15

「……暑気払い。猛暑を喧嘩神輿で吹き飛ばそう。汗と汗、筋肉と筋肉、男と男のぶつかりあい。ワッショイワッショイ祭。…………不思議な名前のお祭りですね?」
「そういう感想は待っていない」

 夏休みもあと少しで終わりを迎える時期に、fineと紅月の非公式ドリフェスが開催される。通称・喧嘩祭。それの正式名称を紅郎から聞いた敬人は卒倒するかと思った。敬人は企画を考えたというあんずを問い詰め、計画のどこが足りていない・ここが駄目だと指導をし、こうして喧嘩祭で曲を書いてくれることになった美雪に『紅月の日』を設けて企画内容を伝えている最中だった。

「……? そうなんですか? お祭りは、今度はじめて行くので、あまり知らなくて……こういうお祭りも、あるのかと思ったんですが……」
「こんな祭りがあって堪るか……」

 のほほんとしたゆる〜い返ししかしない浮世離れした彼女に敬人はため息を吐いて口癖を零した。

「……今度、祭りに行くのか。誰と行くのか知らないが、はぐれないようにな。お前はよく道に迷っていると聞く」
「……はい。頑張ります」
「はぐれないようにするのに『頑張る』も何もないと思うが……まぁ気をつけるようにな」

 忠告と助言をした敬人はぽんぽん、と美雪の頭を撫でて稽古に向かう。
 負ければ紅月が解散しなければならないこの局面で、美雪はどちらにつくということはせずに中立の立場で作曲をしていた。美雪にとって紅月は解散するには惜しいユニットではあるが、企画内容を見て根詰めて手助けするまでもなく紅月が勝つだろうという確信を持っていたのだ。喧嘩祭は和を基調としたものだ、明らかに紅月に利がある。それに加えて、fineが海外ツアーで連日忙しそうに飛び回ってはライブをしていることを美雪も把握していた。紅月は比較的充分な時間を使って喧嘩祭に臨むことができる。

 稽古をしている紅月三人の様子を眺めた美雪は五線紙を取り出してメロディを描き始める。するり、するりと筆を走らせ、あっという間に一曲を完成させた。

「……できました、主旋律だけですけど」
「早いな⁉」
「……紅月は、書きやすいので」
「氷室殿は個性の強い『ゆにっと』と相性が良いのかもしれんな。『う゛ぁるきゅりぃ』も他の『ゆにっと』にはない、独創的な世界観がある」
「俺ら紅月も、突出して曲調に癖があるからな」

 三人は稽古を中断し、敬人が美雪から楽譜を受け取った。二人は敬人の左右から顔を出して楽譜を覗き込む。まだ主旋律のみの段階の楽譜はこれから更に付け加えられ、そして完成する。

 敬人からの「俺を主旋律にして……鬼龍と神崎と掛け合いをしたい」という要望を聞いた美雪は、一先ず音楽科に戻ってほぼ自分専用と化している部屋で作曲を進めようと思った。紅月の先輩三人に挨拶をして別れる。

 アイドル科の校門に向かって歩いている最中、美雪は見覚えのある『足』を見つけた。どうやら彼はまた木陰で寝転んでいるらしい。八月の下旬ではあるがまだまだ気温は高く、猛暑日になる日もある。

「……凛月先輩」
「……ん? あー、えっと……」
「……美雪です、氷室美雪。音楽科の一年生です」
「あー、そうだった。アンタ、この前名乗らずに消えちゃったからさ。あの後、ナッちゃんに教えて貰ったんだよ、作曲家だって」

 美雪に声をかけられ、凛月は額にへばりつく髪の毛を鬱陶しそうに払いながら起き上がった。凛月は美雪がこの間と同じトートバッグを持ち、その中にスケッチブックが入っていることに気が付くとニッと笑う。

「……ね。この前、俺のこと描いてたでしょ」
「……はい」
「見せてよ♪」
「……」
「勝手にモデルにされたんだから見る権利くらいあるでしょ〜?」
「……はい」

 凛月の言うことは尤もだと思った美雪は大人しくスケッチブックを取り出して凛月に差し出す。受け取った凛月は、この間美雪が歌っていたメロディを口ずさみながらスケッチブックを開いた。

「……覚えたんですか?」
「ん〜? そ、覚えてあげたの。Knightsは『王さま』がその場で即興曲作って振り回されるから、一回聞いただけの曲を歌うのなんて御茶の子さいさい♪」
「……『王さま』?」

 間違えることなく一回聞いただけの美雪の音楽を歌ってみせた凛月に、美雪は目を丸くして尋ねる。凛月はスケッチブックに描かれた風景画を「ふぅん。うまいじゃん」とパラパラ捲って、鉛筆の線ひとつひとつをじっくり観察する。

「俺達の作曲家。今は居ないし、どこほっつき歩いてるんだか知らないけどね〜……あ、でも最近は目撃情報があるんだっけ。セッちゃんが鬼みたいな顔しながら探してるって聞いたかも」
「……Knightsの、作曲家。……月永レオ、先輩」
「……へぇ、名前知ってるんだ」

 ぽつりぽつりと美雪が零した単語に、凛月は眠たそうに目を細める。

「……はい。……この間、見かけました」
「え、いつ? どこで?」
「……MaMのコンサートに、出ていました」
「何それ……俺達にも教えれば良いのに」

 Knightsを置いてMaMのコンサートに出たというレオに凛月も思うところがあるのか、少し眉をひそめた。ハァ、とため息をついてスケッチブックを捲り、次のページを見る。

「──あ、俺だ」

 草むらで眠っている自分の絵を見た凛月は、ニッと笑って満足そうに眺めている。

「天は二物を与えないって言うけど、嘘だね。アンタは絵も上手いし作曲のセンスもある。……ああ、可愛い顔もしてるから、二物どころか三物か。声も綺麗だし……きっと血も甘い。ふふ、四物五物……♪」

 凛月は不気味に笑うとスケッチブックを閉じて横に置き、ズイと美雪に迫った。

「この前は興が削がれちゃったから吸えなかったけど……今度こそ齧っていい?」
「……痛いですか?」
「ん〜? まぁちょっとはね、肌に傷をつけるわけだし……でも大丈夫、舐めときゃ治るよ。俺の唾液に治癒機能なんてご都合主義みたいなもんは備えつけられてないから時間はかかるだろうけど。……相性良いとね、吸われるのが気持ちよくなるんだって♪」

 凛月は美雪の手首を掴むと、そのまま草むらに押し倒した。今にも襲われそうになっているというのに美雪は茫然と凛月を見上げているだけ。騒ぎ立てない彼女に気分を良くした凛月はペロリと唇を舐めた。

「確認してみようよ、俺と美雪のカラダの相性……♪」
「……?」
「どこから吸おっかな〜……無難に首筋? 希望はある?」
「……痛くない場所が、いいです」
「ん〜、痛くないねぇ……脂肪が多いとこなら多少は痛くないはずだけど……ガリガリだからやわらかいところが少ないなぁ」

 凛月はごそごそと美雪の体をまさぐりながら吸う場所を探している。シャツ越しに伝わってくる美雪の体の薄さに頭を悩ませ、お腹に指を滑らせた。

「お腹にしとく?」
「……」
「それか、胸?」
「……人前で、肌は……見せるものではないと」
「え〜、脱がないと吸えないじゃん」
「……そうなんですか?」
「んー、どうしてもって言うなら妥協して指とかでも良いけど」
「……指は、駄目です」
「なんで?」
「……曲が、作れなくなっちゃう、から」
「あぁ……作曲家は腕が使えなくなったら困るもんね。じゃあ二の腕も駄目かぁ……やわっこくて良いのに」
「……太股はどうですか?」
「え」
「……だめですか?」
「…………アンタ、マジで言ってる?」

 スカート捲って太ももを見せて来た美雪を信じられないものでも見るような目で見下ろした凛月は、その肌の白さに唾を飲む。ごきゅりと喉が鳴った。

「……?」
「うわぁ……すご。子どもの作り方も知らない高校生って本当にいるんだ……都市伝説かと思ってた」
「……子ども……精子と卵子がくっついて、受精卵になって着床すると」
「受精するために男と女が何するか、わかってないでしょ?」
「……何か、特別なことをするんですか?」

 凛月はうっそりと笑って、美雪の太ももに手を滑らせる。

「──教えてあげよっか?」
「……あっ、……ぅ?」

 グイ、と太ももを持ち上げた凛月は舌を這わせて吸い付いた。美雪はスカートが捲れて下着が見えてしまわないように必死に抑えている。凛月が牙を立てると、甘美な血液がぷっくりと現れた。ガーネットのようなそれを大切に舐め取った凛月は舌の上で堪能してから飲み干す。

「あー、おいし……♪ 甘い匂いがする乙女からは、甘い血が流れるんだねぇ……桃の果汁みたい。……ね、もう一口いい? っていうか傷口から出てきちゃってるから舐めるね」
「…………っ、ん、ぅ」
「ンフフ……かぁわいいねぇ、お前……♪ いいよぉ、もぉっと可愛がってあげる……」

 傍から見れば、アイドル科の男子生徒が他学科の女子生徒を襲っている図だ。凛月は美雪の太ももに顔を埋めてペロペロと犬のように舐めしゃぶっている。

「あ、凛月先輩! やっと見つけましたよ……今日はKnightsのLessonなんですから、来てもらわないと困って──ぴゃ、ぴゃぁああああああああああッ⁉」
「ん〜? ……ああ、ス〜ちゃんか。なあに? 五月蠅いんだけど。今いいところなんだから邪魔しないでくれ」
「は、ははははは破廉恥なッ! 何をしているんですか、この変質者ーッ!」
「いっっった……⁉」

 そこに通りかかった赤い髪のアイドル科の一年生・朱桜司。彼はその光景をそのまま受け取り、同じユニットの先輩である凛月が不純な行為をしているのだと勘違いをしてバチコーン、と凛月の頭を殴った。凛月はいつも苛ついている泉のように目を吊り上げて振り返る。

「ちょっと末っ子。先輩に手ぇ上げて良いと思ってんの……?」
「Idiot! お馬鹿! Stupid! このすっとこどっこい!」
「英語と日本語が入り交じった罵倒をしないでくれる〜……? キャンキャン五月蠅いなぁ、もう」
「気づいたのが私でまだ良かったですよ! まったく! こんなところで、じょ、じょ、女性と懇ろになるとは! まったく、恥知らずにも程があります、まったく!」

 司は怒りと動揺で語彙力が低下しているらしい。ぷんすこ怒っている彼を面倒臭そうに見た凛月は美雪にベタベタくっつきながら寝そべる。

「ス〜ちゃん、まったくまったくうるさぁ〜い……」
「ああっ⁉ ちょ、ちょっと! その女性から離れなさい、Devil!」
「俺は悪魔じゃなくて吸血鬼〜……」
「同じようなもんでしょう!」
「はぁ? 別物だし」

 司は凛月の脚を引っ張り、凛月は美雪にしがみつき、美雪は茫然と二人の様子を見ている。バチッと美雪と目が合った司はその美貌に「びゅ……beautiful」と凛月の脚を取り落とした。その痛みに抗議をする凛月を置いて、司は美雪の前に膝をつく。

「可愛らしいLady、私が来たからにはもう安心です。この朱桜司が、貴女のKnightとしてありとあらゆる外敵から守ってみせましょう」

 白い手を取り、甲にチュと口づけをした司は騎士のようにふわりと微笑んだ。

「……俺だってKnightsなんだけど」
「五月蠅いですよ、Devil。貴方には失望しました」
「はぁ〜?」
「野外で女性に手を出すなんて……騎士のすることではありませんよ! 私、もう凛月先輩を先輩として扱えないかもしれません!」
「別にいいけどさぁ……」

 ふわぁ、と欠伸をした凛月は司の相手が面倒になったのか、ゴロンとその場に転がった。司は「失礼」と言って美雪の乱れたスカートと髪を整える。

「さあ、お手をどうぞ。……大丈夫ですか? 怖かったでしょう……すみません、うちの先輩が」
「……いえ」
「美しいお嬢さん。お名前を伺っても宜しいですか?」
「……氷室美雪」
「……Pardon?」
「…………氷室、美雪」

 美雪の名前を聞いた途端、司はサァと青ざめて後ずさりをした。聞き直しても名前に変化はない。司は自分の勘違いであって欲しい、思い込みであって欲しいと願いながら聞く。

「その……氷室というのは……財閥の?」
「……そう、らしいね」
「な、なんという…………んん? 私の記憶が正しければ、『あの方』に妹さんは居なかったような……えっと、同姓の分家ということではなく? 本家で間違いありませんか?」
「……たぶん、本家っていうのだと思う。お兄様の名前は氷室豊だよ」
「Jesus christ! 氷室財閥の令嬢だったなんて……!」

 司は顔面蒼白で膝をつき、頭を抱えて「No……No……!」と叫んでいる。美雪は不思議そうな顔で彼を見下ろし、凛月は鬱陶しそうに薄目を開けた。

「何なの、ス〜ちゃん」
「誰のせいで私がこんなに慌てふためいていると思っているんですか! 彼女はあの『氷室豊』の妹なんですよ⁉ 天祥院のお兄様くらいしか対等に話すことは許されない『あの方』の機嫌を損ねたら、妹様に手を出したなんて知られたら……! Knightsは終わりです! 朱桜の力で何とか持ちこたえることはできるかもしれませんが、天祥院のお兄様の力をお借りしなければ無傷では済まないと思った方が良いですよっ」
「……美雪ってお嬢様なの?」
「……一応、そうです」
「へぇ」
「何を暢気に話しているんですかぁ!」
「だって合意の上だったし。ねぇ、美雪?」

 凛月は頬杖をついて美雪に話しかける。『合意』という単語にぎょっと飛び退いた司は凛月と美雪の顔を間抜けにも交互に見た。

「……そうですね」
「そうなんですか⁉ ごごご、合意⁉」
「やぁだ、何想像してるの〜? ス〜ちゃんのえっち。血を貰ってただけだよ」
「あんなところから血を吸わないでくださいっ!」
「それは美雪が望んだことだから」
「ぎょッ⁉」

 司は絵画の『ムンクの叫び』のように両頬に手をついて阿鼻叫喚といった様だ。
 美雪は以前知り合ったばかりの桃李が司と似たように怯えていたことを思い出していた。外の世界を知らない美雪は、自分の兄と呼ぶべき人物がどうしてそこまで怖がられているのか理解できていない。

「……どうして、私のお兄様は、怖がられているんだろう。姫宮くんも、怖がっていた……朱桜くんは、知ってる?」
「えっ……そ、それは……オーラのせいでしょうか。彼は社交界でもとても……異質な存在で。……氷室は天祥院と肩を並べることのできる唯一の財閥といっても過言ではありませんから、近寄りがたい人ではありました」
「……天祥院先輩と? そうなんだ……氷室は、そういう家なんだね。そう……だから」
「…………あの、本当に豊様の妹なんですよね?」

 あまりにも財界のことを知らなすぎる・自分の家のことすら把握していない美雪の様子に、司は訝し気に尋ねる。

「……うん。あの人は、私が『お兄様』と、外で呼ばなきゃいけない人」
「……?」
「……朱桜くん。私、今日のことはお兄様に報告したりしないから。だから朱桜くんも、私と会ったことを、お兄様に言わないで」
「? は、はい。わかりました……?」

 戸惑いながらも了承した司を見た美雪はフッと目を伏せて芝生に置いていたトートバッグとヴァイオリンケースを持って立ち上がった。
 風が司と凛月、美雪の頬を撫でる。

「……そろそろ、音楽科に戻らないと。……さようなら」
「え、あ、はい。お気をつけて……」
「じゃあね〜」

 凛月は寝そべったまま、去っていく美雪の背中に手を振った。美雪は振り返らずに、背筋をピンと伸ばして迷いのない脚で進んでいく。

(……『お兄様』と、外で呼ばなきゃいけない人? 自分と会ったことを言わないで欲しい、とはどういうことなのでしょうか……彼女は本当に、『あの方』の妹なんでしょうか……)

 司はアメジストの瞳を細めて、じっと美雪の背中を見つめた。

(……髪の色も、目の色も、『あの方』とは違う。社交界で私は、彼女を見たこともない)

 考えすぎか、と司は頭を振って、いまだに寝転んでいる凛月の背中を叩いた。

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