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 手芸部室の宗が設置したベッドに横たわり昼寝をしている美雪に、一つの忍び寄る影。
 男はデュベを剥ぎ取ると美雪の甘い香りを堪能し、可憐な寝姿をパシャリ、パシャリと手元のカメラで次々に盗撮していった。くねくねと身を捩りながら、奇妙なポーズでシャッターを押している。

「ああ、今日も可愛い……僕の氷室……君のために僕は夏休み中、夜鍋して衣装を作り上げた……! 世界に一枚だけの完璧な衣装だ! 色違いも用意したからね、君にはどんな色も似合うだろうから。ふふふ……僕の祖母と母のドレスや、姉がもう着ないと言って放り投げたワンピースも何着か手直しをして仕上げたのだよ……ああ、氷室っ、氷室! 僕の麗しのワルキューレよ! 君が満足するだけのドレスを用意したからねッ」

 宗は何着も用意した美雪のためのドレスを腕に抱いて手触りを確認すると満足気に頷いて、机の上に慎重に、皺にならないよう丁寧に置いた。ベッドの上の美雪を愛おしそうに見つめ、一歩ずつ迫っていく。

「……今、着替えさせてあげるよ。大丈夫、なるべく君の素肌を見ないようにするからね……ああ、白くて滑らかな肌だ……僕だけに見せてくれると、とても有難いのだけれど……美しいよ、氷室。君はきっと、一糸纏わぬ姿になっても可愛いんだろうね。はぁ……綺麗な鎖骨だね……口付けたい。嫌われてしまうかな……でも、ごめんね、氷室。すまない、僕はもう、自分を抑えることができないッ……哀れな僕を、どうか見放さないでくれ。全ては君が可愛すぎるせいなのだから……!」
「──お、おお、おおお……お師さん……?」
「む?」

 制服のリボンをしゅるり、と解き釦を一つ一つ丁寧に外して美雪の首筋にすり寄っている宗の後ろで、みかはドサリと荷物を取り落としてわなわなと震えていた。紙袋の中には宗がお使いを頼んだ布やらクロワッサンやらが入っている。宗は「乱雑に扱って……まったく」と痛む頭を抑えた。

「お、お師さんっ……そ、それはアカンよ……それはアカンって! そこまで行くともう、……変態やでっ⁉」
「五月蠅いね、罵倒の語彙も少ないのか、君は。……はぁ、折角氷室と二人きりになれたと思ったのに……影片、目を瞑り給え。君に氷室の眩い肌を見せるわけにはいかない」
「んああ……」

 みかは慌てて自分の目を隠した。指の隙間から、宗が美雪のシャツの釦を閉めている様をチラリと盗み見る。

(あかん……お師さん、まじの変態になったかもしれん……おれとなずな兄ィの着替えを手伝うのは当たり前やったし、メンテナンスもあるから体は触られ慣れてるけど……お、女の子の体を、お師さんが触るって……!)

 キャーッとクラスの友達のように頬を染めたみかはブンブン首を振った。

(お師さん、そういう意味で美雪ちゃんのこと好きなんかな……美雪ちゃんがお人形さんみたいやから、ちょっと自制が利かなくなってるだけなん……? でも、美雪ちゃんとお師さんが結婚ってなったら…………ん? ごっつめでたいな?)

 考えている内に二人がお似合いなのではないかという結論に至ったみかは、いつになく真剣な表情で顔をあげる。

(寧ろお師さんの結婚相手とか美雪ちゃん以外に有り得るんか? いや、有り得へんやろ。二人は似たもの同士でValkyrieの創造主! えっと、なんやっけ、難しいからちゃんと覚えておらんけど、アダムとイヴみたいなもんや! 神様と女神様や! 話し合いの最中も夫婦みたいに寄り添ってるもんなぁ。なんや、なんやぁ、そうだったんやぁ……! お師さん、美雪ちゃんのこと好きなんや! ライクやのうて、ラブの意味で……!)

「あ、でもなお師さん? コンゼンコウショウ? は、あんまよくないと思うで……?」
「何を言っているのかね、君は」

 突然とんでもないことを抜かしたみかに、宗は眉間に皺を寄せてピシャリと吐き捨てた。
 みかが来たために美雪を着せ替え人形にすることができなくなった宗は、用意した衣装たちをハンガーにかけて丁重に片づけていく。みかは落としてしまった紙袋を慌てて拾い上げ、机に一つ一つ取り出して並べていった。

「えーっと、これが新しい布と、レースと、あとお師さんの好物のクロワッサンやで〜♪」
「チッ。君が乱暴にするから少し欠けてしまっているじゃあないか」
「んああっ、ごめん!」
「まったく……氷室の分は? ちゃんと買って来たのかね? ……僕が作ってもよかったのだけど、氷室が求めているのは食堂や購買部に並ぶような一般的なものだ。僕が作ったものはその範疇にないだろう」

 今日は『Valkyrieの日』、ではなく、特別な一日だった。
 食にあまり興味のない美雪だったが、家の者の作るものばかりを口にしているという理由で珍しく宗やみかが食べているものに興味を示したのだ。そのとき彼等が食べていたものは購買部で購入したクロワッサンと、同じく購買部で購入したお好み焼き(ハーフ)だった。

「美雪ちゃん、食べられるもん少ないからなぁ〜……取り敢えずコンビニにも売ってるようなゼリーと、あとクラムチャウダーにしたで。これならジャガイモもアサリも小っちゃいし、ごっくんするのも楽やと思って♪」
「……ふむ、まあ購買部ならこれくらいが及第点だろうね。クラムチャウダーはしっかり温めてきたかね?」
「おん! ばっちりやで〜」
「よし」

 頷いた宗はベッドで丸くなっている美雪に歩み寄るとツンツンと肩を突いた。

「氷室、食事の用意ができたよ。すまないね、僕の作業が落ち着くのを待ってもらってしまって……お陰で昼時を少し過ぎてしまった、反省している。時間配分を間違えないようにするよ。……おや、氷室? 氷室〜? ……まだお眠なのかな。無理に起こすのは忍びないけれど、栄養はしっかり取らないと倒れてしまうからね。辛抱して目を覚ましてくれないか。君の瞳に、僕を映してくれ……」
「……全然起きへんなぁ?」

 Valkyrie二人はベッドの傍らに並んで少女の目覚めを待っているが、美雪は変わらずすぅすぅと寝息を立てている。寝かしてあげたい気持ちを押し殺し、宗はトントンと軽く叩いてみる。

「……駄目だね。良い夢でも見ているのだろうか」
「……あっ、もしかして」
「何かね」
「……目覚めのキッスがいるんちゃう?」
「な、何を馬鹿なことを……今までだって普通に起きていただろう」
「急に魔女の呪いにかかったんやない?」
「誰だ、僕の氷室に呪いなんてかけたのは! 小僧か? 青葉か? あの似非魔法使い共め……! 今すぐ解かせてやる!」
「呪いかけたの確定なんやったら『似非』って言うのやめたって……⁉ それは普通に理不尽やって!」

 支離滅裂な怒りのままに部屋を出てSwitchに殴り込もうとする宗をみかが必死に止めていると、その騒ぎで目が覚めたらしい美雪がむくりと体を起こした。宗はすぐさま美雪の元に駆け寄って顔色を窺う。

「ああ、よかった。呪いは解けたんだね」
「…………? 何の話ですか?」
「あ、あんま気にせんといて〜……」

 美雪が起きたところで、三人は早速食事をとることにした。宗がお茶を淹れてくる間にみかが机周りを整え、食事を並べる。その間に美雪はデュベを畳んでシーツの皺を伸ばし、ベッドを綺麗に整えた。それぞれの支度を終えると、三人は席に着く。

 一斉に食べ始めたはずだが一口が小さく、食べるスピードもゆっくりな美雪は二人が食べ終わってもまだクラムチャウダーをちびちびとスプーンで掬って食べていた。宗は微笑みながらその様を見つめている。みかは美雪が「食べきれないから」と言って寄越した葡萄味のゼリーの蓋を開けてはぐはぐと食べていた。

「ああ……氷室が食事をしている」
「……そりゃするやろ」
「可愛いね……君は何をしていても可愛い……」

 恍惚とした表情で美雪の食事風景を眺めている宗を見たみかは、ふとクラスメイトで友人でもある嵐が「今日も椚先生が呼吸してるわァ……♪」と言っていたことを思い出した。好きな人が生きているだけで幸福を感じられる人もいるのだろう、とみかは自己完結する。しかし流石にじっと見られているのは美雪も堪えるらしい。

「……あの、食べ辛いんですが」
「気にしないでくれたまえ。これは僕の性だから」
「……気になります。……私のことは置いて、作業に戻ってください」
「そう言わずに。見守らせてくれ」
「…………」
「どうした、手を止めて……もうお腹がいっぱいなのか? ……ああ、まだ半分も残っているじゃあないか。食べられる量が少なくても良い、食べるスピードがゆっくりでも良い。ただ、倒れない程度に栄養は取ってくれ。心配なんだよ……ああ、僕が食べさせてあげようか♪ 懐かしいな、仁兎にも食べさせてあげたことがあってね……」

 宗が『仁兎なずな』の名前を出した途端、美雪は今日一番の大きな一口でクラムチャウダーを食べた。茫然とその様子を見たみかだったが、ふと彼女の眉間に小さな皺が寄っていることに気が付き、「あれ……? 自分で食べるのかね? 残念だ……」と言っている宗を余所にハッとする。

(七夕で泣いたときも、原因はなずな兄ィやったよね……? もしかして美雪ちゃんも、お師さんのこと……! 美雪ちゃん、なずな兄ィにやきもち妬いてるんやない……⁉ これは世紀の大発見や!)

 なんでもかんでも「それは、恋よ!」と決めつける友達の癖がうつったのだろうか。みかは二人が相思相愛なのだと思い込んでニコニコ笑ってウンウン頷いた。

「失礼します!」
「今すぐ帰れ」
「ええっ⁉ まだ要件も伝えていないがっ?」

 突然バンッと扉を開けて現れた暑苦しい男をキッと睨んだ宗は出て行くよう言いつけた。それに対してぎょっとしているのは守沢千秋。流星隊のリーダーだ。

「氷室がまだ食事中だ。騒がしくしたら可哀想だろう。外で待っていたまえ」
「う、うむ。了解した……因みにどれくらいかかりそうだ?」
「そうだね……あと三十分かな」
「長くないか⁉」
「文句を言うな。お行儀よく待てないなら君を蝋人形にするよ」
「蠟人形にされたとしても! 俺は内なる炎で自身の蝋を熔かしてみせよう!」
「そうしたら、ちあきが『どろどろ』になって、しんでしまいますよ〜」

 千秋の横から深海奏汰がヌッと顔を出す。彼の台詞で千秋は自分の考えが誤っていたことに気が付く。

「ハッ! そうか、蠟人形は全身が蝋なのか! それでは死んでしまうな! あっはっは☆」
「間抜けめ……奏汰、君も一緒だったのかね」
「はい〜。いまは『おとりこみちゅう』だったんですね〜。では、また『のちほど』うかがいます〜」

 水中に揺蕩うクラゲのように返事をした奏汰は、見た目以上に発揮される腕力で千秋を引っ張って手芸部室を去って行った。

「すまないね、氷室。騒がしくしてしまって」
「……いえ」
「おお、あともう少しで完食しそうだね。……最後の一口くらい、僕が食べさせても良いかな?」
「……自分で食べます」
「な、何故……⁉」
「……仁兎なずなと私を一緒にしないでください」
「や、やっぱりそうなんやね⁉」
「……影片先輩?」
「あ、ご、ごめん」

 無事クラムチャウダーを食べ終えた美雪は、家から用意された大量のサプリメントを一粒ずつ飲んでいった。固形のサプリは異物感が強いのだろう、美雪はきゅっと目を瞑りながら一生懸命取り込んでいた。その表情があまりに可愛く見えた宗が再び盗撮をしているのを見て、みかは苦笑いを浮かべた。

「待たせたね」
「おっ、思ったよりも早かったな! では今度こそ失礼する!」

 手芸部室前の廊下で並んでしゃがみ込んでいた千秋と奏汰は、宗に招かれて部室に入った。ユニット同士の話し合いの場に自分が居ても良いのか悩んでいる美雪がきょろきょろと辺りを見渡していると、宗が「氷室、こっちにおいで」と自分の隣の席を示した。

「ほら、ぬいぐるみさんと絵本だ、遊んでいなさい。マドモアゼルも貸してあげよう、優しく触ってあげるんだよ」
「…………」

 椅子に座った美雪の前に、宗はマドモアゼル、クマとウサギのぬいぐるみを置き、絵本を二冊並べた。美雪は乏しい表情ながらも戸惑った様子で宗の横顔と玩具たちを交互に見つめ、やがてぬいぐるみをじっと眺める。

「……斎宮、お前は氷室のことを幼女だと思っていないか?」

 そのやり取りに失笑した千秋が宗に物申したが、宗は「氷室はずっと可愛い子だろう」と真面に取り合わなかった。千秋は美雪がぬいぐるみで静かに遊び始めたのを見届け、「まぁ、彼女が良いなら良いのか……?」と呟いてからわざとらしく咳き込み、本題を話し始める。

「この間も話した流星祭の件なんだが」
「またその話かね……衣装はまだ製作途中。そして僕は、参加は断ったはずだけど?」
「ああ! だがもう一度勧誘に来た!」
「はぁ……諦めの悪いことだ」

 流星祭の話をしている横で、美雪はクマのぬいぐるみの手を持って遊んでいる。ウサギのぬいぐるみを視界に入れると、両耳をぐっと掴んで兎猟師のように持ち上げた。隣に座っているみかがぎょっとして(ウサギさんに恨みでもあるんか……ハッ、もしかしてなずな兄ィ⁉)と過激な妄想をして震える。

「僕は人混みが嫌いなのだがね」
「いいじゃないですか〜。『たなばたまつり』ではけっきょく、『やたいめし』をたべなかったですし……」
「あんな栄養価の低いものを食べたいとは思わないけれど?」
「そんなこといわずに〜」

 乗り気になれず何を言われても突っぱねている宗をやる気にすることはできないか、と千秋は彼の横に座ってぬいぐるみ遊びをしている美雪に目をやる。

「そういえば、氷室はお祭りに行ったことはあるのか?」
「……ないです」
「そうか! どうだ、行ってみたくないか?」
「止せ。この子は色んな音を拾ってしまう。僕以上に人混みが苦手なのだよ」
「そうなのか?」
「少し前にゲームセンターへ行ったとき、かなり困惑している様子だったからね。あそこはガチャガチャと喧しい音楽があちこち流れているから……あのときは影片に耳栓を買ってこさせたから大事には至らなかったけど」
「ゲームセンター……氷室が? なんだかミスマッチな気がするんだが……」
「ああ。行ってみたいとこの子自身が言ったからね」

 千秋が美雪を確認すると、彼女はクマのぬいぐるみを膝に置き、世界にたった一つしか存在しない宝石のような目でじっと千秋を見ていた。透き通る瞳で心まで見透かられそうだと思った千秋はドキマギしながら見つめ返す。

「『やたいめし』、おいしいですよ〜」
「この子は食に興味はないよ」
「あれ、そうなんですか〜? 『わたあめ』とか『たこやき』とか、おいしいのに〜」
「たこ焼き! ええなぁ〜」
「……影片」
「あっ、ごめん……!」

 奏汰が美雪の興味を引き、宗が「参加する」と言うよう会話に乗っかるが、宗はたこ焼きに反応したみかを一睨みして「余計なことを言うな」と素っ気ない。
 同じ五奇人として彼と過ごしてきた奏汰はある程度宗の扱いにも慣れている。違う角度から攻めてみるか、とのんびり発言した。

「美雪さんは、『ゆかた』をきたことは、ありますか〜?」
「……ないです」
「ですって、しゅう」
「……何故僕に話を振る」
「だって、ふふ。みたくないですか? 美雪さんの『ゆかたすがた』」
「氷室の、浴衣姿っ……?」

 想像もしていなかった奏汰の言葉に、宗の脳内で繰り広げられる妄想。
 浴衣に身を包んだ美雪が花火を見上げている光景。髪が結い上げられ、項が見える。

「ああっ、駄目だよ氷室ッ! そんなッ……破廉恥な!」
「……?」
「あ、今お師さんの中で物凄い空想が浮かび上がってるだけやから気にせんといてなぁ〜」

 ガタッと立ち上がって顔を真っ赤にしながら頭を振り乱している宗を見上げる美雪に、みかがフォローを入れた。前に座っている千秋も彼の奇行に若干引いている。

「おっほん……良いだろう、守沢。流星祭に参加してやらんこともない」
「おおっ、本当か! やったな奏汰! 流星隊とValkyrieの合同ライブが実現するぞ!」
「うわ〜い……♪ やりましたね、しゅう。いっしょにがんばりましょう♪」
「ああもう、君たちに頼まれた衣装に加えて僕たちのものも用意しなければならないし、氷室のために浴衣も準備しなければ……ああ、忙しい。君たち、早く出て行きたまえ。横をうろちょろされては集中できないのだよ」

 そうと決まれば、と宗はブツブツと独り言を零し、千秋たちにシッシッと手で払う仕草をした。「えぇ……」とぼやきながらも千秋は渋々腰をあげて扉に向かった。奏汰も続き、みかも「おれもかな……」と思いながらそろ〜っと出て行こうとしたため、美雪もちょこちょことその後に続いた。それを宗が慌てて引き留める。

「氷室! 君は行かなくて良いからねっ。君は静かに僕の横で遊んでいるか、曲を作っていればいいのだよ。……僕は愛らしい君を見ているだけでインスピレーションが沸き上がる。そして君も、僕の舞台を観ることで刺激になるだろう。僕たちだけで永久機関が成立してる。ああ、なんて素晴らしい……これは神の祝福だな」

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