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「ほれほれ、美雪ちゃん」
「おいでおいで〜♪ お兄さんが受け止めてあげるっ、怖くないよぉ〜」
「……」

 美雪の目の前には満面の笑みを浮かべるUNDEADの二枚看板がいた。『過激で背徳的なユニット』という謳い文句はどうしたのかというくらいに、子ども向け番組の歌のお兄さんのような穏健で道徳的な好青年にしか見えない。鼻の下は伸びているが。

 マフラーに手袋と、しっかり防寒具を身に着けた美雪はブレードのせいで高くなった視界と不安定な足場に落ち着かない様子だった。リンクに降りて手を差し伸べてくる零と薫を見上げ、ゆっくり氷の上に踏み出した。

「わ、っと……はは、びっくりしたねぇ? 初めてだと慣れるのが大変だと思うから、俺がしっかり支えてあげるよ」
「薫くんずるい〜。我輩も美雪ちゃんと合法的にハグしたいのじゃあ〜」

 上手くバランスが保てなかった美雪はふらっと倒れそうになり、薫がすかさず抱きしめる。零も美雪を受け止めようと手を伸ばしたが薫の方が距離が近く、早かった。行き場のない手に零が嘆き羨ましがると薫は「むふふん♪」と不気味に笑ってみせる。

「最近真面目に活動してるから、神さまが御褒美をくれたのかもね♪」
「ふむ、その理論で行くと我輩にも褒美がいくつあっても可笑しくはないんじゃが……これ、あれかのう。ヤンキーがちょっと良い事をすると一気に株が上がるヤツ」
「俺とヤンキーを一緒にしないでよ」

 相方をヤンキー扱いするとは何事か、と薫は零を睨んだ。

 数日前、『UNDEADの日』で零は二枚看板に撮影の仕事が舞い込んできたこと、その撮影が行われる場所がスケートリンクの近くであることを薫に告げた。そこで薫は美雪をスケートに誘い、美雪はそれに了承する。

 そして本日。リンクに来てまず薫は美雪にスケート靴を履かせようと靴のサイズを尋ねた。ところが普段オーダーメイドのものしか身に着けていない美雪はきょとんと首を傾げてしまい、薫は自分の経験で女性サイズの靴を一つ一つ取り出してシンデレラに靴を履かせるように跪いた。最終的にフィットした靴のサイズの小ささに彼女に対する愛おしさが爆発しかけた。爆発したら思いっきり抱きしめているところだった。

「まずは壁に掴まりながら行こうか。朔間さんはあっち行ってて」
「そんなこと言わずに一緒に参ろうぞ〜♪ というか二人っきりにさせるはずがなかろう」
「いきなり真顔にならないでよ怖いから」

 朗らかな笑顔からスンッと真顔になった零に薫はヒュッと息を飲んだ。美人の真顔は怖い。それが朔間零となると凄味を増しているように思える。零は薫と手を繋いでいない方の美雪の手を取った。

「お手手を繋ごう、美雪ちゃん」
「いや、俺たちで挟んじゃったら美雪ちゃんが壁を掴めないでしょ」
「我輩が壁になろう」
「何言ってんだこの人」

 撮影まではまだ時間がある。その間に美雪が滑れるよう、滑れなくとも楽しめるよう二人は手取り足取り指導に努めようとした。

 ところが特技が「何でもできること」である凪砂の魂の双子である美雪は、ある程度のことは卒なくこなすことができた。二人の間に挟まってリンクを一周するだけでコツを掴んだのか、すぐに二人の手を離して一人ですいすい滑って行ってしまう。

「ちょ、美雪ちゃん覚えるの早ッ……⁉ もっと、もっとさ、あるじゃん! よちよち歩きで『羽風せんぱい〜できないよぅ』って俺に縋ってよ!」
「物覚えが良すぎるのう……子の成長は喜ばしいことではあるが、親の気持ちの整理ができる前に親離れされてしまうと、子離れできない親になってしまう」

 置いてけぼりにされた二人は氷上で嘆く。零は良いことを思いついた、と手のひらを拳で打った。

「あ、逆にできないアピールをしてみるというのはどうじゃろう。我輩おじいちゃんじゃから行ける気がする……♪ おうい、美雪ちゃーん。おじいちゃんそんなに早く滑れないから引っ張っておくれ〜」

 遠くに行ってしまった美雪に零が呼びかけると、美雪は立ち止まって方向転換し零の元に滑ってきた。零の両手を握った美雪は彼を導くようにして、先程よりもスピードを緩めて滑っていく。

「あ、あー! ずるい! 美雪ちゃん、俺も俺も!」
「……朔間先輩。……手を」
「離さないぞい♪」
「……でも、羽風先輩が」
「あやつは一人でも滑れる。上手く滑れない我輩のことを置いていってしまうのかえ……?」
「……腕は、二本あります。……先輩たちに、一本ずつ使えば、滑れます」
「美雪ちゃんの細腕一つでは我輩を支えることは出来んよ。そうなったら、我輩は怪我をしてしまうかもしれんな。そして美雪ちゃんの腕も無事では済まないじゃろう」

 零は長い睫毛を伏せて自分の腕を引っ張る美雪の手を見つめる。細い手首にするり、と指を滑らせ、がっちり掴んだ。

「こんなに手首が細いんじゃ……我輩を助けることは出来ずにぽっきり行ってしまうじゃろうな。だが両手で支えてくれるのであれば、そうはならん」
「……」
「ちょっと朔間さん。美雪ちゃんの清らかな良心に訴えかけるような卑怯な真似しないでくれる?」
「クックック……乙女を独り占めするのに手段は選ばんよ。ほら、美雪ちゃん。薫くんはここまで自力で滑って来たじゃろう? 一人で大丈夫なんじゃよ♪」
「うわ、待って、卑怯すぎない⁉ 俺の行動まで見越してたの……? アンタのそういうとこ、ほんっと嫌い……!」

 賑やかなスケートリンクに、雑誌担当のスタッフが二人を呼びにやってくる。「朔間さん、羽風さん、そろそろ始めるのでスタンバイを……」とリンクの外にいる男性が言いかけて、ポカンと口を開けて立ち止まる。「はーい」と返事をして移動しようとしていた二枚看板は突然固まったスタッフの男性に首を傾げた。

「……お、お二人の、妹さんですか?」
「? ああ、違いますよ。学校の後輩で、作曲をしている子です」

 恐る恐る口を開いた男性に、薫が解説をする。どうやら彼は美雪を二人のどちらかの妹だと思ったらしい。男性はポーッと頬を染める。

「は、はぁ……すごく、お綺麗で。……よ、良かったら一緒に撮影なんて、どうでしょう?」
「え、でも今回の撮影テーマって『リンクの誘惑』で、女性をターゲットにしてますよね?」
「確かにそうなんですが……是非、彼女を撮影させていただきたく……!」

 美雪を一目見て、普通の女の子ではないとビビッと来たのだろう。男性はスケートリンクの外に設置された手すりを掴み身を乗り出して頼み込んでいる。零が自分の背中に隠れた美雪の頭を撫でて「どうする?」と小声で尋ねると、美雪は首を振った。零は頷いてスタッフの男性に目をやる。

「すみません、この子はカメラが苦手で」
「あ……そうですか……」

 流石の零も、スタッフの前では普通に話す。零が眉を下げて美雪が撮影には参加できないことを告げると、男性は残念そうに身を引いた。カメラが近くに設置されている中、映り込んでしまってはいけないと思った美雪はマフラーを鼻まで引き上げて顔を隠した。

***

「あれ、美雪? アンタこんなとこで何してんの?」
「……瀬名先輩」
「しかもそんなこんもり着こんで……何、寒いの?」

 零と薫が撮影に行っている間、美雪はリンクの脇にあるベンチに座って分厚い本を読んでいた。美雪の頭には零が着ていたファー付のコートが引っかかっている。周りの視線を気にしている彼女に零が着せたものだった。マフラーで顔の半分を隠しコートで頭まですっぽり覆っている状態の彼女を見て、よく美雪だとわかったものだ。泉は美雪の横に腰を下ろし、ファーのフードを摘まんで覗き込んだ。

「……寒く、ないです」
「そう? なら良いけど……コンポタでも買ってこようか? あれくらいなら飲めるでしょ?」
「……こんぽた?」
「コーンポタージュ。自販機にある黄色い缶の飲み物だよ」
「……いいえ、大丈夫です」
「ん、わかった。何かあったら言うんだよ」
「……はい」

 フード越しに美雪の頭を撫でた泉は立ち上がってリンクを滑り始める。『氷上の騎士』をテーマにした今回の撮影だが、Knightsはまだメンバーが揃っていない。信用問題に関わるため今は嵐だけが撮影に出て司がレオを、あんずが凛月を探しに行っている状況だ。泉は一人取り残されている美雪をチラチラと振り返り、近くに寄って声を掛ける。

「折角来たんだから、滑ったら?」
「……さっき、滑りました。……羽風先輩と、朔間先輩と」
「え、アイツらも来てんの? 美雪を誘うなんて抜け目ないな……あ、そーだ。もう少ししたら王さまが来るから、身構えておきなよ。どうせまた懲りずにアンタに絡みに行くだろうから。ブスとか言われても本気にしないんだよ、わかった?」
「……はい。……月永先輩が私に構うのは、精神年齢が、『小学生男子』だから」
「そうそう! お兄ちゃんの言ったこと、ちゃんと覚えてて偉いねぇ♪」
「誰が小学生男子だ、誰が!」

 作曲家という生業である者は聴覚が人よりも優れている。二人の会話がばっちり聞こえていたレオは司に引っ張られながら登場した。首根っこを掴んでいる司の腕を振り払って、ベンチで優雅に読書をしている美雪にズンズン迫り、ドカッと隣に腰を下ろした。

「何の本だッ」
「……サロメ」
「は? 戯曲の?」
「……ええ」
「……ふーん。おれの歌劇に出るのは断った癖に」
「……? 関係、ありますか?」
「あるだろ。どっちも舞台上の演劇だ」

 美雪は本を閉じ、拗ねたレオの横顔をちらりと見て表紙を撫でながら口を開く。

「……歌劇は、オペラ。……戯曲は、『曲』とついているけれど、厳密には脚本そのもののことを指します。……歌はなくとも、『戯曲』というのは、とても不思議」
「最初に訳したヤツが適当だったんじゃねーの」
「……翻訳は、難しい。……その土地のニュアンスが、別の土地で伝わるかどうかは、翻訳した人の力量が問われるから」
「確かにな。本来の意味を理解するためにはその土地に生まれ育つか、実際に行ってみて現地の人間と対話を重ねるしかない。けど、個々人の解釈もくっついてくるし、そいつの考えを昔からの・現地人の共通認識として使えるかどうかはわからない。所詮物事は全部、自分なりに噛み砕いて形を作るしかないんだ」

 レオが思ったよりも冷静に、芸術家として美雪と会話をしている様子にリンク内にいる泉とリンク外にいる司が顔を見合わせた。

「つーかお前、なんでフードなんて被ってんだよ。顔がよく見えないだろ」
「……見えない方が、良いのでは?」
「あ? なんで?」
「……貴方はよく、私にブスと言います」
「…………」

 レオは挙動不審になる。目をあちらこちらに泳がせて必死に次の言葉を探しているらしい。無様な彼を見た司と泉は噴き出してしまわないよう必死に口を押さえた。

「そ、そういうところがブスなんだよっ」
「……」
「大丈夫だよ、美雪。めっちゃ可愛いから」
「ええ、氷室さんは美しいです。Leaderは思ってもないことを言う癖を直した方が良いです」
「五月蠅い五月蠅い! さっさと撮影に行くぞ!」
「すっぽかして遅れてきたヤツが言うな」
「忘れてないっ、迷子になってただけ〜」

 ひょいっとベンチから立ち上がったレオはスムーズにリンクの上を滑って見せた。滑っている最中もチラチラと美雪を気にしているようで、泉は(ほんと素直じゃないガキ)と鼻で笑った。

 あんずによって連れて来られた凛月は何故か棺桶の中に入っており、彼が出てきてメンバーと話している間にレオは薫に呼ばれる。戻ってきたレオは上機嫌でUNDEADの二枚看板とショット対決をすることになったと騎士たちに告げた。

 先に撮影を終えたKnightsはそれぞれ余った時間を過ごす。レオは何故かリンクの上で作曲を始め、司はそれに付き添い、泉はあんずと仕事の会話をしているらしい。凛月と嵐はリンクの外に出て、美雪がいるベンチに彼女を挟むようにして腰を下ろした。

「そういえば、聞いたわよ美雪ちゃん。お師さんの誕生日で学んだかと思ったのに、みかちゃんの誕生日にもプレゼントを山積みにしたんですって? 折角アタシがプレゼント選びに付き合ってあげたって言うのに……あれだけじゃ足りなかったの?」

 スターライトフェスティバルの次の日、誕生日を迎えたみかに対して美雪は宗と同じようにプレゼントの山を押し付けていた。美雪が宗だけに好意を持っている、という認識だったみかは泡を吹いて倒れた。宗の誕生日のような事態にならないよう、嵐が今度こそプレゼント選びに付き合ったのだが、どうやら美雪はその日以外にもプレゼント選びをしていたらしい。

「……影片先輩は、私が斎宮先輩だけを好きだと思っているみたいだったので……Valkyrieのお二人が好きなのだと、しっかり伝えるべきだと思いました」
「ほんっとValkyrieが絡むと頑固になるのよねェ、美雪ちゃんって。……うふふ。みかちゃんね、冬休みに何回か会ったんだけど、会う度に『美雪ちゃんから高級な飴ちゃん貰ったんや〜』って嬉しそうに舐めてたわァ。まったくもう、舐めきれないくらい渡しちゃったら、みかちゃんが虫歯になっちゃうわよォ」
「良いなぁValkyrieは。俺も美雪からプレゼント貰いた〜い♪」

 ベンチに寝っ転がる凛月が手をあげて言うと、美雪は「ふむ」と考え込む。Valkyrieの二人以外に誕生日プレゼントを渡していなかったのだ。

「……プレゼントは、知り合い全員に渡すものですか?」
「ん〜渡したい人だけで良いのよ、キリが無くなっちゃうから。だから凛月ちゃんは無視して良いわよ」
「え、酷」
「……凛月先輩は、臨時ユニットに入ってくれましたし、鳴上先輩にも、いつもお世話になっています。……こういうとき、プレゼントはいつ渡せば良いですか?」

 嵐の誕生日は約二か月後に控えているが、凛月の誕生日は既に過ぎてしまっている。クリスマスプレゼントというものも存在するが、その時期も終わっていた。

「誕生日じゃなくても、お世話になったお礼にって何でもない日に贈り物をすることもあるわァ。あと、誕生日を過ぎちゃってから渡すことだってあるのよォ」
「……過ぎてから? 当日じゃ、ないんですか?」

 きょとんと目を丸くする美雪に、嵐は随分表情が柔らかくなったものだ、と薄く笑う。

「ええ。こういうのは気持ちよ、気持ち。まあ当日に貰った方が特別感はあるだろうけど……あ、でもお世話になってる人全員にValkyrie並みのプレゼントをするのはやめた方が良いわァ? それだけ美雪ちゃんが『好き』って思ってくれてるのが伝わるし、気持ちは嬉しいんだけどね。中には貰い過ぎて逆に申し訳なくなっちゃう子もいるから……というかValkyrieの二人はよく持ち帰れたわね、あの量を」
「……ご所望でしたら、ご自宅まで送りますよ? 影片先輩のときは直接お送りしましたから」
「出た。忘れた頃にやってくる美雪のブルジョワ発言」
「司ちゃんも今は出て来なくなってきたけど、前は凄かったわよねェ」

 リンクの上ではレオと泉が会話をしている。どうやらUNDEADとの対決の結果、ダブルショットを進めることにしたようだ。モデルとしてのプライドが凄まじい泉は薫の実力が確かであるを理解し、ダブルショットで決着をつけることにした。

「こういうのって、結局は好みの問題な気がするのよねェ。羽風先輩のファンからしたら羽風先輩を選ぶだろうし、泉ちゃんのファンも泉ちゃんを選ぶもの」

 負けてなるものか、と眉間に皺を寄せる泉を見た嵐が苦笑しながら言った。凛月は美雪の太ももに転がって「俺も同意見〜」とひらひら手を振った。どちらが優れているか、確実に示すことができる者は居ないのだ。芸術も同じであることを知っている美雪は薄く微笑んで目を伏せた。

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