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「おはようございます! 閣下、妹君。朝でありま〜す!」

 軍人の朝は早い。茨は一番遅くに寝たにも関わらず、一番早くに目覚めて明かりをつけ、二人を起こしに行った。最初に身じろいだのは美雪だった。

「──……ぱぱ?」
「へ」
「……ん、ああ……おはようございます、七種さん」
「あ、ええ……おはようございます。朝もお美しい!」

 第一声に固まった茨は慌てて取り繕い、お世辞のように事実を告げた。寝起きで気だるげな雰囲気の美雪は少女というよりも女に近い。髪を掻き上げる仕草から漂う色香に茨は心臓を跳ねさせ、顔を背けた。

(……俺、そんなにゴッドファーザーに似てるのか?)

 凪砂にも同じようなことを言われたものだ、と思い返す。美雪は隣で眠っている凪砂の肩を揺らして「……なぁくん。起きて」と声を掛けるが、寝ぼけた凪砂は「……もうちょっと」と駄々を捏ねている。

「……もう、なぁくん……私が『お姉ちゃん』していいの?」
「……ん」
「……ふふ、可愛いなぁくん。……早く起きて、お姉ちゃんと遊びましょう? ──あっ」

 髪を触る小さな手を掴んだ凪砂は、布団の中に美雪を引きずり込んだ。茨は目を見開いて何かが起こってはいけない、と真剣な眼差しで観察する。布団はもぞもぞと蠢いて、中からくぐもった声がする。

「ん……や、なぁくん……あっ」
「……ん、美雪……かわいい、かわいい」
「……あ、あぅ、やぁ、ん」
「……ふふ」
「あ……あっ、だめ、なぁく」
「ハイ閣下ストップでーす! お時間でーす! お触り禁止でーす!」

 茨は掛け布団の端と端を掴んでバサッと持ち上げた。敷布団の上では悩まし気な表情で凪砂の腕の中にいる美雪と、彼女の寝巻の中に腕を突っ込んでいる凪砂がいた。凪砂は「……あ」と茨を見上げる。

「何が『あ』なんですかねぇ……悪いことをしている自覚がおありで?」
「……茨、怒ってる」
「成る程。自分が怒っているから、いけないことをしたのだと思ったのですね?」
「……うん」

 ため息をついた茨は掛け布団を退けて、「一先ず妹君から離れてください。そしてそこに正座しましょう」と促す。凪砂は渋々美雪を手放して布団の上に大人しく正座をした。

「まず、昨日も申し上げましたが何処で誰が見ているのかわからない以上、美雪さんと接触するのは避けていただかないと困ってしまうんですよ」
「……どうして?」
「どうしてだと思います?」
「……スキャンダル?」
「そうです正解です、そのとおりです聡明な閣下」

 自分で考え、昨日の茨の発言を思い出した凪砂は正答を出した。しかし、正解しても褒められても不満は残る。いじけた子どものように呟いた。

「……でも、此処には私と美雪と茨しかいない。……だから、大丈夫だと思った」
「……確かに多少は許されますが、それをそこかしこでやられると困るんですね。賢い閣下であればTPOを弁えて行動することが可能なのは承知しておりますが、日頃から訓練し、距離を正常に戻す必要があるかと」
「……私たちは異常なの?」

 じっと自分を見上げる赤い眼に茨は一瞬口を噤んだ。

「……この年頃の、一般的な兄妹の距離感ではないと思います。兄は妹の体を隅々まで触りませんし、一緒にお風呂も入りませんし、布団にも入りません」
「……でも、私たちはたぶん、普通の兄妹じゃない」

 俗世から隔たれた空間で育った二人に、周りの目を気にして常識的な振る舞いをしろ、とうのは無理難題なのかもしれない。しかし凪砂はアイドル。そこを彼に理解させなければ、と茨は心を鬼にする。

「……まあ、そうでしょうけれど。だからといって、世間がお二人の関係を認めてくれるとは限りません。どうかご理解ください。人前での『一緒にお風呂に入ろう』やら『一緒に寝よう』という発言、キスをする行為、服の中に手を入れる行為等々、禁じさせてもらいますからね」

 指を一本一本立てながら茨が言うと、凪砂は「ふむ」と考え込む。

「……手を繋ぐのは良いんだね」
「駄目です。それは『等々』に含まれます」
「……じゃあ、くっつくのは」
「駄目です」
「……」
「そんな顔しても駄目です」

 もう既にTrickstarやあんず、つむぎといった夢ノ咲の陣営に二人がイチャコラしているという事実を知られてしまっている。茨は此方の弱みを兎に角握りつぶしたかった。
 しゅん、としている凪砂は唇を尖らせた。

「……あれも駄目、これも駄目」
「仕方がないでしょう。我慢してください」
「……規制するなら、妥協案を示して」
「はい?」
「……『人前』っていうのは、茨の前は例外でしょ? ……訓練しなくても、私は切り替えることくらいできるから。……美雪と触れ合う時間が欲しい。……Edenの皆の前なら、良いよね」
「……はぁ、わかりました。ですが此方の判断で止めに入る場合もありますので、そこは了承してくださいね」
「……うん。わかった」

 折れてくたびれている茨と対比して、凪砂は微笑んでちゃっかり美雪にくっついた。

「……あ、そうだ茨。美雪の着替えに、秀越の制服が欲しいな」
「はっ? スカートなんてありませんが?」

 昨日、風呂から上がった美雪は凪砂の替えのジャージを着て過ごしていた。ブカブカで袖が余りまくり、ズボンの裾を踏んづけて転びそうになっている美雪の愛らしい姿を見て、凪砂はニコニコ笑っていた。油断するとズボンがずり落ちてしまうため、美雪は腰の紐を固く結んでいた。

「……作らせて。……今だけでも、お揃いにしたい」

 転校が出来ないのであれば制服だけでも同じものを。茨はこの一週間だけで主人の我が侭にどれだけ振り回されることになるだろうか、と自分の未来を憂いながら制服専門の会社にタブレットで発注した。

「……なぁくん、私、準備期間中はどうすれば良いの?」
「……何もしなくていいよ? ……ただ、私の傍に居てくれれば良い」

 茨と凪砂の会話を黙って見ていた美雪は、寄って来た凪砂に疑問をぶつけた。美雪は夢ノ咲のサポート要員としてやってきているはずだが、凪砂の我が侭で連れて来られたこともあって具体的な仕事などは与えられていない。今回のオータムライブで使用する楽曲はすでにAdam、Trickstarの双方に渡してある。

「……なぁくんと一緒なのは嬉しいけど、でも、何もすることがないのは、つまんない」
「……そっか。……じゃあ、どうしようかな。私の本を貸そうか?」
「……曲、作ってても良い?」
「──曲?」

 茨が首を傾げる。凪砂は再び「……あ」と声をあげた。
 夢ノ咲学院でも楽曲提供している美雪に火が飛ばないよう敢えて作曲家名を公表しないように茨に命令していたが、凪砂は美雪がEdenに楽曲提供している『名波哥夏』であることを彼に伝えていなかった。伝えてしまえば、美雪が凪砂を通してではなく茨を通して楽曲を渡すことになると思ったのと、美雪が茨に良い様に使われてしまうのではないかと懸念していた結果だった。

「ほう。妹君は作曲ができるのですね?」

 茨は凪砂の「しまった」という表情を見逃さなかった。ズイ、と美雪に距離を詰める。さながら獲物を狙う蛇のように。

「……?」
「なぁるほど……へぇ、そうですか、そうでしたか」
「……茨、ごめんってば」
「自分、まだ何も言っていませんが」
「……だって、もうわかってるでしょ」

 諦めたように肩を落とす凪砂に、茨はフフンと勝気に笑った。先程と立場が逆転している。

「いつもどこからともなく我々の曲を持ってきてくれる閣下と、いつも楽譜に名前を残している作曲家……きっとやんごとなき関係なのだろうとは思っていましたが、まさかご兄妹だったとは」

 茨はここ最近で一番機嫌の良さそうな笑みを浮かべて美雪を見下ろした。こうなった茨はもう誰にも止めることはできない。

「では妹君、いえ、天才作曲家・名波哥夏さん。我々Edenのために、SSに向けた曲作りをお願いしてもよろしいでしょうか? 作曲用の施設をご用意したいのですが、貴女を一人にすると何だか問題が起きそうで怖いので、なるべく我々から離れないようにしてくださいね! いやぁ〜、これは豊作です! もっと早く教えてくだされば良かったのに!」

 愉快愉快、と鼻歌でも歌いそうな程に上機嫌になった茨を見て、凪砂はため息をついた。

「……こうなると思ったから、隠してたの」
「こうなる、とは? 良いではありませんか、Edenのプロデュースもしている自分が作曲家と関わることは当然のことです。やり取りもスムーズになりますし、楽曲の申請もしやすくなってどんどん増やしていけますからねぇ。ふっふっふ……お願いしますね、妹君。我々Edenは、貴女の曲の虜なのですから……♪」

***

 一週間のレッスンを重ねたTrickstarとAdamは無事にオータムライブを終えた。
 サマーライブでは一方的に翻弄されたTrickstarたちは対策を立て、そして彼等自身が成長していたことから、平等なライブをすることができたと言えよう。

 名目上は合同ライブということで、夢ノ咲学院側の生徒たちは秀越学園側の生徒たちに感謝を述べて回った。芸能界ではそういった部分もしっかり熟していかなくてはならない。

「……あの、乱さん」
「……ああ、君たち」
「えっと、俺たち夢ノ咲に帰るんですけど」
「……そうだね、ライブも終わったから。……お疲れ様」
「あ、はい。お疲れ様です……で、ですね?」
「……うん?」
「……美雪を返してもらっても良いですか」

 真緒が遠慮がちに凪砂に申し出る。凪砂の腕の中には美雪がすっぽり収まっていて、彼の腕はがっちりホールドしてある。凪砂はじぃっと真緒を見つめ返した。

「……私も離したいとは思っているんだけど、腕が言うことを聞かなくて」
「はーいすみませんね皆さん! 閣下、駄々を捏ねていないで美雪さんをお返しください。どんな言い訳ですか、言い訳にもなっていませんよ」

 即座に割って入った茨が凪砂の腕を掴んで離そうとする。凪砂は更に力を込め、茨の腕にも血管が浮かんでいた。

「…………」
「離せって言ってんですよ……! ぐぬぬっ……力強いな、この野郎!」
「……美雪の前では言葉遣いに気をつけて。私みたいに真似しちゃうよ」
「閣下ぁ〜? お約束しましたよねっ、くっつくのはEdenのメンバーの前だけだと! 約束を破る子は針千本飲まなければなりませんよ〜? 今なら許してあげますから、さぁ。美雪さんを返しましょう」
「…………わかった」

 約束は守らなければならない。そう思った凪砂は名残惜しそうに美雪を解放した。スバルに「おーい、こっちこっち!」と呼ばれた美雪は、一度凪砂を振り返り、小さく手を振ってからスバルたちの元に向かった。

「……ぁ、ぁ、美雪……行っちゃう……」
「今生の別れじゃあないんですから。また会えますよ」
「……うん。でも、寂しいものは、寂しい」

 眉を下げて肩を落とす凪砂を見た真緒は(……なんか悪いことしてるみたいだな)と頭を掻いた。
 美雪が見えなくなるまで手を振り続けた凪砂はとぼとぼと寮の部屋に戻り、温もりのないベッドを切なく見つめた。

 行きは送迎車と茨によって秀越学園までたどり着いた美雪は、駅へ向かう夢ノ咲一行に不思議そうに着いて行った。

「……青葉先輩」
「はい、どうしました?」

 美雪に裾を掴まれたつむぎはにこやかに振り返る。上目遣いで見上げてくる美雪に、思わずデレデレと顔を緩ませていた。

「なんだか、美雪ちゃんと話すのは久しぶりな気がしてしまいますね。ずっと凪砂くんと一緒でしたから。……あ、すみません、話が逸れちゃって」
「……いえ。……あの、どうやって、帰るんですか?」
「え。駅に行って、電車に乗って帰るんですよ?」
「……電車」
「……もしかして初めて乗りますか?」

 つむぎの言葉に美雪は頷く。

「え、電車初めてなの⁉」
「そうか……ではICカードもないから、切符ということになるな?」
「……ICカード?」

 つむぎと美雪の会話を聞いていたスバルが勢いよく振り返る。北斗は美雪が電車に乗るのをシミュレーションしているらしい。すっかり電子マネーに慣れてしまった彼等は切符を買うのも久しぶりだった。ICカードが何なのかわからない美雪に真がポケットから取り出して見せる。

「こういうのだよ。お金を事前に払っておくと、これをパネルにタッチするだけで入れるんだ。急いでるときに切符を買わなくて済む優れものだよ。ちなみに切符以外にも、コンビニとかで買い物もできるんだ」
「……お買い物。……お祭りでもですか?」
「お、お祭りは無理かな……専用のパネルがないといけないから。美雪ちゃんはお祭りが好きなの?」
「……この間、はじめて行きました。……小銭も、はじめて使いました」
「え、小銭使ったの? 俺にくれれば良かったのに〜」
「後輩にまで金を集るな」

 北斗のチョップがスバルの脳天に直撃した。

 夢ノ咲学院の最寄り駅までの切符を買った美雪は、改札口で穴が開いて返ってきた切符をじっと眺めた。ホームでは電車の音に落ち着かない様子で立ち尽くし、先輩たちに背中を押されて人生ではじめての電車に乗り込んだ。

「あ、美雪、見て見て! 映画館あるよ! あ、あれうちの近所のカラオケとおんなじだ。ここにもあるんだ〜」
「おいスバル。幼稚園児みたいに外を眺めるな」
「そうだぞ、やるなら靴を脱ぎなさい」
「そういう問題なんだ?」
「他の人様も使う座席を汚すのは良くない行為だとお祖母ちゃんが言っていた」
「ま、まあそうなんだけどさ……」

 Trickstarに挟まれた状態で座る美雪は窓の外で移り変わる夜の景色をじっと見ていた。一緒に寝泊まりできなかったあんずが、それを取り戻そうとするかのように美雪の隣に座って時折話しかけている。

「皆さん、先程までライブだったというのにお元気で」
「あはは、体力が有り余ってるんですかねぇ〜。若いって良いですねぇ〜」
「この学院の先輩方はすぐ老人面するので困りものです」
「ええっ。この一週間でわかったんですけど、伏見くんって結構毒を吐きますよね……」
「おや。心外です」
「そ、その笑顔が物語ってますね……」

 結構な時間をかけて最寄り駅まで辿り着いた。Trickstarとサポート要員で来ていたつむぎと弓弦は、無事にライブを終えたことを報告しにそのまま学院まで向かう。事前に送迎車を学院前に呼び出していた美雪も、その後に続いた。

「……! 氷室! お帰り!」
「美雪ちゃ〜ん! 元気やった〜?」

 今日がオータムライブ終了日だと知っていたValkyrieは、サポート要員として連れていかれて一週間会うことの出来なかった美雪の帰りを、わざわざ校門の前で待っていた。

「ああ、君が居ない一週間は全くと言っていい程に彩りが無かったよ……勝手なものだ。氷室を外部に連れ出すなんて、天祥院は何を考えているんだっ」
「あ〜、それは英智くんというより、あちらさんの都合で……」
「ノンッ! 発言を許可していないよ、青葉。話しかけるな、僕と氷室の世界に入り込むな!」
「そうやそうや!」
「や、野次までいる……みかくん、俺にはまあまあ優しいはずなのに……!」

 つむぎに噛みついた宗は美雪の顔を覗き込んで尋ねる。

「無事か? 不愉快に感じることはなかったかい? ……ああ、一週間ぶりの氷室だ……とても胸が躍っているよ。しかし、君も疲れていることだろう。慣れない環境に身を置くのはフラストレーションが溜まるものだからね。家に帰ってゆっくりお休み。そしていつものように、『Valkyrieの日』を共に過ごそう!」
「…………」
「……? どうした、氷室。もう眠くなってしまったのか?」
「……いえ」

 一週間ぶりに見た生の宗の顔を、美雪はじっと見つめる。
 凪砂の見ていないところで、美雪はスマートフォンに入っている舞台の上の宗の画像を眺めていた。スケッチブックに描いた彼も見返していた。

 アイオライトの瞳は美しい。美雪の大切な人である凪砂の燃えるような瞳とは違い、静かな色をしている。
 美雪は以前、凪砂に言われたことを思い出していた。

「……貴方への気持ちは、何なんでしょうね」
「ん?」
「……私も、貴方に会えて、嬉しいです」
「…………えっ、え?」

 面と向かって思いを伝えられた宗は思わず後退った。顔を真っ赤にして、口をはくはくさせている。横に立つみかも友人のように「きゃ〜〜〜っ!」と興奮を隠し切れていない。

「ど、ど、どうしたと言うのだ、氷室⁉ なんかこう、全体的に、雰囲気が柔らかいな⁉ とてもふわふわしているっ!」

 動揺しまくった宗は美しくない身振り手振りをしながら頭を振り乱していた。
 一週間凪砂と過ごしていたからか、美雪の空気はお花が咲いているかのように和やかだった。

「……そうですか?」
「だって、僕には大抵つっけんどんではないか……!」
「……それは貴方が、舞台上と全然違う振る舞いだから」
「え、君は舞台上の僕がお好みなのかっ? やれ威圧的だ、やれ高圧的だと煙に巻かれがちなのだけれど……僕がここまで優しくしているのは君だけなのだが、お気に召さないのかね……?」

 その振る舞い故に相手から誤解されてしまうことも、宗は少なくなかった。態度をどうにかしろと言われることはしょっちゅうで、宗としては懇切丁寧に美雪と接してきているつもりだった。

「……嘘。私だけじゃない癖に」
「え」

 目を逸らした美雪が口を開く。

「……仁兎なずなにも優しくしてたんでしょう」
「に、仁兎っ? あ、あれは……まぁ、そうだったが……だが女性は君だけだから!」
「……どうだか」
「本当だ、信じてくれ!」

 ぷい、と顔を背けてしまった美雪に、宗は回り込んで膝までついて懇願し続けた。
 その様を黙って見届けていたTrickstarだったが、ついに耐え切れなくなったスバルが指をさす。

「何あれ、修羅場?」
「明星くん静かに……!」
「浮気がバレた男と、そいつを捨てようとしている女のシチュエーションだな。演劇部でやったことがある」
「うん、そっか。北斗もちょっと黙ろうな」

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