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 雪の積もるグラウンドにぶっ倒れていた宗を拾ったのは泉とレオだった。二人はみかの話を聞いて宗の家に電話を掛けたが、宗は親の目を盗んで家を飛び出すというまさかの行動に出ていた。こういうところが五奇人なのだろうか。

「舞台でお前んとこの『かわいこちゃん』が孤軍奮闘してる。駆け付けてやれよ、折角学校まで来たんだからさ」
「ねぇ王さま。その『かわいこちゃん』って美雪のこと?」
「ちっげーよ! なんで名波が出てくるんだよ、ふざけんな!」

 小さな体で頑張って宗を支えるレオをからかいたくなった泉はニヤニヤと口角を吊り上げた。レオは美雪が絡むとキャンキャン吠えて扱いが容易くなる。レオはむぅ、と頬を膨らませ、宗にぶっきらぼうに言う。

「名波も、不安そうにしてたぞ」
「流石王さま。美雪のこと、よく見てるね♪」
「見てねーし。アイツが勝手に視界に入ってくるだけだし」
「はいはい。そういうことにしておいてあげる」

 宗は「支えは要らない」と言って二人から距離を取った。

「氷室……必ず行くと約束したのに。そんなに僕は信用ならないか……?」
「あの子だって神さまじゃないんだから。アンタが来てくれるって信じることはできても、断言はできないでしょ。信じていても不安に思うんでしょ」

 泉の言葉に、宗は返す言葉も見つからなかった。美雪を安心させるためにも、みかを一人にしないためにも、宗は急いで舞台に向かわなければならない。

「約束破ったら針を千本飲ませようとするぞ、アイツ」
「氷室はそんな悍ましいことはしない」
「いや、するだろ。アイツ魔女だし。おれ言われたぞ? 『宗様に近づいたら針千本飲ますぞ』って」
「そんな脅迫染みてなかったでしょ」
「……え? あの子は僕のことを『宗様』と呼んでいるのか?」

 宗は目を丸くしてぱちくりと瞬きをする。泉が「デフォルトじゃないけど……そう呼んでるところは見たよ? 陰では呼んでるんじゃない?」と言うと、宗は頬を染めて「……そうか」と相槌を打った。それを見下ろしたレオは眉間に皺を寄せて足を振り上げる。

「痛いッ⁉ おい、月永! 今、僕のお尻を蹴ったね⁉」
「悪い、なんかモヤッとして」
「ハァッ⁉」
(……ガキだね〜)

***

 スターライトフェスティバル・通称スタフェスは前半戦と後半戦に別れており、前半戦では全てのユニットが通常のユニット衣装を身に纏いパフォーマンスを行う。前半戦の形式はライブ対決で、負ければ二度と舞台に上がることはできない厳しい戦いだ。前半戦で稼いだ投票数をもとに後半戦の順序や舞台規模が変わる。投票数が多ければ大取りになることができる、ということだ。

 美雪に「必ず出る」と約束した宗だったが、会場にValkyrieの衣装を身に纏った男は一人しか居なかった。宗が遅れていることにして不戦敗を逃れているみかだが、それもいつまで通じるかわからない。前半戦で結果を残さなければ後半戦に進めずに敗退することになる。

 不安そうに嵐に打ち明けるみかの後ろで、美雪はふっと視線を落とした。

(……DDDのとき、あんず先輩は覆面アイドルとして舞台に立った)

 『Trickstarの日』に聞いた話だ。二年生しかいないTrickstarは偶にやってくる一年生の美雪を可愛がり、革命の物語を聞かせたことがあった。自分たちの力だけではなく、時代の変化や周りの協力もあり、運で掴むことができたと。

(……私が仮面をつけて、Valkyrieの一人として立てば……Valkyrieは生き残れる……?)

 美雪は宗が約束を違えるはずがないと信じてはいるが、万が一ということがある。もし間に合わなければ、Valkyrieが危うい。

(……私が立ったら、Valkyrieの世界を壊してしまうかも。……いいえ、何度も観ている。だから、再現くらいはできるはず。……少し足りないけれど私の背丈なら、当時のなずな様を模倣すれば……違和感は、ないかもしれない)

 美雪は凪砂と過ごした真っ白な部屋の記憶を思い出していた。父の喜ぶ顔を見たくて、アイドルの真似事をした。父が愛するアイドルに歌を教えてもらった。父は双子人形の頭を撫でて優しく言った。


 ──凪砂、美雪。お前たちは素晴らしいアイドルになる。


(……パパ、今でも、そう思う? そう思ってくれる? ……でも、もし、『お兄様』にばれたら? ……そうしたら、私……ああ、どうしよう。……なぁくん、私、どうしよう)

 心の中で凪砂に呼びかけても、凪砂は美雪の元に駆け付けてはくれない。抱きしめて落ち着かせてはくれない。彼はこの場に居ないのだから。

(……また、Valkyrieを見殺しにするの? ……そんなことになるくらいなら……私なんてどうなっても良いから、舞台に──)

 コツン、と靴の音がする。美雪が目を向けると、そこには黒い衣装を身に纏った金髪の少年が立っていた。
 仁兎なずな。かつてValkyrieとして舞台に立ち、Valkyrieを離れた男。独りでに動き出した人形。

 みかはValkyrieの衣装を身に纏うなずなを視界に入れた瞬間、カッと頭に血が上った。掴みかかろうとするみかを嵐が抑える。

「脱げ! 不愉快や! アンタ、自分がどんな残酷なことをしてんのかわかってんのか! おれらが一番苦しかった時期に、近くに居てくれへんかった癖に!」

 壊れてしまった宗を支え続けたみかにとって、Valkyrieを離れたなずなは『裏切者』にしか見えない。どうして今更、その衣装を着るのか。どの面を下げて着られるのか。

 なずなに感情をぶつけるみかを見ている内に、美雪の中で熱くなった何かが次第に落ち着いていく。美雪の分まで、みかがぶつけていた。美雪はじっとなずなを見つめ、彼が何を言うのか観察する。

「優しいお前が怒るのも無理はない。おれは裏切者の酷いヤツだ。今更、この衣装を着る資格なんてない」

 なずなはみかにぶつけられた感情を受け止め、噛みしめ、それでもValkyrieを救いたいという気持ちを打ち明ける。

「信じてくれなんて、口が裂けても言えない。でも、ちょっとでも償いたい。お前たちを愛してる、同時にお前たちにどれだけ愛されて大事にされてきたか思い知る日々だよ。おれは昔から口下手でさ、不愛想で……唯一の取り柄だと思い込んでた歌も、声変わりで上手にできなくなって」

 美雪はぐっと手首を握った。なずなの声変わりは、美雪にとっても良くない記憶として刻み込まれている。そのせいでValkyrieは新曲を増やすことができなかった。作曲家としてはなずなが足を引っ張っていた、とどうしても考えてしまう。

 美雪が目線をなずなに戻すとパチッと目が合った。なずなは深呼吸をして美雪を見つめ返す。

「……名波哥夏、だよな。お前がおれのことを良く思ってないのも、わかってるよ。七夕祭のとき、おれたちの歌を『聞きたくない』って顔して見てたよな」
「……」
「月永との臨時ユニットの件のときも、おれ以外のナイトキラーズの連中とは話していたのに、おれを避けてただろ。……Valkyrieのことを好きなお前が、おれのことを良く思えるはずがないよな」

 下手くそな微笑みを浮かべたなずなは目を瞑り、息を深く吸って頭を下げる。

「お前の曲が歌われなかったのは、おれのせいだ。……ごめん。本当に、悪かった」
「……謝る相手が、違う気がします。……脱退は、受理されていないんですよね」

 なずなは目を丸くして顔を上げる。美雪はなずなからそっと目を逸らしていた。

「あ、ああ。仮の状態で、正式には受理されていない。生徒会にも確認を取った。……だからおれはValkyrieとして立てる。……お前らが、許してくれるなら」

 なずなはみかと美雪の顔をそれぞれ見つめる。視線を落とした美雪は一歩引いた。

「……私には、決める権利はありません。……影片先輩が決めてください」
「……美雪ちゃん、でも」
「…………去年の曲なら、すぐに使えるはずです。仁兎先輩が居る、三人のValkyrieの曲も、私が作っていましたから」

 みかには、美雪のその言葉は「なずなの力を借りろ」と言っているように聞こえた。こうするしかないのだ、今は。みかはぐっと堪えて、なずなと共に再び舞台に立つことが出来る微かな喜びと、複雑な思いを抱えたまま決断する。

「…………今回、だけやでっ」
「ありがとう、影片。……手伝わせてくれて」
「ふ、ふんだ! これはValkyrieのためで、お師さんのためや! 勘違いせんといて! 全然、おれは全ッ然! なずな兄ィが一時的にでも帰ってきてくれたことを喜んでるわけやないからな!」
「うん、わかってるよ。これは一夜の夢だ、冬の夜の夢。醒めたら現実に戻るさ」

 なずなとみかのやり取りを見届けた美雪は舞台袖に向かい、去年作った曲のCDを手にした。

 泉とレオに支えられて辿り着いた宗の耳には、去年まで歌っていた三人のValkyrieの曲が響いていた。信じられないものを見るように、舞台上でValkyrieの衣装のまま踊るなずなを見上げる。

「よく名波が許したなぁ? アイツ、ナズのこと嫌いだろ?」
「え、嫌いなのか? 氷室が、仁兎を?」

 宗の隣に立つレオが目を丸くして言う。思わず聞き返す宗にレオはドン引きした。レオですら美雪がなずなに対して抱いている感情をそれとなく察することが出来ていた。それなのに肝心の男がこれだ。

「……お前、気づいてないのヤバいぞ」
「い、いや……あの子が仁兎を良く思っていないのかもしれない、と七夕の件で何となく察してはいたが……その、『嫌い』かどうかまでは」
「良く思ってないってことは『嫌い』ってことじゃん」
「そう簡単に人の感情は決めつけられないだろうっ」
「ん〜、まあ複雑化はしてるだろうけどさ。……ってかお喋りしてる場合かよ。さっさと行ってこい、シュウ」

 レオはバシン、と同じ芸術家である宗の背中を叩いた。その勢いで数歩前に進んだ宗はレオを振り返って言う。

「……世話になったね。この恩はいずれ返すのだよ」

 肩を竦めたレオに背を向けた宗は舞台に向けて駆け出す。

(ああ、懐かしい……この歌は、僕がはじめて名波哥夏に出会ったときの……)

 今はもう歌うことのできない、三人の歌だった。目頭が熱くなり、宗はぎゅっと目を瞑って駆け上がって、みかとなずなの隣に並んだ。

 久々の三人の舞台に宗の胸は躍っていた。今はもう捨てた、見限ったと思っていたはずのかつてのValkyrieは、宗にとって感慨深いものだった。
 美雪は三人並ぶValkyrieを舞台袖から見つめていた。いつもは舞台上で喋ると怒る宗が饒舌になって浮ついて感傷に浸っている姿に美雪は薄く微笑んだ。

(私は……このValkyrieを観たかった……これは聖夜の夢ね)

 宗は昔の三人構成になったせいか後ろに下がってバックダンサーになろうとするみかを静止し、もっと前に出るよう指示を出す。続けてなずなに目をやり、助言をするのかと思いきやベタ褒めし始めた。

「君はいつでも完璧だよ、仁兎。……だからこそ、僕という操り手は必要なかったのだろうね。それは骨身に染みて理解していたのに、君に執着して手放せなかった。そして君に、汚れ役を押し付けてしまった、せめて、償う方法があると信じたいよ、仁兎、可愛い仁兎……」
「……あ、あー。あんま『可愛い』って言わない方が良いと思うぞ、斎宮」
「……? 何故? 君は『可愛い』と言われるのが嫌いだったか?」

 目を泳がせるなずなに宗は首を傾げた。なずなは言いにくそうに口を開く。

「んっと……な? 舞台袖ですっごい美人がすっごい顔ですっごいおれを睨んでくる……マジで魔女みたいでちびっちゃいそう」
「ち、ちびっ……⁉ そ、そんなことするんじゃないよ、美しくない! いや、そんな君も可愛いとは思うがねっ……」
「だからあんまおれに構うなって……今はアイツが大切な子なんだろ? だったらおれじゃなくて、アイツを可愛がってやれって」

 なずなに言われた宗はきょとんとして舞台袖で待っている美雪を窺った。宗にはいつも通りの彼女に見える。

「……僕はいつもあの子のことを可愛がっているつもりだけれどね」
「じゃあ他のヤツに目移りすんじゃないぞ。……たぶん、やきもち妬いてるんじゃないか?」
「えっ、や、やきもち……⁉ あ、あの子が⁉」

 頬を染める宗をなずなはジトリと睨む。

「なに嬉しそうにしてんだ」
「だ、だって、やきもちって……ふ、ふふ……ふふふふふふふ……♪ かぁわいい……今すぐ抱きしめて頬ずりしたい……♪」
「終わってからにしろー」

 相変わらずの気持ち悪さだな、となずなは苦笑いを浮かべて舞い踊った。昔のValkyrieの曲を歌っている内に、今のValkyrieの実力が身に染みる。なずなはValkyrieには自分が必要ないと分かり、清々しい気持ちでRa*bitsの元に戻って行こうとした。


 後半戦の会場に向かおうとするなずなを美雪が引き留めた。なずなは舞台袖から自分を睨んできた彼女に何を言われるのだろう、と身構える。

「……あの、これ」
「……ん?」

 なずなが受け取ったものは色紙とサインペンだった。思わず静止し、美雪をちらりと見遣るとソワソワと落ち着かない様子。なずなは「あー……」と言葉を探した。

「えっと、Valkyrie時代のサイン、だよな?」
「! ……はい」
「……うん、わかった」

 キャップを外して昔のサインを思い出しながら間違えないように丁寧に書いたなずなは、色紙を差し出すと共に美雪に告げる。

「……ごめんな、お前のこと、ちょっと誤解してたかも」
「……? 誤解?」
「お前がおれのこと避けてたって言ったけど、おれがお前のことを避けてたのかもな。……近寄りがたいっていうか、綺麗すぎて触れないっていうか。そういうのに、斎宮は勢いのまま近づくんだよな、たぶんおれのときもそうだったし」
「……」
「ああ、悪い。こっちの話。……心配しなくても斎宮にはお前しか見えてないから。安心しろ」

 なずなが何を言いたいのか理解できない美雪は彼を見つめ直すことしかできない。丸い大きな瞳に見透かされたなずなは、首を掻いてはにかんだ。

「罵声が飛んでくるのかと思ったらサインを頼まれるなんてな……お前みたいな女の子を、いじらしくて健気で、『愛す可し』と書いて『可愛い』って言うんだよな。やっぱおれは女の子には敵わないよ」
「……仁兎先輩は、今はValkyrieではない場所で、『可愛さ』を売りにしているのでは?」
「え、うん、そうだけど……驚いたな。Ra*bitsのこと、ちゃんと知ってるのか?」
「……あまり視界に入れないようにしてましたけど、観ればわかりますから」
「あはは……包み隠さず言うな」

 Valkyrieを愛している彼女がそうなるのも無理はない。なずなは正直な少女に眉を下げて笑った。

「……あの人は、可愛ければ何でも良いんでしょう」
「……ん?」
「……私だけに優しくしてるなんて、言っていましたけど、別にそうじゃありませんから。……可愛くて美しいものが好きで、守ろうとする。相手が私じゃなくても、あの人はそうします……七夕のときだってそうだったんですから」
「…………あ。なんかおれがややこしくしちゃってる感じか?」
「……自惚れないでください。可愛ければ何でもいいあの人にとって、私も貴方も同じです」

 美雪はそう言うとバッとなずなに紙を押し付けた。散らばりそうになるのを慌てて受け止めたなずなは、それが楽譜だということに気づいてハッと顔を上げる。押し付けた張本人である美雪はふいっとそっぽを向いた。

「使いたければどうぞ使ってください。……今回のお礼です」
「あ、う、うん。ありがとう……?」

 美雪はちらっとなずなを見て、「……サイン、ありがとうございます」と呟くと背を向けた。素直じゃない彼女の姿はどこか宗に似ていて、なずなは思わず笑ってしまう。

「……名波! お前とおれは、斎宮にとって同じじゃないぞー! きっとアイツは、おれとお前で全く別の『愛』を持って接してるはずだから! お前がそれに気づいて、受け入れてやろうって思えたら……斎宮のこと、頼むな!」

 なずなの言葉の全てを理解することは美雪にはまだできない。遠く離れた自分に向けて大きく手を振るなずなを不思議に思いながら、美雪は色紙を抱きしめてお辞儀をした。

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