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「ども〜、皆さんこんにちは〜。おれら、Fata Morgana(ファタ・モルガナ)っちゅう、臨時ユニットです〜。ユニット名の意味は、イタリア語で『蜃気楼』って言うらしいで♪ あ、申し遅れましたぁ、一応、Fata Morganaのリーダーやらせてもってます、影片みかですぅ。よろしゅう頼んます〜」

 舞台袖から姿を現したみかがぴしーっとお辞儀をすると、反対側の袖からレオが現れる。彼は以前と同じナイトキラーズの衣装を着ており、マントを翻しながら歩いた。

「あっはは☆ 嫌味な名前だな〜、魔女って言ったせいか? アーサー王伝説の魔女モルガン・ル・フェイが由来の単語だろ? 名波って意外と性格悪いんじゃないか?」
「あー、あんまおれたちの作曲家のこと悪く言わんといて〜」
「悪い悪い! なぁーんて、思ってもない謝罪をする!」

 きゃいきゃいと騒ぐレオを流し目で睨んだみかは即座に切り替え、観客である夢ノ咲学院の生徒たちに説明を再開した。

「皆は、この夢ノ咲学院における二人の天才作曲家を知っているやろか? 一人はこの人、月永レオさんやな。Knightsのリーダーで、今はナイトキラーズとして立っとる人や。そしてもう一人は、表舞台には出て来ない、Valkyrieを中心に多数の有力なユニットに作曲しとる、名波哥夏っていう作曲家や。……もしかしたら、何人かは見たことある人もおるかもしれんな」

 みかは観客席を見下ろしながら言う。みかは此処で、少しでも観客が自分たち側に投票したいと思えるように働きかけるつもりだった。観客の中には音楽科の生徒もいる。何人かは美雪のことだと気づいているのか、こそこそと話している姿が見受けられた。

「おれたちFata Morganaは、名波哥夏が作ったユニットや。B1やから非公式なドリフェスやけど……今回のドリフェスでは、そのどっちが優れてるのかを競い合い、皆に投票して決めてもらう! そのために、敢えて真っ新な状態の臨時ユニットが出動してるっちゅうことや。皆が知ってるユニットやと、色眼鏡がついてまうやろ? このユニットが好きだから〜ってな。勿論、その気持ちは間違ってへんねんけど、今回はおれたちやのうて、おれたちの歌を聞いて欲しいんや! そのために二人の作曲家が、曲を作ったんや。皆が歌ってみたいとか、耳に残ったとか、思わず口ずさんでしまうとか、そういう歌を歌っていたユニットにサインライトを振ってな……♪」

 みかの説明は以上。あまり多くを語るべきではない、というのがValkyrieの理念であり、宗の拘りであり、みかに染みついているものだった。美雪からも「最低限の説明で。媚びを売る必要も、卑怯な手を使う必要もありません。貴方はそういうのは苦手でしょう」とみかは指示を出されていた。よく自分をわかっている子だ、とみかは微笑む。

(……そうやな、美雪ちゃん。おれたちには音楽がある、芸術がある)

「う〜ん? お前からは以上なのか? 何か肝心なことが抜けてる気がするんだけど……言わないならおれが言うぞ!」

 黙って聞いていたレオはみかが満足気に頷いたのを見て身を乗り出し、自分の主張を始める。

「この戦いには、Valkyrieの作曲権利が賭けられている! おれが勝てばValkyrieの作曲はおれがする! 名波が勝てばValkyrieの作曲はそのまま名波だ! これはそういう戦いだ!」
「僕は承知していないのだがねーッ⁉」
「うおっ? 今のシュウか? どこだどこだ……あ、いた! お前人混み苦手なんだから来なくていいぞー! あと外野はすっこんでろー! 野次を飛ばすなー!」
「外野も何も張本人なのだけれどーッ⁉」

 どうやら宗も観に来ているようだ。勝手に賭けられている立場からすれば堪ったものではないだろう。

「良いかお前ら! おれと名波、どっちの曲が良かったか、お前らの投票で決まるんだ! どっちが天才かを、決める。おれの歌を聞け! そして覚えて帰れ! じゃないと殺すぞ!」
「うわ、物騒!」
「おれは名波を火刑に処しに来た! 火刑ってわかるか? つまり、火炙りってことだ! アイツを灰になるまで焼き尽くしてやる! 曲諸共な! あっはははははは☆」
「ごっつい物騒! おうおうッ、アンタがその気ならなぁ、おれだってアンタを……!」
「影片ァーッ!」
「んあー! お師さんごめーん!」

 前説なのか、コントなのか。舞台上は混沌としていて、観客席で見守っている宗は「美しくない……! 氷室は怒っていないのか……⁉」と頭を抱えていた。
 舞台袖ではナイトキラーズとFata Morganaのメンバーが、舞台で話しているみかとレオを見ている。つむぎは眉を下げて笑っていた。

「あはは、レオくんは言葉選びが過激ですね〜相変わらず」
「王さまはずっとあんな感じだからね〜……俺たちも手を焼いてるよ」
「それにしても……青葉殿、なんだかいつもと違くて落ち着かないでござる」

 三人は三色団子のような状態で舞台袖からみかを応援していた。忍が言うように、今のつむぎの姿はいつもの彼と異なっていた。

「ええ? そうですか? ……美雪ちゃんに髪を結ぶように言われたからですかね?」
「いや、眼鏡がないのもあるでしょ。モサい雰囲気が消えて、正統派って感じになってるね……これには女子もキャーキャー言うんじゃない?」
「あはは……どうでしょうねぇ」

 まるで去年に戻ったようだ、と言えばつむぎの調子が狂うだろうと思い、凛月は言わないでおいた。
 Fata Morganaは緑を基調としたユニット衣装に身を包んでいた。つむぎと美雪がユニット衣装について話し合っているところに宗が割り込んできて、「君は衣装に手間をかけていないで氷室の曲を十分にこなせるようになりたまえ!」と全てを搔っ攫い、仕上げたものだった。宗の拘りが生き生きと輝いており、襟元の繊細なアラベスク模様の刺繍は金色の糸で紡がれていた。

「よぉ、青葉」
「ああ、紅郎くん」
「なんか、厄介なことになっちまったな」
「ほんとですねぇ〜」
「……前回は付き合ってやろうって思えたんだけどよ、今回はそうでもねぇんだ」

 今回のドリフェスでは、ジャッジメントのような一人一人が対決する形式ではない。ユニットが順にステージに上がり、パフォーマンスをし、最終的にどちらが優れていたかを決める形だ。故に、ナイトキラーズとFata Morganaは同じ舞台袖に控えていた。
 つむぎに話しかけた紅郎は眉間に皺を寄せ、首元を掻いた。

「……乗り気じゃないんですか?」
「そりゃあな。……俺は斎宮の幼馴染だから、アイツがどれだけ美雪ちゃんを大事にしてるかもわかってるし、ジャッジメントであの嬢ちゃんが巻き込まれただけっていうのもわかってるからよ……完全に月永の暴走だろ、あれ」
「……そうですね。……俺は、彼を変えてしまった側の人間なので、強くは言えませんけど」
「……それは僕も同じだね」
「あ、英智くん。良かった、近づいてきてくれて。変に遠慮しないでくださいよ〜」

 二人の会話に英智が加わる。

「ジャッジメントでの僕の言葉が、予想以上に月永くんの中に残ってしまったみたいでね。魔女だ何だ、火炙りが何だって言い始めただろう?」
「あれ英智くんのせいだったんですか⁉ もう、良くないですよ、そうやってすぐ人に変な肩書きをつけるの……!」

 英智はふいっと目を逸らす。つむぎの前では気まずくなってしまい、いつものようにジョークを言うこともできない。母親に叱られた思春期の子どものようだ。

「……仁兎くんは、どうなのかな?」
「え?」
「今回の天才作曲家同士の戦い。どっちに勝って欲しいと思う?」

 目を逸らした先にいたなずなに英智は話を振った。なずなは舞台袖の離れた位置にいる美雪を見つめているところだった。

「……うーん、Ra*bitsは名波哥夏から楽曲提供を受けてないしな。どうでも良い……って言えたなら良かったけど。……おれの声変りのせいでValkyrieが新曲を出せない時期があったから、名波哥夏に対しては、申し訳なく思ってるよ」
「つまり?」
「……応援はしてる。アイツはおれより余程Valkyrieに寄り添ってるんだから。そのままで居て欲しい。Valkyrieのことを、支えてやって欲しい」
「……そう。じゃあ、この戦いは、文字通り月永くんの暴走だね。ナイトキラーズの王以外は、まったく乗り気じゃないんだから。僕らが手を抜けば、美雪ちゃんの勝ちになる」

 朗らかに王を裏切ろうとする英智に、凛月が反応する。

「え? エッちゃんは乗り気なんじゃなかった? セッちゃんから聞いたんだけど」
「待って。それ美雪ちゃんに言ってないよね?」
「……どうかなぁ?」
「何、その意味深な笑みは……」

 凛月はニッタァ……と悪魔のような笑みを浮かべて、しかし笑っていない目で英智をからかった。

「先攻はおれたち、ナイトキラーズだ!」
「おっと、王がお呼びだね」
「あ、エッちゃん逃げた」
「うるさいよ。……さぁ行こう、気乗りしない騎士殺したちよ」
「お前が仕切るなよ。あくまでリーダーは月永だ」
「ごめん、つい癖で」

 紅郎は英智の肩をどつくとみかとすれ違うようにして舞台の上に出て行った。なずなと英智もそれに続き、Fata Morganaは後攻に備えて暗闇に潜む美雪を見つめた。

***

(ああ……駄目だな。クロはこっちに合わせる気がないみたいだ。……ナズも空気が微妙だ。……皇帝は体力温存の為なのか知らないけど、手を抜いてる気がする。……いや、レッスンのときから、全員こんな感じだったか。集まりも悪かった気がする)

 レオは踊りながら、一人だけ取り残されているように感じていた。これでは、名波哥夏を殺すための歌も威力を発揮できない。使う者の腕が良くなければ、どんなに性能の良い武器であっても意味がない。

(……リッツの言ったとおりだ。アイツは、名波は皆に愛されてる。神に愛されてるんだ。……おれがアイツに挑んでも、他のヤツらがおれの味方をしてくれない。皆、魔女に洗脳されてるから。…………なんでおれは、アイツが皆を洗脳してるって、思ったんだっけ)

 息苦しい気がした。レオは、自分の作った曲で踊っているはずなのに、溺れそうな感覚に陥っていた。去年、壊れる前と同じような、感覚。

(そう、おれは、アイツの曲を聴いて、気味が悪いと思ったのと同時に……──おれでは敵わないくらいの、本物の天才だと思ったんだ。あの震えは、気分が悪かったわけでも、恐怖でもない。……おれは、名波の歌に、歓喜していたんだ。はじめて、モーツァルトの曲を聴いたときみたいに)

 ジャッジメントで、舞台袖から聴いた彼女の音楽を思い出していた。そのせいか、レオのパートの歌詞が飛んだ。英智たちはレオの不調に気づくが、助けることはできない。

(アイツはおれと違って、曲を押し付けるんじゃなくて、アイドルたちと会話をしている。そのアイドルが一番に輝ける、歌っていて心地よく感じる音色を作れる。おれはそれに気づいたんだ。……気づきたくなかった。おれにできなかったことを、あっさりやってのけるんだもん、おれより年下の、世間知らずのお嬢様が。……そりゃあ、愛されるよな。ずっと引きこもってた挙句ただ書いた曲を押し付けるだけのおれよりも。可愛くて、ちゃんと自分を大切にしてくれる、女神みたいな女の子が曲をくれるんだ)

 レオは自分の汗で滑りそうになり、何とか踏ん張った。

(悔しいって、思ったんだ、おれは。悔しかったんだ、悔しいんだ。自分が天才だと思ってたから。井の中の蛙だった。世界には、まだまだ凄いヤツがいて、おれはちっぽけな存在だって、神さまから言われてる気分で、耐え切れなかった。耳を塞ぎたくなった。だから……おれはアイツを憎んだんだ。嫉妬して、当たり散らして……それで、アイツに勝つことで、大丈夫、おれは天才だって、安心したかったんだ)

 そのままナイトキラーズの曲は終わった。レオが自身の最高傑作だと思っていた音楽が、そうやって終わってしまった。レオは無言で、観客を見る事なく舞台袖に下がっていく。みかとすれ違った。Fata Morganaがステージに上がった。

 ここからは、名波哥夏の、氷室美雪の世界。
 緑が広がる。辺りに木々が生い茂り、花々が咲き誇る。Fata Morganaは大自然を紡ぐ、大いなる万物の流転。時折、言語がわからない単語が音色に乗せられるが、観客はそれを音楽として楽しみ、頭の中にメロディが残っていく。繰り返される心地よい音節を、知らず知らずのうちに口ずさんでいる。

(……これが、名波の世界か。……敵わないよなぁ、おれじゃあ)

 レオは舞台袖で俯き、目元を手で隠していた。

「……月永先輩?」

 しん、と雪が降り積もる音のような声だ。その声の透明さに、レオは耳を奪われてしまったことがあった。体育祭のときと、クロワッサンをもらったとき。

「…………なんだよ、名波」
「……体調が、良くないのでは?」
「はは。敵の心配か?」
「……そういう、悲しいことは、言わない方が良いと思います」

 美雪はレオに近寄ると、ちらりと舞台上に目をやった。みかを中心に、凛月が高音を、つむぎが低音を、忍が中音を補い、重厚な四重奏を奏でている。

「……月永先輩は、音楽家で誰が好きですか?」
「は?」

 レオは顔を上げて美雪の横顔を見つめる。眉間に皺を寄せて考え、口を開いた。

「……一番なんて決められない」
「そう。では……嫌いな音楽家は?」
「……モーツァルト」
「へぇ……モーツァルトですか。似ている気がしますけどね」
「アイツと一緒にすんな。……音楽は好きだけど、人としては微妙なんだ、アイツは」
「そう」

 二人の会話を聞くなずなは、美雪のそれが素っ気ない返しのように聞こえた。なずなは美雪と話す機会があまりにもなかったため、美雪がどういう人物なのか掴めていなかった。英智も聞き耳を立て、紅郎はレオが暴れたときの為に警戒する。

「……私も、苦手な音楽家がいます」
「誰?」
「……秘密」
「お前っ、人には聞いておいてそれはないだろ?」
「……貴方、考えるのがお好きなんでしょう? だから、秘密です」

 自分自身が「言うな! 妄想するから!」と口癖のように言っていることをレオは思い出した。

「……芸術とは比較するものではありません。それを好む者もいれば、そうでない者もいる。万物を愛せる者が居なければ、万物から愛される者も居ません。神ですら憎まれるのですから。……そういう理由から、斎宮先輩はドリフェス制度を良しとしなかったのだと、私は解釈していますが……まあ、数字の結果は出さなければいけないのでしょうから、今はそれを置いておくとして」

 美雪は舞台上に向けていた視線をレオに移した。舞台から差し込んでくる緑色の光が彼女を淡く照らす。

「貴方の曲をコンチェルトで聴きました。たぶん、そのときがはじめて」
「……!」
「貴方の曲は、私の葬式が、もしあるものなら、そのときに流して欲しいくらい素敵だった。だから、私は好きです、貴方の音楽」

 レオの頭の中で新しいメロディが生まれていた。じわり、とあたたかいものが広がっていく。
 自分よりも上だと、真の天才だと思った少女に自分の歌を肯定されたレオは、体中に纏わりつく何かが、浄化でもされて消えていくかのようだった。

「貴方の音楽と私の音楽、相容れないものなのだとしても、お互い存在しますから。分かり合えないのは、寂しいけれど、存在することだけでも、認めてくれませんか。束の間の自由で私が創り上げているもの、自分が確かにこの世界に生まれたという痕跡を残すための、私の音楽を」

 レオは目を瞑り、溢れそうになった熱い水を堪えた。ずり、と壁によりかかる。

「……おれ、別にお前の音楽が嫌いなわけじゃない」
「……え? 嫌いって言いましたよね?」
「言ったけど、言ってない」
「…………? 矛盾していませんか?」
「してない。気に食わないけど、気に食わなくないんだ。世の中にはそういうものがある」

 美雪はレオの言葉を理解することができず、グルグルと考えるが、わからない。

「……よくわかりません。では月永先輩。何故、今回私たちは、戦っていますか? こうして今、話し合っているのに。言語があるのだから、傷つけあう前に話すべきでした」
「……おれが、自分が不甲斐なくて、天才だと思いたくて、お前に嫉妬して攻撃した」
「嫉妬……大罪の一つですね」
「お前も、おれにValkyrieを取られると思って嫉妬したんだよ。それでおれの挑発に乗った。……心配しなくても、シュウはお前の曲しか使わないってのに」
「──ああ、嫉妬。あれは、嫉妬なんですね」

 あのとき、自分の中で湧き上がった炎が何だったのか、美雪は理解することができた。
 舞台ではFata Morganaの曲が終わっていた。魅了された観客たちは、サインライトを振っている。

「終わったな。行くぞ、名波」
「! 待って。私は、舞台には上がれません」
「はー? 別に良いだろ、可愛い顔してんだから見せつけてやりゃ良いじゃん」
「……ブスって言いましたよね?」
「言ったな」
「…………」
「あ、今の顔はブス♪ 怒った顔も可愛いな」
「……どっちなんですか」
「だから、どっちもなんだよ」

 美雪がどうしても舞台に上がらないと言う為、レオは仕方が無さそうに肩を竦めてナイトキラーズを引き連れて登壇した。
 結果はFata Morganaの勝利だった。

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