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 夏に始動したサガ計画。元スーパーアイドルである佐賀美陣を師匠とし、守沢千秋・氷鷹北斗・姫宮桃李を弟子とした臨時ユニット『Rain-bows』のライブは成功をおさめ、小規模で低予算だったはずの計画は他の元アイドルたちに刺激と希望を与え多くの参加者が出現した。

 SSで大打撃を喰らったコズミック・プロダクションの再興のため、北斗の父である現役スーパーアイドルの氷鷹誠矢は臨時講師として招かれたこともあった玲明学園の生徒である巴日和・漣ジュンと共に『Lilith』を結成した。リバースライブでは師弟で結成されたユニットが多数参加する。会場は夢ノ咲学院の講堂で、そのルールは一般的なアイドルのライブとは異なるため現代の夢ノ咲出身でない者には不慣れな形式となっている。

 サガ計画に、美雪はあまり関与していない。Rain-bowsは北斗が父のコネを使って用意した曲がある。「一昔前のアイドルの曲を作る良い機会になるでしょう」と章臣が勧めてきたため、章臣率いるBa-barrierには夏頃の合同ライブで楽曲提供をしていた。章臣に世話になっていること、Ba-barrierにみかがいることも美雪が曲を授けた要因である。

 しかし今回のリバースライブでは事前に用意された三曲を繰り返し歌うことになっている。その方式に疑問を抱くものも少なくはなかった。そして、それにより美雪の出番もレオの出番も、今回はない。

 待ち合わせ場所に辿り着いた美雪は辺りを見渡すが、噴水広場には誰も居ない。美雪は芝生に腰を下ろしてスケッチブックを開くと、約束した人物が到着するまで描画に勤しむことにした。

 鉛筆で水の飛沫の明暗を描いている最中、後ろからするりと腕が伸びてきて美雪を抱きしめる。描画に集中していた美雪は足音を耳で拾っていながらも反応することができなかった。びくりと肩を震わせるが、漂ってきた懐かしい香りに力を抜き、そっと振り返る。

「──美雪」
「……なぁくん」

 凪砂はぐりぐりと美雪の首筋に顔を埋めた。美雪はくすぐったさに身を捩る。

「……一か月ぶりかな」
「……うん、そうだね」
「……やっと会えた。嬉しい」
「……私も、嬉しい」
「…………キス、していい?」

 許可を取るように言っておきながら、凪砂の顔は既にそのための顔になっていた。愛おしそうに目を細め、唇を寄せていく。美雪も瞳を閉じて受け入れようとする。

「はーい、駄目でーす!」

 踏切の遮断機バーのように手を差し込んでキスを妨害した茨は微笑みながら青筋を立てていた。気を抜いたらすぐこれだ、と茨は凪砂を睨んで二人の距離を離す。凪砂は不満そうに茨を見上げた。

「閣下。まさかとは思いますが、お約束を忘れてしまったのではありませんよね?」
「……くっつくのは、Edenの皆の前だけ」
「そうです。ああ、良かった。覚えていらっしゃって」

 野外でキスなんてしてしまえば、どこの誰に見られているかわかったものではない。更に、ここは夢ノ咲学院、英智と近い将来の計画について話を進めているとはいえ茨からすると敵陣と言っても良い場所だ。弱みは見せたくない。

 リバースライブに参加しているEveの二人の応援のために凪砂と茨は遥々夢ノ咲学院にやってきた。今回の会場が夢ノ咲学院であることがわかると凪砂はすぐに「応援、行くよね」と茨に確認を取り、しかし茨に美雪を誘う許可を取らずに彼女へ連絡して待ち合わせ場所を取り決めた。その電話をしっかり聞いていた茨は制御できない兵器に辟易しつつも追いかけ、こうして暴走する前に駆け付けた、という経緯だ。

 講堂に移動するにも手を繋いでいこうとする二人を引き剥がした茨は怒りの形相。双子人形の手首を引っ張りながら講堂にズカズカと足を踏み入れた。

「お隣、失礼しますね」
「どうぞ……あれ、美雪ちゃんも一緒だったのかい?」

 関係者席には既に英智が腰掛けており、現れた三人に目を丸くした。茨が美雪を英智の右隣に促すと、凪砂がその隣に座ろうとする。

「お待ちください閣下。美雪さんの隣は自分が」
「……なんで」
「おお、怖い怖い。人でも殺しそうな目をしていますよ。別に美雪さんを閣下から奪おうとしているわけではありません。観戦中もイチャつかれたら困るから自分が間に入ろうとしているだけです」

 茨が低姿勢で解説するが、凪砂は到底納得できずに首を振る。

「……やだ。だめ。美雪の隣は私って決まってる。右隣なら尚更」
「駄々を捏ねないでください。というか右隣への異常な執着は何なんですか」

 茨の指示を無視した凪砂は素早く美雪の隣に腰を下ろし、美雪の手を取って指を絡めた。きゅっと力を込めて握る。

「……私は左手で、美雪は右手で繋がっていた」
「……ああ、だから美雪ちゃんは左利きになったのかい? 成る程、常に右手が塞がっていたのか」

 美雪が自分と同じ左利きになった原因を理解した英智は理に適っている、と頷いた。凪砂は横目で英智を見て続ける。

「……それだけじゃないけどね。……私たちはいつも互いを見ていたから、鏡合わせで互いを真似ていたから、そうなったんだ」
「……そう。美雪ちゃんが『真似っ子が得意』と言ったのは、そういう理由だったんだね」

 言われてみれば、と英智は二人が再会した日の光景を思い出す。生徒会室の床に座って言語を用いないコミュニケーションを取っていた二人は、鏡合わせに動いていた。

「閣下、勝手に美雪さんの隣に座らないでください。さあ、Stand upですよ」
「……No. I CAN’T stand up.」
「ちょっと? 流暢な英語で反抗しないでくれます? 自分が英語を使ったから仕返しですか、嫌味ですか。しかも見事に強調して」

 茨は凪砂の腕を引っ張って立ち上がらせようとするが凪砂は踏ん張って動こうとしない。
 英智は茨の必死そうな顔を見て思わずニヤけてしまった。下品に思われないよう口元を隠して言う。

「どうやって凪砂くんという一癖も二癖もある難物を扱っているのかと思っていたけれど……案の定振り回されているみたいだね」
「いつもは全ッ然そんなことはないんですよ〜? ただ閣下は美雪さんが絡むと非常に面倒臭くなるので対処に『多少』難航するときがあると言いますか!」
「ふぅん。多少、ねぇ?」
「ええ、多少! 今日は低気圧が迫っていることもあって閣下はご機嫌斜めですので〜!」

 近くに座っているつむぎは彼等の会話を聞いて心の中で(あ〜分かります。俺も髪の毛がもわっとしてきたのでもうすぐ雨だな〜って思うときがありますから)と同意して、ふわふわの髪の毛を撫でつけた。

 茨は商売敵とも言えるであろう英智の前で凪砂を十分にコントロールできていない姿を晒していることに焦りを感じていた。仕方がないと諦め、英智の左隣が空いていることに気づき、そこに腰を落ち着けた。英智は虚勢を張っている茨ににっこり微笑んだ。茨は口角を引き攣らせながら微笑み返す。その奥で美雪と凪砂がイチャイチャし出したのを見て気が遠くなった。

「……美雪、今度一緒にシャボン玉をしよう」
「……うん、やりたい」
「……美雪は、何かしたいことはある?」
「……んっと……なぁくんと、一緒にお昼寝したいな」
「……うん、わかった。また一緒にお昼寝しよう。……お風呂にも入ろうね」
「おふ、ん? ちょっと待って? いま何だって?」

 余裕ぶっこいて茨を眺めていた英智は飛び出して来た単語に目を剥いて振り返った。近くにいるつむぎが(そうですよ、英智くん。俺はオータムライブでこの二人に振り回されたんです。同じ気持ちを味わってください)と明後日の方向を見た。

「……えっと、君たちは、一緒にお風呂に入るのかい? この年齢になって?」
「……変?」
「いや、変だろう」
「……ふふ、だよね。……でも私たちは『普通』ではないから。……私たちを人の世の物差しで測ることは、誰にもできない」

 言葉を失った英智は信じられないものを見る目で双子人形を見つめ、再び茨を振り返る。

「ちょっと七種くん。何か間違いがあったらどうする気なの。ちゃんと制御してよ、あれ」
「制御してこれです」
「それでは制御できてるとは言えないんじゃあないかな」
「じゃあ英智猊下がやってみます? 昨年は出来ていらっしゃったんですよねぇ?」
「……浴場で欲情した凪砂くんが美雪ちゃんに何をするか気が気じゃないよ、僕は」
「ブッ」

 静かに耳をそばだて空気に徹するはずだったつむぎは、まさか英智が本気で『浴場で欲情する』というくだらない親父ギャグを放つとは思ってもおらず吹き出してしまった。

「何、つむぎ。そんなに僕たちの会話が面白かった?」
「い、いえっ……俺のことは気にせずどうぞ〜」

 至って真剣な表情の英智に睨まれたつむぎは慌てて繕い、「自分は関係ない」という顔をする。「これはいかん」と思った英智は美雪にしっかりと体を向けて目線を合わせ、教育しようとする。

「美雪ちゃん、嫌なら嫌って言わないと伝わらないよ?」
「……何がですか?」
「いやだから、凪砂くんとお風呂に入るのとか、四六時中くっつくのとか」
「……嫌なわけない。……英智くん、美雪に変なこと言わないで」

 むすっとした凪砂が英智を睨む。英智も眉間に皺を寄せて凪砂を睨み返した。美雪は自分を挟んでバチバチと火花を散らしている二人を交互に見遣る。

「……嫌じゃ、ないです。……なぁくんは、昔、ずっと一緒だったから」

 美雪が英智に告げると、凪砂はほっとしたように表情を和らげる。

「……今は、ずっと一緒に居れなくなって……私となぁくん、あのとき離れてしまったから、たぶん『別のもの』になった。……昔みたいに、全部が同じで、一緒ではなくなってしまった」
「……悲しいね」
「……人は皆、違うものだから……悲しむ必要は、ないと思う」

 自分と違う気持ちだと言う美雪に、凪砂は悲痛な表情を浮かべた。今まで美雪は凪砂の全てに賛同してきた。それなのに、今は凪砂と違うことを言った。
 凪砂はオータムライブであった違和感を彼女に問いかける。

「……美雪。……私は父に近づく。私は、神になりたい。……美雪は、違う気持ちなの? 私と同じ気持ちでは、ないの?」
「……私には、できない。……なぁくんがパパになりたいなら、応援する」
「……美雪と一緒じゃないと、意味がない」

 凪砂は美雪の手を握る力を強めた。美雪は睫毛を伏せる。

「……ごめん、私、アイドルにはなれない。……なってはいけない」
「……何故、どうして。美雪は父に言われたことを忘れたの? ……美雪は何を考えているの? …………『あの男』に、何を言われたの?」

 リバースライブ開幕の音楽が流れ始める。美雪は伏せていた顔を上げて舞台に目を向けたが、凪砂は変わらず美雪の横顔を見つめていた。繋がっているはずの手が無意味に感じられた凪砂は湧き上がる感情をぐっと堪え、彼女と同じように舞台を眺めることにした。

(……あの日、あのとき、私と美雪を引き剥がした男──氷室豊)

 幼い凪砂と美雪の手を無理矢理離させた彼の手が酷く大きく、そして冷たかったことを、凪砂は覚えていた。

(……お前が、美雪を変えたんだな)

 皺ひとつない制服のズボンがグシャリと歪む。

(──私はお前を、絶対に許さない)

 眩い光を放つ舞台では、スーパーアイドルたちが歌い踊っていた。

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