27

「…………できた」

 Knightsのスタジオで寝そべっていたレオが突然口を開いた。近頃寒くなってきたため引っ張り出した毛布にくるまっていた凛月が薄目を開けると、レオの横顔が見える。爛々と輝く瞳からは尋常ではないくらいの興奮の色が見える。光を失ったレオの目が、異様な光を放っていた。

「──できた、できた。できたできたできたッ! 最高だ! 最高の作品だ! 天国にいる音楽史に名を遺した天才たちも羨む程の傑作! これで、これで……これならアイツに勝てる……! おれが、おれが天才だ!」
「……王さま?」

 今スタジオには凛月とレオしか居ない。司と泉、嵐の三人はそれぞれの教室にいる時間だ。凛月はレオを止めなければいけないと本能的に悟って起き上がり、興奮した様子であちこち動き回って飛び跳ねるといった奇行を繰り返すレオを押さえようとした。

「ちょ……っと、王さま。落ち着いて……」
「安心しろよ、リッツ。おれがお前らの呪いを解いてやるからな。あの魔女を火炙りにして、追い出してやるから」
「……魔女って何?」
「あー、なんだっけ、名波? そう、名波ってヤツ」
「──名波? 美雪のこと?」
「アイツ名前二個使ってるのか……ごちゃごちゃするな、面倒臭い」
「それを王さまが言うの?」

 思わず突っ込みを入れてしまった凛月だが、先程のレオの台詞を思い出す。「魔女」「火炙り」穏やかではない単語の羅列だ。その魔女が名波哥夏、つまり氷室美雪であるのだとしたら。

「……王さま、何する気なの?」
「ん? そうだな……アイツを火刑にしたいんだけど、どうすれば良いと思う? リッツが考えてくれ! お前はおれのKnightsだもんな! そういう作戦とか考えるのって全部リッツがやってるもんな、任せた!」
「……まず、何をしたいのか教えて。内容次第では俺……ううん、俺を含む騎士四人が反乱を起こす可能性だってある」

 凛月はあくまで冷静に、火種が生まれている心を落ち着けてレオを睨んだ。

「美雪を、どうしたいって?」
「縛り付けて火をつけて燃やすんだ。処刑だよ。アイツは魔女だ。おれのKnightsに呪いをかけた。黒魔術だよ、あれは」
「……そんな抽象的なこと言われてもわからない。つまり、何? 去年みたいに外に喧嘩吹っ掛けたいってこと? 相手を踏みつけて、血塗れになりながら戦うって? その相手が、美雪だって?」

 帰ってきてからレオはずっと不安定だと泉が言っていた。自分が彼を傷つけてしまったという責任感・罪悪感なのか、それとも寄り添ってきた分、彼の状態が誰よりもわかるのか。それは凛月にはわからない。ただ、泉の言うように、今のレオの状態は異常だ。昨年の抗争中のように物騒な言葉を並べて、敵を作って攻撃しようとしている。

「そんなことしてみなよ。Valkyrieを筆頭に、美雪から曲を貰ってるユニットがこぞってKnightsを殺しにかかる。『ウチの可愛い子に何してくれてるんだ』って、Knightsを叩きのめすよ。あの子はアイドルに、あんずに、皆に、神さまに愛されてる子なんだから。……ス〜ちゃんから聞いた話だけど、美雪は財閥のお嬢様なんだって。ス〜ちゃんの家より格上らしいよ。……そんなのを敵に回してみなよ、Knightsが本当に終わる。本当の意味で」

 凛月はレオを説得しようと訴えるが、レオは聞く耳を持たない。

「知らない、そんなの」
「王さま!」
「知らないって言ってんだろッ⁉」

 声を荒げたレオに凛月はひるんだ。レオはぐしゃり、と手に持つ楽譜を握った。

「……お前も名波に洗脳されてるんだな、可哀想に。あの魔女、おれの、おれの、おれのKnightsなのに……! おれのKnightsを操ってた! ……やっぱりアイツは火炙りにしないと駄目だ」

 ゆらり、がくん、と不安定に揺れる。

「アイツの音が、ジャッジメントで聞いたアイツの歌が、吐き気がするほど気持ち悪かった。忘れたくて忘れたくて堪らないのに、夢にまで出てくる。頭の中でガンガン鳴り響いて、このままじゃおれ、また可笑しくなって、何も音が聞こえなくなるって思って……! だから、だからアイツを殺すための武器を作ったんだッ! これなら勝てるって……!」

 引き攣った笑みを浮かべたレオの姿が、一年前の彼のそれと重なる。凛月は冷や汗を流し、これは自分一人で対処できる問題ではないと悟った。泉と嵐を呼び出し、三人で押さえつけないと暴走する。

「Knightsが名波を殺せないって言うなら、ナイトキラーズだ。アイツらなら動いてくれるだろ。……スオ〜が敵わない家だとしても、『皇帝』なら敵うだろ?」
「……エッちゃんには美雪を殺せないよ。エッちゃんは、美雪を閉じ込めることは出来ても、傷つけることは拒むはずだから」
「チッ……なんだよ、全員ポンコツか? 全員名波に洗脳されてるのか?」

 舌打ちをしたレオは床を強く蹴りながら歩いて扉を開けた。凛月が引き留めようとするとその手を払ってスタジオを飛び出して行く。

「……もう、どうしてこういうとき、セッちゃんもナッちゃんも、ス〜ちゃんも居ないのかな……俺、こういうの得意じゃないって言ってるのに」

 力なく項垂れた凛月は、自分の不甲斐なさに怒りが込み上げ、拳でスタジオの壁を殴った。

***

 三年A組の教室では複数人の生徒が机をくっつけ合って仲睦まじく昼食を囲んでいた。

「はぁい、美雪♪ お兄ちゃん特性のスープだよぉ〜! ぐっつぐつに煮込んだ栄養も愛情も満点のドロドロでチョ〜美味しい世界で一つだけの手料理! あーん♪」

 泉の持つスプーンの上にはポタージュ状になっている液体が乗っていた。無理矢理電話番号を登録させた泉は「クロワッサン作りに付き合ってやったんだから来なよぉ」と美雪を教室に呼び出した。自分の手料理を食べている美雪を同級生に見せつけるためだった。薫と千秋だけでなく英智や敬人まで机をくっつけて来たのは泉の美しい顔を歪ませたが、美雪が現れた途端にデレデレの表情に変わった。斑は用事があるらしく不在、宗はまさか美雪が自分の教室で昼食を取っているとは知らず、手芸部室に移動して美雪が寝に来るのを待っている状況だ。

 ここ半年、色々な経験をしてきた美雪はだいぶ表情が出てくるようになった。それでもまだまだ乏しいが、スプーンを突き出してくる泉になんとも言えない表情を浮かべた後、諦めたように口を開いた。小さな一口に泉は「きゃはぅ〜んっ!」と奇声をあげている。

「おいしい?」
「…………」
「……ちょっと、感想は? 俺が作ったんだけど」
「…………」
「無視⁉」
「瀬名くん、美雪ちゃんまだモグモグしてるから」
「そのまま飲み込めるはずなんだけどな……煮込みが足りなかった?」

 こきゅん、と嚥下した美雪は漸く口を開いて「……美味しいです」と言った。泉は「だよね〜!」と笑顔になって次のスープを掬う。

「……自分で食べます」
「だめ♪」
「……」
「アンタに食べさせてたら午後の授業始まっちゃうもん。なるくんにもしょっちゅう食べさせてもらってるんでしょ〜? 俺だってお世話したい♪」
「あ、美雪ちゃん。俺のお弁当に入ってる玉子焼き要らない?」
「俺のウインナーもあげよう! タコさんの形だ!」
「……要らないです」
「はぁ、羽風も守沢もわかってないね。美雪はすんなり飲み込めるものじゃないと食べないよ」
「玉子焼きなら柔らかいと思ったんだけどな……」

 購買部で購入したお弁当の隅に入った崩れやすい玉子焼きを突きながら薫がぼやく。千秋は箸で摘まんだタコさんウインナーを眺めると、「確かにウインナーは飲み込み辛いか……?」と首を傾げて自分の口に放り込んだ。
 千秋の隣に座っている英智がひょっこり顔を覗かせた。

「じゃあ僕の仔牛のソテーは如何かな? 柔らかくて美味しいよ」
「アンタそんなのどっから持ってきたの」
「用意させたんだよ? 美雪ちゃん、食べたいものがあったら言ってね。すぐに料理人を呼ぶから。ふふ、氷室の御令嬢には必要ないかもしれないけれど」

 ガタン、と敬人が立ち上がる。まだ食事をしている全員が敬人に目をやると、彼は「溜まっている仕事があるから生徒会室に行ってくる」と英智に言った。

「そんなに急ぎの書類があったかな?」
「早いに越したことはないだろう」
「だからってね……昼食が栄養補助ゼリーなのはいただけないと思うよ」

 敬人の机の上には蓋を開けて飲むチューブタイプのゼリーの抜け殻が置いてあった。短時間で食事を済ませようとした敬人の昼食がそれ。英智は自分にばかり健康に気を遣うよう口うるさく言ってくる幼馴染に呆れる。

「そうだよ。美雪の前でそんな不健康な食事の例を出さないでよね、真似しちゃうから」
「いや、流石に氷室もそこまで幼女では……」
「……栄養補助ゼリー」
「ほら興味示しちゃったじゃん、どうしてくれんの」
「す、すまん。……これは体を悪くするものだ、絶対に食べるんじゃないぞ、氷室」
「……でも蓮巳先輩は食べてました」
「ぐっ……そ、それは、俺が大人だからだ。大きくなってからにしなさい」
「……」
「うっ、上目遣いで俺を見るな」
「……? 蓮巳先輩が立っているから見上げているだけです」

 ささっとゴミをビニール袋に突っ込んだ敬人は机を元の位置に戻して教室を出た。残された生徒たちはそれぞれ会話をしながら食事をし、美雪は泉から愛情たっぷりスープを貰う。

「おーい、皇帝!」
「ん? やぁ、月永くん」
「うわ! なんか大勢いるな? お前らそんなに仲良かったっけ?」

 突然三年A組の扉が開き、レオが登場する。その手には皺くちゃになった楽譜があった。机を向かい合わせて仲良さそうに食事を囲んでいる三年生たちに首を傾げたが、「まぁいっか」と呟いて本題に入る。

「ナイトキラーズを再結成するぞ!」
「──はぁ?」

 美雪の対面に座っていた泉が立ち上がった。
 ナイトキラーズと言えば、ジャッジメント時に王不在のKnightsと戦った騎士殺しの臨時ユニットだ。文字通り、Knightsを殺すためのユニット。
 泉は美しい顔でレオを睨んでいる。

「何? また俺たちと戦おうってぇ? 今度は何が不満なの、ハロウィンパーティも無事に終わったって言うのに……」
「ううん、セナとは戦わない。これはKnightsの呪いを解くための儀式だ! だからジャッジメントではない!」
「……何言ってるのかさっぱりなんだけどぉ? ジャッジメントじゃないなら何でナイトキラーズを引っ張り出すわけ?」
「おれが戦争を吹っ掛けたいのが名波だからだ!」
「……名波って、ハ? 美雪?」

 その場にいる全員の視線が美雪に集まる。美雪は先程泉に食べさせられたスープの具材をもぐもぐと咀嚼している最中だった。レオは美雪を見た途端、表情を暗くする。

「なんだ、お前いたのか。じゃあ話が早いな。……おれと勝負しろ、名波」
「……何故です?」
「簡単な話だ、おれはお前が気に食わない」
「……私、貴方に何かしましたか?」
「お前はおれのKnightsに呪いをかけた。お前はおれのKnightsに不快な曲を歌わせた」

 親の仇でも見るような表情だった。美雪はふっと視線を落とす。純粋な敵意を向けられたのはレオが初めてだった。

「……王さま。今アンタ、美雪を傷つけようとしてない? ……それは敵を増やすだけだと思うよ、止めておきな」
「……ほらな。Knightsはもう名波に洗脳されてる。だからナイトキラーズなんだよ」
「洗脳とか呪いとか、そんな物騒な単語並べるのやめなよ! 美雪を悪者みたいな言い方するなんて……!」
「気づいてないのか? ジャッジメントからずっと、お前らには名波の音の癖がついてるんだ。おれの脳にもずっとあの音がこびりついてる。……これは魔女の呪いなんだ。だから」

 レオは美雪を指さす。憎しみを込めて。

「お前は火炙りだ」

 緊迫した空気。薫と千秋は不安そうに美雪を見つめていた。英智はナイトキラーズとして参戦するか否かを問われる状況下、返事をせずに美雪の出方を伺っている。

「……貴方が『呪い』と言っているものは、私が敢えて付け加えていたものでしょう。普通は気づかない音を、節々に混ぜていたのは事実です。貴方がKnightsを手放そうとしていたから、貴方なら『その音』に気づくと思ったから、必要だと思って入れました。貴方が不快に感じるように、わざとそういう音楽を作りました。そうしたら、貴方はKnightsを取り戻したくなるでしょう? 貴方が帰れば、Knightsは元に戻るでしょう? Knightsが求めていたのはそれだったから、私はそうしただけ」

 はきはきとレオに述べた美雪はそこで一度止まり、「ふむ」と考え込む。
 美雪がジャッジメントの際、Knightsに与えた曲の中にそんな音を混ぜ込んでいたということに気づかなかった泉と英智は、天才の技巧に肌が粟立った。何も知らずに歌っていた、何も知らずに聴いていた。英智は、レオが名波哥夏の曲を「気持ち悪い」と言った理由がそこで漸くわかった。レオが「気持ち悪い」と感じるように、名波哥夏が仕込んでいたのだ。

「……私の音の癖、というのはわかりませんが、確かに私は頭に残りやすいように音を作ることが多いです。それまで『呪い』と呼ばれてしまうと、『洗脳』と呼ばれてしまうと……んっと、困ります。それが私の音楽だから。……私、悪いことをしていますか?」
「嫌いだって言ってる。おれが嫌いなものは悪いものだ」
「……私は、貴方の音楽は嫌いではないです。貴方は今、Knightsに曲を作っている。私はもうKnightsに曲は作らない、貴方からKnightsを奪わない。……それなのに何故、私と勝負をする必要がありますか? 『気に食わない』や『嫌い』だけでは、大義名分になりません。戦争を起こす理由にはなりません。……私も、無意味な争いは嫌いです」
「──じゃ、わかった」

 美雪の言葉を大人しく聞き入れたレオが口を開いた。

「おれがValkyrieを貰う」

 目を見開いた美雪に、レオはニッと笑った。

「やっぱり、お前を引っ張り出すにはValkyrieだよなァ?」
「……」
「おれが勝ったら、Valkyrieの作曲家はおれになる。お前が勝てば、そのままだ」
「……受ける意味がありません」
「あるぞ? お前がこの勝負を引き受けないっていうなら、おれは関係なしにValkyrieに曲を送りつける。おれはシュウの舞台、嫌いじゃないしな? そんでもってシュウもおれの曲は嫌いじゃないはずだ。おれの歌を貰ったシュウはきっと喜んで使ってくれるぞ? お前の曲じゃなくて、おれの曲をだ」

 きゅっと拳を握った美雪をレオは見逃さない。

「どうだ? 愛してるアイドルに自分の曲以外を歌われると思うと、胸糞悪いだろ? お前がおれにしたのはそういうことだ。……ああ、わかってるよ、Knightsを一時的にでも手放したのはおれ自身だって言いたいんだろ? そうだよ。でもさ、腹の虫が収まらないんだ、お前に仕返ししてやりたいって蠢いてる。だからお前が勝負しないっていうなら、おれはシュウの周りで永遠にうろちょろするぞ! お前とシュウの邪魔をして、シュウに『愛してる!』って伝えて、シュウに曲を作り続ける。勿論、Knightsにもな。お前には沢山のユニットがついてるんだから、一個くらい貰っても良いだろ? なァ、名波? 良いよな?」

 レオは威嚇する、煽り続ける。美雪がレオにそうしたように、美雪が不快に感じる言葉を投げつけている。
 美雪は椅子から立ち上がるとレオを振り返った。

「──貴方、とっても耳障り」
「……奇遇だな、おれもだよ」
「私が勝ったら、宗様に手出しをしないんですね? Valkyrieにも干渉しないと約束できますか?」
「ああ」
「約束を破ったら針を千本飲ませるから。忘れないでくださいね」
「ガキかよ」

 目の前まで歩んできた美雪を見下ろしたレオは眉間に皺を寄せる。

「……お前、怒った顔もブスだな」
「……? ブス? 誰のこと?」

 今まで「可愛い」「可愛い」「綺麗」「美しい」とばかり言われてきた美雪は、はじめて投げかけられた「ブス」という罵声に首を傾げた。

「お前のことだよ」
「……眼科に行った方が良いと思います。今度紹介しますね」
「そんなやぶ医者のところに誰が行くかよ、バーカ」
「そう。私の厚意を踏みにじるんですね」
「あ、そうだ。お前の方のユニットは自分で決めろよ。これがValkyrieに歌わせられる最後の機会かもしれないんだから、アイツらに頼んだらどうだ〜?」
「…………」
「黙ってると更にブスだな!」

 夢ノ咲学院の天才作曲家二人は互いに牽制し合いながら、しかし何故か並んで三年A組の教室を出て行った。

 残された泉、千秋、薫、英智はしん、と静まった教室に気まずくなる。

「……あ、美雪のヤツ! 俺の作ったスープ残していきやがった!」
「第一声それ⁉」
「俺が言うのもなんだが、それどころじゃないと思うぞ、瀬名!」
「確かに……! 王さまのヤツ、美雪のことをブスなんて言いやがって!」
「瀬名! たぶん怒りの方向性が違う!」
「ちょっとちょっと天祥院くんっ、君ナイトキラーズなんでしょ? 止めてよ! なんで口挟まずに見てんのさ! いつもこっちがお願いしなくてもペラペラ喋ってる癖に……!」
「はは、ごめんごめん。美雪ちゃんがどう出るのかな〜って思ってたら、こんなことになっちゃった♪」
「『なっちゃった♪』じゃないでしょ!」
「う〜ん、美雪ちゃんには申し訳ないけど、僕にとっては願ったり叶ったりかな。彼女がValkyrieに独占されているの、あんまり好きじゃなかったから。Valkyrieから追放された彼女をfineに迎え入れる準備でもしておこうか♪」
「うーっわ、最低最悪の男。美雪に嫌われろ。今の伝えておくわ」
「嘘嘘。冗談だから。やめて、言わないで。美雪ちゃんに嫌われるのは僕も堪えるから」

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