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 スバル・北斗・真と別行動している真緒は仲間たちよりも一足先にAdamの応接室に足を踏み入れる。廊下を歩いていたところ、応接室から小さな話し声がしたからだった。Adamの関係者、あるいは特待生の身の回りの世話をする生徒が清掃に入っていると真緒は想定し、どちらにしても話を聞こうと思い扉を開けたのだが、中には人影が見当たらない。

(声がすると思ったんだけど……誰も居ない? まさか怪談的なヤツかぁ……? まさかな、こんな昼間っから)

「……御機嫌よう、衣更先輩」
「うおっ⁉ ……って美雪? なんでお前こんなところに居るんだよっ」
「……? ……サポート要員で、来て欲しいと」
「あ、あ〜……そっか、夢ノ咲から何人か来てるんだっけ……てっきりアイドル科の関係者だけかと……」

 ソファからひょっこり顔を出した美雪に話しかけられ、口から心臓が飛び出るかと思った真緒はほっと胸を撫で下ろす。

「というか、何でソファに居るんだ? ここは相手方の応接室だから、あんまりくつろいでると失礼だぞ〜? ほら、こっち来〜い。俺と一緒に探検しよう♪」

 Trickstarは後輩がいない同い年だけのユニットのせいか、『Trickstarの日』に訪れた美雪を可愛がるのが癖になっていた。あんずも女子と話す機会が少ないためか、よく美雪の愛らしさにフンフンと息を荒くして頭を撫でている。真緒はそれもあって、美雪が見知らぬ場所で寂しがっているのではないかと思い自分と共に行動するよう声を掛けたのだった。

 真緒は美雪に向かって腕を拡げた。懐いているペットに「おいで〜」と言っている飼い主、あるいは自分の子どもに「ただいま〜」と言っている親のような行動だが、その鼻の下は伸びている。真緒はTrickstarの中でも常識人であり、誰よりも男子高校生らしい男の子だった。美雪という花と関わりたい・触れ合いたいという欲がどうしてもある。

 美雪が真緒に言われたとおりにソファから降りようとして身じろぐと、ソファに寝転んでいた凪砂がムッと眉を顰めて美雪の腕を引っ張った。真緒からすると突然美雪がソファに倒れ込んだかのように見えたため、彼は慌てて彼女の元に駆け寄った。

「美雪! だいじょう、ぶ──って、お、おおおおお、お前! 美雪に何やってんだ⁉」

 背もたれから覗き込んだ真緒は、下で美雪を押し倒している凪砂に叫んだ。
 美雪は茫然と凪砂を見つめている。凪砂の長く白い髪がカーテンのように降り注いで、光を遮っていた。凪砂はぐっと美雪の手首を握る腕に力を込め、苦しそうに首元にすり寄った。

「……行かないで。私から離れないで。ずっと一緒にいて」
「……うん。いるよ。大丈夫」

 美雪が凪砂の頬に手を伸ばし撫でつけながら言うが凪砂の表情は晴れない。まだ不満が残っているらしい。いじけた子どものようにぼそぼそと話す。

「……嘘。今、私じゃない男と一緒に行こうとした」
「……ごめん」
「…………」
「……ごめん、ね? 許して?」

 謝っても納得できていない様子の凪砂に美雪は困ってもう一度謝罪をした。じっと美雪の瞳を見つめた凪砂は静かに顔を近づける。

「…………キスして。美雪から」
「……ん」

 美雪は凪砂の首に手を回して唇の端にキスをした。美雪の細い手首にそっと触れた凪砂は甘えるように言う。

「…………もっと」

 それに応えるように、美雪は小さな唇を凪砂の頬や瞼、鼻にくっつけた。ちゅ、ちゅと可愛らしい音が響く。

(お、おいおいおい、嘘だろ……何だこれ⁉ どういう関係だぁ……⁉)

 はじめは襲われている美雪を救うべく、凪砂の背中を叩くなりしようとしていた真緒だったが、美雪が彼の言いなりになって睦み合っている光景に振り上げた拳の行き場に困っていた。

 もどかしくなったのか、美雪を許すことにしたのか。凪砂は美雪の頭に手を回して唇をやわく食んだ。微笑んだ凪砂は美雪から離れて体を起こし、「……こんにちは」と真緒に真顔で挨拶する。

「うぇっ⁉ あ、あぁ、こ、こんちは……」

 真緒は咄嗟に握っていた拳を後ろに隠した。凪砂の顔を正面から見て漸く、彼がAdamとEdenのリーダーにして、元fineの乱凪砂であることを理解することができた。

「えっと、その、なんで美雪と、キ……きす、なんてしてたんですかっ?」

 挨拶を済ませた真緒は意を決して二人の関係を尋ねる。もし二人が恋人関係であることが発覚すれば、夢ノ咲学院で何体かの屍が生まれる。真緒も数週間は放心状態になるだろうという自覚があった。

「……私たちは、箱庭のアダムとイヴ」
「……はい? AdamとEve?」
「……神より生まれ、アイドルになるべくして生まれた存在。……失われた五年間を、今、取り戻している最中。……私と美雪は、一つの魂」

(……駄目だ。何言ってるか全然わかんねぇ)

 真緒なりにどうにか凪砂の言葉を理解しようと頭をフル回転させるが、馴染のない単語ばかりでは彼の真意を知ることはできなかった。

「……美雪? ……だいじょうぶ? 眠たい?」
「……ん」

 今は丁度昼。美雪がいつも昼寝をしている時間帯だ。
 自分の下で瞼を重そうにしている美雪に気づいた凪砂は、やわらかい髪の毛を指に絡ませる。

「……一緒にお昼寝しようか」
「……んーん」
「……どうして? ……私と寝たくない?」

 緩く首を振った美雪に、凪砂は悲しそうに顔を歪めた。
 自分と共に居たくはないのか。凪砂と美雪は閉ざされた空間で常に同じ行動をしていた。一緒に寝て、一緒に起きて、一緒に遊び、一緒にお風呂に入り、一緒に、一緒に、一緒に。美雪と別になってしまうことに恐怖を感じている凪砂は一人の少年だった。不安で仕方がなかった。

 美雪は眠たいのを我慢して凪砂の頭を撫でる。

「……なぁくんは、いさらせんぱいと……レッスン、してて。……あなたは、アイドルなんだから」

 そのまま長い睫毛を伏せた美雪は、宝石の瞳を隠してしまった。

「……美雪だって、父にそう言われていたのに……まるで私だけみたいに言うんだね」

 凪砂は不服そうに少し頬を膨らませ、仕方が無さそうにソファに座り直して「……じゃあ、踊ってて」と真緒に言った。

***

「……青葉さま。わたくしの気のせいでしたら不躾かとは思いますが……偉くお疲れのご様子でいらっしゃいますね?」
「気のせいじゃないです……双子人形のせいです……」
「双子人形……?」

 着替えを終えた弓弦は秀越学園の浴場に閉じ込められて漸く出ることのできたつむぎの疲労困憊といった顔色に首を傾げた。Trickstarを含む夢ノ咲の仲間に忘れ去られたこと以上に、双子人形の世話という名の付き添いをしていた時間の方が堪えていた。

「伏見くん、俺が変態なわけじゃないですよねっ……? 男子高校生なら誰だって、あんな会話を聞いたらそっち方面で考えちゃいますよね……⁉」
「はぁ、そうなんじゃないでしょうか」
「話の詳細を聞かずに俺が求めてる返答だけしないでください⁉ なんか凄く適当に感じますよ⁉」
「ふふふ、すみません。では詳細をお聞きしても?」
「……はい。実は、凪砂くんと美雪ちゃんが一緒にお風呂に入りまして」
「はい?」

 つむぎの話を聞いた弓弦はその場に居たのが自分であっても対処できたものか、どう対処したものか考えて胃が小さな痛みを訴えた。

「どういう繋がりなのかは存じ上げませんが、お二人は距離感がバグっていらっしゃるんですね……」
「あはは。伏見くんも『バグ』って単語を使うんですねぇ」
「……ところで、その氷室さまは現在どちらに?」
「ああ……本当ならあんずちゃんと同じ部屋に宿泊するはずだったらしいんですけど、凪砂くんが美雪ちゃんと離れたくないって我が侭を言いまして……美雪ちゃんも凪砂くんにくっついて磁石みたいに離れないので、仕方なく秀越のどこかの部屋に二人で寝泊まりできるよう、向こうの七種くんがやってくれたみたいです。あんずちゃん、美雪ちゃんとお泊りできる〜ってワクワクしてたのに、可哀想ですねぇ……」

 同時刻、秀越学園にて。
 茨はカタカタとパソコンに向かって仕事をしながら、布団の中でベタベタしている二人の様子を監視していた。

 流石に寮部屋に二人っきりにするのは何か問題があってはいけない、ということで茨はとある一室を確保し、そこに三人で寝泊まりすることを提案した。凪砂の箍が外れたときに気絶させてでも止めにかかるのが茨の任務である。

「……茨も泊まるの?」
「ええ、閣下と妹君の手となり足となりますよ! ご安心ください、一緒に寝泊まりすると言ってもお二人の世界を崩壊させるようなことは極力致しませんので! 空気に徹しますので! 布団も離れたところに置かせていただきますね〜!」
「……そんなこと、しなくても。……本で読みました、三人並んで寝るのは、川の字って言うの。……七種さんも一緒に、川の字になりましょう」
「ああ、妹君も博識でお優しい! ですがこんな最低の自分のことまで気にかけていただかなくても大丈夫ですので! それに閣下は妹君を独り占めしたいのではないでしょうか!」
「……そうなの?」
「……わかった。茨なら、いいよ。……でも、私が真ん中ね。美雪の隣は、私だけ」
「えっ、あ、あれっ?」

 そうこうして、茨は意図せず凪砂と美雪と川の字になることになったはずだが、三枚並べられた布団の二つが現在抜け殻になっている。一つは茨のものだ、彼自身が仕事をしているため、まだ布団の中に入っていない。そしてもう一つは真ん中、凪砂のものだ。凪砂は美雪の布団に入り込み、戦車の中で読んでいた本の続きを眺めていた。

 わざわざ持ってきて敷いた意味がない、と茨は小さくため息をついて手元を動かした。

(氷室美雪……音楽科の一年生か。五年前に氷室に拉致された後はどうしていたんだ……?)

 茨は夢ノ咲学院からやってくるメンバーの申請書類のデータを確認し、氷室の情報を入手しようと探ってみるが、それらは全て厳重に保護されおり彼女については何もわからなかった。

(……そりゃそうだよな。彼女自身に聞くのが手っ取り早いが、閣下がそれを許さないだろう。……四六時中べたべたしているのは何とかならないのか? 引き離そうとすると閣下が不機嫌になるし……レッスン中も閣下は彼女を傍に置くつもりなのだろうか。そんなんで真面にレッスンを受けれるか? 閣下に限って、女性に現を抜かして稽古を疎かにするようなことはないだろうが……)

 茨が双子人形を盗み見ると、本を前にしながら無言で手を動かし、サインを送り合っているようだった。言葉を介さないコミュニケーション。茨は解読を試みるが、それは一瞬で姿を消してしまい、法則を理解することができなかった。

(彼女は傾城傾国の言葉が似合う美女だ。その美しさで男を惑わし、城や国を滅ぼしかねない美貌を持つ少女……成る程、だからゴッドファーザーは彼女を手元に置いていたのか。幼女の頃から、その美しさは変わらないのだろう。……楊貴妃に惑わされた玄宗皇帝のように、閣下が落ちぶれるようなことがあってはいけない。もし万が一にも閣下の不調が見られれば、ただ綺麗なだけのお人形さんには引っ込んでいてもらわないと、閉じ込めておくなりして……可哀想ですが。…………あの顔を見ると理性が揺らぎそうなので目隠しでもしながら対処した方が良いですかね。いや待てよ? かえって他の部屋に閉じ込めておく方が危険では? 誰が立ち入るかわからないし)

 ゴッドファーザーの血のせいか、茨は長考しながらブレブレな作戦を立てていた。

「……美雪? 眠たくなっちゃった? ……いいよ、今度こそ一緒に寝よう。……ふふ、一週間、昔のように美雪と眠れるなんて……とても、嬉しい」
「……私も、うれしい」

 凪砂は本を閉じて枕の横に置くと、掛け布団を引っ張って自分と美雪の体にかけた。大きくなった二人の体では、一枚の布団では少し狭い。そんなことは気にも留めずに、凪砂は美雪の頭を撫でた。

「……おやすみのちゅう、しよう」
「……うん」

 ちゅ、と可愛らしいリップ音をさせてキスをした二人は、「おやすみ」「おやすみなさい」と言い合って瞼を閉じた。茨は時計を見て(閣下も早いが……彼女も早いな。小学生か)と心中で呟き、布団がある方の部屋の明かりを落とした。

 微かな明かりの中、茨は一息ついて再び、先程よりも極力小さくしながらカタカタ……とパソコンに打ち込む作業をし始める。

(……ハッ! 俺の中で二人のイチャイチャがデフォルトになっている……⁉ せめて外では、誰かが見ている場では距離を保つように言わないと……! 人前でキスなんてしてみろ、AdamもEdenも終わる……!)

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