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 平日の彼女の過ごし方。
 昼間、一度手芸部室のベッドに眠りに来る──もし嵐に昼間に呼び出され真面な食事を行えるようお世話をされれば、その後に手芸部室に行くことになる。起きたら音楽科に戻り、『ユニットの日』であれば放課後も再び訪れる。このようなラインナップだ。

 オータムライブを終え凪砂と過ごす日々ではなくなった美雪は、午前中の授業を終えるとアイドル科にやってきて手芸部室のベッドの上に座った。宗は彼女をにこやかに招き入れ、自分は気にせず眠るよう言う。

 しかし彼女はなかなか寝付けないらしい。ここ数日凪砂と眠っていたためか、美雪は温もりが足りなく感じていた。ころん、と寝返りを打った美雪は静かにちくちく縫物をしている宗を見つめる。

 凛々しい表情で上質な布に糸を通し、世界に一つだけの作品を仕上げている。美雪は自分にだらしない表情で接する宗よりも、舞台の上の神々しい存在である『斎宮宗』に惚れ込んでいた。

「──氷室? ……どうした、眠れないのか?」

 視線に気づいた宗が声を掛けると、美雪はデュベに顔を隠してしまった。目を丸くした宗は手芸部室の棚に並べてある、夏休み中に一緒にゲームセンターで取ったクマのぬいぐるみを持ち出してベッドに腰掛けた。美雪はちらりと目元だけ出して宗を見上げる。

「一緒に眠ると良い」

 穏やかな微笑みを浮かべた宗に胸の辺りを締め付けられたように思えた美雪は、ぬいぐるみを恐る恐る受け取ると再び顔を隠した。
 宗はとんとん、とデュベの上から彼女の体を撫でた。心臓と同じリズム。美雪は次第にすぅ、と眠りについた。

 デュベを捲って彼女が眠ったことを確認した宗は小刻みに震え、立ち上がって拳を天井に突き上げた。唇を嚙みしめてなんとか叫ばないよう努めている。

(〜〜〜〜〜〜〜っかぁぁぁぁわいいぃぃぃぃぃ! 甘えん坊の氷室、可愛いッ……! 永遠にお世話をしていたい……! テディベアを抱えて眠る愛らしい少女……ああッ、月永ではないが、霊感が刺激される……湧き上がるッ! 今すぐ衣装に取り掛からなくては!)

 宗は目にも止まらぬ早業でハロウィンに向けた衣装を仕上げまくった。ズバババババ、と近寄れないくらいに集中している宗に、部屋の隅で作業をしていたみかはそろりそろりと近づいた。

「あ、あんなお師さん。任された舞台のことなんやけど……セットの使い方、こういうんでええかな?」
「……君に任せるよ」

 手を止めてみかのセット案の図を見た宗は罵倒することなくじっくりと眺め、これといったアドバイスをすることなく作業を再開してしまう。宗はみかの未来のことを考え、みかにただ操られる人形ではなく芸術家として、共に舞台に立って欲しいと考えていた。今回のハロウィンでは、ライブのほとんどを任せるつもりだった。

「そうだ、影片」
「! おん、なになに? 駄目なとこあった? おれはダメダメやもんなぁ〜ジャンジャン駄目出ししたって!」
「何故自ら罵倒されに来る……気味が悪いね、折角僕が優しく接してやっているというのに」
「だって、なんかこそばゆいやもん」

 針を置いた宗がセット案にあれこれ駄目出しをしてくれるのではないかと思ったみかはニコニコ笑いながら自虐する。宗は「その話ではないよ」と言って美雪を示す。

「君もあの子を見ると良い。……どう思う?」
「え。……そりゃあ、綺麗で、この世界でただ一人の存在やない?」
「そうだな、その通りだ。氷室は宇宙が産んだ奇跡と呼べる子だね」
「おん」
「……彼女を見ていると、湧き上がってくるものがあるだろう」
「え? ……な、なんやろ……え、うん、何? もしかしてお師さん、美雪ちゃんに興奮して」
「やめないか」
「せ、せやな。お師さんはいつでも高潔で」
「僕は常に氷室に興奮している。当たり前のことをわざわざ口に出すんじゃあない」
「んあ〜?」

 みかは間抜けにもポカーンと口を開けて宗の横顔を見た。凛々しい顔で「興奮している」と言われると、それがどういった方向性の『興奮』なのか問いたくなる。帝王が何を言いたいのか、烏には理解ができない。

「僕は氷室を見ているだけでね、あの子の新しい一面を見るだけで気持ちが昂るよ。あの子はいつでも可愛い。いつでも美しい。氷室の顔を見るだけで曇り空が一気に晴れ渡り、爛々と輝く太陽が大地を照らす。それを見上げた民衆たちは涙を流し、膝をつくのだ……わかるかい?」
「お、おー……」

 みかは想像してみる。確かに彼女は宗がそんな錯覚に陥る程の美貌の持ち主だ。ただみかが彼女を見たときにそのような幻想を繰り広げるかと言われればそうではない。みかはどちらかと言うと、彼女と会う度に辺り一面に花々が咲き誇り、その蜜を吸いに蝶々がやってくるイメージを持っていた。
 宗はみかの釈然としない表情を見て続ける。

「感じ方は人によって違うから、わからなくてもいいよ。君なりの氷室を探してご覧。そうしたらきっと、君にも女神が微笑むだろう。……ああ、可愛いな」
「……お師さん。ただ単に美雪ちゃん自慢がしたかっただけやない?」
「な、何を言う! 氷室はいつでも可愛いだろう!」

 顔を赤くした宗が立ち上がって言い訳を並べる。二人が結ばれる未来が想像できるみかは菩薩のような微笑みで佇んでいた。

「……うん。お師さんと美雪ちゃん、お似合いやで♪ 結婚式にはおれがスピーチすっから」
「け、けけけ、結婚⁉ き、気が早いぞ影片っ、こ、こういうのはきちんと段階を踏んでだなっ……」

***

「なるくんじゃん。何してんの?」
「あら、泉ちゃん。うふふ、何だと思う?」

 キッチンの上に肘をつき、顎を乗せた嵐が可愛いポーズで泉を見上げた。泉の腕には鳥肌がぞわりと浮き立つ。

「……あのさぁ、何歳か尋ねられて『何歳に見えますぅ〜?』って質問を質問で返す丸の内のOLみたいなこと言わないでくれる?」
「泉ちゃん丸の内のOLに恨みでもあるの? 物凄い偏見じゃない」

 ガーデンテラスの厨房にて、嵐は冷蔵庫や棚から食材を取り出してキッチンの上に並べていた。そこに偶然通りかかった泉が声をかけたのだが、嵐は結局何をしているのか正解を言わずに鼻歌を歌っている。その曲が先日のジャッジメントで名波哥夏が用意した曲であることがわかった泉は、キッチンの上に置かれた食材を右から順に眺めた。

「強力粉、バター……何? パンでも作るわけ?」
「そうよォ〜! 泉ちゃん正解☆」
「何のためにパンなんか……Trickstarとお菓子作りするのは明日のはずでしょぉ?」

 つい先日、TrickstarとKnightsはまた衝突していた。
 その発端は雑誌に掲載されたインタビューであるが、Trickstarは『記事が意図的に文脈を変えている』と弁解し、Trickstarから声明を出すことを条件にKnightsは納得して引き下がった。英智の介入もあったことでほとぼりは冷めつつあるが、まだ不安要素は残っている。

 そんな事件があったにも関わらず、彼等はハロウィンパーティーの事前準備をすることになった。生徒会からの計らいで、この二つのユニットは今回のS1における目玉となり、TrickstarはKnightsが『落ちぶれたアイドル』ではないことを証明する機会を得た。

「それとは別よ。美雪ちゃんがお料理を教えて欲しいって言ったの」
「は? 美雪が?」
「ええ。折角だからみかちゃんも呼びましょうかって提案したんだけど、珍しく首を縦に振らなくてね。Valkyrieの二人の言うことは割と素直に頷いてるイメージだったんだけど、反抗期かしらァ」

 そう言って、嵐は食材の全てを揃え終えた。後は美雪が此処にやってくるのを待つだけ。流石に美雪もガーデンテラスには迷わずに来れるようになったため、嵐はいちいち電話をして「そこを右に曲がって……ああん、違うわよォ!」とくねくねせずに済んでいた。

「ふぅん。俺も手伝ってあげる、何作るの?」
「クロワッサンよ」
「クロワッサンんん? 美雪って料理の経験あるの?」
「さぁ……教えてくれって言うくらいだからないんじゃない?」
「初心者にパンってだけでもキツいっていうのに……何でクロワッサンなんて難易度高いのに挑戦しようとしてんの。あれってかなり焼き上げるの難しくなかったぁ? あとあの子、食べるの嫌いでしょ?」

 泉は以前、美雪を強制的に連れ出して撮影会をし、差し入れに可愛い形のクッキーを渡そうとした際に拒否されたのを思い出した。

「そうそう、そうなのよ。喉に突っかかる感じがして嫌〜って言うの。だから柔らかいものから慣れさせて、だんだん硬くしていってる段階なんだけどね? すごいのよォ、最近はゆで卵一個丸々を食べられるようになって! 前までは半分以上残してみかちゃんに食べさせてたのに!」
「乳児の母親か」
「あらヤダ、ママですって。うふふ♪」
「……というか、ゆで卵食べるのもやっとな子がクロワッサンなんか作っても食べられないでしょぉ?」
「ん〜、そうなんだけどね。あのコが作りたいって言ったのがクロワッサンなのよ」
「はぁ?」

 てっきり嵐がクロワッサン作りを提案したのかと思っていた泉は眉を上げて心底「わけがわからない」といった表情で嵐を見つめた。嵐の方も肩を竦めて、美雪の意図はわからないという意思を泉に示す。

「まぁ、自分で作ったものなら愛着を持って食べられるかもしれないじゃない? アタシ、幼稚園時代に畑でトマトを作ってね。それが給食に出て来たときはすっごく嬉しかった記憶があるから、それと似たような感じで行けるんじゃないかって思ったの」
「よく覚えてんねぇ、そんな大昔のこと。……俺の母園ではなんか育てたっけな。人参の種なら植えた気がするけど」

 泉が厨房にかかっているエプロンを拝借して身に着けたタイミングで、丁度美雪がひょっこり顔を出した。

「あら、美雪ちゃん。御機嫌よう♪」
「……はい。鳴上先輩、瀬名先輩、御機嫌よう」
「はい、御機嫌よ〜」
「……瀬名先輩は、どうして此処に?」
「暇だったから。クロワッサン作るんだって? お兄ちゃんが手取り足取り教えてあげる……♪」

 何処からかフリフリの可愛いエプロンを取り出した泉が美雪に迫った。美雪は「……持ってきました」と言ってシンプルかつ上品なエプロンを装着する。残念そうに肩を落とした泉に嵐が尋ねた。

「頼もしいわね、泉ちゃん。作ったことあるの?」
「ないけど」
「ないのね。アタシもないわァ」

 市販のものはカロリーが高い可能性があるからと、泉は自炊をすることが多い。パンは何度か作ったことがあったが、クロワッサンには挑戦したことがなかった。
 三人は綺麗に手を洗ってから食材の前に並んだ。

「何回かパンは作ったことあるけどね。素人よりはマシな出来になるはず!」
「じゃあ始めましょっ♪ お料理教室の開始よォ〜!」
「なになに……? 強力粉と薄力粉をふるいにかける……ふぅん、まあこれくらいなら美雪も出来るでしょ。ほら、やってご覧。ちゃんとグラム数測るんだよ」
「……はい」

 ボウルを渡された美雪は強力粉と薄力粉の入った袋を持って計量機の上で重さを測った。

「……泉ちゃんが来たから人口密度が凄いわね」
「ハ? 誰の横幅が広いって?」
「言ってないわよ。……クロワッサンだけだと何だか味気ないから、サラダでも作ろうかしら」
「ああ、それは焼いてる間にしようと思ってた」
「計画立ててたのね。さっき参加することにしたのに」
「美雪にも包丁くらい握らせないと。お嬢様もお坊ちゃまも、放っておくと料理人ばっかに作らせる子になっちゃうからねぇ」

 生地をまとめ、捏ねて、叩きつけ、捏ねて、伸ばし。
 同じような作業を延々と繰り返す状況に、陸上部で鍛えている嵐も「あ〜、嫌になるわァ」と零していた。

「パンって意外と力いるんだよねぇ〜。ほら陸上部、休んでないで捏ねな」
「泉ちゃんだってテニス部なんだからやんなさいよ。んもう、右腕ばっか筋肉ついちゃうじゃない……」
「……なるくんがやってくれてるから、美雪は俺と野菜切ってようか。焼いてる間にするつもりだったけど、捏ねるのは一人しかできないからしょうがない」
「……はい」

 泉は嵐にクロワッサンの生地を任せることにして冷蔵庫の野菜室を覗いた。中にはレタス、胡瓜、トマトなどが入っている。補充される前なのか材料が少ないように泉は感じていた。

「仕方ない、シンプルだけど無いよりはマシ。……美雪、包丁とまな板持っておいで」

 指示を受けた美雪は指定された道具を取りに行く。まな板の上に包丁を乗せて歩き始めた美雪に、泉がぎょっとして素早く慎重に駆け寄った。

「危ない危ない! そんな持ち方じゃダメ! 包丁が落ちたら足怪我するからっ」
「……? はい」
「ほんっとに料理したことないんだね……目も離せない。……はい、まな板置いて。その上に洗った胡瓜を置きます。いい? 包丁を持つときは、猫の手だよぉ」
「……猫」

 指を折った泉が猫の手をやってみせると、美雪はじっと観察して自分の指を折って猫の手を作った。そのまま包丁を持とうとしたので慌てた泉が止める。

「ああああ違う違う! 包丁持つ方の手は猫にしない! ……ってかアンタ、そっか。左利きだっけ。ここのは両刃だから大丈夫か、くまくんもそのまま使ってるもんね。……はい、こっちの手が猫ね。鳴いてご覧」
「……? 鳴く?」
「にゃーって。鳴いてご覧」
「……必要ありますか?」
「必要。言って」

 泉の圧を感じた美雪は疑問に感じながらも渋々口を開く。

「……にゃぁ?」
「うん、かわいい♪ あ〜、スマホがあれば録音したのに」
「泉ちゃん……言わせたかっただけじゃない」
「うっさいよ。捏ね終わったの?」
「うーん、どうかしら。これってどのくらい捏ねるもの?」
「レシピには薄くしたときに穴が開くようになったらって書いてあるけど」
「アバウトよねェ」

 このままでは日が暮れるまで捏ねることになってしまうと思った嵐は「こんなもんでいいでしょ」と言ってレシピの指示通り、生地を寝かせることにした。寝かせる時間は三十分ほどで良いらしい。

「意外と短いのね、寝かせる時間って。もっと長いのかと思ってたわァ」
「料理番組なら『一晩寝かせた生地がこちらです』って作業の流れが途切れることはないんだけどねぇ……仕方ない。なるくんはトマト切ってて。俺は美雪のスープ作っとくから」
「材料はこれでもかってくらい細かく切ってね。それからこれでもかってくらいドロドロに煮込むのよっ」
「はいはい」

 具材が大きすぎると汁だけ飲んで残す美雪を見てきた嵐が泉に忠告した。泉は(これくらいか……?)と小首を傾げながら切っていく。
 トマトを洗った嵐はまな板を取り出して美雪の隣に並んだ。

「それにしても、どうして急にクロワッサンを作ろうと思ったの?」
「……えっと」
「……言いにくい?」
「……影片先輩には、言わないでくれますか?」
「あら、良いわよォ。お友達にだって隠し事くらいするものだわ。女の子同士の秘密ねっ」

 ゆっくり胡瓜を切る美雪は包丁を止めて小さく言う。

「……もうすぐ、斎宮先輩の誕生日だから」
「……まあ」
「……私、お誕生日プレゼントって、何が良いのか、わからなくて。……まずは、あの人が好きな物を、作ってみようかと」

 泉も手元で音を立てないようにしながら耳を澄ませていた。食器の当たる音がしてしまえば聞き取れなくなるくらいにデクレッシェンドしていく声だった。

「あら……あら、あらあらッ! 泉ちゃん、聞いたァ⁉ すっごい健気! アタシ泣いちゃいそう……!」
「聞こえてるよぉ……なーんだ、斎宮のためだったのか……」
「やぁね泉ちゃん、やきもちィ?」
「うっさい」

 嵐がからかうと、泉はぷいっとそっぽを向いて鍋にコンソメの欠片を入れて煮込み始めた。その姿を微笑まし気に見つめた嵐は、未だに手を止めている美雪に話しかける。

「成る程ねェ、お誕生日プレゼントを探している最中なのね。ちなみに他に候補はあるの?」
「……お父様にお願いして、Valkyrieのためのオーケストラを作ろうかと」
「待って」
「待って」
「……?」

 思わず嵐も泉も料理をする手を止めて美雪の言葉を遮った。

「……お、オーケストラ?」
「……はい」
「Valkyrie専用の?」
「……はい」
「それは、ちょっと……誕生日プレゼントにしては大規模すぎる気がするわァ?」
「……そうなんですか?」
「だって手作りクロワッサンとオーケストラよ? 額が違いすぎるじゃない!」
「そうだよ、美雪。クロワッサンなら可愛いけど、オーケストラが用意されたら流石の斎宮も喜びを通り越してドン引きする」
「……どん引き? それは何ですか?」
「重すぎて受け取りにくいってこと」

 美雪のとんでもない誕生日プレゼント候補に、嵐は(この子もお嬢様ってことかしら……金銭感覚が恐ろしいわァ)と首を振った。

「……でも、Valkyrieがオーケストラの演奏に合わせてライブをしたら、素晴らしいと思ったんです」
「そ、そうね……? 確かに相性が良さそうだわ?」
「……私のお家が用意したオーケストラなら、Valkyrieも余計な出費をする必要もないですし……オファーしたいチェリストもいて」
「そ、そこまで候補を絞って……⁉ まさか本気なの⁉」

 後退った嵐の後ろから、鍋の火を止めた泉がずんずん美雪に近づいて両手を出し、『止まれ』のジェスチャーをした。

「美雪、落ち着いて。一旦冷静になって」
「……? 冷静です」
「そうだよね、異常に気づいてないだけだよねぇ……日々樹に何でも与えようとしてる天祥院じゃないんだから」
「取り敢えず、クロワッサンを焼いてからもう一度考え直しましょう? 難しかったら、アタシもプレゼント探しに付き合うわァ」
「……でも、皆さんはハロウィンパーティーに向けてお忙しいです」
「良いのよ。買い物にも行けない程忙しいわけじゃあないんだから」

 寝かせ終わった生地を取り出してバターを包んで伸ばし、三角形に切って丸めて天板に乗せてオーブンで十分強。クロワッサンは綺麗な色に焼き上がった。

 美雪は焼きたてのクロワッサンを泉と嵐に食べさせ、二人の感想を待った。消化のために何回も咀嚼した泉は「いいんじゃない? 俺が手伝ったから当然だけどね」と笑った。嵐も「美味しいわァ」と頬っぺたを抑えて見せる。

「美雪ちゃんも、自分で食べてご覧なさいよ」
「……」
「……わかったわよ。ほら、先っちょの方を千切ったから。あーん」

 嵐は自分が口をつけていない方の三日月の端をほんのちょっとだけ千切って美雪の口元に運んだ。小さな口にクロワッサンの欠片が入る。

「……どう? 自分で作ったのって、なんだか美味しく感じない?」
「……」

 美雪は無言で天板の上に残ったクロワッサンを見つめた。嵐と泉が一つずつもらったことで、残りは四つになっていた。

「……他の人にも、食べてもらいます」
「感想が聞きたいの? そんなに不安にならなくても良いのに。ちゃーんと美味しかったわよ?」
「いえ。宗様に食べてもらうものですから」
「……みかちゃんも美雪ちゃんも、あの人のこと崇拝しすぎじゃない?」

 後片付けを終え小さな籠にクロワッサンを入れた美雪は、嵐と泉と別れた。すれ違ったアイドル科の生徒にクロワッサンを食べさせ、感想を聞く為に校内を練り歩く。

 なかなか知り合いとすれ違わない。美雪はクロワッサンの個数から、四人ユニットの元へ行けば良いだろうか、と考えていた。Trickstar、UNDEAD、fine。Switchあるいは紅月とソロである斑という組み合わせもある。彼らがいつも使っているレッスン室に行けばいるだろうか、と美雪が考えたところで向こう側から歩いてくる三人の生徒に気が付いた。

「あ、美雪ちゃん!」
「おおっ、久しぶりでござる〜!」
「わぁ……相変わらず綺麗すぎて直視できない」
「……南雲くん、仙石くん、高峯くん」

 一番に美雪に気づいて手を振ったのは南雲鉄虎だった。その横にいる仙石忍と高峯翠も彼に続いて手を振る。流星隊の一年生三人だ。

「……三人とも、今、時間はある?」
「丁度ハロウィンパーティーの飾り付けが一段落したところでござる! 大丈夫でござるよ」
「……ありがとう」
「何か困ってるんスか?」
「……これ、食べて欲しくて」
「……? クロワッサン?」

 籠を覗き込んだ翠が聞くと、美雪はこくりと頷いて差し出した。三人は顔を見合わせて「いただきます」と一つずつ手に取って口に入れる。

「……どう?」
「うん、美味しいでござるよ!」
「どっかのお店のッスか?」
「……ううん。……瀬名先輩と、鳴上先輩と、一緒に作ったの」

 流星隊一年生の三人はモグモグほっぺを動かしながら目を剥いた。てっきりパン屋で買って来た既製品なのかと思ったのだ。

「……何か、改良点はない?」
「えぇ? クロワッサンを作ろうと思う時点で凄いから……俺は特に何も」
「うんうん。女の子が作ってくれたものをああしろこうしろっていうのは、男の流儀に反するッス!」
「拙者も美味しくいただいたでござるよ。胸を張って欲しいでござる!」
「……そう。……ありがとう」

 美雪は三人にぺこりとお辞儀をすると、横を通り過ぎて廊下を進んだ。三人は後ろから「バイバーイ」と手を振り、再びハロウィンパーティーの飾り付けへと戻って行った。

 廊下を抜けた美雪は、残り一個のクロワッサンを食べてもらうべく、斑を探していた。いつでもそこかしこを走り回っている彼を探し当てるのは至難の業だ。スマートフォンを取り出して斑に電話を掛けるか掛けまいか悩んだ美雪の視界に、体育祭のときと同じように、夕日色がちらついた。

「フェローチェ! フェルヴェンデ! 熱く荒く燃えろ! わっはっは☆」
「……月永先輩」
「──んんッ? 誰だ!」

 バッと振り返ったレオは自分を見下ろしている少女に気づいた。目を見開き、眉を顰めて「……名波」と低く言う。

「何だッ、何のようだよ!」
「……? ……クロワッサン、食べてくれませんか?」

 ギャンギャンと噛みついてくる犬のようなレオに首を傾げながらも、美雪は籠からクロワッサンを取って差し出した。レオは美雪とクロワッサンを交互に睨んで、受け取ることをせずにバクリとクロワッサンを噛み千切る。

「……不味い!」
「……ぇ」
「不味い! なんだこれ! お前が買ってきたのか⁉」
「……作り、ました」
「……ハッ。だとしたらお前、料理の才能が無いんだな。二度とキッチンに立つなよ。こんな不味いもの作るなんて、食材に失礼だと思わないのか?」
「…………」
「……おれに話しかけるなよ、『魔女』。不愉快だ。……あぁ、気持ち悪い。吐きそう」
「…………」

 黙りこくって何も言い返さない美雪を訝しげに見上げたレオは、半分ほど残っているクロワッサンを引っ手繰った。

「……食材には罪はないからな。捨てるのは勿体ないから食ってやるよ」

 大きな一口でクロワッサンを頬張ったレオはゴックンと飲み込むと、いつまでも茫然としている美雪に「……早くどっか行けよ」と乱暴に言って背中を向け、楽譜に殴るように音符を書き始めた。

「…………ありがとう、ございました」

 ふらりと立ち上がった美雪はレオから離れていった。レオはちらり、と美雪の背中を見てきゅっと唇を噛むと「あ゛〜〜〜〜〜〜ッ……」と髪を掻き毟った。

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