16

 サマーライブから暫くして、夢ノ咲学院内でTrickstarがライブを行うと小耳に挟んだ日和はアポを取ることもせずに校門をくぐって生徒会室の扉を叩いた。英智は突然の奇襲に戸惑うも、穏やかにかつての仲間とお茶をしようと準備を進めた。

 一方、日和と同じようにTrickstarを目的に秀越学園からやってきた凪砂は広場を彷徨っていたところをつむぎに保護され、彼と共に生徒会室を目指した。

「失礼しま〜す」
「んん? あれっ、つむぎ……。ど、どうしたんだい? 生徒会室に何か用事?」
「何でちょっと挙動不審になってるんですか、英智くん? 俺じゃなくて、何か凪砂くんがいたので案内してきました!」
「凪砂くん? 凪砂くんがいるの? うわぁっ、これは良い日和……☆」

 生徒会室には図らずも、かつて革命を起こし、夢ノ咲学院を支配した旧fineが集結した。
 日和は偶然出会えた凪砂に近寄ってぎゅうぎゅうとハグをする。凪砂は微笑んでそれを受け入れ、隣に立つつむぎは部屋に居た日和に目を剥いた。

「あれっ、日和くん⁉ 何でいるんですか、今日ってもしかしてかつての『fine』の同窓会か何かでしたか? お、俺には何の連絡もなかったんですけど……!」
「いやいや。たまたまの偶然だよ、たぶんね。すくなくとも僕が予定していたことじゃない」

 ショックを受けているつむぎに英智は弁解をする。生徒会室の入口の前でハグをし合っている旧fineの二枚看板と、立ち尽くしているつむぎを中に促した。

「ちょうどお茶を用意したところだ、飲みながら旧交を温めあおう。せいぜい楽しく、思い出話に花を咲かせようか」
「え〜? それも暗くなっちゃいそうで嫌だね! それよりもっと愛のある明るいトークをしようっ、ジュンくんが拾ってきちゃった子犬をこっそり育ててる話とか!」

 英智が人数分のお茶を用意し、そんな風に雑談を交わす。
 最後には空中分解のような形になってしまった旧fineだったが、こうして再び集い言葉を交わしていると、英智も「良い仲間だった」と少し錯覚してしまう部分もあった。

「今日、『Trickstar』が校内でライブするって小耳に挟んでね! 夏からどの程度、成長したのか見にきたんだね♪」
「……そうそう、『Trickstar』だ。私も、その子たちのライブを見にきた。……これから一緒に仕事をするし、どの程度のものか見定めようかなって」

 話は進み、話題は日和と凪砂が去年までの学び舎に訪れた目的についてに変わる。
 二人の目的を理解した英智は、この場にいる四人でTrickstarのライブに行くことを提案した。

 生徒会室を出た彼らは並んで廊下を進んでいく。かつてもこうして廊下を歩き、英雄だと称える生徒もいたものだ、と感傷に浸っている英智の後ろで、日和がいつもの大きな声を少しばかり抑えて口を開いた。

「……そういえば英智くん、サマーライブのときに女の子を見つけたんだけど」
「ん? あんずちゃんの名前をもう忘れたのかい?」
「いや、そっちじゃなくて。余所の学科の子だね、制服が違ったから」
「……ああ、彼女。……その子がどうかした?」

 英智は敢えて名前を出さずに日和の出方を窺った。振り返って日和を見ると、日和も同じく探るような目で英智を見ていることに気づく。日和が立ち止まる。必然的に、残りの三人も歩みを止めた。

「……彼女、名前は『美雪』で合っている?」
「……うん、そうだよ」

 日和は瞳を動かすことはせずに、視界の端にいる相棒を確認した。今対話をしている天祥院英智という男は、そういった表情の変化に聡い人間だ。
 凪砂は茫然と一点を見て立っているだけで、此方に関心を示している様子はなかった。日和は(……ぼくの杞憂かな)と肩の力を抜いた。

「……いや、なんでもないね」
「ここで話の腰を折られると、余計気になってしまうけど」
「なんでもないったらなんでもないね。可愛い子だったから気になっただけ」
「ふぅん……」

 英智は意味深な流し目で日和を見るが、日和は腕組みをしてそっぽを向いてしまった。これ以上この話をするつもりはない、という彼の意思表示だろう。英智が肩を竦めて進むために足を踏み出そうとすると、隣のつむぎが「──凪砂くん?」と発した。

 突然、凪砂が走り始める。相棒の行動にぎょっとした日和は「凪砂くん⁉ 廊下を走っちゃ危ないね!」と慌てて追いかけるが、身体能力の高い凪砂に追いつくことはできない。

「え、ええっと、何が何やら……俺も追いかけた方が良いですかね?」
「彼は兎に角行動が読めない子だけど……こんなに突拍子もなく走り始めるような子だったかな?」
「さ、さぁ……? あの子のことは最後まで理解しきれませんでしたから」

 良い子のつむぎと病弱の英智は軽くジョギングをするような小走りで追いかける。

「もうっ、ほんとにっ、君ってば足が速いねぇ⁉ 意味がわからない体してるよっ!」

 ぜぇはぁと息をしながら凪砂の後を走る日和が言う。凪砂は閉ざされた幼少期を過ごしておきながら、体には兎に角恵まれていた。

 凪砂の視線の先には可憐な乙女がいた。遠く離れた位置から、彼女に気が付いたのだ。
 魂が叫んでいた。彼女を、凪砂は感じ取った。

「────美雪っ!」

 凪砂の叫び声にも似た呼びかけが廊下に木霊する。
 振り返った美雪の丸い瞳に、記憶の中よりも成長した凪砂の姿がうつった。

「────なぁ、く」

 美雪が名前を呼ぶ前に、凪砂が彼女を抱きしめた。勢いよく飛びつき、腕の中に力強く閉じ込める。衝突にも似た抱擁に美雪はバランスを崩して尻もちをついた。

「……美雪、美雪、美雪。美雪。」

 自分の名前を繰り返し呼ぶ凪砂の声が震えていることに、美雪は気が付いた。

「…………なぁくん? 泣いてる?」

 ふわふわの髪の毛を撫でて問いかける美雪の声に反応した凪砂は顔をあげ、まじまじと美雪を見つめた。眉を下げて瞳を潤ませ、きゅっと唇を噛んで不器用に笑った凪砂が口を開く。

「……美雪」
「……うん」
「美雪」
「……うん、私だよ」
「……可愛く育ったね。前から可愛かったけど」
「……なぁくんも、かっこよく、なったね?」
「ふふ、ほんと? ありがとう」

 優しく微笑んだ凪砂は美雪の額に自分のを押し当て、ふぅと息を吐いた。美雪の小さな手を握り、絡ませ、しっかりと繋いだ。

「……えっと、これは、口を挟んでも良いヤツですか? 空気を読んで黙っていた方が、良いんですかね……?」
「……」
「……」
「え、ええ〜? な、なんで英智くんも日和くんも黙ってるですっ? いつもぺらぺら喋る癖にどうしてこういうときだけ〜っ? 俺だけ空気が読めてないみたいじゃないですか〜……」

 廊下にへたり込んでいる凪砂と美雪を見下ろす三人は、リアクションに差はあれどそれぞれ戸惑っていた。
 冷静になった日和が前髪を掻き上げて「……やっぱりね」と小さく言ったのを、英智は鋭い目で凝視した。

***

「──あれは今から五年、いや、六年前だったかな。……芸能界の闇、ゴッドファーザーが亡くなった後の調査で、彼が秘密裏に囲っていた少年と少女が発見されたんだよ。二人はゴッドファーザーによって綺麗な部屋に飾られていたんだ、人形みたいにね。可笑しいよね、ゴッドファーザーと同じ、人間だと言うのに。人間としての扱いを受けていなかった、芸術作品のように、インテリアのように置かれていた。真面な教育を受けることもなく育っていたんだ。……あの日のことはよく覚えている。ぼくがあの部屋を覗いたとき、双子の人形が座っていたんだ。ぼくの目には、二人が人形のように思えたんだよ。怖いくらいに綺麗な見た目をして、ぴくりとも表情を動かさなかったから。瞬きをしたときですら、ぼくは『人形が独りでに動いた』と思ったね。自分と同じ人間とは到底思えなかったんだ。彼らは手を繋いで片時も離れようとしなかった。……本当なら、巴財団が二人を保護するはずだった。二人が見つかったのは巴財団の権威が及ぶ地域だったからね……でもそうはならなかった。──『氷室』が介入してきたんだよ。……そう、『あの男』がね。彼は嵐のようにやってきて、あっという間に双子人形を引き剝がし、少女人形を攫って行ったんだ。巴財団が氷室財閥に盾突くことは極めて困難だったからね、成す術もなかった。……残された少年人形はそのまま巴財団に引き取られ、心優しい巴財団の少年に愛を与えられ、健やかに育っていきましたとさ」

 物語を語り終えた日和はティーカップを持って中に注がれた紅茶を一口飲んだ。珍しく、彼は緊張していたらしい。喉が酷く乾いていた。一口では足りなかった日和は二口、三口と含み、こくりと喉を鳴らした。

 日和の語りを聞いていたつむぎは唖然としていた。英智はフゥとため息を吐いて日和を見る。

「めでたしめでたし、って?」
「誰もそんなことは言ってないね。勝手に付け足して無理矢理ハッピーエンドにしないで欲しいね。どう考えてもバッドエンドだろう? それとも英智くんは、こういう後味の悪ぅいお話がお好みだったのかな? 意外だね、英智くんは英雄に夢見る純粋な男の子だと思ってたねっ」
「……」
「……えっと、つまり、その」

 つむぎが遠慮がちに、言葉を探しながら発言する。

「その双子人形っていうのは、見つかった少年少女は、凪砂くんと美雪ちゃんってことですか……?」
「そこまで言わないとわからない? 君は本当に鈍いったらありゃしないね」
「すみません……まるでフィクションみたいに語るもので。ゴッドファーザーっていうのも、俺には信じがたいような話で……」
「陰謀論染みているけどね。少なくとも二人は、そうして育ったきたんだ。凪砂くんは十二歳まで、彼女は……十歳までってことかな」

 日和の視線の先には、生徒会室のカーペットの床に手を繋いで座り込んでいる双子人形──凪砂と美雪がいた。二人は無言で顔を見合わせて手遊びのような、ハンドサインのような何かをしている。時折微笑み合う姿から、あれが昔からの彼らのコミュニケーションだったことが伺えた。

「……名前を聞いたとき、『もしかして』って思ったんだよね……あのときは苗字まで聞かなかったから確信が持てなかったんだけど」

 ティースプーンをかき混ぜながら日和が呟く。

「……あの日、彼女と引き剥がされた凪砂くんの涙が、彼女を呼ぶ泣き声が、ぼくの脳内にこびり付いている。……彼女は幸せなのかな。氷室で、あの男の手の上で。……ああ、皆まで言わなくてもわかっているよ、英智くん。巴と氷室では明らかな財力の差があるからね。経済面では、彼女は氷室で恵まれた生活をしているんだろう」

 英智が口を挟まないよう、日和は先取って話していく。橙色にも近い紅茶の水面に、日和の顔が映っていた。ティースプーンが横切ると、日和の顔がうねってぼやける。

「……でも、彼女を横取りされた身としてはね、『双子人形』に平等に愛を与えて幸せにするつもりだったぼくからするとね、……とてもやるせないよ。『あの男』が、ちゃんとした愛をあの子に注いでやっていたとは到底思えない。一方的に、汚らしい欲望をあの子に押し付けていたのではないかと勘繰ってしまう」

 切なそうに美雪を見つめた日和は紅茶を飲み干すと、席を立って双子人形の前に歩いた。しゃがみ込んで目線を合わせる。

「やぁ、美雪ちゃん。ぼくは凪砂くんのお友達だね! 生涯における唯一無二の存在だね! ……君は一年生だから、凪砂くんの妹ってことになるのかな?」
「……妹」
「……私が、兄?」
「ん? そういうことにはならない? 引き取ったばかりのとき、凪砂くんは自分の年齢もよくわかってないみたいだったから、君たちは文字通り双子のように過ごしてきたってことだよね? でもまあ、一般常識的には年上が兄姉で、年下が弟妹だね。だからそういうことになると思ったんだけど……」

 日和の言葉を復唱して顔を見合わせた二人に、日和は首を傾げて解説をする。凪砂が微笑むと、美雪もぎこちなく微笑んだ。

「……懐かしい。よく、お兄ちゃんごっこをしたね」
「妹ごっこも」
「あと、弟ごっこも」
「あと、お姉ちゃんごっこも」
「私がお兄ちゃんだって、美雪」
「そう。わかった。じゃあそうしましょう。なぁくんが私のお兄ちゃ……あ」

 美雪の表情が強張った。凪砂は彼女が困っていることを感じ取って「……どうしたの?」と優しく尋ねる。凪砂は美雪が落ち着いて話せるように髪を撫でた。

「私……お父様に、お兄様を『お兄様』と呼ぶように……言われて。……お兄ちゃんが二人もいると、変じゃない?」
「うーん、変では、ないよ。もし三兄弟だった場合、末っ子からすると兄は二人いることになるからね。……血は繋がっていなくても、それは同じだとぼくは思うね」

 凪砂の相手をしてきた日和は慣れた様子で美雪と話していく。隔絶された幼少期を過ごした子どもとどうやって接するのが望ましいのか、日和は経験してきている。
 日和の言葉を飲み込んだ美雪はじっと日和を見上げた後、凪砂を見つめる。

「……そう、じゃあ、なぁくんはお兄ちゃんで、いいのね」
「……うん、よかった」
「……でも、時々、私にもお姉ちゃんの役を頂戴ね」
「……うん、わかった」
「や、役? うーんと、兄弟姉妹の上下、生まれた順がコロコロ変わることはないんだけど……まあ、いっか」

 二人の世界を壊すまい、と諦めた日和はにっこり笑って美雪の隣に腰を下ろした。

「凪砂くんの妹ってことは、君はぼくの妹でもあるね! 凪砂くんを『なぁくん』って呼んでいるなら、ぼくのことは『ひぃくん』と呼ぶといいね!」
「……? ひぃくん?」
「そうそう! 上手だね!」
「……だめ。美雪、だめ。そう呼ぶのは、私だけにして」
「おおっと⁉ 凪砂くんがやきもちを妬いているねっ?」
「……ごめんなさい、巴さん」
「いいよいいよ……って待って? ぼく、名乗ったっけ?」

 日和が目を丸くして尋ねると、何故か凪砂が微笑んだ。

「……ふふ、手紙に、書いてたんだ。日和くんのこと」
「え、手紙……? どうやって?」
「……美雪は、曲を作っているから。去年、夢ノ咲で、Valkyrieが歌っている歌を聞いて……私は、美雪が作った曲だって、わかったんだ。……美雪は二人っきりの箱庭で、よく歌を作ってくれたから、覚えてた」

 凪砂は美雪の手を取って指を絡ませ、にぎにぎと力を込める。

「……それで、椚先生にお願いして、美雪と先生が連絡を取るときに、私が書いた手紙を一緒に送ってもらったんだ。……はじめて返事が来たとき、すごく、嬉しかった」
「……私も、びっくりした。なぁくんが、夢ノ咲にいるって、知らなかったから」
「……あのときは、ごめんね。美雪の大切な人を、結果的に傷つけてしまって」
「……ううん。私は、いいの」
「……皆、知らなかったと思うけど、実は、昔のfineの曲の中にも、美雪の曲があるんだ。私が手紙で美雪にお願いして、作ってもらって。……美雪が争いに巻き込まれるのは嫌だったから、意図的に、名前は伏せたんだけど」

 英智は思わず口を覆った。まさか自分が去年、名波哥夏の歌を歌っていたとは夢にも思っていなかったからだ。明かされる彼女の過去に、英智の肌が粟立つ。

「今でも、Edenに作ってもらっているけど」
「……ん?」
「ああ! 名波哥夏って美雪ちゃんだったんだねっ? なぁ〜んだ、早く言ってくれれば良かったのに!」
「ちょ、ちょっと待ってくれるかい? ……美雪ちゃん、君、Edenに楽曲提供を?」
「……はい、してます」
「…………」

 絶句。英智は間抜けにも口を開けて背もたれに思いっきり背中を預けた。小さく痛む頭を抑える。

「えっと、つまり君は、外部にも曲を書いているってこと……?」
「……駄目でしたか?」
「駄目っていうか、だって、ねぇ? EdenはSSにおけるTrickstarの最大の敵だ。すなわち夢ノ咲の敵なんだよ、わかるかい?」
「……でも、私にとっては、なぁくんのいるユニットです」
「……椚先生はこれを把握しているのだろうか」

 珍しく小さな反論をしてくる美雪に、英智は頭を抱えた。いつも流されているようでいて、不思議なところで拘りの強い部分を見せる少女であることを理解してはいたが、英智にとっては可愛い仔猫に甘噛みされたようなものだが。

「……心配しなくても、Edenの作曲家の公表はしてないよ? 茨にお願いしてあるから。……茨は、隙があるとすぐ『どこの作曲家ですか』って聞いてくるけど。……美雪の立場が危うくなるようなことを、私はしたくない」
「でもねぇ、どこで漏れるかわからないだろう、こういうことは。夢ノ咲学院出身の作曲家が、それもアイドル科に多数の楽曲提供をしている子が、実はライバル校の作曲までしているだなんて。……これは体裁が悪いよ」
「…………わかった。じゃあ、こうしよう」

 納得できない様子の英智を見兼ねた凪砂は美雪を抱えて立ち上がる。

「美雪は、これから秀越に転校する。……これでいいでしょ?」
「はっ⁉」

 凪砂の爆弾発言に、凪砂以外の全員が目を剥いた。凪砂の腕に抱かれた美雪は、凪砂の胸に手を当てて慌てた様子で言う。

「……な、なぁくん。それは、だめ」
「どうして? 英智くんは、私から美雪を取り上げようとしている。これは許されることじゃあない。……私はもう、美雪と離れたくない。美雪と私は同じ想いのはず。違う?」
「……あ、ぅ、でも」
「凪砂くん、一旦落ち着きましょう。……秀越って、男性アイドルの育成に特化した、男子校ですよね? 美雪ちゃんは転校できないんじゃあ……」

 つむぎの尤もな意見に英智は(ナイス、つむぎ……!)と拍手喝采を送っていた。英智の中にいる『英智くんたち』全員がスタンディングオベーションをしていた。凪砂はムッとして反論する。

「私、特待生だから。秀越の中でもかなり優遇されている。我儘も許される。……もしもし、茨? 今から私の妹が秀越に転校するから、女の子も通えるように手続きを……え、無理? 無理じゃないでしょ、何とかして。……何とかしてくれないと今入ってるスケジュール全部なかったことにするよ。茨にも使われてあげないよ。それでもいいの? わかったなら急いでね。切るよ」

 凪砂は要件を伝えて圧を与えると、『ちょ、待っ、閣』と言う声を無視して電話を切った。スマートフォンをポケットに仕舞うと、美雪に微笑み掛ける。

「……これで大丈夫。行こう」
「ま、待って、なぁくん。私……」
「……お家のこと? うーん、茨は氷室を唆せるかな……」
「……それもあるけど、私……Valkyrieを、置いて行けない。宗様を裏切れない。だって、秀越に行ったら、Valkyrieに作れなくなるんだよね……?」

 美雪が抵抗を見せると、凪砂の周りの温度が下がった。鋭い瞳で、美雪を見下ろしている。

「……美雪は、斎宮くんが大切なんだ。……私よりも」
「え、ぁ……わ、わからない」
「……Valkyrieは、美雪の好きなアイドルだから、あのとき、潰すのは止めたかったけど。今、再起不能になるまで磨り潰しておくべきだったかなって、ちょっと思っちゃった」
「──そんなことしたら貴方でも許さないよ」

 ズン、と重たい空気が落ちた。双子人形が、ゴッドファーザーの二人の子どもが対面している、この場に。二人は純心に世界を映す瞳で見つめ合い、分かり合っていた。それに少しの亀裂が奔った。外の世界を知ったことで、それぞれに大切なものが増えてしまっていた。

「……わかった、ごめん。言い過ぎた。……羨ましくなっちゃったんだ、斎宮くんのことが。ごめんね。私が悪かったよ。美雪とは、喧嘩したくない」
「……私も、ごめんね。一緒に行けなくて」

 折れたのは凪砂が先だった。素直に謝り、美雪もそれに続いて仲直りをする。今にも戦争が起こりそうだったのに、あっという間にお花畑空間になる。

「……英智くん、漏れないように何とかしてね。こっちもそういうのが得意な子に根回ししてもらうから」
「……一つ貸しだよ、凪砂くん」
「貸し? ううん、これは双方納得の末の結論。……英智くんだって美雪の曲が欲しいんだろう? 私が『独り占めしないであげる』って言ってるんだ。どっちが上か、わかってね」
「……君は自分が神様だとでも思っているのかな?」
「……なるよ、私は神に。父のようにね」

 凪砂は名残惜しそうに美雪から離れると、「じゃあ、また会おうね」と言って頭を撫で、唇にキスをした。固まる英智とつむぎ、日和を余所に、美雪は大人しく受け入れて「うん、ばいばい」と返した。

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