17

 手入れの行き届いた紅色の髪を靡かせてレッスン室に向かう司は眉間に皺を寄せて、顔に「不機嫌です」と書いていた。すべては九月になって戻って来たKnightsのリーダー、月永レオが原因だ。漸く対面することができたリーダーはKnightsに新たな武器という名の曲を提供してくれてはいるが、肝心の彼自身はステージに上がらず、欠伸をしたり意味深な笑みを浮かべたりしながら観客席に座っている始末。それが司はどうにも癪だった。

「血みどろになって戦って、膿を出し切る。そういう儀式だよ、ジャッジメントってのは。おまえらが勝てれば、おれは何でも言うことを聞くよ。ちゃんとリーダーらしい振る舞いをしてやる。どうしても気に食わないんなら、おれをKnightsから脱退させてくれてもいい。だけど。もし、おれが勝ったら……即席の臨時ユニットにすら勝てない惰弱な集団にKnightsが成り下がってるなら。ここで、解散させる」

 それだけでは飽き足らず、「Knightsが生温くなった」と評価したレオは内部粛清のためのデュエル、【ジャッジメント】を開催することを宣言した。ブランクがあるにも関わらず臨時ユニットを結成し、Knightsと敵対すると言ってのけたのだ。

「文句があるならかかってこいよ、お坊ちゃん。決闘しよう、どっちが正しいかは神さまが決めてくれるよ」

 司が反抗しようにも、レオは一度決めたことを捻じ曲げるつもりはない様子だった。
 それがつい先日の話。レオに「Knightsの足手纏いだ」と毒を吐かれたのが司の中では重く圧し掛かっていた。臨時ユニットに勝てなければ解散。何としてもそれは回避しなければ、と司は今まで以上に真剣に稽古をするつもりで息を巻いて歩いていた。

 曲がり角に差し掛かったところで、司は先で誰かが話していることに気づいた。覗き込むと、椚章臣と氷室美雪が立っている。

「……はぁ、致し方ない。乱くんが再び夢ノ咲に来るのを予測できなかった私の失態です。……流石に天祥院くんも、貴女とお兄様の関係について公言するようなことはないと思いますが、くれぐれも彼の気分を害さないように。fineにもなるべく、彼が望む場面では協力するのですよ」
「……」
「これは『氷室』のためなのです。私は貴女のお父様に恩義がある。貴女がValkyrieを贔屓していて、fineに対して複雑な心境なのはわかりますが……頼みますよ、美雪さん」
「……大丈夫です。なぁくん……乱、凪砂くんと、fineのことは約束したので」

 じっと美雪を見下ろして口を開きかけた章臣が司に気づいて噤んだ。司が会釈をすると、章臣もそれに続く。章臣の行動を不思議に思った美雪が振り返り、その瞳に司を映した。

「……朱桜くん、御機嫌よう」
「こら、待ちなさい美雪さん。まだ話は終わっていませんよ」

 司の元に歩み寄ろうとした美雪を章臣が止める。

「……まだ、続いてましたか? 終わったのかと……」

 美雪の台詞に司も(私もてっきり話の区切りがついたかと思ってました……)と心の中で同意する。章臣はため息をついて眼鏡を押し上げた。

「私の話の長さは貴女も重々承知しているでしょう。こんなものでは終わりません」
「……手短にお願いします。時間が勿体ないので」
「貴女は目上の者に対する口の利き方がなっていませんね」
「……でも、事実だから。椚先生も、自分で『話が長い』って言ってる。……自覚があるなら、相手のためにも、自分のためにも、簡潔にするべき。……私、やりたいこと、沢山あるから。先生も、お仕事に時間を使った方が、良いと思います」
「………………はぁ。わかりました、もう行って宜しい」

 いつ章臣が激怒するか冷や冷やしながら見守っていた司だったが、図星だった部分があるのかあっさり身を引いた章臣に目を見張った。美雪は章臣を見上げてゆっくり瞬きをすると、司の方を振り返って「……御機嫌よう」と再び挨拶をする。

「あ、ええ。御機嫌よう?」
「……今日は、良い天気?」
「え。ど、どうでしょう……曇ってますから、悪いのでは?」
「……曇りも、悪い天気なのね」

 不思議なテンポで話す彼女に、司は戸惑う。まだ知り合ったばかりで、対話をするのは二回目だったからだ。窓から空を見上げて無言になってしまった美雪に、司は助けを求めるように章臣を見るが、章臣は背中を向けて去って行ってしまう。それには彼も(丸投げですかっ?)と戸惑った。必死に話題を探して話を振る。

「えっと……もうすぐ体育祭ですね」
「……体育祭。そうだね」
「氷室さんは、何の競技に出る予定なんですか?」
「……借り物競争っていう、競技」
「借り物競争でしたか。……あっ、そういえば、何組で?」
「……赤組」
「そうですか、私は白組ですので、敵対することになってしまいますね。残念です」
「……どうして、争うのかな?」
「はい?」

 想定し切れない返事に、司は思わず聞き返してしまう。

「……赤と白に分かれて、点を取り合うんだよね。あまり、平和的ではない気がする」
「……はぁ? そうですかね? 考えたこともありませんでした」
「……私、はじめて体育祭に出るんだけど」
「え? 今まで出なかったんですか? 小学校、中学校にもあると思うんですが……」
「あ……うん、えっと、はじめて」
「……? ともあれ、そんなに気負いせずとも大丈夫ですよ。体育祭でTeamが分かれるのはお互い『負けたくない』という気持ちが出て、本来以上の実力を発揮できるからだと思います。誰だって負けるよりは勝ちたいでしょう?」
「……そういうものかな」
「少なくとも私は勝ちたいです。ですが、体育祭は負けたからどうこうなる、というものではありませんから。一時的に悔しくなるだけです、大したものではありません、体を動かしたり、応援したり、純粋にFestivalを楽しめば良いのだと思いますよ」

 司が「重く考える必要はない」と伝えると、美雪は体育祭の意義を司の解釈で理解することができたらしい。こくりと頷く。

「……そう、わかった。ありがとう、教えてくれて」
「いえいえ。Ladyのお力に成れたのであれば、幸福です」
「……借り物競争は、何をするもの?」
「お題が書いてある紙を拾い、そのお題のものを持ってくる、というものです。お題のものを持ってゴールした人から順位が決まります。いち早くゴールしたとしても、正しいお題のものと判断されなければやり直しになりますね」

 美雪の新たな疑問に、司は自分の経験した範囲で答えていく。ルール説明だけでは足りなかった美雪が更に質問を投げかける。

「……お題って、どんな?」
「そうですねぇ……主催者側の匙加減かとは思いますが、ハンカチとか文房具とか……ですかね? 中には探すのに時間を要するお題もあるかと」
「……例えば?」
「う、ううむ……難しいもの、難しいもの……BasketballやSoccerballなどでしょうか。そうなると体育館の倉庫まで行かなければなりませんから。ああ、あとお題が人の場合もあります」
「……人?」
「女の人、男の人といった簡単なものから、眼鏡をかけている人や……これはよくある、Eventを盛り上がるためのお題ですが、『好きな人』まであります」
「……好きな人」

 美雪は自分がそのお題に当たったら誰を探して連れて行くべきなのだろう、と考え込む。いきなり始まった質問攻めに困っていた司だったが、その姿に思わず笑みが零れた。

「ああっ、いけない。もうこんな時間……!」
「……急いでいた? ごめんね、引き留めてしまって」
「いえ、お気になさらず! 失礼!」

 時間を確認した司が慌てると、美雪は首を傾げて謝罪をする。司は時計を見ていなかった自分が悪いからと手を振って、レッスン室まで駆け出した。

 辿り着いたレッスン室には既に嵐と泉がいた。凛月はあんずが用意した寝床でぬくぬくと丸くなっている。泉が目を吊り上げて司を睨んだ。

「遅いッ」
「すみませんっ」
「まあまあそうカリカリしないで、泉ちゃん」
「カリカリするに決まってんでしょ〜!? くまくんも起きる! これからどうするかミーティングだよぉ!」
「ん〜、わかったよ……」

 凛月がくるまっている毛布を引っ剥がした泉は腕を組んで指をトントントンと動かしていて、目に見えて苛々しているのが分かる。ピリつく空気に、嵐が憂欝そうにため息を吐いた。

「あの馬鹿、敵対するから曲は使わせないって言いやがった」
「……はい?」
「だぁかぁらぁ! 俺達の曲は全部アイツが作ってるでしょぉ〜っ? それ全部使えないってこと!」
「……え、嘘? 歌える曲がないって大問題じゃなァい! ど、どうするのっ?」

 泉から告げられた事実に凛月も目が覚めたらしい。目を丸くして泉を見ている。
 今まで披露してきた歌が全て奪われた。奪われたという表現は、Knightsの楽曲を作っているのはレオであり、著作権を所有しているのもレオのため相応しくないかもしれない。しかし当たり前のようにあったものを使えなくなるのはかなりの痛手だった。
 泉はくしゃりとセットしているはずの前髪を潰す。

「今あんずが学院共通の曲を使えるように手続きしてくれてるみたいだけど……生徒たちに聞き覚えがある曲っていうのはメリットでもある。慣れ親しんだ曲は好かれるからね。ただ、それで敵う相手かどうか……」

 泉はKnightsの誰よりもレオを信頼し、彼が敵に回ることの恐ろしさを理解していた。レオはステージ上で作曲し、無限に武器を作り出すことができる。もし臨時ユニットが、それに着いて行けるような超人が勢揃いしていたら。Knightsの解散は現実的なものになるかもしれない。

「……美雪は?」

 黙っていた凛月が口を開いた。ハッとして凛月の顔を見た嵐と泉に、司は首を傾げる。どうしてこの会話の流れに、先程まで話していた氷室財閥の令嬢の名前が上がるのか。司は彼女が作曲家ということを知らなかった。

「……頼んでみる価値は、あるかも」
「今からでも全員で美雪ちゃんに頼み込んだ方が良いわね」

 作戦会議のとき、凛月は参謀としていつもとガラッと雰囲気を変える。研ぎ澄まされた空気を纏っていた。泉の発言に賛同した嵐に頷いて口を開く。

「あんずが手続きしてくれる共通曲も念のために使うとして、問題はステージ上で『王さま』が即興曲を作り出したら・無限に曲を生み出し始めたら……だね。美雪が『王さま』に対抗してその場で曲を作れるのかわからない」

 Knightsは即興でパフォーマンスをできるくらいの力量は持ち合わせている。凛月が言うように、美雪がレオのスピードについて来られるどうか。

「……俺達Knightsは、『名波哥夏』としての美雪と対話をしてきてない。美雪が『王さま』と同じ天才だっていうのは、学院に溢れてるあの子の曲を聞けばすぐにわかるけど……こっちが美雪の特性を掴み切れてないみたいに、美雪も俺達がどういうユニットなのか把握できてない。作曲してないユニットのメンバーは覚えてないみたいだったからね。……何曲作ってもらっても困らないってことも伝えないと。……ああ、あんなに可愛くて綺麗な女の子を俺達の戦に巻き込むなんて」

 美しい顔を歪めて悲痛な表情を浮かべた泉に、凛月が冷酷に突き付ける。

「……でも今は美雪に頼るしかないよ」
「……言われなくてもわかってる。でももし美雪が、『王さま』の曲に打ちのめされるようなことがあったら? あの子がズタズタにされちゃうかも……傷つけちゃうかもっ、ボロボロになって、れおくんみたいに壊れちゃうかも……っ」
「──心配性ね、泉ちゃんは」

 涙ぐむ泉に嵐が眉を下げた。ぱちくりと瞬きをした泉が「……何? 馬鹿にしてんの? あの子は可愛くて可愛くて、綺麗で、純粋な子なんだからねっ」と噛みつくと、嵐も「知ってるわよ、流石に私もそれくらい」と肩を竦める。

「……泉ちゃん、七夕祭の映像見た?」
「七夕……? あんずが企画したヤツか……一応、ちらっとは見たけど」
「あのとき……アタシも友達伝いだけどね? 美雪ちゃん、fineに楽曲提供を頼まれたのに跳ねのけたんですって。……あの子、Valkyrieを助けるために死に物狂いで戦ったの。結局Valkyrieはfineに負けてしまったけど、それは結果の話。……みかちゃん、言ってた。七夕は、美雪ちゃんとお師さん……Valkyrieのリーダーの、最高で完璧な、芸術の舞台だったんだって」

 みかに聞いた話を語る嵐の顔からは、いつもの母性溢れる微笑みは消えていた。

「あの子は、曲を預けて外で見守っているだけの子じゃない。美雪ちゃんはアタシたちと同じ舞台に立っているのよ。……こんな言い方アタシらしくないけど、戦場にね」

 嵐の眼差しに泉は息を飲む。

「……えっと、すみません。どうして今氷室さんの話をしているんですか?」
「ちょっと司ちゃん⁉ アタシが珍しくかっこつけてるのにィ! 空気読んで欲しいわァ、そんなんじゃモテないわよっ! んもうっ!」
「痛いッ⁉」

 嵐は遠慮がちに手をあげた司の肩をバシンと叩いた。司は「ぼ、暴力反対です! Harassmentです!」ときゃんきゃん泣き喚いた。

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