39

 英智がレッスン室に訪れると、そこには部屋に備え付けられている折りたたみ式のテーブルの上に金色のトロフィーを置いて綺麗に磨いているナイトキラーズのリーダーがいた。

 部屋の扉は無防備にも開け放たれていたため英智は物音一つ立てずに入り込むことができた。レオは余程集中しているのか振り返らずに真剣な表情で、白いタオルをトロフィーに擦り付けている。彼は耳が良いのに集中し過ぎると周りが見えなくなってしまう。それはもう一人の作曲家との共通点とも言えよう。

 英智はニマニマと笑みを深めて入り口に寄りかかり、レオの健気なツンデレ行為を見守ることにした。ぴょこぴょことオレンジ色の尻尾を揺らし、せっせと巣作りでもしているような姿は愛らしい。黙っていれば彼は女の子にも見える美少年だ。

「わひっ? 何してんだよ天祥院。通り道を塞ぐなって」
「ああ、ごめん。面白くて」

 レッスン室に入ろうとしていたなずなが通せん坊している皇帝に文句を言う。英智は素直に体勢を変えてなずなが通れるようにする。

「面白い……? お前、また悪巧みしてるんじゃないだろうな」
「それ、結構言われるんだけど皆は僕を何だと思ってるのかな」
「自分の胸に聞いたらどうだ?」

 自覚してないなら無神経にも程があるぞ、となずなが睨み上げる。「冗談だよ」と英智が微笑むと、なずなは彼が言う『面白い』が何なのか部屋を覗く。真っ赤な瞳にレオの姿を捉えたなずなは納得がいったと頷いた。

「お〜い、レオちん。それ、おれたちに見られても良いヤツか〜?」
「あ、言っちゃう? いつ気づくかな〜って思ってたのに」
「悪趣味だぞ……気持ちはわからないでもないけど」

 なずなが声をかけるとレオは目を丸くして振り返った。
 みるみるうちに顔を真っ赤にして口をパクパクさせる──かと思いきや。二人の予想を裏切り、レオは平然と「ああ、来たのか」と言ってトロフィーに向き合う。英智となずなは顔を見合わせた。

「ちょっと待ってくれ。もうちょいで磨き終わるから」
「……え、れ、レオちん?」
「ん〜?」
「……えっと、それって名波のトロフィーだよな?」
「んー」
「……み、磨いてやってるんだ。や、優しいな?」
「まあな〜」

 なずなが尋ねてもレオは相鎚を打つだけ。なずなはこの間と反応が違う彼にポカンと口を開ける。

「意外だね……『見るな!』とか『違う!』って怒鳴られるかと思ってたのに。それをからかうつもりだったんだけどな」
「だからそれが悪趣味なんだって」
「いや、君に言われたくないけど。仁兎くんだってそのつもりだっただろう?」

 英智と一緒にされたくないなずなはそれに返事をせずに部屋に入り、レオの作業が終わるまで待つことにした。

「名波のヤツ、要らないって言ってなかったか? 意味ないんじゃあ……」
「押しつけるから大丈夫」
「うーん、まあレオちんがそれで良いなら良いけど……」
「……おれさ……この間、またブスって言っちゃって」
「うん?」

 隣に体育座りしたなずなに向かってレオは打ち明け始める。英智は部屋の扉を閉めて柔軟することにした。

「あんなに可愛い女の子にブスなんてさ……有り得ないよな」
「お、おう?」
「おれ、ほんと駄目な男だよな……いつも意地張って、アイツに酷いこと言って」
「え、えっと……そ、そんなことないぞ〜」
「だからこうやって、せめて預かったトロフィーだけでもって思ったんだけどさ……アイツ要らないとか言うしさ……ハァ……はぁあぁああぁぁ……」

 切なげなため息を吐くレオの背中を撫でたなずなは、後ろでストレッチしている英智が笑いを堪えようとぷるぷる震えているのを見てげっそりする。

「おれが勝手に負い目を感じてやってることだし……それで名波が喜ばなくてもさ、でもさ、こういう賞って、貰ったら嬉しいものだろ? 普通は。おれとアイツは名誉とかお金とかどうでも良いタイプだけど……同じだけど、コンクールに応募するってことは、色んなヤツに名前を知って貰えるし。アイツはたぶん、夢ノ咲の外にも自分の名前を広めたいんだろうなって。だから、コンクールはそのための第一歩なわけで……そんなトロフィー、大事にしないと駄目だろ」
「…………レオちん」

 なずなはレオの思いに胸を締め付けられる。と同時に疑問。

「なんでそれを本人の前で言えないんだよ」
「言えたら苦労してねぇよ!」
「あ、いつもの対美雪ちゃんの月永くんに戻った♪ 急に男前になるんだもん、びっくりしちゃったよ」

 英智はポン、とレオの肩に手を置いてにっこり微笑みかける。

「君はそのままで良いんだよ」
「皇帝……お前、おれのことを励ましてくれてるのか……? 今まで酷いこと言ってごめんな」
「僕の方こそ」
「いや、騙されるなよレオちん。コイツはライバル減らしたいだけだろ」
「ふふ、どうかな?」

***

 ナイトキラーズの新たな衣装をあんずと共に仕上げた紅郎はレッスン室に向けて足を動かす。その途中、黄金のトロフィーを持った美雪と遭遇した。

「美雪ちゃん、御機嫌ようさん。トロフィー、月永から貰ったんだな」
「……ええ、御機嫌よう」
「随分でけぇトロフィーだったんだな? 殴られたら一溜まりもなさそうだ」
「……これを、鈍器に? ……前に、そういうミステリー小説を読みました」
「悪ぃ。物騒なこと言っちまった……斎宮に怒鳴られるな、変な知識を身につけてしまうだろう、つって」

 幼馴染みが喧しく騒ぎ立てるのを想像しただけで紅郎は頭が痛くなった。

 美雪が持つトロフィーは胸の前で抱えると顔の横まで高さがあった。もっとコンパクトなサイズを想像していた紅郎は感心したように見つめる。

「そういや、ナイトキラーズの結成は三回目になるけどよ……よくトロイメライに曲を作ることにしたな?」
「……?」
「美雪ちゃんは争い事が嫌いだろ?」
「ああ、今回は…………あ」
「……?」

 美雪は不自然に言葉を区切った。紅郎が不思議そうにしているのを見て、美雪は目を逸らす。

「えっと……内緒です」
「内緒?」
「……はい」

 渉からダイナーライブを『対決』ではなく『合同ライブ』にすることを事前に聞いていた美雪は快く了承し、それをナイトキラーズ側には秘密にすることを約束していた。

 紅郎は気になりつつも問い詰めることはせずに「じゃあな」と手を振って美雪に別れを告げた。美雪は紅郎の背中を見つめ、トロイメライが借りている部屋に向かった。

 扉をノックした美雪がひょっこり顔を覗かせると、中では泉と敬人がゼェハァ息をしてへばっていた。対して渉と斑は生き生きしている。

「ハァッ、ハァッ……足並みを揃えろ、貴様ら……!」
「ほんっと、ちょ〜うざッ……」

 肩で息をしている二人を見下ろした渉は煽るように言う。

「おやおや、体力がないですねぇ」
「絶対仕返ししてるでしょ!」
「え、何のです?」

 ギャンと噛みついてくる泉に渉は心底わけがわからないといった表情だ。泉は床をダンッと殴って抗議する。

「蓮巳が美雪のこと押し倒したから! 言っておくけど、俺はアンタが箱に入れたせいで巻き込まれたんだからね⁉ 八つ当たりは勘弁!」
「待て、異議あり!」
「被告人・蓮巳敬人、慎みなさい。というか被告人は異議を唱えることは出来ませんよ、出来るのは弁護士か検察官のみです」
「くそっ……」
「いつの間に裁判が始まってるんだあ?」

 意外にもノリがいい敬人に斑が引いた。渉は「検察官、何かありますか?」と斑に尋ね、斑は「俺もやるんだな……」と失笑しながらも裁判ごっこに加担しようと仁王立ちする。

「被告人は無垢な少女を押し倒した。検察官は死刑を求刑するぞお!」
「証人・瀬名泉。何かありますか?」
「異議なーし。はい有罪〜♪ はい死刑〜♪」
「でもまあ泉さんも幇助犯だから無期懲役だけどな」
「はぁ⁉ 異議あり!」
「だから弁護士か検察官じゃないと異議は唱えられないんですってば。異議を棄却します」
「おい、俺の弁護人はどこにいるんだ」
「いませんよそんなもの」
「魔女裁判じゃないか! 押し倒しただけで死刑など、とち狂っている……!」
「被告人には反省の色が見えませんねぇ……情状酌量の余地はなさそうです」

 扉を閉めて斑にちょこちょこと近寄った美雪は「……『ほうじょはん』って何ですか?」と尋ねる。親が警察でもある斑はある程度の刑法の知識を身に着けていた。泉は愛する後輩を監禁したこともあり、どこからが法律的にアウトなのかを調べていたため──邪な動機だ。──『幇助犯』と言われてもすぐにピンと来ていた。

「幇助犯は実行犯を手伝った人のことだ。今回は実行犯が敬人さんだから、泉さんはそれの手助けをした幇助犯ということだなあ」
「だから俺は蓮巳の手助けなんてしてないっての。コイツが勝手にバランス崩してどさくさに紛れて美雪に手を出そうとしただけぇ」
「してない。事実を捻じ曲げるな、瀬名」
「じゃあ俺が居なかったら美雪に何もしてなかったってぇ?」
「も、勿論だ」
「自信が無さそうですねぇ」
「裁判長、俺は無実です。寧ろ被告人から美雪を守ろうとしたんです」
「まだ続いてたんだなあ、裁判ごっこ」

 胸に手を当てて裁判官である渉に進言する泉は様になっている。斑が苦笑いを浮かべる横で美雪がそっと手をあげた。弁護人が不在の敬人を哀れに思ったのだ。

「……じゃあ、私が弁護人をします」
「被害者が被告人を弁護ぉ……⁉ わけわかんなくなるからやめな、美雪」
「……でも、蓮巳先輩が可哀想です」
「氷室……!」

 感動のあまり立ち上がる敬人に対して、美雪は興味が無さそうに口を開く。

「……というより、私は被害を受けたとは思っていませんので、裁判は終わり」

 美雪は持ってきた楽譜を四人に配り始める。

「……今回は対決ではなく、合同ライブですから。あちら側の予備曲を用いてライブをするということですが……相手を油断させるためだけに『名波哥夏の名前を使う』なんていう勿体ないことはしませんよね?」

 渉のシナリオはこうだ。対決ライブの名目でまずナイトキラーズがパフォーマンスをする。そしてトロイメライのパフォーマンスが始まると同時に、袖に引っ込もうとするナイトキラーズの面々を引き留めて合同ライブをする、というもの。しかし突然はじまる合同ライブに美雪の楽曲を使えば、事前に練習をしていないナイトキラーズが対応できるとは限らない。それ故に、渉は事前にナイトキラーズが使用する曲を把握していた。

 ナイトキラーズの前で渉が「美雪にトロイメライの作曲をしてもらう」と宣言したが、実際は美雪の曲が必要ないという状況になる。美雪もそれなりに作曲家としてのプライドがあるのだ。美雪は必要のないはずの楽曲を持ってきてトロイメライに与えた、後は彼等が名波哥夏の曲をどう使うか。

 楽譜を眺めた渉はfineのときとは全く異なる曲調に舌を巻いて美雪を見つめ、口角をあげた。

「強気な美雪さんも良いですねぇ!」
「へぇ、わざわざ作ってきてくれたの? 王さま以外の曲を歌う機会ってあんまないから、なんか新鮮。ジャッジメントぶり」

 泉も楽譜に目を通し、Knightsとは違う音楽に胸を躍らせた。

「くまくんだけジャッジメントの後も美雪の曲歌ってたでしょ? あれ、結構羨ましかったんだよねぇ。で、どこで歌う? 日々樹」
「そうですねぇ……予定通りの『対決』と思わせるために、ナイトキラーズが退場した後にこちらの曲を挟みましょうか。その後、袖にいる英智たちを呼び出して合同ライブをするというのは如何でしょう、美雪さん?」
「……ええ、お好きにどうぞ」

 トロイメライに曲を授けた美雪は、レオから押し付けられたトロフィーを抱えてレッスン室を出て行こうとする。それを渉が引き留めた。

「お待ちください、美雪さん! 実は重要な役をお任せしたく……☆」
「……? 重要な役、ですか?」

 首を傾げて上目遣いで見上げてくる美雪に、渉はにっこり笑ってファンなら卒倒するであろうウインクを繰り出した。

***

「おい名波! なんだよ、あれ!」
「……?」

 ダイナーライブが終了し、会場となったハンバーガーショップで打ち上げを行っている最中。店側からの厚意で用意された差し入れを片手に、レオは椅子に座っている美雪にズカズカ音を立てて近づいた。美雪は敬人が寄越したチョコレート味のシェイクを飲んでいた。その傍らには看板がある。

「これだよ、これ!」
「……てってれ〜ん」
「『てってれ〜ん♪』じゃねーよ! 急にノリ良いな、お前!」

 トロイメライだけのパフォーマンスが終わった後、ナイトキラーズを呼び出して合同ライブが行われた。ナイトキラーズの色でもなくトロイメライの色でもなく、虹色に輝くペンライトを振る観客にレオたちが茫然としていると、関係者席に座っていた美雪が看板を掲げた。ナイトキラーズの四人はその看板に書かれた『ドッキリ大成功』の文字を読み、事態を全て理解することになった。

「……日々樹先輩に、頼まれました。……ドッキリ番組では、効果音と一緒に看板を出すって。……ライブ中は、静かにしないといけないから、効果音は言いませんでした」
「いや観客は騒ぐだろ、ライブ中。お前Valkyrieに染まり過ぎだぞ。あれはシュウが特殊なだけで、ファンも宗教みたいに歓声を抑えてるんだろ」
「……掛け声は、あると楽しいですね。……アイドルとファンが、一緒にライブをするのは、喜ばしいと思います」

 自分のテンポと世界観でゆっくり話す美雪に、レオはムムムと顔を顰めて隣の席に腰を下ろした。ずいっと右手に持つポテトを突き出す。

「食えよ」
「……要りません」
「食わず嫌いすんな。ここのポテトは美味い、おれが保障する。ルカたんも好きだし」
「……ルカたん」
「おれの妹だ。気安く呼ぶなよ」
「……月永先輩は、妹がいるんですね」
「なんだよ、意外だって?」
「……意外なんですか?」

 レオは妹のルカの前では騎士らしく、尊敬される兄らしく振る舞っているが、実際はこれだ。世間的には兄という生き物はしっかりしているもの、というイメージがあるのだろう。「妹がいる」と言うと「意外」という反応が返ってくることが多かった。美雪には世間一般の視点やイメージが欠けているため、レオの言葉の意味がわからなかった。レオは(そっか、コイツはそういう偏見はないのか)と納得し、ポテトを摘まんで口に入れた。

「ほら、柔らかいからお前でも食えるだろ。しょっぱくて良いぞ。時々ふにゃふにゃのヤツもあってさ、ルカたんはカリカリ派なんだけど、おれはふにゃふにゃ派」
「……ふにゃふにゃ」

 じっとポテトを見下ろす美雪に痺れを切らしたレオは、自分が好きな部位であるふにゃふにゃのポテトを探した。

「あ、あった。……やるよ」
「……元気が無さそうです」
「は?」
「……このポテト」

 美雪はだらんと垂れているポテトを指さす。他のしっかり上を向いたものに比べると、確かにそう見えるのかもしれない。彼女の表現に、レオはくすぐったくなって笑ってしまう。

「くっ……元気って。ポテトにか? 変なの」
「……変ですか? では、こういうのは、何と言いますか?」
「『ふにゃふにゃの』で通じるだろ。……ほら、食ってみろって」

 前に出された元気のないポテトとレオを交互に見つめた美雪は、レオの手に唇を寄せてポテトの先っちょを齧った。味がわかるのか疑問に思えるくらいに小さな一口だった。レオは咀嚼する美雪の横顔を茫然と眺める。こくん、と飲み込んだ美雪はきゅっと口角をあげた。

「……美味しいです」
「…………そ」

 レオは立ち上がってちまちまとサラダを食べている泉の元に逃げようとする。美雪は突然そっぽを向いてしまったレオに目を丸くして追いかける。

「……ふにゃふにゃの、ください」
「は、はぁ? 自分でポテト貰って探せば良いだろっ」
「……」
「着いてくんなよな!」

 顔を赤くしたレオはそれを彼女に見られないよう、早足で去っていく。
 美雪はレオの背中を追いかけるのをやめて、テーブルに置かれた差し入れの数々を確認した。紙に包まれたハンバーガーの横に、厚紙の容器に入ったポテトが並んでいた。

「おおっ? 美雪さんが食に興味を示している……! ママは感動して泣いてしまいそうだぞお!」

 容器の中のポテトが全てふにゃふにゃではないことがわかった美雪は、ふにゃふにゃ以外をどうしたものかと思っていた。そこに丁度良く現れてくれた斑に、美雪はお願いをすることにした。

「……三毛縞先輩」
「ん? どうしたあ?」
「……ポテト、一緒に食べましょう」
「合点承知の助! いやあ、美雪さんも人と食事を共にする喜びを学んだんだなあ!」

 これからふにゃふにゃ以外のポテトを全て押し付けられるとも知らずに、斑は美雪の可愛いお願いに顔を緩めていた。

 泉は笑いを堪えるのに必死だった。隣に座ったレオは美雪が自分の後ろを追いかけてくれたことに歓喜していたのに、「着いてくるなよ」といつものようにツンデレをかましてしまったお陰で現在、美雪は斑にポテトを食べさせレオはそれを恨めしそうに睨んでいる状況だ。

「くそ……ママめ、だらしない顔しやがって……」
「そりゃ美雪から『あーん』なんてされちゃあ、ねぇ? 流石の三毛縞も鼻の下くらい伸びるでしょ。……珍しく仲良くしてると思ったのに、まぁたツンデレ発動しちゃったんだぁ? 相変わらず面白いっていうか、阿呆だねぇ♪」
「楽しんでんじゃねー! セナ、性格悪いぞ!」
「俺の性格の悪さくらい、アンタが一番知ってるでしょ〜?」

 レオは唇を噛んで俯いたところで、自分がずっと手に持ったままだった存在に気が付いた。美雪が先っちょを齧ったポテト。レオは思わず「あっ」と声をあげてしまう。

「何?」
「あ、い、いやっ、別にっ? 何でもないっ」
「……ふぅん?」

 レオはごくん、と唾を飲んでそれを見つめ、目を瞑って舌の上に乗せた。

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