃなくて斎宮くんを選ぶんだろう。なんで僕は斎宮くんじゃないんだろう」
「英智!」

 一際強く呼びかけられた英智は我を取り戻し、珍しく眉間に皺を寄せている渉を見てフゥと息を吐いた。宗と美雪の幻覚も消えている。

「……あぁ、ごめんね。ちょっと、興奮していたみたいだ」

 体の緊張が解けたのか、英智はふらりと揺れる。渉は彼を支えるようにして肩を持ち、英智は渉にもたれかかった。夜空に瞬く星を見上げていた英智と渉は校門に人影があることに気づく。

「あれは、美雪さんですね」
「……送迎の車か」
「ああ、彼女もご令嬢でしたっけ」

 彼女の登下校の様子を見たことがない英智と渉は、遠くからまじまじと観察した。
 美雪は執事と思わしき男性と一言二言交わしたかと思えばすぐに車に乗り込んだ。勿論、二人の距離からは何を話していたのかは聞き取れない。

「七夕祭、観ていたんですねぇ」
「うん、居たよ」
「おや。気づいていたんですか? どの辺りに?」
「上手寄りの真ん中。斎宮くんばっか見てた。……斎宮くんしか、見えてないみたいだった」
「それはそれは。妬けてしまいますねぇ」
「本当に。……あぁ、悔しい」

 英智は制服のズボンを握りしめた。
 氷室の送迎車はそのまま静かに夢ノ咲学院から去って行った。

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