42

 ハロウィンパーティーのとき、ひなたの案でサインラリーをすることになった美雪は、ショコラフェスのスタンプ集めにも似たような心境だった。

 応援していないユニットのライブも観るということは新たなファンを得る利点にもなる。それを狙っている者も少なくはないが、美雪のお目当ては勿論Valkyrieだ。まさか彼らが留年しそうになってそれを回避するために渋々参加することになったことなど知らずに、美雪はValkyrieのチョコレートがどんなものなのか期待していた。嚥下が苦手な彼女にとって、凪砂の好物でもあるチョコレートは数少ない食べられるものの一つ。そしてValkyrieの作ったそれをバレンタインに入手できるのは喜ばしいことだった。

 スタンプを集めてValkyrieのチョコレートを手に入れた美雪は、薔薇の香りでも漂ってきそうな程に精巧な見た目をしたそれを見つめる。薫ってくるのはチョコレートの甘い匂いだが。先日、光が美雪のチョコペンアートを見て「食べるのが勿体ない」と言ったが、これこそが正に「食べるのが勿体ない」だろう。そう思った美雪はなんとか保存する方法はないだろうかと真剣に考えていた。

 お目当てのチョコレートを手に入れたが、美雪はショコラフェスが完全に終わるまでアイドル科を離れるつもりはなかった。創にアレンジを教えて貰いながら作ったカップチョコを、お世話になっている人物に配ろうと思っていたからだった。以前、スケートリンクで嵐が「当日でなくても良い」と言ったが、「当日の方が特別感はある」とも言った。最悪次の登校日でも良いのだろうが、できるだけ多くのアイドルに配りたいと美雪は考える。

 幸い、十六の祝いを兄は電話で、朝の内に済ましてくれていた。猫撫で声で、やたらと長く拘束された。だがもしその電話を外で受け、兄に言いつけを破っていることがばれれば、美雪は残された束の間の自由をすぐさま奪われてしまう。電話が夜でなくて良かったのだ。

 美雪は出番が終わったユニットから順にチョコレートを配って歩くことにした。
 Trickstarとfine、更にチョコレートを作る手伝いをしてくれたRa*bitsに渡し終わったところで、Knightsと遭遇する。

「あら美雪ちゃん。ハッピーバースデー♪」
「お誕生日おめでと〜」
「えっ」
「……へ? 氷室さん、今日お誕生日だったんですか⁉」

 美雪に気づいた嵐と泉の台詞に、司はぎょっと飛び退いた。その後ろで、今日がバレンタインデーだとしか思っていなかったレオも目を丸くしている。氷室の令嬢の誕生日を把握せず、誕生日プレゼントも用意していないのは朱桜家の次期当主として褒められたものではない、と司は顔を青くした。美雪は先輩二人にぺこりとお辞儀をしてお礼を言うと、バスケットの中からチョコレートを出した。

「……これ、どうぞ」
「えっ、作ったの?」
「アンタ誕生日でしょ〜? 本日の主役がなぁに労働しちゃってんの」
「……これは、労働ですか?」
「労働っていうか、まあ日本では女の子から男の子に渡す行事ではあるけどね。なぁに、俺達にくれるのぉ?」
「……お世話になっている人に、配ってます」

 嵐は「まぁ……」と胸を押さえてからチョコレートを受け取った。泉もお世話になっていると言われて悪い気はしなかったのだろう、「よくわかってんじゃん」と自信ありげに受け取った。

「俺も欲しい〜」
「……はい、どうぞ」
「やった〜」
「……朱桜くんも」
「すみません……氷室さんのお誕生日だとは知らず、この朱桜司、presentを何も……」
「……ううん、良いの。大丈夫だから」
「いえ! 氷室さんにはJudgementでお力添えをいただきましたから、絶対にご用意します!」

 素直にチョコレートを求めた凛月と流れで貰った司の後ろで、レオは心臓を鳴らしていた。四人の騎士がもらえているのだ、不安に思う必要はないだろう。このまま「……月永先輩も、どうぞ」と彼女は寄越してくるはずだ、と心に言い聞かせていた。

「……ねぇ泉ちゃん。王さま、何だか愉快なことになってるわね」
「ん? ……ああ。くまくんみたいに素直に欲しいって言えば良いのにね。主張するタイミング逃がしたね、あれは」

 一人だけ神妙な面持ちで佇んでいるレオを見て、モデル組はコソコソと内緒話をしていた。レオが「聞こえてるぞ」と二人を睨むと、揃って肩を竦めてニヤニヤしている。
 美雪はバスケットを抱え直して身を翻す。

「……では、私はこれで」
「ちょっと待てぇい!」

 その場を去ろうとする美雪を即座に引き留めたレオは歌舞伎役者のような体勢になっていた。首と目を回せばまさにそれだろう。美雪は首を傾げてレオを見つめる。

「なんでおれには渡さないんだよ! お前、まさかおれには世話になってないって⁉」
「……? 私のチョコなんか要らないって、月永先輩、言いました」
「言っ……」

 てねぇよ、と言いそうになったレオは記憶を辿ってみる。

(……たわ。言ったわ。おれの馬鹿)

 べちん、と額を押さえたレオに司を除く騎士たちはブッと吹き出す。司は呆れた顔で「leader……また思ってもないことを言ったんですね」と憐れんだ。

「ほらほらぁ、どうすんの? 王さま?」
「早くしないと美雪ちゃん行っちゃうわよ」
「ね。まだまだチョコをあげたいユニットがいるんだもんね」
「……はい」
「お前ら……楽しみやがって……」

 ぐぬぬ、とレオは唸る。早く美雪にチョコを求めなくては、それこそ本当に貰えなくなる。拳を握りしめて大きく口を開くも、息しか出ない。目をあちこちに泳がせて苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。いつもは恥ずかしげもなく「愛してる!」と言ってのけるというのに。

「……ほ、……く、ぅ」
「ん〜? なんだって〜?」
「お前らには言ってない!」

 上がっている口角を隠さずに見守っている年上騎士三人は質が悪い。白けた目で見てくる末っ子もレオの心を抉った。

「……………………………………………………クダサイ」
「声ちっさ」
「五月蠅い! おい、名波! 勘違いすんなよ、おれの『ください』は『貰ってやっても良い』って意味だからな!」
「……無理して貰っていただかなくて結構です」

 美雪の返しに、泉と凛月は耐え切れなくなって大声でゲラゲラ笑い出した。レオはみるみる顔を赤くしていく。

「う…………ほ、欲しい、から、ちょうだい」
「……? 欲しいんですか? ……月永先輩、沢山言うことが変わるので、困ります」
「…………ちゃ、ちゃんと、欲しいから。だから、その、……ン!」

 レオはぎこちなく手を突き出した。じっと手のひらを見つめた美雪はバスケットの中から綺麗にラッピングされたチョコレートを出した。

「……月永先輩、カップチョコなら簡単って、教えてくれたから。あげます」
「──あ、…………えっ、と」

 自分の言葉が原因で、美雪はキッチンに立たなくなってしまった。美雪は、レオが善意でチョコレートを作るように言ったと勘違いをしている。本当はクロワッサンも美味しかったのに、レオは美雪に嘘を吐いて、美雪を傷つけた。純粋な少女を。
 レオは唇を噛んで呟く。

「……あれ、嘘だから」
「……え?」
「キッチンに立つなって言ったのも、食材に失礼だって言ったのも、……クロワッサンを不味いって言ったのも、全部嘘だから」
「…………嘘」
「……ごめん、悪かった」

 目を逸らしたレオに、美雪は尋ねる。

「……じゃあ、私、お料理しても、良いですか?」
「うん。……ってか、おれが言ったからって止めるのは、止めろ。誰かに『止めろ』って言われたからって止めるのは、止めろ。お前は自分の好きなことをやればいい。やりたいことをやればいい。誰も止めねぇよ、止めないから。おれが、付き合うから、手伝ってやるから」

 纏まらなくなった言葉にレオは髪の毛を掻き毟った。結っているゴムの隙間から抜けて、バラバラになる。鬱陶しそうに頭を振ったレオは、茫然と自分を見つめてくる美雪と目が合った。落ち着かずに目線を落としたレオは、美雪の持つバスケットの中にValkyrieのチョコレートが入っているのに気が付いた。むっと眉を顰めたレオは懐から出した物をすれ違い様に美雪に押し付ける。

「Knightsのチョコ。よく味わって食えよ、ブス」
「あ〜あ。折角素直に謝ったのにィ」
「あ〜あ。またそんなこと言ってぇ」
「あ〜あ。王さま、あ〜あ」
「氷室さん、leaderの『ブス』は『今日も可愛いね』という意味です」
「五月蠅いぞお前ら!」

***

 宗とみかと遭遇した美雪は二人に恭しくお辞儀をされたのに対して戸惑いつつも同じように返し、宗に左手を、みかに右手を取られてエスコートされ、バースデー会場に辿り着いた。ショコラフェスに追われていたアイドル達とあんずだったが、いつもアイドル達を祝うときと同じように会場を設計していた。

 先程美雪からチョコレートを貰った者たちも集合し、それぞれ祝いの言葉と、用意できている者はプレゼントを渡していく。大人数に祝われた試しがない美雪は不思議そうに受け取っていった。

「すまないね、氷室。僕も影片も君のお返しの為に前もって用意してはいたのだが……もっと大々的にするはずだったのに、ショコラフェスのせいで満足の行く出来になっていないのだよ」
「お師さん拘りすぎやから……」
「氷室の誕生日に妥協なんて出来るはずがないだろうッ」

 美雪の誕生日に奮起していた二人が、プレゼントをがさごそと用意しながら言う。宗は包み紙を撫でて嘆いた。

「留年するなどと言われなければ参加しなかったというのに」
「…………留年?」
「アッ」
「アッ」

 留年しそうになっていたことを美雪に言っていなかった二人は「失言した」と口を押さえた。宗は大慌てで咳払いをして繕った。

「と、ともあれ。これが僕たちからのプレゼントだ、受け取って欲しい」
「おれからはくまちゃんやで〜♪」
「……ありがとうございます」

 手芸部室に置いてあるものよりも大きなサイズのテディベアだ、美雪の上半身を軽く超えている。抱きしめるようにして受け取ると、愛らしくて仕方がなくなった宗は自分のプレゼントをみかに押し付けて一眼レフで撮影した。

「ほらほら、お師さん。自分から渡したって」
「ああ、わかってはいるが、もう十枚だけ」
「早うしてあげて……美雪ちゃん、飽きてきてる顔してるで?」
「えっ? 僕には憂いを帯びてる顔に見えるけれど?」
「アンニュイってそういうことやん」
「違うだろう」

 パシャパシャとシャッターを切った宗は漸くみかから自分のプレゼントを受け取って美雪に差し出しだそうとして、彼女の手がテディベアで塞がっていることに気が付き自分で封を切ることにした。現れたのは深紅色のドレス。宗が広げて見せると、その動きに合わせてフリルが揺れた。

「どうだい? 定期的に着せ替え人形にしてしまっていたから新鮮味に欠けるかもしれないけれど、君の為に用意したんだ。持ち帰ってくれる?」
「……ええ。……とても、素敵です」
「そう、良かった。……着て見せてくれると嬉しいのだけど、ここには君を祝うために集まった大勢の男がいるからね。独り占めしたいから、今日は止しておこう」

 相当な数のプレゼントが美雪に送られているが、持ち帰る分には問題ないだろう。宗もみかも、彼女が用意した大量のプレゼントを氷室財閥に運び込んでもらった経験がある。同じように彼女の家の者が出てきて持ち帰ることになるだろう。

「……ああ、だがしかし、やはり申し訳ないな」
「……? 何がです?」
「君にあれだけの物を貰ったというのに、お返しがたったこれだけでは」
「……お気になさらないでください。……本当に自分が生まれた日なのかなんて、わかりませんから。……今日が特別な日だというのも、私にはよく、わかりません。ただ、死に近づいたことしか、わからない」

 テディベアの手をふにふにと揉みながら俯いて言う美雪に、宗とみかは顔を見合わせた。

「……僕と影片の誕生日を祝ってくれたのは、何故?」
「……それは、お二人の、特別な日だから」
「そう。僕も、影片も同じだよ。君が大切で、そんな君が生まれてきてくれたことを喜ぶ日が欲しい。誕生日とはそういうものだよ。僕は自分が十月三十日に生まれたという確かな記憶は持っていない。赤ん坊のときの事なんて覚えていない」

 宗はやや腰を折って、美雪に目線を合わせて伝えた。

「家族にそう言われたから、その日に『生まれてきてくれてありがとう』と言われたから、僕は自分の誕生日を尊い日なのだと理解した」
「……」
「君は、あまり自分のことを話してくれないけれど……否、話せないか、あるいは話そうにも、まだ自分自身のことがわからないのかもしれないね。だから、僕は全てを理解できていない。けど……君が今日という日を、自分が生まれたと言える日だと信じられないとしても。僕たちが君を祝福すべき日があるということは、とても幸運だと、僕は思っているよ。──生まれてきてくれてありがとう、氷室」

 美雪の頬と、続けて髪を撫でた宗は優しく微笑みかけて離れて行った。美雪はゆっくり、宗の言葉を理解しようとする。じんわりとあたたかいものが心臓を中心にして体中に広がっていくように思えた。みかは二人を微笑ましそうに見守っていた。

「さて。君はこれで良いと言ってくれたが、僕の気がおさまらないのだよ。何かやって欲しいことはないかね。お願い事を叶えてあげる」
「……お願い事」
「何でも言ったって♪ ……あ、できるヤツやで? 実現不可能なのはちょっと……」
「余計なことを言うな。夢を壊すんじゃあないッ」
「んあ〜っ」

 肘でどつかれたみかは情けない鳴き声を出す。美雪は「ふむ」と考え込んで、そこまで言うならと甘えることにした。

「……では、『小娘』と」
「……ん?」
「『小娘』と呼んでください」
「…………」
「そんな目で助けを求められても困るで、お師さん。お願いされてるんやから頑張って?」
「簡単に言うな! だって氷室は、その、こ……こむすめ、などではないだろう⁉」
「美雪ちゃん、おれは何もせんでええの?」

 宗をスルーしたみかは美雪に尋ねた。美雪は少し考えると「……では、飴ちゃんをください」と言い、みかは微笑んでポケットから飴を取りだして「何味がええ?」と手のひらに並べて見せた。美雪はメロン味の飴を選んで制服のポケットに仕舞い、未だに葛藤している宗を見上げた。

「……呼べないんですか?」
「ぐ、ぐぅ……」
「……あんず先輩は、そう呼んでますよね」
「あれは小娘だろう」
「…………ふぅん」
(あ、美雪ちゃん……やきもちモード?)

 みかは宗よりも美雪の表情を読み取る能力に長けているようだ。
 なかなか「小娘」と呼ぶ決心がつかない宗に、比較的気が長い方である美雪も急かしたくなったらしい。

「……出来るだけ、険しい顔でお願いします。見下すように」
「み、みみ、見下すぅ⁉ 君を⁉」
「要望増えたで、お師さん。早う言わへんともっとオーダーが加えられるで」
「……『俗物』でも良いです」
「君は俗物などでもないが⁉」

 見たこともないくらいに情けない顔になった宗は唇を噛みしめて俯き、震える。

「……………………………………………………コムスメ」
「声ちっさ」
「……ちゃんと見下してました?」
「う、うぅぅっ……許してくれ……君を見下すなど僕にはできないっ……」
「……」
「そ、そんな残念そうな顔をしないでくれ! 君は僕に『小娘』と呼ばれて見下されたいのか⁉」
「…………うん」
「ギョエッ⁉」

 可愛い返事ととんでもない願望に宗は目を剥いた。
 バースデー会場に訪れたあんずは本日の主役を見つけると手招きをした。狼狽えている宗をみかに任せ、美雪はあんずの元に近づく。

「……プレゼント、ですか?」

 あんずが差し出した小さな板のようなプレゼントの包み紙を剥がすと、宗のブロマイドが出て来た。下にはみかの写真もある。

「! ……これ、販売してない、ものですよね?」

 美雪はValkyrieに出会ってから、それまで彼らの発売してきたブロマイドやグッズを、氷室財閥の力も使って全て集めてきていた。プレミアのものまで所持しているが、これはブロマイドの撮影の際に没になった、現実には販売していないレア物ということになる。

「……あ、ありがとう、ございます。……大切にします」
「おい待て小娘! 勝手に没になった写真なんぞを氷室に渡すなんて、許されないからね! 氷室、それを寄越しなさい。それはお客様に相応しくないと判断したものだから」

 あんずと美雪のやり取りを見ていた宗がずかずかと近づいてくる。美雪はブロマイドをテディベアの後ろに隠して宗を見上げた。

「……い、嫌です。これはもう、私の」
「なっ……そ、それは写りが良くないものなんだ! 恥ずかしいのだよ!」
「…………や」
「か、可愛い…………っじゃなくて。僕らのブロマイドが欲しいなら、いつでもあげるから、ね? 良い子だから……何だね、小娘。僕と氷室の邪魔をするんじゃあないよ。……『私があげたもの』だと? 僕の許可も無しに、よくもまあ胸を張って言えたものだね。……あっ、氷室⁉ な、なぜ小娘なんぞの背中に隠れる……! 遂にイヤイヤ期が始まったのか⁉」

 ひょこっとあんずの後ろから顔を覗かせた美雪はテディベアを抱えたままちょこちょこ逃げ出す。宗ははじめて会った日のように、靡く艶やかな髪を追いかけた。

「ああもうっ、僕を困らせないでくれ、可愛い人……!」

 台詞とは裏腹に、愛おしさを噛みしめるような表情だった。

prev

next