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「え……SSには、来れないの?」

 楽屋に響いた凪砂の声に、日和は雑誌に落としていた視線を持ち上げた。凪砂は浮かない表情で耳にスマートフォンを当てている。電話の相手の検討がつかない日和は首を傾げて凪砂の様子を見守った。

「……そう、お屋敷から出ちゃ駄目って言われてるんだ。……残念だな、オータムライブのときみたいに、美雪に観てもらいたかったのに。……うん、そうだね。もし来れたとしても、触れ合えなかったと思う。……でも、私は少しでも美雪の近くに居たいよ。同じ場所に立ちたい。……美雪も同じ? ……ふふ、そうだよね。私たちは、ずっと一緒なんだから」

 凪砂はふっと表情を和らげると甘い言葉を告げた。

「……うん。……うん、わかった。……ああ、美雪の声を聞いたら、顔が見たくなっちゃった。…………キスしたいな。……あ、今、ちゅってしてくれた? うん、ちゃんと聞こえた。……ん。……ふふ、お返し。……今度会ったとき、沢山触れ合おうね。沢山キスをしよう。……大好きだよ、美雪」

 画面に唇を落とした凪砂はタップして電話を終えた。名残惜しそうに画面を見つめた後、ポケットにスマートフォンを仕舞う。

「……あの、おひいさん」
「ん?」

 日和の隣に腰掛けてドリンクを飲んでいたジュンが神妙な面持ちで尋ねた。気を遣っているのか内緒話をする子どものように小声になっている。

「……ナギ先輩って、彼女いるんスか?」
「うんうん、今の電話を聞いていたら絶対に誤解するよね! ジュンくんならそういう反応をすると思ったね! でも残念。二人は至って健全に、邪な気持ちは一切なく、純粋に純潔に絡み合ってるだけだね! 僕より激しめに!」
「激しめに? …………」
「あっ、ちょっとジュンくん! 今えっちな想像したでしょ!」
「し、してねーっすよ! 相手の女性も知りませんしっ?」

 『激しく絡み合う』と言われれば、男子高校生であればそっち方面に想像力が働くのは致し方ないだろう。図星だったジュンは顔を背けて否定するが、日和はじとーっと相方の後頭部を睨んだ。自分の方を向く気がないジュンを詰まらなく感じた日和は、椅子に腰掛けた凪砂に目をやって声を掛ける。

「……美雪ちゃんと電話?」
「……うん」
「SSには来れないんだ。残念だねっ、Edenの勝利の瞬間を見せてあげたいのに!」
「……うん。……でも、お家の人にテレビで見せてもらうみたいだから、会場には居なくても、美雪は観てくれている。……だから、頑張る」

 きゅっと拳を握った凪砂に、ジュンは顔色を窺うように慎重に尋ねた。

「……えっと、美雪さんっていうのは?」
「……私の妹」
「僕の妹でもあるね!」
「……ハァ?」

 ジュンは「何言ってるんだこの人たちは」と思いつつも、二人がむかし共に過ごした時間があることは知っていたため、そこから紐解こうとする。

「……? つまり、えーっと、おひいさんとナギ先輩が一緒に暮らしてた女の子ってことっすか?」
「僕は一緒に暮らしたことはないね!」
「……あ?」
「うわっ、そんなヤンキーみたいな顔しないでほしいねっ?」
「すみませんねぇ、元からこういうやさぐれた顔なんすよぉ……足りない頭を使ってもアンタが何を言いたいのか理解できなくて困ってるんです」
「ん〜、まあ凪砂くんと美雪ちゃんのことを完璧に理解しようとするのは難しいと思うから、一先ずは凪砂くんと美雪ちゃんが幼少期に共に育った、魂の双子だと思っていれば大丈夫だね!」
「はぁ、双子……?」

 ジュンが訝しげに日和を見やると、楽屋の扉が開け放たれる。きらん、と眼鏡を光らせた茨がズンズンと入ってきて敬礼をした。

「皆さん、お疲れ様です! 連日ウィンターライブに向けての最終調整が行われていますが、疲れは溜まっていませんでしょうか? 流石に本番の数日前からは決戦に向けて休息を取る予定ではありますが、それまでは我らも奔走しなければなりません。全ては我らの勝利のため! しかし、皆さんの体調管理も自分の仕事! 不調であれば、すぐに申し出てくださいね!」
「……茨。私、今、元気ない」
「おっと。如何なさいました、閣下」

 凪砂がすっと挙手をして茨に進言する。

「……美雪がね、SSに来れないんだって」
「……はい?」
「……だから、私、元気が出ない。……SSの前に美雪と触れ合わないと、死んじゃうかも」
「そんなことで人は死にませんよ」
「……でも、心は死んでいく。……美雪と私は二人で一つの存在ではあるけど、互いを補っている。いつも一緒に居ないと……擦り減っていくんだ。……美雪が足りない、寂しい」
「うさちゃんですか」
「えっ、いま毒蛇、『うさちゃん』って言った……⁉ 僕の空耳? 幻聴っ? 確かに凪砂くんは白兎みたいな見た目をしているけど……」
「兎が寂しくて死ぬって迷信じゃありませんでしたぁ?」

 どんどん取っ散らかっていく話に、茨は「ハイハイ」と拍手をして切り替えさせる。フゥとため息をついて眼鏡を押し上げた。

「それで? 閣下はウィンターライブ前に妹君と会いたい〜ということですか?」
「うん……だめ?」
「駄目です」
「……なんで」
「露骨に不機嫌になりましたねぇ……そんな顔をしても駄目ですよ。今は大事な時期なんですから女性に現を抜かされては困ります、それが例え妹君であっても、です」
「……Edenの皆の前ならイチャイチャしても良いって、約束した」

 むぅ、と頬を膨らませてあれこれ発言する凪砂に、茨は唖然とする。

「イチャイチャしてる自覚がお有りだったんですね? まずそこにビックリですよ」
「……息抜きも大事だって、茨、いつも言ってるよね」
「ぐ……痛いところを突きますね。屁理屈ばかり上手になって……というか閣下は息抜きしまくってるでしょうが」

 いつもふらふらと土いじりをしたり読書をしたり。マイペースにのんびり過ごしている凪砂は日和と同じくらいストレスを発散できているだろう。

 とはいえ、凪砂の言うことにあれも駄目これも駄目と言い続ければ、あっという間に不機嫌になって手のつけられない状態になる。茨はオータムライブで美雪を引き剥がそうとした際、凪砂によって散々な目に遭っていた為もう学んでいた。

「……ウィンターライブが終わったら、美雪さんと安全に触れ合える環境を整備しますので。今は我慢してください、閣下」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「…………やだ」
「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜……」

 美雪が絡むと自我の塊、手の付けられない駄々っ子のようになる凪砂に茨も手を焼いていた。眼鏡を外して眉間を揉む茨を、Eveの二人は「珍しいものを見た」と面白そうに眺めている。

「……わかりました。時間が空いたら楽屋に呼び出しても良いこととします。ただし必ず自分に許可を取ってから」
「……あ、もしもし、美雪? 私、凪砂。……うん、さっきぶり。……今から来て欲しいところがあるんだけど、大丈夫?」
「おい待てコラ話を最後まで聞け。今すぐに呼び出す馬鹿がどこにいるってんですか」

***

 とんでもない事件が起きた。Trickstarを恐れたコズプロの上層部によって、漸く静まったはずの『あの明星』の報道がほじくり返された。それによってTrickstarの太陽が陰り、現在英智は裏でその対処に奔走している。

(くそ、何てことをしでかしてくれたんだ、コズミック・プロダクションは……!)

 同じアイドルとして・先輩として屈託なく接してくれる明星スバルという太陽が失われることは、英智にとっても望ましいものではなかった。Trickstarはそれだけ大きな存在となった。彼らをライバルとして見据え、互いに高め合う存在として認めているユニットが多く存在する。相手を本気にさせることができる、番狂わせの星。何としてもこの事態を収束させなければと、英智はSSの会場の廊下を早足に歩いた。

「──やぁ、英智くん」

 突然、ずしんと重く響く声がした。ビリッと研ぎ澄まされた空気に、この圧力。英智は何度か経験したことがあった。偶の調子が良いときにしか参加できない社交界で、この圧力と嫌でも向き合わなければならなかった。対等な財閥の子息として。
 英智はゆっくり振り向いた。そこには予想通りの人物が立っている。

「──豊さん」
「久しぶりだね、元気にしていた?」

 薄く微笑んでいる美丈夫は、いつも英智に鋭い剣の切っ先、あるいは銃口を突き付けているかのようだった。
 氷室豊。氷室財閥の当主であり、実権を握る人物。美雪の兄だ。

 長身の彼はそれに見合った毛皮のコートを翻しながら英智に近づく。英智は冷や汗を流しながら応対した。

「……お陰様で」
「そう? 聞いた話によると、何度か入院したとか。相変わらず大変だね、大丈夫かい?」
「はい、今はピンピンしていますよ。……豊さんは、何故ここに?」
「面白いことを聞くねぇ。今日この場に居る理由なんて、たった一つじゃないかな?」

 英智の前で歩みを止めた豊は彼を見下ろす。海外でモデル活動をしているだけあって、その身長は夢ノ咲学院でも高い部類である英智よりも高かった。

「SSだよ。新たな若きアイドルを見に来たんだ、どんな星が生まれたのかな、って。天体観測にね」
「そうでしたか。目ぼしいアイドルは居ましたか? 眩い光を放つ星は」
「そうだねぇ……俺の記憶が正しければ、面白い顔は見つけたかな。あの子がアイドルになっているなんて、と思ってしまったけど、考えてみれば然るべき話だったよ」

 ニィ、と目を細めて嗤う顔は氷のように冷たくて、英智はいつまで経ってもこの男に慣れることができなかった。

「俺はねぇ、英智くん。美しいものが大好きなんだ。別にアイドルでなくても良いんだよ? いつまでも永遠に美しくあってくれれば、何も言うことはない。……けれどどうしても、人間は時の流れに、老いに逆らうことはできないから……残念でならないよ。時が止められれば良いのにね、君もそう思わない?」
「そうですね……輝かしい瞬間がいつまでも続けば、とても理想的だと思います」
「ふふ、やっぱり、君と俺は似ているね」

 英智は美雪の名は出さなかった。以前、彼女に言われたことを覚えていたからだった。『私と会ったことを、お兄様に言わないでください』と、美雪はそう言った。

 英智は凪砂と美雪がゴッドファーザーに囲われていた過去を知っている。巴財団に引き取られるはずだった双子人形をこの男はいとも簡単に引き裂き、美雪を攫った。それはすなわち、『兄妹』という肩書きであるはずの豊と美雪が血縁関係ではないことを示している。

 兄妹がどんな仲なのかまでは知らないが、天祥院に『存在しないはずの妹』を知られているとわかった豊がどんな行動に出るか想像もつかない。故に、軽率に妹の名を出すべきではないと英智は判断する。

「そういえば、俺はてっきり夢ノ咲からは君が出るんだと思っていたよ。心変わりしたのかな? 裏方に回っているなんて思いもしなかった」
「はい。少し、訳あって」
「ふぅん、そう。それで今はあんなことになっているんだ、『明星』ね」

 彼も騒動を見ていたのだろう。顎に手をやり、「ふむ」と考え込むとピンと来たのか目を丸くして英智を見下ろす。

「あ、もしかして今、それの対応中だった? 悪いね、空気を読まずに話しかけてしまって。久しぶりにこっちに来たから、知り合いとは話しておきたくてさ」
「いえ、お気遣いありがとうございます。僕も久しぶりに豊さんと話せて光栄ですよ」
「確か、優勝候補のEdenには巴財団のご子息がいたよね。日和くん、だったかな。君と巴財団が居るならそんな大事にはならないだろうけど……一応、俺の名前も出して良いからね。氷室も協力するよ、力を尽くして、明星スバルくんを守ってあげよう。『明星さん』の名誉を取り戻してあげよう。仲良きことは美しき哉。持つ者は与えなくてはいけないからね」

 引き留めて済まない、と謝罪をしておきながらつらつらと話し続ける氷室豊という男に、流石の英智もフラストレーションが溜まっていた。早くこの場から解放されたい、と思わずにはいられない。それに加えて、『氷室の名前も出しておけ』と言わんばかりの主張だ。美味しいところにありつこうとしている小狡い戦法。偶然見かけた獲物にもしっかり食らいつく強かな男だ。

「じゃあ、そろそろ行くよ。決勝は恙なく進行できることを願っているね」
「尽力します。……ああ、そうだ、豊さん」
「ん? 何かな?」
「……滞在は、本日だけですか?」

 今日は十二月三十一日、大晦日だ。氷室豊は常日頃世界中を飛び回り、モデルとしての活動だけでなく氷室財閥当主としての事業もおこなっている。その彼が、今日はSSのためだけに帰国をしたのだ。
 英智の質問に豊は目を細める。笑みを浮かべたままだ。

「──聞いてどうするの?」
「……いえ。確か、お母様のご容体が宜しくなかったと思い……年末年始はご家族で過ごされるのかと思いまして。すみません、差し出がましいことを」
「ああ、いや、良いんだよ。そうだね、ありがとう、君も大変だと言うのに母の心配をしてくれて。でも残念なことに、いや有難いことに忙しくてね。SSが終わったら少しだけ屋敷に顔を出して、そのままパリに戻るつもりだよ」
「ご活躍のようで」
「おや、こっちでも俺の話は聞くかい? 嬉しいなあ」
「勿論。世界の『豊』ではありませんか」
「ははは、君だって。海外ツアーをしたと聞いたよ? 世界進出も楽じゃないよね」
「えぇ、本当に」
「……っと、そろそろ本当に行った方が良いかな、君を引き留めすぎてしまった。──それでは、ね。お互い頑張ろうか。……迅速な解決を祈っているよ」

 ひらりと手を振った豊はコートを揺らしながら英智の横を通り過ぎて行った。

(──美雪ちゃん。君のお兄さんは、相変わらず冷血だね。……妹の君の前では違うのかな)

 張り詰めていた英智は全身から脱力し、汗を拭って目的地へと走っていく。久しぶりに暴君と対面したせいか、コズプロが巻き起こした騒動のせいか、英智の表情は強張っていた。

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