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「仙石……なんだか、歌い方が変わったか?」
「うぇっ?」

 流星隊の稽古中、ふと忍の歌唱に違和感を覚えた千秋が何気なく口にした一言に、忍が肩をびくっと跳ねさせた。余程集中していたのだろう、急に名前を呼ばれて自分が何かまずいことをしたのではないかと怯えている。

「ええっと……どんな風に変わっているのでござろう?」
「ああ、いや。悪いことではない。寧ろたぶん、良い方の変化だな?」
「良い方……?」

 忍は兎に角不安そうな表情を浮かべて周りの反応を見た。鉄虎は「あ〜」と天を仰ぎ、翠はじっと忍を見ている。奏汰はにこにこ、空中に浮かんでいるかのようだ。それはいつものことである。

「確かに。そんな気はするッスね」
「ええっ」
「うん……ちょっと、キリッとしたというか」
「き、きりっと、でござるか?」

 鉄虎が千秋に賛同すると、それに翠も頷く。「キリッと」が顔付きの話かと思った忍はもちもちと自分の頬を触ってみた。

「前までは元気元気〜って、『頑張ってる!』『応援したくなる!』って感じだったんスけど、ちょっと余裕が出て来た感じがするッス。男らしいというより……凛々しい? ッスかね?」
「姿勢も良くなった気がする……俺、猫背気味だからあんま隣並びたくないかも」
「そ、そんなこと言わずに!」

 自分からそっと距離を置こうとする翠に忍はしがみついて止めた。忍には自分の変化があまりよくわからず、周りに言われるような変化が見られるのかが理解できていなかった。

「さっき声を掛けたときも、一瞬『あれ、忍くんだよな?』って思ったくらいッスもん」
「え、拙者、そんなに変でござるかっ?」
「変というか……綺麗になった? というか、空気が変わった? 何だろう……あ、近寄りがたくなった?」
「ヒッ……! そ、それは良くない変化なのではっ? た、隊長殿〜!」

 流星隊は子どもにも親しまれている、身近なアイドルとしての立ち位置がある。翠の言うように「近寄りがたい」雰囲気を出しているのであれば、その像とはかけ離れたアイドルになってしまったのではないかと、忍は千秋に助けを求めた。その変化が良くないものとは思っていない千秋は「ふぅむ」と考え込む。奏汰は変わらずにこにこしていた。

「歌唱力に関しては、表現の幅が広がったというのが適切だろうか。歌い方も以前より成長しているように感じるし、のびのび歌えているように俺は思えたぞ? 肺活量が増えたか?」
「……あ」

 千秋に指摘された忍は思い当たる節があったのか声をあげて黙り込んだ。四人は忍の言葉を待つ。

「たぶん、美雪殿の臨時ユニットに入ったからだと思うでござる」
「やはりな。流石は、Valkyrie専属の作曲家だな。斎宮を近くで見ているんだ、求められるレベルも高かっただろう?」
「しゅうは『こだわり』がつよいですからね〜」

 忍の変化はFata Morganaの影響だろうと勘付いていた千秋は、その場に胡坐をかいて座った。リーダーがそうしたことでメンバーも腰を下ろし、流星隊の稽古の場は一時的に美雪の臨時ユニットの話に切り替わる。休憩を兼ねているのだろうと悟った鉄虎は水分補給のためのドリンクを用意して配った。

「あはは……低いとは言えなかったでござるな。参加すると言った手前、音を上げることはできなかったんでござるが……まず自分と同じパートを歌うメンバーがほぼ居ないっていうのが、不安要素の一つだったでござる。曲にもよるんでござるが、自分は本当にこの音で合ってたかな〜と」
「えぇ……それ、一歩間違ったら纏まらないよね? 凄くリスキーなことしてない……?」

 自分だったら音を外して輪を乱すというプレッシャーで真面に歌えた自信が無い、と翠は縮こまった。忍は苦笑いで頷く。

「拙者が最年少で、足を引っ張っていたでござる。美雪殿は自分が難しいことを要求していると途中でわかったのか、拙者につきっきりで音取りをしてくれたでござる。……後になって言われたんでござるが、どうやら拙者に割り振られたパートには音程が取りにくい場面が多かったらしく」

 すべてが終わった後、舞台袖で労いの言葉をかけられた忍はそんな暴露を美雪自身からされた。忍は(なんで今言うの……⁉ わかってたなら先輩に割り振って欲しかったでござる……!)と心の中で叫んでいた。美雪はどんな楽譜を見ても完璧に音程を取ることができるため、「歌いにくい音節を相手に歌わせようとしている」という考えが抜けていたのだった。

「それって、敢えて割り振られたってこと……?」
「いや、偶然というか、美雪殿が言うには『調和の問題』だったんでござるが……」
「何はともあれ歌えていたし勝ったんだから、結果オーライだな!」
「美雪殿も似たようなことを言っていたでござる……『最後には歌えたんだから、大丈夫』と」

 千秋が朗らかに笑って見せた。美雪とレオの衝突の現場に居合わせ不安に駆られた千秋ではあったが、こうして美雪の臨時ユニットに自分のユニットの後輩が抜擢されることで成長しているという事実に、喜びを隠せなかった。

「美雪さんは、しのぶのことを、しんじていたんですね〜」
「そ、そういうことなんでござろうか……」

 奏汰に頭を撫でられた忍は赤面してもじもじはにかんだ。

「美雪さんはやっぱり、しゅうのところの『こ』ですね。しのぶの『ふんいき』がかわったのも、きっとそういうことです。しゅうの『ゆにっと』ににた、けれどしゅうの『ゆにっと』とはことなる、美雪さんの『どくとく』の『くうき』を、しのぶはもってかえってきたんですよ〜」
「ああ。そしてそれは、決して悪いものではない。流星隊の活動にも活かすことがきっとできるはずだ! だから、そう不安そうにするな、仙石。氷室は俺たちにいつも力を分けてくれる。そんな子がもたらした奇跡を、俺たちが『良くないものだ』と排斥するわけがないだろう!」
「た、隊長殿……!」

***

「良くないものだ! 最低! 最悪だ!」

 Knightsのスタジオでそこら辺にあるものを掴んでは放り投げ、当たり散らしているのはレオだ。投げられるものが手元になくなったレオは遂に自分の傑作であるはずの五線紙まで丸めて投げ、衣服まで脱いでぐしゃぐしゃにして振り回していた。それをもろに喰らっている凛月は顔の前に手を出して微弱な防御をしている。

「くっそ〜! リッツに変な癖つけやがって〜、名波のヤツ! また戦争吹っ掛けてやろうか!」
「……あのさ、王さま。俺に癖がついたとかはよくわかんないけど、教えてくれれば直すし、切り替えくらいできるから」
「癖がついてる自覚が出来てないヤツを信用できるか!」
「……」

 それはご尤もか、と思った凛月は「はぁ」とため息を吐いた。そそくさとスタジオの隅に避難しているモデル組は「見てみて泉ちゃん。新作コスメよォ〜♪」「へぇ〜保湿もできるし良いじゃん」と女子トークを繰り広げている。凛月は『助けろよ』と視線でSOSを送るが二人は完全に無視だ。

「まず、俺のどこが変わったの?」
「雰囲気!」
「雰囲気って……何? 変わっちゃ駄目だった? Knightsは元々個人主義だし、俺が所々で手抜いてるのはデフォルトじゃん。Knightsに統一した空気感なんてある?」
「でもなんか、気に食わない! なんか変わったんだもん! リッツが綺麗になった!」
「別にそれは良いことなんじゃない? アイドルなんだし」
「えぇ。綺麗になることは良いことよォ〜」

 一応会話に聞き耳を立てていた嵐が野次を飛ばした。凛月はじとりと嵐を睨む。

「ちょっとナッちゃん。助っ人する気があるならもっと近くに来てやって」
「嫌よ。王さまに当たられたら傷ができちゃう」

 嵐は肩を竦めて横で毛糸を取りだした泉を不思議そうに眺めた。
 凛月は「他には?」と苛々しながらこれ以上王の機嫌を損ねないよう、一先ずレオの気持ちだけでも発散させようと考えた。

「あとは〜、えっと、えっと〜……あの、あれだよ、あれ」

 レオはぐるぐると身振り手振りをするが、はっきりした答えが出て来ない。凛月は口をへの字にしてレオを茶化す。

「……王さま。実はそんなに迷惑してないんじゃない?」
「し、してる! してるもん! 迷惑だ、名波なんて!」
「あー、くまくん。そいつ、何でか知らないけど美雪に対してはツンデレだから相手するだけ無駄だよ〜」
「あ、そうなの?」

 毛糸でマフラーを編み始めた泉がアドバイスを投げると、それが気に入らなかったレオが噛みつく。

「ツンデレとか言うな! そんな俗っぽい単語使うな!」
「わかったわかった、言い直すよ。好きな女の子にちょっかい出してる小学生男子だから」
「違う! 違う!」
「へぇ〜王さま、美雪のこと好きなんだぁ。ライバル多いよ、頑張ってね? 俺も果実みたいに甘い血のかっわい〜い女の子を逃がすつもりはないから」
「ちっがーーーーーーーーーーーーう!」
「そんなに意地になってると余計に『好き』って言ってるようなものだわァ? 墓穴掘ってるわよ、王さま」

 誰も味方をしてくれない。臨時ユニットで戦ったときと同じ状況に陥っていると思ったレオはスタジオの床に丸くなった。猫が「ごめん寝」をしているような恰好で、いじけたレオはポツポツと呟く。

「うぅ……違うもん……名波なんか可愛くないもん……ただなんか、ちょっと……素直になれなくて」
「言った」
「言ったわよこの子」
「素直になれないんだぁ」

 面白がっている三人はニヤニヤニヨニヨと笑いながらレオを囲んだ。

「だってアイツ、ずるいじゃん……可愛いのに曲も作れて……」
「それは王さまも同じだと思うけど」
「王さまも可愛いわよォ〜」
「左利きだし……」
「関係ある? 忘れてるのかもしれないけど俺も左利きだよ?」
「ってか王さまだって両方使えるじゃん。美雪も両方使ってるけど」
「絵も上手いし……」
「あ、それはそうだね」
「え、アタシ見たことないわァ。今度見せてもらお」
「声も綺麗だし……」
「確かに」
「急にベタ褒めするわね、あんだけ否定してたのに」
「歌もうまいし……」
「え、聞いたの? いつ? 美雪が歌ってるところ聞いたことないんだけど、俺!」
「あ、俺はあるよ〜。しかも初対面で。良いでしょ?」
「コイツめっちゃムカつくんだけど」

 次々に思いの丈を零していくレオは膝を抱えたままころん、と転がった。ぎゅっと縮こまり、両手で顔を覆い懺悔する。

「クロワッサンも美味しかった……」
「……ハァ⁉ 美味しかったなら『美味しい』ってちゃんと言いなさいよ! あのとき美雪ちゃんショック受けてたのよォ⁉」
「だって……アイツがキッチンに立って誰かのために料理するって……そんなことしたらすっげー可愛いじゃん……なんか、やだ……だから『食材に失礼だからキッチンに立つな』なんて思ってもないこと……おれ、何であんなこと言っちゃったんだろう……名波、傷ついてたよなぁ……はぁ……はぁぁぁあああぁぁぁあああぁぁ…………」

 レオは全身から二酸化炭素を含む毒素を吐き出そうとするかのように長い長いため息を吐きながらゴロンゴロンと辺りを転がり回った。それを見下ろす三人。

(なんか一気に気持ち悪くなったな……)
(素直になれない男も此処まで行くと哀れね)
(コイツ、本当に教室で美雪に喧嘩吹っ掛けたヤツと同一人物? あれってドッペルゲンガー?)

 転がり回った末に壁にぶち当たったレオはガバッと立ち上がって凛月を指さす。

「思い出した! リッツ、肺活量が増えた!」
「あ、それはそうだと思う。美雪、全然息吸わせてくれないの。てっきりValkyrieでは息を永遠に吐き続ける訓練でもしてるのかと思ったら、みかりんもゼェハァ言ってて。小憎らしいよねぇ〜、美雪のヤツ、俺らが『息を吸わせろ』って言ったら『できませんか?』ってまん丸のお目目で言うんだよ。悔しくなった俺たちは必死に訓練してさぁ」

 臨時ユニットの稽古中を振り返りながら、凛月が思い出話をする。ついこの間のはずなのに、随分前に経験したかのような口ぶりで話していた。

「ああ、みかちゃんからも同じ話を聞いた気がするわァ。結構評判良かったみたいね、Fata Morgana。あの歌、時々つい口ずさんじゃうのよね。耳に残っちゃって」
「青葉のヤツもモッサい雰囲気じゃなかったもんね。いつもああしてれば良いのに……」
「〜〜〜〜っやっぱり名波のせいだな! 名波のせいでリッツの肺活量が増えたんだ!」

 ビシッ、ビシッ、ビシッと凛月に迫って指を突き立てるレオに泉と嵐が首を傾げる。

「いや、それは良いことなんじゃない?」
「ええ、普通にメリットだわァ? 美雪ちゃんに感謝ね」
「やだ! 名波のお陰でリッツが成長するなんて、なんかやだ!」
「あれ? さっきまで自分の発言に後悔しまくって地面を転げ回ってた人ですよね?」
「記憶喪失かしらね、奥さん」

 凛月と嵐はいつものように顔を寄せ合って、井戸端会議中のご近所付き合いの奥さんごっこをする。

「怖いわねェ、もうボケが始まってるみたいよォ」
「嫉妬と『好き』っていう感情が混ざっちゃってるみたい♪ わかるよ、愛と憎しみなんだよね……字のまま、愛憎だよ。好きすぎて、『どうして』っていう感情が出てくるんだよね。その結果、セッちゃんみたいに暴走して拉致監禁事件が起こるわけだけど」
「ちょっと、またその話っ? 最近いじられなくなってきたと思ったのに……!」

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