25

 わざわざKnightsとTrickstarの現状を報告しに来た司にハロウィンパーティーには参加しない・任せると伝えたレオはメモ帳を片手にメロディを口ずさみながら歩いていた。

 夏の暑苦しさは成りを顰め、過ごしやすい日差しと温度に包まれている。外で作曲することも多いレオにとって、この気温は良いものだった。木陰を探して、自然に囲まれながら沸き上がった音符を記していこうと思ったところで、ふと茂みの中に人影を見つけた。

 レオの視界に入って来たのはまず、足だった。ここ最近、凛月が無理をして昼間に起きていることで体調を崩しているのを知っていたレオは、もしかして凛月が倒れたのでは、と思って草木を掻き分けて覗き込んだ。

 レオの心配は杞憂に終わる。その足が誰なのかわかったレオはムッと顔を顰めた。

 名波哥夏、氷室美雪だった。
 そのどちらの名前もレオは知っている。本名は体育祭で本人に聞き、ペンネームはジャッジメントで英智に聞いた。しかしレオの中では、彼女のイメージはジャッジメントで染み付いている。自分のKnightsを操っていた、悍ましい、名波という名の魔女。

 美雪は木の根元の辺りに横たわっていた。彼女の息を飲む程美しい顔のお陰で、御伽噺に出てくるお姫様のように見える。毒林檎を食べた白雪姫、糸車に刺された眠り姫、どちらだろうか。

(……スケッチブック?)

 彼女の傍らに落ちているスケッチブックに気づいたレオは、手を伸ばして拾い上げ、眠っている彼女に許可を取ることもせずに勝手に開いた。

「……シュウだ」

 一ページ目には鉛筆で描かれた宗がいた。真剣な眼差しで衣装を縫っている様子だ。そこに宗がいると錯覚してしまうほど精密に描かれた絵に、レオは目を見張った。

「……またシュウだ。……え、もしかしてこれ、ずっとシュウか? シュウだけしか描いてないのかっ?」

 二ページ目、三ページ目、四ページ目。捲っても捲っても宗が現れるスケッチブックが、レオには何だか恐ろしく思えた。恐ろしく、羨ましい。このスケッチブックは愛の塊なのだと、レオは感じ取った。

 レオはスケッチブックを美雪に向かって投げた。どうにも、レオは美雪が気に入らなかった。
 スケッチブックの角が美雪の腕に当たった。美雪は顔を歪めて薄目を開け、不機嫌そうに自分を見下ろしているレオに気づいた。

「……月永、先輩」
「……お前、気持ち悪いぞ」
「……え?」
「それ、全部シュウが描いてあった」

 レオがスケッチブックを指さす。寝起きで頭がぼーっとしているのか、美雪は茫然とスケッチブックを見下ろして、自分の元に引き寄せた。

「……気持ち悪い、ですか」
「そりゃきもいだろ。全部シュウって、異常だ」
「……月永先輩は、お誕生日に、自分の絵を貰ったら、嬉しくないですか?」
「ハ? ……お前まさか、シュウの誕生日にそれを贈るつもりなのか?」
「……何を渡せば良いのか、わからなくて」
「…………」

 きゅっとスケッチブックを抱える美雪が、レオは気に食わなかった。

「嫌だね、全然嬉しくない。貰った瞬間に燃やす。要らないもん、そんな絵」
「…………要ら、ない」
「……なんだよ。お前、この間もそうだったよな。自分が否定されたら黙って、しょげた顔して。……ムカつく。おれのKnightsに呪いをかけた癖に被害者面かよ」
「……呪い?」
「ああ、呪いだよ。お前の歌を歌ったせいで、おれのKnightsは呪われた」
「……でも、それは、貴方がジャッジメントをしたから」
「ア?」
「……あのとき、Knightsは私を頼るしかなかった。……だから私は」

 カッとなったレオは美雪の肩を掴んで力任せに押し倒した。光が薄いペリドットの瞳が細まる。ギリ、と肩に力が与えられた美雪は痛みで顔を顰めた。

「……痛い、です」
「……おれのせいだって言いたいのかよ」
「……? ……自分以外の曲を歌って欲しくないなら、貴方が、離れなければよかった。……貴方が、戻ったから、今Knightsは、貴方の歌を歌っている。……それだけじゃ、ないんですか?」

 美雪を睨んだレオはするり、と細い首に手を掛けた。美雪が息を飲むと、レオはニッと笑う。きゅ、と力を込めた。

「……苦しいか? おれも苦しいよ……なんでお前が、お前みたいなのがいるんだ。……頭が可笑しくなる……なんて、もう可笑しいか、おれは。はは。……おれは、おれだけは洗脳されないからな、名波。お前の都合よく動いてやることなんてしねーよ」

 はく、はくと息を吸う美雪に、レオは力を緩めた。首に薄っすらと残る手の痕を優しくなぞった後、美雪の上から退いて振り返ることはせずに立ち去った。


(……息。呼吸、してる。首が締まると、上手く吸えなかった)

 美雪は茫然と木を見上げていた。葉と葉の隙間から漏れる光と共に、辺りにメロディが浮かび上がる。これが彼女の世界。はじめての経験をすると、いつも彼女の周りに色と音が溢れる。

「みゃぁん」
「……ああ、お前。来たの」

 草むらからひょっこり顔を出した仔猫に手を伸ばすと、仔猫は美雪の手にすり寄った。仔猫は美雪に「無事か?」と尋ねるように小さく鳴く。美雪は細い指で仔猫の顎をくすぐった。

「……大丈夫よ。……あの人、怒ってたよね。何故だと思う?」
「みぅ?」
「……わからないよね、私も、わからない」

 体を起こした美雪は、横に落ちているスケッチブックを撫でた。仔猫が短い足で寄ってきて、美雪を見上げて鳴く。

「……気持ち悪いなら、宗様には渡せないね」
「にゃぁん」
「……何が、いいのかな。わからないや」
「にぅ」
「……曲は、いつも作って渡してるし。……絵も、クロワッサンも、オーケストラも駄目なら、どうしよう」
「みぃ」
「……鳴上先輩は、忙しいから。……お買い物に誘ってくださったけど、遠慮しようと思うの。……だから、自分で頑張らないと、ね」

 仔猫の頭を撫でつけた美雪は「……お行き。私も行くから」と語り掛けると、スケッチブックを抱えてその場を後にした。

***

 ピコピコピコ、という電子音が響く。
 部屋の中では床に転がった春川宙がスマホゲームをしていた。宙がゲームの音やキャラクターのアクションに合わせて頭を揺らすため、ふわふわの髪の毛が踊っているようだった。

「ほラ、そろそろゲームは終わりにしよウ、ソラ。今日は『Switchの日』だヨ」
「そうでした! 美雪が来る日な〜?」

 宙はすっかり頭から抜け落ちていたのか、スマートフォンの画面を暗くしてシュパッと立ち上がった。トテトテと夏目の元に駆け寄って「宙もお手伝いします!」と言う。夏目はテーブルにクロスを引きながら、「じゃア、コップを出してお茶を用意してくれル?」と指示を出した。元気よく返事をした宙は戸棚からコップを出し、冷蔵庫から麦茶を取り出したところで何故か立ち止まる。夏目が不思議そうに宙を見ると、彼は麦茶の入ったボトルを大きな瞳でじっと眺めていた。

「……最近寒くなったから、あったかい方がいい気がするな〜?」
「そウ? ……あの子、寒がりかナ。あんまり肉がついてないもんネ」
「Haha〜。ししょ〜、それ『セクハラ』ってヤツです。せんぱいが言ってました!」
「ソラに変な言葉覚えさせやがっテ……ンー、それなら紅茶にしようカ。ティーバッグの場所はわかル?」
「はい! 知ってます!」

 宙がいくつかあるフレーバーの内のどれにしようか悩んでいる間に、夏目は後ろの方で電気ケトルに水を入れてセットした。ものの数分でお湯を沸かしてくれる優れものだ。

「ところデ、そのセンパイはどうしたのかナ?」
「宙は知らないなー? 道に迷ってるとか?」
「美雪ちゃんじゃないんだかラ。あの人は二年と半年以上ここに通ってるんだヨ? 仮にも三年生が道に迷うのはヤバいでショ」

 カチッと音が鳴り、夏目はケトルを持ち上げてティーバッグの入ったカップにお湯を注いだ。染み出た色がじんわりと広がっていく。

「お待たせしました〜」
「遅いんだけド」
「すみません……丁度そこで美雪ちゃんと会ったので、一緒に来ました」
「やア、いらっしゃイ♪」
「御機嫌ようなのな〜♪」
「……御機嫌よう、逆先先輩、春川くん」
「あ、俺のことは全スルーで進んで行くんですね、了解です」

 それぞれ椅子に座ってあたたかいお茶を口に含みまったりしながら、Switchの新曲について話し合う。てっきりハロウィンの話題が出るかと思っていた美雪は、ハロウィンのハの字もない打ち合わせに疑問を感じながらも「ハロウィンパーティーには参加しないのか」と尋ねることはせずに、楽曲のオーダーを受けた。

「……美雪、なんか悩んでるなー?」
「……わかる?」

 一通り打ち合わせが終わった後、美雪の隣に座っていた宙が顔を覗き込むようにして言った。夏目とつむぎは、美雪の表情はいつもと変わらないように見えていたため顔を見合わせた。

「はい、宙にはわかります。いつもの美雪は色が透明すぎて見えにくいけど、今は少し色が出ています。曇ってる色。だから、悩んでる色なー?」
「……お悩みがあるなラ、占い師のボクが聞いてあげるヨ?」
「宙も聞きます!」
「はい。俺も微力ながら」

 三人の好意に、美雪はやや俯いた後に「……では」と呟くようにして話し始める。

「……皆さんは、お誕生日に何を貰うのが、嬉しいですか?」
「……誕生日?」

 美雪はもじもじと落ち着かない様子で指を揉んでいた。夏目は近々誕生日を迎える人物で思い当たった名前を出してみる。

「もしかしテ、宗にいさん?」
「ああ、確かに。もうすぐ宗くんのお誕生日ですね」
「宗に〜さん! 宙も知ってます! 優しい人です!」

 宙がピシッと手をあげて発言する。『優しい』という単語に引っかかった美雪がじっと宙を見た。

「……あの人は、春川くんに優しいんだ」
「? 宙はそう思うな〜? 宙のこと、『チビすけ』って不思議な呼び方をしますけど、いつもあったかい色をしています。集中しているときは青っぽかったり紫っぽかったりしますけど、いつもは炎みたいに赤くて、宙やお友達が話しかけると淡いピンク色になるな〜?」
「……お友達? 誰?」
「同じ学年のお友達です! そういえば宗に〜さんは、一年生といるといつもピンク色で嬉しそうな〜?」
「…………そう」
「……? 美雪? ちょっと黒いのが見えます、嫌な気持ちですか?」
「…………ううん、別に」

 宙の目には透明で分かりづらいはずの美雪の色に、暗い色が滲んでいるのが見えた。宗は見ず知らずのところで美雪からの信用を失うこととなっている。

「えっと、お誕生日プレゼントの話でしたよね。俺の主観になっちゃうんですけど、本を貰えると嬉しいかもしれないです。自分があんまり読まないジャンルの本とかをいただけると、何だか新鮮な気持ちになりますし。もう読んだことがある本だったとしても自分の手元に置いておけるのは悪い気持ちはしないので。あとは、茶葉とかあったかい飲み物の粉末とかでしょうか」
「……本、飲み物」

 イメージができていない様子の美雪に、つむぎはアドバイスをする。

「本を宗くんにって考えると、衣装作りの参考になりそうな資料が載ってるものが良いんじゃないかなって思います。飲み物は……珍しい茶葉、ですかね? 宗くんも結構なお家柄ですけど、彼の性格上あまり冒険はしなさそうなので。珍妙なフレーバーとかも面白そうです」
「……? 相手の好きそうなものじゃなくても、良いんですか?」

 つむぎの意見に美雪は首を傾げた。『冒険しなさそう』と言った後に『珍妙なフレーバー』と言った。美雪の中ではそれが矛盾しているように思えたのだ。

 美雪は今まで宗の舞台構成を見てきただけあって、彼の拘りの強さを目の当たりにしてきた。形式に細かい彼が紅茶や食べ物の味にすらあれこれ口を出しているのを知っている美雪は、あえて宗が手を出さないようなものをプレゼントする、というアドバイスに目を丸くしている。

「これは人によると思うんですけど、誕生日プレゼントって自分ではあまり買わないものや使わないものを貰うと、それはそれで嬉しかったりするんですよ。……ふふ、宗くんならきっと、美雪ちゃんが渡したものは何でも喜んでくれると思いますよ。こうして自分のために悩んでくれているっていうだけで、幸せな気持ちになりますから」
「…………」
「まァ、それはそうかもネ。あまりにも使えないものを貰っても困るだろうけド、美雪ちゃんはそういうのはプレゼントしないだろうシ」
「……逆先先輩は、何を貰った時が嬉しかったですか?」
「ン〜、そうだネ……昔なんかはゲームを貰っただけで嬉しかったけド、宗にいさんはやらないだろうかラ……」
「Hihi〜、宙もゲームを貰えると嬉しいな〜♪」
「……ゲーム」

 夏目が考えている間に宙が主張をする。美雪はじっと部室の中心にあるテレビゲームを見つめた。宗がテレビに向かってコントローラーを弄っている様は想像できない。

「美雪もやってみましょう!」
「……ゲームを?」
「自分の好きなものを相手にプレゼントするのもあるな〜? だから宙はお友達にゲームをプレゼントしたことがあります!」
「……自分の、好きなもの」

 席を立った宙はテレビゲームの前にしゃがみ込んでゲームカセットを漁っている。複数人でプレイできるものからソロでプレイするものまで選り取り見取りだ。

 誕生日プレゼントの相談会から逸れてしまっているようにも思えたが、相手の好きなものを知る喜び、分け合う喜びを経験させるべきだろうと思った夏目は、そのまま宙に任せることにした。

「ソラ、初心者にも易しいものにするんだヨ」
「は〜い♪ 気になるのはありますか〜?」
「……これは、何?」

 宙の隣にしゃがんで箱を漁った美雪が摘まみ上げたのは薄くて小さい四角形の板だった。それの表面に描かれたイラストとロゴをみた宙がゲームの内容を伝える。

「それは犬を育てるゲームです! この折り畳み式のゲーム機で遊ぶヤツなー」
「……ゲーム機。それは何?」
「このカセットを入れて、操作するための機械です! テレビゲームはテレビにつないで遊ぶヤツな〜。スマホでできるゲームもあります!」
「……色んなゲームが、あるんだね」

 箱の中には沢山のゲーム機とゲームカセットが入っている。どれが何なのかすらわからない美雪は宙に選んで貰うことにした。宙は夏目に言われたとおり、美雪もできるような横に進んで行くだけの簡単なアクションゲームにした。

「まずは宙がお手本をします」
「……うん。……このピンクの丸いのが、春川くん?」
「そうです、これがプレイヤーです。そしてこっちに向かってくるのが敵です」
「……敵。……倒すの?」
「倒さなくても大丈夫です。こうやってAボタンを連打すると……」
「……! このピンクの丸い子は、飛べるの?」
「そうです! 飛んでいれば敵を倒さなくても進むことができます」
「……平和で、いいね」
「でも最後にはボスが出てくるので、それは倒さないといけないなー?」
「……そうなの。……どうして、倒さないといけないのかな?」
「ボスは国中から食べ物を盗んでいきました。その食べ物は皆で分け合うための物、独り占めは良くないです。悪いことをしたら、お仕置きが待ってるなー?」
「……成る程、罰を受けなければいけないんだね。……この子はヒーローなんだ」
「星のヒーローな〜♪」
「……流星ピンク?」
「Hihi〜♪ 流星隊の新メンバーです!」

 一つの小さなゲーム機にくっついてきゃいきゃいと会話をしている一年生二人に、夏目もつむぎも癒されていた。

「ア〜……いいネ。永遠にこの時間が続けばいいのニ」
「可愛いですよねぇ〜。一年生って、どうしてこんなに真っ新で天使みたいなんでしょう」
「……大人になるっテ、穢れるってことだネ」

 遠い目をした夏目の視界で、画面を見ていた美雪がはっと息を飲んだ。

「……春川くん、この子、敵を食べてる」
「食べてるんじゃなくて、吸い込んでコピーしてるのな〜」
「……コピー?」
「これでプレイヤーは、コピーした敵の能力を使えるようになりました! 敵によって能力は違うから、沢山吸い込むと色んな力を見ることができます!」
「……本当だ。……さっきまでふわふわ飛んでいたのに、ビームを出してる。……吸い込んだ敵は、どこに行くの?」

 ふいに考えたこともない物事を尋ねられた宙は固まり、美雪をじっと見つめてから画面を見下ろした。

「…………たぶん、同化するなー?」
「…………同化。……この状態で、他の敵を吸い込んだらどうなるの?」
「そうしたら、新しく吸い込んだ敵の能力を使います」
「……さっき吸い込んだ子は?」
「…………どっか行くなー?」
「…………塗り替えられている?」

 二人の可愛らしいゲームの話の方向性が怪しくなってきた。純粋故に、残酷な着眼点を持っている。つむぎと夏目は冷や汗を流しながら固唾を飲んで見守っていた。

***

 ハロウィンパーティーの前日。宗は明日に向けてラストスパートをかけて衣装と向き合っていた。そこに、いつもアイドル科の生徒を祝うときと同じようにあんずがやってきて誕生日会の会場へと連れ出す。「この忙しいときに……」と苛々している宗だったが、会場でみかと話している美雪の姿を発見すると目を輝かせてそそくさと着替え、『本日の主役』のタスキを肩にかけた。主役を祝おうと近寄って来た同級生を蹴っ飛ばして美雪の元に駆け寄る。

「氷室ッ、氷室! ああ、僕のために来てくれたのかい……⁉ これ以上ない幸福なのだよ……! 最高の一日だ!」
「……お誕生日、おめでとうございます」
「ああ……あああああっ! 嬉しい! 語彙が消えた!」

 天を仰ぐポーズをした宗を前に、みかが美雪に耳打ちする。

「な? 美雪ちゃんが来るだけでお師さんめっちゃ喜ぶて言うたやろ?」
「……はい」

 今まで見てきた中で一番と言っていい程、テンションが上がっている宗を見た美雪はそわそわしている。敏感にそれを感じ取った宗は「会場が騒がしいかな……君には耳障りだろう、すまないね」と見当違いのことを言った。みかが苦笑いを浮かべて「ほら、美雪ちゃん。プレゼントあるんやろ?」と促す。

「な、なにっ? ぷ、プレゼント……? 僕に? 氷室がッ?」
「……その、悩んでしまって。……何が良いのか、貴方に相応しいのか、わからなくて」
「ああ、そんな……いいんだよ。君が僕のために、僕のことを考えてくれている時間があったというだけで、最上級の喜びだ」

 柔らかい表情を浮かべた宗は美雪に手を伸ばし、「触れても良いかい?」と尋ねて彼女が頷いたのを見てから髪を撫でた。大好きな、大切なお人形さんを撫でるような手付き。

「……あそこに置いてあるの、私から貴方へのものなので」
「──へ?」
「……気に入ったのだけ、持って帰ってください」

 逃げるようにして背を向けた美雪と彼女が示した先を交互に見てから、宗は慌てて手首を掴んで引き留める。

「ま、ままま、待ってくれ。……あれを、全部?」
「……はい」

 宗が見上げる先にはプレゼントの山があった。数えきれない程大量の箱が山積みになっていて、巨大な壁のようになっていた。先に美雪と一緒に会場に来ていたみかも、あの山が美雪の用意したプレゼントだとは思ってもおらず、「あかん……」と口を金魚のようにパクパクさせている。誕生日会に参加しているプレゼントのアドバイスをした者たちは全員(多すぎても困るって言うの忘れてたな……)と額を押さえていた。

「……ど、どうやって、運び込んだんだ?」
「……お家の人が来て」
「ぎょッ⁉ 氷室財閥が……⁉」

 まさか氷室財閥がアイドル科に足を踏み入れて用意までするとは思っていなかった宗は青い顔になった。美雪は宗を見上げる。

「……あの、オーケストラって要りますか?」
「は? オーケストラ?」
「……はい。用意できますけど」
「……何のための?」
「……Valkyrieのための」
「ぼ、僕たち専用のオーケストラぁっ⁉」

 飛び退いた宗を見て、美雪は(……瀬名先輩と鳴上先輩が言っていたとおりの反応をしている)とぼんやり思っていた。これが『ドン引き』である。

「そ、それは……」
「…………」
「…………またの機会にしよう」
「……! ……はい」

 美雪の純心な眼を見た宗は「要らない」と言うことは出来なかった。受け取るのはとんでもない借りを氷室財閥につけてしまい、斎宮家の首を絞めるような気が、宗の中ではしていた。勿論、美雪は全くそんなつもりはない。
 宗は恐る恐るプレゼントの山に近づいて、一つ一つ確認をしていった。

「おお、これは……紅茶かな? ほう、なかなか見ないフレーバーだね? こっちは……なんと、クロワッサン専門店の……!」

 ハンカチ、ネクタイ、ブローチ、洋服、資料、ティーカップなど、沢山のプレゼントが宗を囲んでいた。美雪は宗がどれを気に入ったのかわからず、みかの横でじぃ〜っと宗を見つめていた。

「……腕時計?」

 最後に開封した箱には細身の腕時計が入っていた。宗はそれに優しく触れ、表面を撫でる。

「美しいね……全て君が選んだのかい?」
「……はい」
「……ああ、ありがとう。僕は世界一の幸せ者だよ、氷室。持ち帰って良いかな?」
「……どれをですか?」
「全てだよ」
「……全部、気に入ったんですか?」
「勿論。君が僕のために選んでくれたんだ。全て大切にする。……君の誕生日、全身全霊をかけてお返しをするよ」
「……お返しなんて、いいです」
「何を言う。盛大な催しにするからね、絶対に」
「……そんなに大それたものにしなくて良いです」
「君がそれを言うかね……」

 半ば呆れたように宗が言ったタイミングで、会場の入り口から嵐が顔を出して「みかちゃん、美雪ちゃん!」と手を振りながら入って来た。

「ンもう、美雪ちゃんってばプレゼント選びに付き合うって言ったのに全然連絡してくれないんだからっ」
「……すみません、お忙しいと思って」
「気にしなくていいって言ったのに……寧ろクロワッサン作りを手伝ったんだから、首くらい突っ込ませて欲しかったわァ」
「……クロワッサン作り?」
「……あ」

 ピクリと反応した宗が美雪を見下ろす。美雪はきゅっと唇を噛んでそっぽを向いていた。嵐は「……あら? アタシもしかして不味いこと言った?」と口を手で覆い、みかが美雪の顔を覗き込む。

「美雪ちゃん、クロワッサン作ったん? お師さんのために?」
「……んと」
「そうよォ、アタシと泉ちゃんと一緒にね。かなり出来が良かったから、てっきり美雪ちゃんが自力で作ってプレゼントしてるものかと思っていたんだけど……その様子だと違ったのね?」
「……はい」
「な、何故……! 僕に食べさせてくれても良いだろう⁉」
「…………だって、美味しくないって言われたから」

 しょんもりした美雪の言葉に、みかも嵐も宗も固まる。宗はガッと美雪の肩を掴んで問い質した。美雪を怖がらせまいと必死に抑えているつもりだが、怒りの形相だった。

「誰だ、その不届き者は」
「……」
「美味しくないわけないじゃなァい! 泉ちゃんとアタシだって食べたのよ? 誰よそいつ!」
「……えっと」
「おれが殴ってきたる。名前教えて?」
「……殴らないでください、あの人もアイドルだから。Valkyrieの立場も、危うくなるから」

 美雪は何故か怒り出した三人を不思議に思いながら落ち着いた様子で話す。

「……寧ろ、皆さん『美味しい』としか言ってくれないので。『不味い』と言ってもらえて良かったんです。そんなものを、プレゼントするわけにはいかないので。……割と、何でもできる方だと思っていたんですけど、料理だけはダメみたいです」
「そんなことないのよ⁉ 泉ちゃんがキツいこと言ったかもしれないけど、あれはあのコなりの愛情表現だし、最初は誰だって包丁の握り方もわからないものだわ! というか本当に不味くないの! 美味しかったのよォ!」

 嵐が必死に首を振った。事実、美雪がモデル出身の二人と作ったクロワッサンは料理として申し分ない仕上がりだった。

「あの後、誰に食べさせたの?」
「…………」
「言わないと今度のお昼、嚙み切れないくらい硬いお肉にするわよ」
「……!」
「食べ終わるまで帰さないからね」

 やっとゆで卵を食べられるようになった美雪に、肉はハードルが上がり過ぎている。これは誰に食べさせたか白状させるための脅しだが、流石に可哀想になった宗がみかにこそこそと耳打ちをする。

「お、おい影片……彼を止めたまえ。氷室が可哀想だ」
「で、でもお師さん……ああでもしないと美雪ちゃん口割らないで?」
「ぐ、ぐぬぬ……」

 美雪はきゅっと唇を噛んで、頭の中でぐらぐらと揺れる天秤が片側にカシャンと落ちた。美雪にお肉は早すぎる。

「…………月永先輩です」
「やだ嘘、ウチの『王さま』⁉ あの野郎ッ……!」
「なるちゃん怖ッ……ってお師さん⁉ お、お師さんがおらん!」

 レオの名前を聞いた宗はすぐさま会場を飛び出していた。こういうときには勘が冴えるのか、宗は校内中を探し回るようなことはせずに壁に作曲しているレオを見つけ出すことができた。

「──つぅぅぅぅぅきぃぃぃぃぃなぁぁぁぁぁがぁぁぁぁぁッ!」
「うおっ? なんだ、シュウか。うっちゅ……何何何ッ⁉」

 首根っこを掴まれたレオはいきなり後ろに引き倒され、宗が思いっきり振り上げた腕に斧があることに気づいて引き攣った悲鳴を漏らした。グサッとレオの顔の横に斧が突き刺さる。いつどこから持ち出したのか。

「ヒィッ……⁉ 怖い怖い怖い! おれ、お前に何かしたか……⁉」
「僕の大切な愛しい人に無礼を働いたな! 氷室が僕のために作ったクロワッサン……! 食べ物の恨みは凄まじいということを、貴様に思い知らせてやる……!」
「はぁっ⁉ クロワッサンっ? 何の話だよ!」
「万死!」
「ぎゃーーーーーーーッ! 斧はやめろ、斧は! 銃刀法違反!」
「今すぐ死ね! クロワッサンを吐き出してから死ね!」
「んなもんとっくに消化済みだわ! 今頃下水道に流れてるわ!」
「きっさまァ〜〜〜〜〜ッ! 氷室の作ったクロワッサンを糞呼ばわりか⁉」
「いずれウンコになるだろうがッ!」
「アイドルがそんな言葉を使うな!」

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