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 戦車を走らせる茨は信号で止まったタイミングで凪砂に忍ばせてあるGPSの位置情報を確認した。戦車が公道を走っている光景は異様で、対向する自動車や横に並ぶバイクの運転手はぎょっと飛び退いていたが茨はお構いなしだ。通報されても問題がないよう、用意周到な彼は根回しをしている。

 茨の手元のスマートフォンの画面上では赤い三角の矢印が点滅している。場所は森の奥地。今日はTrickstarが学園にやってくる日であると伝えていたはずなのに茨が仕え、使っている乱凪砂は彼らに興味がないのか、それとも隙間時間を見つけて暇を持て余し、居ても立っても居られなくなったのか。

(また発掘でもしているんでしょうかね……困ったものだ。自我の発達の結果なのか、最近の閣下は我が侭が増えましたし……『妹が転校するから秀越に女子が通えるようにしろ』ってのは何だ。そんなこと出来るか)

 秀越学園に通うことができるのは選ばれた生徒のみだ。玲明学園で優秀な成績を収めた者以外、学園内での優遇を得ることはできない。玲明学園でも勿論、女子生徒は通っていないし、いきなり秀越学園に女子生徒が転校することは不可能だ。

(しかし、閣下の『妹』というのは乱家の御息女でしょうか……? 日和殿下が閣下を巴家に一時的に保護し、乱家がその里親になったはず。乱家には妹君と弟君がいらっしゃるはずですが……閣下が無理難題な我が侭を言う程、仲が良いとは思えませんねぇ。夢ノ咲でどうだったかは知りませんが、秀越は寮制ですから。少なくとも閣下が里親家族と頻繁に連絡を取り合っている様子は見かけていませんし、たまに取っていたとしても和気藹々といった雰囲気ではありませんから。日和殿下の方が余程仲睦まじいでしょう)

 短い信号の待ち時間の間に茨は脳を回転させていた。青いランプがつくと、戦車を進めて凪砂が土いじりをしているであろう森の奥地へと向かう。

 整備された道を外れ、山道になる。これ以上戦車で進んでしまえば自然破壊になるだろう、と判断した茨は戦車から降りて凪砂を探し始めた。

「閣下〜? いらっしゃいますか〜?」

 GPSの確認をしながら進むと、小さな洞のような穴を見つけた。茨は携帯用の細身の懐中電灯の尻についているボタンを押して点灯させて、その中を照らして進んだ。

「まったく……よくもまぁ、こんなに狭くて暗いところを…………ん?」

 狭い道を進むと、少し開けた場所に出る。茨は辺りを照らして環境を確認しながら歩き、漸く凪砂と、その隣にいる凪砂ではない人物を見つけた。

(……? 女性か? 閣下も髪は長いが、髪色が違う、ような)

 暗がりではよくわからない茨が目を凝らしながら見つめていると、しゃがみ込んでいたその人物が振り返り、茨の持つライトが顔に直撃して顔を顰めた。茨は咄嗟にライトを別方向に逸らす。

「おっと。これは失敬」
「…………」
「……あれ、茨? 来たの?」

 洞に反響した声で集中が途切れたのか、先程まで土を掘っていた手を止めた凪砂が振り返った。暢気な第一声に呆れながら、茨は口を開く。

「えぇ、お迎えに上がりましたよ、閣下。今日はオータムライブに向けて夢ノ咲学院を代表するTrickstarが秀越学園に来る日だと、先日も、今朝も申し上げたのですが」
「……ごめんね。……彼らと会うより、美雪と会いたかったから」
「……美雪さんというのは?」
「……ああ、茨には紹介してなかった。……この子、私の妹」

 凪砂が示したのは隣にしゃがんでいる少女だった。茨はパチ、パチパチと瞬きを繰り返して「……はぁ?」と首を傾げる。

(……乱家の妹じゃない……まさか、ゴッドファーザーの娘か? あの『氷室』に拉致されたという……くそ、暗くてよく見えない。俺も平和ボケしたものです、夜間の訓練も乗り切ってきたと言うのに)

 茨が自身の衰えを感じているところに、乙女の澄んだ声が響く。

「……はじめまして、七種さん」
「へっ……? あ、え、ええっ。はじめまして!」

 心地よい何かに包まれたような錯覚に陥った茨は一瞬反応に遅れてしまう。慌てて取り繕って元気よく返事をすると、凪砂が静かに言う。

「……茨、あまり大きな声を出さないで。美雪は私より耳が良い。ただでさえ、ここは反響するから」
「……これは失礼しました。時間がありません、先方を待たせてしまっていますので、このまま自分の戦車で秀越まで戻りますよ、閣下。……えーっと、妹君は、如何なさいます? ご自宅に送り届けた方がよろしいでしょうか?」
「……ううん、大丈夫。美雪は私と一緒に行くから、このまま秀越に行けば良いよ」
「……はい?」

 茨は言っている意味がわからず、立ち上がって砂埃を払った凪砂の言葉を聞き返す。凪砂も茨のように首を傾げた。

「……あれ、言ってなかったっけ? 夢ノ咲からサポート要員が出るって言うから、つむぎくんにお願いして、美雪を連れてきてもらうことになったんだ。……私は先に美雪と待ち合わせて、ここで一緒に宝探しをしていたところ。……ね」
「……うん」

 顔を見合わせて朗らかムードを醸し出している二人に、茨は眼鏡を一旦外して眉間を揉んで確認する。頭が痛み始めているのは気のせいではない。

「え〜……つまり、オータムライブ期間中、妹君は夢ノ咲側の陣営として秀越に来る、ということでよろしいでしょうか」
「……うん、そう。……ああ、嫌だね、美雪が『夢ノ咲の陣営』だなんて。……去年まで通っていたから多少の愛着はあるけれど、美雪と一緒じゃないのは、悲しい」
「……私も、悲しいけど、オータムライブが終わるまでは、一緒」
「……そうだね。束の間の夢の時間を、共に過ごそう」
「……うん」

(……なんだこの甘ったるい空気は。こんな洞窟の中でイチャコラすんな)

 自分を放置されて二人だけの空間になっているのが癪に障った茨は「一先ずここを出ましょうか」と二人を外まで促した。行きも通って来た狭い道を、頭をぶつけないように腰を折りながら進み、やっと青空の下に出た。フゥと息を吐いた茨が振り返るとそこには凪砂と手を繋ぐ、土で汚れた愛らしい少女がいた。暗闇で美雪の顔がよく見えていなかった茨は息を飲んで、吐き出すことも、吸い直すことも出来ずに停止する。

「……ああ、ごめん、美雪。……可愛い顔に泥がついちゃった、ハンカチで取ってあげるね」
「……ん」

 そんな状態になっている茨を横目で見た凪砂は、ポケットに仕舞っていたハンカチを取り出して美雪の頬についた土を拭った。美雪は長い睫毛を伏せて受け入れる。

「……ふふ。……そんな顔されると、キスしたくなっちゃう」
「……? いいよ?」
「──はいっ⁉」

 二人の会話に我を取り戻した茨は「何をとんでもないことを言っているんだ」と目を剥いた。双子人形は突然大声を出した茨を見つめる。

「ちょ、ちょちょちょ、閣下っ? あのですね、冗談でも言っていいことと悪いことが」
「……冗談? 何が?」
「ですからそのっ、キスですよ……! 駄目駄目絶対、スキャンダル……!」
「……そうなっても、事務所が揉み消してくれるでしょ?」
「まあコズプロはそうでしょうけどねっ? だからって揉み消し前提で自由奔放な行動をする必要はないでしょう! どこで誰が見ているのかわからな」
「……じゃあ、私たちのレッスン室ですればいいんだね」
「あそこは閣下が煩わしいと仰ったので認証設定を外させていただいております〜! 誰でも自由に入れてしまうんですよね〜!」
「……ふむ。……なら、私の部屋でしよう、美雪」
「ハァッ⁉」

 どうにか説得しようにも次々に爆弾が投下されていく現状に茨のリアクションもオーバーなものになっていた。凪砂は眉を顰めて「……茨、声が大きいんだってば」と零す。

 凪砂の言う「私の部屋」というのは秀越学園内に用意されている、選ばれし特待生のために完璧に整備された寮のことだ。防犯対策も万全ではあるが、そこに出入りする他の特待生や身の回りの世話をする生徒が凪砂の部屋から女子が出てくるのを目撃すれば。たちまちその噂は出回り、尾鰭が付き纏ってAdamの立場もEdenの立場も揺らぐ可能性がある。

「……アイドルにもプライベートは許して貰わないと」
「何それらしいことを言ってるんですか」

 腕を組んで顔を歪めた茨を見かねた凪砂がそう言うが、ただ頓智をきかせようとしているようにしか茨には聞こえない。
 凪砂は後ろから美雪に抱き着いてすり寄る。

「……私たちはずっと一緒だった。……氷室のせいで離ればなれになってしまったけど、こうして再び、巡り合うことができたんだ。……空白の五年間を、触れ合うことで取り戻さないと。……私と美雪は同じ、二人で一つの命なのだから。ね、美雪」
「……うん」

 目の前でお花を飛ばしながらふわふわと絡み合っている双子人形に眩暈がした茨は、「……一旦、秀越に向かいましょう」と折れた。

***

 まずは第一印象が大事。Trickstarに圧を与え格の差を思い知らせるためにも『普段のゆるふわ閣下』ではなく、『絶対王者として君臨せし乱凪砂』を最初に出会わせるべきだと茨は考えていた。そのためには泥だらけではいけないということで、校門に到着しても凪砂を表に出すことはせずに、自分だけ外に出てTrickstarと対面した。その間凪砂と美雪は戦車の中で寄り添い、一つの本を共有していた。ちなみに美雪ははじめて乗る戦車に胸を躍らせ、きょろきょろと見渡していたのを凪砂に捕まり、腕の中に閉じ込められたところで大人しく凪砂にくっついた。

 移動して戦車を停めた茨は風呂に入るよう凪砂に言った。「……此処までだね。続きはまた後にしよう」と本を閉じた凪砂は、美雪と手を繋いで戦車の外に出た。

「……久しぶりに、一緒に入ろうね♪」
「……うん、洗いっこ、しよう」

 茨は自分の眼鏡が漫画のように思いっきり割れたように思えた。痛む頭を押さえて同行をお願いしたつむぎに「……閣下をお願いします」とくたびれた様子で頼み込み、つむぎは「? え、えぇ、はい。わかりました」と頷く。

「あの二人、一緒にお風呂に入るとか抜かしてるので」
「い、いいい、一緒⁉ ……え、一緒っ⁉」
「くれぐれも頼みますよ」
「な、何をどう頼まれれば良いんですか……⁉」

 耳打ちをした茨は「それでは失礼しますね、つむぎ陛下!」と完全につむぎに投げてTrickstarと合流しに行ってしまう。残されたつむぎは手を繋いで進んで行く双子人形を慌てて追いかけた。

 迷うことなく特待生に用意された浴場に辿り着いた凪砂は躊躇せずに服を脱いでいく。美雪は成長して体付きの変わった凪砂をぼーっと眺めていた。美雪の視線に気づいた凪砂はふわりと笑って「……美雪も、脱いで」と言う。

「あ……うん」
「……ふふ、私が脱がしてあげようか?」
「……自分で、できるよ?」
「……私が、美雪のお兄ちゃんなんでしょ? ……お兄ちゃんは、妹のお世話をするもの。……ほら、おいで」

(待ってください……待って……俺、このまま此処に居ていいんですか。何をどう俺に頼んだんですか、七種くん……! 二人を別々に風呂場に入れろってことで良いんですか⁉ 凪砂くん、絶対に離れる気ないですよ、あれ……! 凪砂くんだけなら俺も一緒に入って手伝えますけど! 男の子ですから! でもそこに美雪ちゃんが入ったら……美雪ちゃんの裸を見たなんて、夏目くんと宗くんに知られたら……俺、本気で死にますけど⁉)

 浴場の着替え場に追いついたつむぎは自分がどうすれば良いのかわからずにヤキモキしていた。美雪はちょこちょこと凪砂に近づき、凪砂は「……いいこ」と頭を撫でてから美雪の制服の釦に手をかけ一つ二つと外したところで、脱衣所に佇むつむぎに気が付く。つむぎは「ひゃあ〜っ」と顔を赤くして目を隠していた。

「……つむぎくん、どうしているの?」
「えっ、えっ、あ、ああ……あの、七種くんに頼まれまして……」
「……つむぎくんも、お風呂に入るってこと?」
「へっ⁉ い、いや! 俺はそんな……!」

 つむぎはブンブン手を振ってみせる。凪砂はじっと目を細めて彼を見つめ、美雪の釦を締め直した。

「……美雪の肌を見て良いのは、私だけ。……つむぎくんは、後ろを向いていて」
「……あ、はい」

 拒絶することが許されない凪砂の圧に、つむぎは従順に返事をして二人に背中を向けた。つむぎの耳には服の擦れる音と、二人の静かで穏やかな会話が入り込んでくる。

「…………美雪。これ、どうやって外すの?」
「……ここが、ホックになっているから」
「…………ああ、成る程。わかった、こうだね」
「……私も、なぁくんのお洋服、脱がしてあげる」
「……ほんと? お姉ちゃん、してくれるの?」
「……うん」
「……ありがとう」
「…………なぁくん、これ」
「……ん? ……あぁ、ベルト……女の子は、あまりしないのかな。……まず、ここを引っ張ってご覧。……うん、そう……そうしたら、金具を穴から抜いて」
「……ん、わかった」
「……そう。……とっても上手」

(無心、無心、無心…………俺、ずっと此処に居ていいんですか、耳も塞いだ方が良いですか、出て行った方が……い、いや、こんなにほのぼのしてますけど、浴場に入ってからが危険かもしれません。まさか凪砂くんがそんなことするとは思いませんけど、美雪ちゃんの身に何かあってはいけませんから。耳だけでも澄ませておくべきですよね。もしかしたら浴場で欲情した凪砂くんが美雪ちゃんを……って、英智くんじゃないのに下手糞な親父ギャグを言ってしまいました)

 つむぎが瞑想している間に雑念に塗れて迷走していると、背後でガチャン、と音がする。二人が浴場に行ったようだ。つむぎは(ガラス張りじゃないですし、入ったなら後ろ向いても良いですよね)と意を決して振り返る。

「……凪砂くん、せめて脱いだ服は籠とかに入れてくれませんか」

 二人の着ていた服は床に散らばっていた。手芸部員として服に皺がつくようなことを許せないつむぎは出来るだけ見ないようにしながら近づき、まずは凪砂の服を拾い上げて籠に入れていく。

「洗濯機は……ああ、あれでしょうか。勝手に使っちゃいますけど、お世話を頼まれたんだから良いですよね……あ〜、結構泥がついてる。一度手洗いしてから洗濯機に入れた方が……ハッ」

 『一度手洗いして』と自分で言ってから、つむぎは悪魔の罠に気づいた。凪砂の服は手洗いできても、美雪の服を手洗いするのは、許されるだろうか。

(女の子の下着って……手洗い、ですよね。……いや、いやいやいや。待て、落ち着け、俺、深呼吸。一度冷静に。……お風呂から上がって、まず凪砂くんはここの寮で暮らしていますし、特待生ですから着替えくらいすぐ用意できるんでしょう。でも、美雪ちゃんは? ……美雪ちゃんの服は畳むだけで、手洗いなんて末恐ろしいことはしないでおきましょう)

 ざっと凪砂の服についた汚れを取ったつむぎは、そのまま放置してしまっていた美雪の抜け殻に、顔を背けながら恐る恐る両手を伸ばした。指先に当たったものを掴んで形状を確認する。

「……わひゃっ⁉ こ、これは……美雪ちゃんのブ……こ、こっちはパ……あ、あああ駄目です! 絶対に見ちゃ駄目ですよ、俺! 宗くんと夏目くんに殺されちゃいますから! ……俺は何も見てない、俺は何も見てない、俺は何も」
「……ん、なぁくん、くすぐったい」
「……我慢して」
「……ぁ、やぁ」
「……だめ、美雪。逃げないで」
「……ひゃっ、あぅ」
「……ふふ、かわいい」
「……ん、いじわるしないで」
「……ごめん、可愛くて、からかいたくなっちゃった。……昔はあまり差異はなかったのに、男女の肉体は、こんなに変化するものなんだね。……ここ、ふわふわしていて、柔らかい」
「……なぁくんも、大きくなったね」
「……そう?」
「……うん。ここ、こんなに大きくなかった」
「……そうだったかもしれないね。……昔はもっと小さくて」
「俺は何も聞いてない俺は何も聞いてない俺は何も聞いてない……! う、うぅ……英智くんめぇ〜……! 俺にこんな役割を押し付けてっ……何の恨みがあるんですかぁー!」

 見えない分、つむぎには余計な想像力が働いてしまっていた。
 英智がその場にいたら「とんでもない誤解だよ。僕もこんなことになるとは想定し切れていない」と弁解していたことだろう。

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