02  Speculation

 窓からさす橙色の光を眩しそうに見上げた英智は、明日の天気は良さそうだ、と心で呟いてから再び書類に目を落とした。

 此処は生徒会室。DDDを終えた後も、夢ノ咲学院のアイドル科生徒たちはライブ活動を続けている。生徒会は上がって来た書類を校閲し、審査し、可否を伝えなければならない。それ以外にも生徒会の仕事は山積みだった。英智が入院している最中、敬人に掛かっていた負担は遥かに大きい。英智はそれを理解し、自身の日々の体調を見て調整しつつ捌いていた。

 今日はfineとしての活動は休み。生徒会室には桃李とその執事の弓弦、そして英智の幼馴染である敬人が居た。真緒はユニットの活動で不在。弓弦は正式な生徒会の役員ではないが、英智の許しを得て桃李のサポートをしていた。彼が居ることで書類の減る速度が大幅に変わる。優秀な人材だ。英智が利用しないわけがなかった。

「英智。新しいユニットの申請が来ている。確認してくれ」
「うん、わかった」

 敬人から渡されたプリントには一年生三人の名前と写真。新入生の集まりだろう。仲良し集団で何とかなるようなアイドル活動ではないが、先のDDDを見て希望を持った生徒たちは多い。小さなユニットがぽこぽこと芽を出し始めていた。その芽は英智が摘むまでもなく、いずれ水を与えられずに干からびてからっからになってしまうだろう。

 とはいえ、申請された赤ちゃんユニットを初っ端から突き返してしまう程、英智は鬼ではなかった。あっと驚かせてくれる可能性もあると同時に、英智が脅威に感じる程の生徒ではなかった。

 英智はノートパソコンを開き、学院内の全ユニットを記録しているデータファイルをクリックした。データはアルファベット順に並べられている。今回のユニットの頭文字はU。下層部までスクロールした英智は、あるユニットの名前を見つけた。

 かつて夢ノ咲学院の頂点に君臨していたユニットの名だった。今回追加される新しいユニットは、その下に登録されることになる。

 Valkyrie、と言えば。英智はふと手を止めて考える。今朝教室に現れた乙女のこと、乙女と共に消えた宗と千秋のこと。一体何を話していたのか気になった英智は千秋から情報を聞き出そうとしたが、DDDの件から英智を「悪役」呼びしている千秋は「その手には乗らないぞ!」と言って警戒態勢に入ってしまった。そもそも宗は英智と話すことを極端に避けているため、休み時間に入った瞬間に部室へと引っ込んで行ってしまう。その足取りがいつもより軽やかだったのは英智にとって印象的だった。

「んん〜」
「会長? どうしたの、大丈夫……?」

 伸びをしながら唸る英智に、桃李が頭の毛をぴょこんと跳ねさせて顔を覗き込んだ。英智は愛らしさに微笑んで「何でもないよ」と言う。無垢な少女のような少年は、皇帝の癒しだった。

 仕事が一段落すると、英智は役員たちに帰宅するよう伝えた。桃李と弓弦が生徒会室を離れ、英智は敬人が後片付けを終えるのを待っていた。

「さっきから何なんだ、お前は」
「え?」

 苛立ちを隠すことなく言い放った敬人に、英智はきょとんと目を丸くする。敬人はカチャ、と眼鏡を上げて、手元にある最後のファイルを棚に戻した。

「先程から、というよりも朝から。ため息が多い」
「そうかな」
「そうだ。五月蠅い。こっちの幸せまで逃げる」
「はは。そういうの信じてるんだ」

 ため息を吐くと幸せが逃げる、という迷信を敬人は信じているわけではない。近くにいる人間がため息を吐けば嫌と言う程耳に入るし、聞いた人間の気まで滅入る。英智はからかうように笑ったが、敬人の言いたげな視線に口を噤んだ。

「まだ確信できないから、家に帰ってから確かめようと思ったんだけどね」
「勿体ぶるな、さっさと言え」
「せっかちだなぁ、敬人は」
「人払いしたんだ、気にする必要はないだろう」
「そうだけどね。憶測の段階なんだってば」

 生徒会室に残っているのは敬人と英智のみ。二人は帰り支度をしていたはずだが、鞄を机の上に置いて対面の椅子に腰を落とした。英智はふぅ、と息を吐いてから口を割る。

「氷室という苗字はそう珍しくはないと思う」
「……俺はあまり聞かないが」
「多くもないし少なくもないというのが僕の見解だよ」

 英智は口を挟むな、と敬人に白けた眼差しを向けた。敬人はくたびれた表情をして「はいはい」と続きを促す。

「僕は昔からこんな体だから、あまり社交界には参加できていないんだけどね。その中に、氷室という家が出てくることがあったんだ。結構幅を利かせている家だよ、僕が参加した数少ない中で最も印象に残るくらいに」

 英智の言葉に、敬人は納得した。今朝、三年A組の教室に現れた音楽科の女子生徒。その名前を彼女自身から聞いてはいないが、彼女と対面している宗が「氷室」と呼んでいたのを英智も敬人も耳にしている。その時、その場所で。

「今朝の彼女、羽風くんの言葉を借りるとヴィーナスちゃんが、『その氷室』であるという確証はないんだけど。氷室家に御令嬢がいる話を僕は聞いたこともないし、見たこともない。あれくらいの年齢なら、というよりも、ある程度の年齢になったら、そういう場には嫌でも出なければいけないのが、僕たち財閥出身の青年男女にとっては当たり前のことなんだけどね」

 態々薫と同じように彼女を呼んだ英智に、敬人は怪訝な表情を浮かべた。氷室に娘が居ないということであれば、何を疑ってかかる必要があるというのか。

「実は隠されていた娘が居た、なんて話に持っていくつもりか?」
「可能性としては有り得なくはないかもね。何も僕は苗字一つで此処まで頭を悩ませているわけではないよ」

 指を組み机に肘をついて敬人を見据える英智に、敬人はごくりと唾を飲んで次の言葉を待った。

「椚先生」
「……ああ。朝のあれか」

 急に飛び出して来た教師の名前に敬人は一瞬何のことかわからなかったが、今朝の記憶を辿ればすぐに出てきた。章臣は宗を呼び出すときに英智を確認したのだ。宗に要件を深く述べなかったのは、英智の目を気にしたのだろう。

「椚先生はね、僕の記憶が正しければ氷室に恩があるんだよ。確か昔……困っているところを助けて貰ったんだとか」
「随分アバウトな言い草だな」
「先生の名誉の為にもね。たぶん調べればすぐ出てくるよ」

 詳細を語るつもりが一切ないらしい幼馴染から視線を逸らした敬人は、窓の外を見た。辺りはすっかり暗くなっている。これから夏に向けて日が長くなっていくだろう。

「僕の推理としては、ヴィーナスちゃんは僕が想像している氷室の御令嬢。そして椚先生からすると、彼女は恩のある家の娘さん、ということになる。椚先生は、僕と彼女が接触するのを避けたいんだ、多分ね」
「何故?」
「さっき言っただろう? 僕は氷室に御令嬢が居るなんて話を聞いたことがないし、見たこともないって」

 敬人は息を飲んだ。じっと自分を見つめてくる幼馴染の視線をひしひしと感じながら、敬人は自分なりに今までの情報を整理して飲み込み、理解し解釈したことを英智に伝えようとする。

「つまり、彼女は」
「ヴィーナスちゃん」

 言い直させる必要はないだろうと敬人はジロリと英智を睨むが、英智も譲らない。結局折れたのは敬人だった。

「……ヴィーナスちゃんは、氷室の弱み、ということか?」
「そういうことになるかもね。彼女を突けば、もしかするとあの高尚な氷室のボロが出てくるのかもしれない」
「その氷室というのは、どういう家なんだ」
「……それがねぇ」

 英智は組んでいた指を解き、天祥院財閥の御曹司にしては酷くだらしなく脱力して、机に突っ伏した。まさか、此処に来て幼馴染の体調が悪くなったか、と敬人は目を剥いて椅子から立ち上がる。やっと入院生活が終わったというのに、病院に逆戻りなんてしては堪ったものではない。英智にとっても敬人にとっても。
 敬人が駆け寄る前に英智がため息交じりに言う。

「次期当主……というより、今はほぼ彼が実権を握っているんだったかな。その人がね、とてもやりづらいんだよ。威圧感というか……兎に角凄くてね。僕ですら相手をするのに勇気がいる」
「……お前が?」
「桃李と朱桜の司くんだったら、小鹿のように震えているしかないだろうね。実際、彼を前にした桃李は挨拶を済ませたら媚びを売るまでもなく、すたこらさっさと逃げおおせていたし」

 敬人は英智がそこまで言う氷室家の当主は、一体どんな人間なのだろうと思った。人間ではなく、神や仏の類なのだろうか。あるいは悪魔や鬼の類なのだろうか。

「そんな人だから、僕としてもヴィーナスちゃんにちょっかいを出そうか出すまいか悩んでいるところなんだよ」
「……お前は氷室家を陥れたいのか? 氷室が邪魔か、あるいは存在すると都合が悪いのか?」
「いや、まさか。そんなことはない。お互い距離を置きながら上手くやっていくのが正解だ」
「……はぁ〜」

 敬人は心底呆れてしまった。英智が何を言いたいのか、理解をするのに神経を使ってはいるが、敬人と英智の心の距離でも出来ているというのか。敬人はここ最近、目の前の幼馴染の言いたいことを昔のように理解することが出来なくなっているように感じていた。

「では何なんだ。先程からお前の話はいつになく遠回りしているぞ。寄り道だらけだ。俺も話が長いと言われることはしょっちゅうあるが、今日のお前は特に酷い。回りくどい」
「お悩み相談室だと思って心を広く持っておくれよ」
「そんなものは開催していない」
「けちん坊」

 英智は口を窄めていじけたように言った。桃李の前では決して見せない態度だ。心を許した、気の置けない幼馴染の敬人くらいしか、この姿の英智を見ることは出来ないかもしれない。

 ふと、英智の空気が切り替わる。英智は机から体を起こして鞄を開け、中からファイルを出した。パラパラと捲り、あるページで手を止めて敬人にも見えるよう机に広げた。敬人は身を乗り出してファイルの一ページを見る。

「これは……」
「楽曲リストさ、楽譜まではないけどね。一応、作詞作曲の情報は提出して貰っているから、各ユニットで纏めているんだ」

 英智が指で示したのはValkyrieの欄だった。Valkyrieの使用する楽曲がずらりと表になって並んでいる。

「Valkyrieは当初は固定の作曲家は不在で、複数の作曲家からの提供を受けていたんだけどね。ある時を境に、同じ作曲家の歌を使うようになっている」

 するり、とページをなぞる英智の指が止まった。作曲家の氏名の欄だった。英智の指が留まった場所から下の欄は、彼の言うように同じ名前しか書いていなかった。

「名波、哥夏……」

 敬人は書かれている名前を呟いた。敬人はその字面に見覚えがあるように思えた。

「また『仮に』の話になる。今度は確証は全くないよ。完全な憶測だ」

 英智が言葉とは裏腹に鋭く瞳で言う。

「ヴィーナスちゃんが演奏者か作曲家か未確定だけどね、もし作曲家であることが確定すれば今日斎宮くんと接触したのを見る限り、恐らく彼女がこの『名波哥夏』だ。そして『名波哥夏』は、Valkyrie以外にも複数のユニットに楽曲を提供している」

 英智はパラパラとページを捲って、夢ノ咲学院における有力なユニットの楽曲リストを示した。

「Trickstar、UNDEAD、紅月も貰ってるね」
「道理で見覚えのある名前のはずだ……」

 敬人がリーダーとして所属している紅月にも、名波哥夏という作曲家による楽曲提供があった。彼女の名前の横にある歌のタイトルは、ここ最近新しく入手したものだった。敬人は漸く合点がいったと頷く。英智はまたページを捲り、今度はfineのリストを出した。

「ほら。fineにも」
「……ほう」

 敬人は英智が示した曲名を見て相槌を打った。

「僕さ」
「ああ」
「この曲、大っ好きなんだよね」
「は?」
「この曲、大っ好きなんだよね」

 一言一句違えることなく、全く同じトーンで、全く同じ間で、全く同じ高さで英智が言った。敬人は茫然と英智を見つめ返す。

「…………そうか」

 英智のきらっきらに輝いた瞳を見た敬人は、そう返すしかなかった。
 かくいう敬人も、名波哥夏が提供してくれた紅月の新曲をとても気に入っていた。それがあの『ヴィーナスちゃん』が作ったとすれば。英智は気に入っている曲を作った彼女に、再び提供を依頼することになるだろう。それが憚られるのは、想定される彼女の家柄が問題だった。

「成る程な。曲を提供して貰う為に接近しようにも、氷室家の当主が怖くて近寄れないと」
「そこまでは言ってないよ」
「ならどういう心算だ?」

 敬人が突っ込むと、英智は頬を膨らませた。敬人はそれを潰したい衝動に駆られるが何とか抑える。英智はぷいっとそっぽを向いた。ファイルを閉じて鞄に仕舞いながら言う。

「いざとなったら弱みでも何でも握って、氷室を脅して『ヴィーナスちゃん』に曲を作って貰うさ」
「おい。強行突破しようとするな」
「その時には慎重に行くから心配しないで。穏便に、あくまで穏便に行くさ。まずは彼女に良い顔をしながら近づく。彼女自身のことを知って、上手く乗せられそうだったら乗せて行こう。Valkyrieだけのものにするのは勿体ないよ、僕も欲しい。敬人もそう思うだろ?」
「……まずは近づく前に、演奏者か作曲家かの確認だろう」

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