26

 きゃっきゃ、とはしゃぎ声が聞こえる。
 2winkの周りでは白い布を被った子どもたちが走り回っていた。

「は〜い、お化けさんたち〜? 楽しいのはわかるけど廊下は走っちゃ危ないからね〜?」
「そうだよー、ぶつかって怪我しちゃうから、ちゃんと蝙蝠のおれたちの後に着いてくること!」
「良い子にしてたらお菓子が貰えるかも〜?」

 双子がそう言うと、辺りをくるくる駆け回っていた子どもたちはシュバッと「気をつけ」の姿勢になって兵隊のようにひなたとゆうたの後ろを着いてくるようになった。ゆうたは(現金だな〜)と苦笑いしながら、子どもたちが迷子にならないよう気を配る。

 今日はハロウィンパーティー、外部からの客が大勢来るS1である。昼間はアイドルたちは仮装をして、同じく仮装をしているゲストをもてなし、夕方から夜にかけては参加するユニットが順にライブを行う。悪戯か、お菓子か。共通の合言葉を言ったゲストはどちらかを受けることができる。アイドルにとってはファンと間近に交流できるまたとない機会、ファンにとっても同様だった。

「あれっ? 美雪ちゃんだ」
「え? あ、ほんとだっ! すっごい美人のゲストかと思った!」
「いや、美雪ちゃんは音楽科なんだからゲストで合ってるでしょ」
「でもなんか、美雪ちゃんはまた別じゃない? あんずさんの次くらいには身近な女の子じゃん」
「まあ言わんとしてることはわかるけど……」

 2winkは前を歩いてくる美雪に気が付いた。ひなたが手をあげて「お〜い」と呼び掛けると、美雪は真っ直ぐに二人の元に歩んでくる。

「……御機嫌よう。ひなたくん、ゆうたくん」
「御機嫌よう!」
「御機嫌よ〜。……美雪ちゃんも仮装してるんだね、えっと、シスターだっけ?」
「……うん、そう。シスター」

 双子にじっくり眺められた美雪は、ロングスカートの裾を摘まんで見せる。様になっているその姿にひなたもゆうたも揃って「おお〜」と拍手をしていた。

「用意してたんだ?」
「……ううん。……してなかったんだけど、斎宮先輩が、自分は忙しいけど、参加して来いって、用意してくれた」
「へぇ〜。言われてみれば、美雪ちゃんがこういうのに参加してるのって珍しい気がするかも!」

 三人が会話をしていると突然、ゆうたのズボンが引っ張られる。ゆうたが後ろを振り返ると、お化けの子どもたちが揃いも揃ってポーッとしていた。ひなたは「ははーん」と意味深な笑みを浮かべる。

「君たち、さては美雪ちゃんに一目惚れしちゃってるね〜? 童話の世界からこんにちはってしてきたシスターじゃないよ〜? 勿論、お姫様でもない!」
「あー、成る程ね。美雪ちゃんをはじめて見たら、誰だってこういうリアクションになるよね〜」
「……ほらほら、今ならプロポーズできるかもよっ? 『僕と結婚してください〜』って。小さい内にしか気軽に言えないんだからね〜? あれは若気の至りだったってプロポーズカウントをリセット出来るし、申し込まれた側も『大きくなったらね〜』って夢を壊さずに誤魔化せるし!」
「若気の至りって」

 ひなたはお化けの子どもたちにちょっかいを出した。男の子たちは皆ほっぺを赤くしてもじもじしたり、「そんなことできるか」とひなたをポコポコ叩いたりしている。

「……ごめんね、私、今シスターだから。結婚はしちゃ駄目だと思う」
「設定に忠実だね⁉」
「……うん。シスターは、神様のものだから」
「残念! 少年たちよ、君たちは告白する前に振られました!」
「有難いことでもあるんだからね? 叶わない恋をし続けるってことは、言い方を変えると時間を無駄にするってことなんだから! きっぱり諦めて前を向いて、新しい恋を見つけよう!」
「とは行かないのが男の性だよね……」

 何処からかヌッと現れた金髪の男。びっくりしたお化けの子どもたちはぴゅーっと逃げていってしまった。それを追いかけることも出来ず、2winkの双子もぎょっと飛び退く。

「うわっ、出た! 羽風先輩!」
「どっから湧いて出てきたんですか⁉ そんなゾンビみたいに!」
「やめてよ〜。確かに俺は生ける屍・アンデッドだけど、今の俺は神父様なんだから……♪」

 薫は双子を押しのけて美雪に近づいた。上目遣いで見上げられた薫は心の中で悶えに悶えまくる。

「美雪ちゃんっ……♪」
「……御機嫌よう、羽風先輩」
「うんっ、御機嫌よう! いやぁ、今日は良い日だよね! 美雪ちゃんが俺とお揃いなんて……!」
「……お揃い?」
「だってそうでしょ? シスターと神父はセットだよ。これはもう、今日という一日を美雪ちゃんとベタベタしながら過ごして良いって、神様が言っているようなものだよ!」
「……神父様とシスターは、くっついて過ごさないと思います」
「細かいことは気にしないっ♪ 今日はハロウィンだよ? 成りきるのも大事だけど、何事もほとほどに、柔軟に行こうよ。お手軽なコスプレみたいな感じでさっ……あ、そうだ。美雪ちゃん」
「?」

 薫は突然腰を折って美雪に目線を合わせた。内心ドキドキしながらもアイドルの余裕の表情を絶やさないように保って、優しく微笑む。

「Trick or Treat?」
「あ、ずるい羽風先輩!」
「こういうのは年功序列だよ〜」
「卑怯な!」

 後ろでパタパタ飛び回っている蝙蝠を軽くあしらいながら、薫は「さぁ、どうしたい?」と美雪に尋ねた。美雪は「ふむ」と考え込む。

「……一般的には、お菓子をあげないと悪戯されるんですよね。……でも、企画では『おもてなし』を受けると」
「そうそう、俺のファンサ欲しくない? 握手でもサインでもハグでもキスでも何でもするよ?」
「キスはやりすぎでしょう」
「いいじゃん別に」
「それ羽風先輩がしたいだけですよね?」
「そうだよ? 俺がしたいだけだよ?」
「うわ、素直」
「違うよ、ゆうたくん。こういうのは欲望に忠実って言うの」

 薫は双子を気にせず「どうする?」と美雪を急かした。美雪は「悪戯は、どんなことをしてくれるんですか?」と逆に質問する。

「えっ、そうだなぁ……んん、美雪ちゃんの顔に落書きなんてできないし、ハグしてグルグル〜とか?」
「……おもてなしにも、ハグがありました。何か違うんですか?」
「おもてなしはグルグルしないからね。優しく包み込むようにハグをするんだよ……」
「……成る程。……じゃあ、サインで良いですか」
「シンプル……!」

 どんなオーダーが来ても応えるつもだったが、あまりにも普通の要望が返ってきた薫は膝から崩れ落ちそうになった。「いや……俺のサインにも価値があるってことだよね……」とブツブツ言いながらサインペンを取り出す。

「……あ。でも、サインするものがありません」
「ああ、大丈夫だよ。購買に行けば色紙買えるはずだし、確か混雑防止のために何か所か臨時の売店も出てたと思うから」

 美雪はサインを貰おうにも色紙を持っていないことを主張した。薫はそれなら購買部か売店まで付き添おうと思ってペンを懐に仕舞った。見守っていたひなたがピコーンと閃き、手のひらを拳で叩く。

「そうだ、美雪ちゃん。俺いいこと思いついた!」
「……? なあに?」
「俺たちもファンとの交流があるから、一緒に移動するのは多分難しいと思うんだ。そうすると美雪ちゃんは一人になっちゃうでしょ? 当てもなくぶらぶらするより、何か目的があった方が良いと思って。……美雪ちゃん迷子になりそうだし」

 これが校内のドリフェス企画ではなく、地域の行事であればアイドル科の生徒であっても美雪と共に行動することができたが、今回はどうしてもそれは難しい。アイドルたちはファン・ゲストとの交流を優先しなければいけない。美雪がゲストだとしても、一人のゲストばかりを優遇するわけにもいかないのだ。

「……目的って?」
「色紙を買って、それにアイドルたちのサインを集めるのはどうかな? 中学の卒業アルバムの後ろに皆からメッセージを書いてもらうみたいな感じで!」

 かと言って美雪を放置しておくと怪しい人に声をかけられて着いて行ってしまったり、誘拐されてしまったり──流石に夢ノ咲学院のアイドル科の警備は厳重だが──、大変なことに巻き込まれそうだと思ったひなたはそういう提案をしたのだった。アイドルにサインを貰うことを目的にすれば、美雪がアイドル科生徒の目の届く範囲で動ける可能性が上がると考えた。

「……卒業アルバム?」
「え、知らない? 無かった?」
「……あ、うん。知らない」
「へぇ〜、無いところもあるんだね。んーと、じゃあスタンプラリーならわかる? 駅とか文化祭とかにもあるんだけど、特定の場所に行ってスタンプを集めるってヤツ。今回はその『特定の場所』がアイドルってことで! どう?」
「……うん、やってみる」
「そう来なくっちゃ!」

 ひなたの提案を飲んだ美雪は、そのまま売店で色紙を買うと薫とひなた、ゆうたにサインをもらった。ひなたは一枚のつもりだったが、美雪は「……もう二枚頂戴」とお願いをして三枚の色紙を入手した。

「よぅし、たくさん集めてくるんだよー! くれぐれも怪しい人には着いて行かないこと!」
「……うん、わかった」
「お菓子をくれる人がいるかもしれないけど、知らない人から貰っちゃ駄目だからね?」
「……うん」

 きゅっと色紙を持った美雪は双子の言葉に頷く。一年生の中でもしっかりした部類の二人は、美雪のお兄ちゃんのようだった。

「ああーん、美雪ちゃんと一緒にハロウィン楽しみたかった……」
「俺たちは楽しませる側ですよ、キャストですよ」
「ほらほら、行きますよ羽風先輩」
「うわーん、また会おうねっ、美雪ちゃーん! 夜のライブも楽しみにしててね! 来てねー!」
「……はい」
「あっ、手振り返してくれた! かわいいッ! 離れたくな〜い!」
「羽風先輩重すぎ。自分でも歩いてくださいよ」
「アイドルに重たいとか言わないでッ」

 駄々を捏ねる神父を引きずって、双子は美雪に別れを告げてファンとの交流に戻って行った。

***

 スタンプラリーならぬサインラリーをしている美雪の色紙の一枚は半分ほど埋まっていた。先程サインをもらった千秋が配分を誤りデカデカと書いてしまっているが、そのぶん後輩の忍や翠が他のアイドルのスペースも残すために小さく書いてくれていた。
 桃色の髪を見つけた美雪は後ろから声を掛ける。

「……姫宮くん」
「うに? あ、美雪だ〜!」
「おやぁ? これはこれは美雪さん! 修道女のお召し物がよくお似合いで!」
「……日々樹先輩も、お似合いで」
「ありがとうございますぅ! 我々fineは堕天使の仮装をしているんですよ〜!」
「……堕天使」

 渉はくるっと回って見せた。いつもの純白のfineではなく、ハロウィンということもあって色褪せた堕天使を表現しているらしい。英智と弓弦も寄ってきて、美雪の手に持つ色紙に首を傾げる。

「氷室さま、そちらの色紙は……?」
「……サインラリーを、しています」
「サインラリー? ……ああ、成る程。アイドル科の皆のサインを集めているんだね?」
「ほっほ〜う。では我々も書かなくては!」

 即座にペンを取り出した渉が美雪から色紙を貰ってサインを書き始めた。身長が低い桃李はぴょんぴょん背伸びをして渉に話しかける。

「ちょっと日々樹センパイ。他の人のスペースも考えて書いてよねっ?」
「おおっとすみません! 私の愛が大きすぎてハートが巨大化してしまいました!」
「ちょっとぉ〜! 言った傍から……!」
「ですがご安心を姫君! このハートの中に姫君のサインを書けば良いのです!」
「一体化させないでくれる!? ボクのサインがロン毛のサインの一部みたいになるじゃん!」

 渉から色紙を奪った桃李は空白とサインを書いていない残りのアイドルの数から「うげぇ、全員分収まるかなぁ……」と零した。明らかに後に書く人がいることを考えずに自分本位で書いているアイドルがいる。

「大丈夫だよ、桃李。最悪、後に書く子たちを裏面に回せば良い♪」
「え、裏面……? なんかちょっと可哀想じゃない?」
「……ふふ、冗談だよ」
「本当に冗談でしょうか?」
「ははは、弓弦。勘弁してよ」

 英智の言葉に思うところがあったらしい桃李が控えめな意義を唱えると、桃李の前では格好つけようとしている半分本気だった英智が手のひらを返す。そこで痛いところを突くのが姫宮の執事だった。
 英智は美雪の腕の中にまだ色紙があることを把握していた。

「それに、どうやら美雪ちゃんは色紙をもう二枚持っているようだからね」
「あ、ほんとだ。じゃあ会長と弓弦はそっちに」
「……これは、使わないでください」
「え、なんで?」
「……別に、使うものだから」
「ふぅん……あれ? 創のサインはまだ貰ってないんだ」

 自分のサインを書き終えた桃李が色紙を見て言う。美雪は聞き覚えのない名前に首を傾げた。

「……誰?」
「あれ? 知らない? Ra*bitsの……」
「……ああ、Ra*bits。……私、彼らには作曲してないから」
「そうなんだ? 創はいいヤツだから、もし会えたら話してみてよ。水色の髪の毛で、可愛い顔をしたヤツだから結構目につくと思うよ?」
「……そう」

 英智と弓弦もサインを書き終えると、美雪はお礼を言って他のユニットを探しにその場を去った。学院内外から人気を得ているfineはすぐに大勢のファンに囲まれ、対応に明け暮れた。

 美雪は色紙を眺めて歩く。なかなか遭遇できないユニットやメンバーが欠けているユニットも居たが、美雪はちょっとした達成感を覚えていた。曲がり角に差し掛かったところで、突然目の前に現れた人物と衝突してしまう。三枚の色紙が床に散らばった。

「わっ、ごめんね、君、大丈夫……⁉」
「……はい」

 色紙を拾った美雪はロングスカートを踏まないように立ち上がって、その人物を見上げた。スーツを着ている彼は、どうやら外部の人間のようだった。美雪と目が合った彼は息を飲んで固まる。「……すみません、ぶつかってしまって。不注意でした」と謝罪をした美雪は彼の横を通り過ぎようとする。

「ま、待って!」
「……? はい」
「君……アイドル科の、生徒?」
「……いえ。ここは、男性しか通えません」
「そ、そうだよね……あはは、何言ってんだって話だよね」

 引き留めた男は乾いた笑いをして首元を掻き、「こほん」と咳払いすると胸ポケットから名刺を取り出した。美雪の前に差し出す。

「僕、こういうものです」
「……」
「もし興味があったら、電話してください。君なら書類選考の時点で上の人……お偉いさんから『寧ろ来てくれ』って声がかかるはずだから」
「……えっと、」
「それじゃあ、待ってるから!」

 男は名刺を受け取らずに眺めている美雪の手を取って握らせると、手をあげて背を向け近くの階段を下りて行った。
 残された美雪は名刺をじっくり観察する。

「……りずむ、りんく」

 芸能事務所の名前だった。美雪はしばらくそれを見つめると、ロングスカートに備え付けられていたポケットに仕舞い込んで、色紙を抱えたままアイドル探しを再開することにした。

 手芸部の近くを通ったところで美雪は宗からサインを貰っていなかったと思い、控えめにノックをした。

「ん? ああ、氷室か。どうしたんだい?」
「……サイン、お願いします」
「……は?」

 宗は机に衣装を置いて美雪の差し出した真っ新な色紙を受け取る。美雪の腕の中にはもう二枚色紙があり、その内の一つには沢山のアイドルの名前が寄せ書きしてあった。

「サイン集めをしているのか? ふふ、可愛いことをしているね」
「……はい」
「しかし、僕のサインもそっちに書かなくていいのか?」

 宗は渉のサインがデカデカと主張している色紙を指さす。美雪はふるふると首を振って「……それに書いてください」と言った。

「僕だけでこの一枚を使っていいのか?」
「……はい」
「……そうか、とても光栄だよ」

 宗は美雪に微笑むと滑らかに自分のサインを書いた。端には「僕の氷室へ」というメッセージまで。美雪は色紙を受け取ると一瞬はにかんで小さくお礼を言った。

「そうだ、氷室。チョコレートをあげよう。ハロウィンだからと影片から持たされてね……これなら口の中で融けるし、君にも食べられると思ったのだが」
「……チョコレート」
「食べたことはあるかい?」
「……はい。なぁくんがくれて」

 宗は聞き覚えのない名前にぱちくりと瞬きをした。

「……なぁくん? ……誰だそれは」
「……乱、凪砂くん、あ、えっと、さん? ……乱、凪砂、さん。です」
「なっ……君はヤツと親しいのかっ⁉ あだ名で呼ばれているなんて、羨ま……い、いや、けしからん! 何様だ、アイツは!」
「……彼は、私の大切な人」
「たい……せつな……ひと……?」

 石化した宗は風が吹けばそのまま砂になってしまうのではないかというくらいに脆い出来だった。
 昨日の誕生日で天まで昇る心だったはずの宗は、凪砂のせいであっというまに地に落ちた。

「……影片先輩はどちらに?」
「…………」
「……? 斎宮先輩?」
「……たいせつ……たいせつ」
「…………?」

 美雪がつんつんと突いてみても宗は動かない。机の上にはまだ縫いかけの衣装があるというのに、ぶつぶつと「たいせつ……」と繰り返している。
 しばらく宗を観察していた美雪だったが、こうなったらみかに相談した方が早いと思って「……失礼します」と手芸部室を出て行った。

 折角宗に作ってもらったスカートを踏まないように摘まみ上げて階段を降り、みかを探す。きょろきょろと辺りを見渡していると、頭に包帯を巻いた男の後ろ姿を見つけた。

「……影片先輩」
「んあっ? お〜、美雪ちゃん♪」
「……サイン、お願いします」
「はえ? さ、サイン? ええけど……」

 色紙を受け取ったみかはキュッキュとしっかり書いて「どーぞ〜」と渡す。宗のサインとみかのサインを入手した美雪は二つを並べてきゅっと微笑むと「……ありがとうございます」とお辞儀をした。

「……あの、斎宮先輩が、固まってしまって」
「あえ? なんかあったん?」
「……さぁ? ……話しかけても反応がないので、影片先輩、お願いしても良いですか?」
「おん。そろそろ合同練習が始まる時間やもんね。お師さん、集中し過ぎると時計あんま見ぃひんから、どっちにせよ声掛けようって思ってたんや。ありがとう♪」
「……いえ」

 みかは了承すると突然膝を折って屈伸運動をした。合同ライブが近づいている事実がみかに緊迫感を与えていたのだった。立ち上がったみかは深呼吸をする。

「はふぅ〜」
「……お疲れですか?」
「いやぁ、お師さんに舞台のこと任されたもんやから、緊張して……ごめんなぁ。美雪ちゃんもお師さんの舞台が好きやのに、今回はおれがやってしもて」
「……いいえ。貴方もValkyrieですから」
「ん〜、せやけど……お師さんみたいに、美雪ちゃんの曲でValkyrieに相応しい舞台を表現できるか不安やねん……」
「……私はちっとも不安じゃありません」

 美雪は名刺を入れた方とは逆のポケットを漁った。

「……春に、Valkyrieが日陰に行ってしまって、悲しかったんです。……夏に、七夕祭を見れて、嬉しかったんです。舞台の上にいる貴方たちを、はじめて肉眼で見ることができた……私は、貴方たちを見れるだけで、幸せです。貴方たちは、私に、夢を思い出させてくれたから。……変化は、時には寂しいものだけど、必要なこともあるのでしょう……そして、たぶん、宗様は、みか様の変化を望んでいる」
「……おれの、変化」

 ポケットの中には斑からもらったキャンディが入っていて、美雪は二つあるそれを一緒に手のひらに握った。小さな拳を外に出し、一つの飴を片手に移動させて、二つの拳を作った。

「……斎宮先輩には斎宮先輩の、影片先輩には影片先輩の、私には私の、表現が、芸術があります。……それら全てを否定することなく、一つにできれば、素晴らしいと思います。きっと、世界で一番美しい作品ができる」
「ん、ん〜? 美雪ちゃんが言ってること、時々難しい気がするわぁ〜……」
「……そうですか? すみません」
「んーん、謝らんといて。小難しいこと話して、芸術に手を抜かない。そこがお師さんと美雪ちゃんの共通点で、おれの大好きなところやから。……えっと、どっちか選べばええの?」

 みかは美雪が両手でグーを突き出してくるのに戸惑いながら尋ねた。美雪が頷いたため、みかは「じゃあ……こっち!」と左手を指さす。ぱっと花が咲くように美雪の手が開くと、中に乗っていたのはソーダ味のキャンディだった。

「あ、飴ちゃんや♪」
「……こっちはレモンです。あげます」
「え、両方に入ってる挙句こっちもくれるん⁉ なんで『どっちだ〜』ってやったん⁉」
「……やってみたくて。……影片先輩の、目の色です」
「あ……ほんまや」
「……甘いのを食べると、元気になるんですよね。飴ちゃん好きって、影片先輩、いつも言ってます」
「……うん」
「……食べてください」
「……おおきに、美雪ちゃん。……うん、美味しいわ。一番美味しい」

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