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 三年B組の教室を出た渉は、冷暖房が完備されているお陰で寒暖差に震えることない廊下を軽やかなステップで進んで行く。本日はお日柄も良く、素敵な演劇日和だった。後輩が待っているであろう部室に向かって長い脚を動かした。

「やあやあ皆さん、御機嫌よう! 今日も元気に……」

 渉にしては珍しく普通に扉を開けて入った。いつもは天井に張り付いたり事前に衣装掛けの中に潜んだりして後輩を驚かせてAmazingさせようとしたが、今日はそういった準備をせずに敢えて普通の人間のように入った。逆にこれもまたAmazingだと思った結果だった。

 しかしどうだろう。普通に入ってきた渉に後輩二人は見向きもしない。氷鷹北斗は何故か王子の衣装を着ている。そしてもう一人の後輩である真白友也は台本を丸めて持ち、まるで監督のように膝をついて北斗を眺めていた。

「はい、そこで王子が姫を引き留める!」
「『待ってくれ、美しい人……何処かで、お会いしたことがないだろうか』」

 北斗は煌びやかなドレスを身に纏った『姫』こと美雪の手を取った。美雪は困ったように身を引く。友也が丸めた台本を膝で叩いた。

「姫、ここで台詞です! 王子の手をやんわりと拒否しましょう! 男は逃げる乙女を追いかけたくなる生き物です!」
「……えっと」
「そう、そうです女神っ、お美しい! 台詞が抜けていますけどその仕草! 完ッ璧ですね! ッカァ〜〜〜〜〜! やっぱり俺の想像通りだった! 北斗先輩と女神を並べたら絶対に眼福だと思ったんですよ〜!」

 くぅ〜っと拳を握った友也は清々しい心持ちだった。渉は部室内の面白い光景に目を輝かせる。

「え、え、何ですか、これ! すっごく楽しそう! 私も混ぜてください友也く〜ん!」
「アンタはすっこんでろ」
「物凄く辛辣」

 後輩が塩対応なのはいつものことではあるが、渉は友也がいつもの彼ではないことを理解していた。何故か北斗の前では豹変することもあったが、それ以上の豹変ぶりだ。彼の変わりようもまた渉を喜ばせる材料となっている。
 美雪はドレスを見下ろしてため息を吐いた。

「……ん、と。真白くん、もう帰って良い?」
「そんな……! まだ部室に来てから十分も経ってないですよ、もっと俺に見せてください、貴女を!」
「……見るのは、構わないから。……でもこれは、ちょっと困る」
「とてもお似合いですよ? あと聞いた話によると、斎宮先輩と瀬名先輩にも着せ替え人形にされてるとか」
「……どうして知ってるの?」
「に〜ちゃんが女神の写真を見せびらかされたって言ってました。二人に自慢されたらしいです」

 撮影するのは構わない。ただそれをSNSなどに載せるなと忠告してはいた美雪だったが、「他人に見せびらかすな」とは言っていなかった。厨房でチョコレートを作った際、なずなが『に〜ちゃん』と呼ばれているのを聞いていた美雪は、『に〜ちゃん』が誰なのか疑問に思うことはなかった。仕方のない人たちだ、と次に会ったとき忠告せねばと決意する。

「あ、私も持ってますよ。美雪さんの画像」
「は? 何で変態仮面が持ってるんだよ」
「ふふふ……以前、美雪さんが可愛らしいアイドルスマイルを見せてくださったので、fine総出で衣装・セットを用意しましてねぇ。あの日は大盛り上がりでしたよ。天祥院財閥と姫宮財閥がいますから、それはそれは豪華絢爛な撮影会でした。あと、没になってしまいましたが美雪さんを歌劇に出そうという動きもありまして。勿体ないので女給さんの恰好をさせてお写真を撮ったことも」
「キーーーーーーッ! 自慢すんな!」
「友也くんが聞いてきたんですけどねぇ。……見ます?」
「見る!」
「素直」

 渉がスマートフォンの美雪専用の画像フォルダを表示させると、友也はそれを引っ手繰って次々スライドさせていった。「うっひゃぁぁあ」「ったはーーー!」「びゃあぅおおぉ」と奇声を発している。北斗は後輩の変わり様に唖然としていた。

「しかし、美雪は何を着ても似合うな。美人さんだ。どうだろう、先程友也も勧誘をしていたが、本当に演劇部に所属してみないか?」
「良いですねぇ! 歓迎しますよ、美雪さん!」
「幸い、この変態仮面はあと一か月程で姿を消す。平穏に過ごせるはずだ。姫役がお前になれば俺も劇に没頭し、うっかり姫に向かって『変態仮面』などと呼び掛けることもなくなるだろう」
「おおっと! これもまた北斗くんの愛なのは理解していますよ、私は!」

 女性役も出来る演劇部員たちではあるが、やはり本物の女の子には敵わない部分がある。それがこの世のものとは思えない程の美少女であれば尚更だ。演劇部に美雪が所属すれば、彼女が一番の花になる。世界で一番の、一つだけの花に。

「……私、人前には出れないので」
「ふぅむ。歌劇の際も『お祭り男』さんがそのようなことを言っていましたが……何か理由でもあるのですか?」
「……えっと」

 美雪がいつものように断ると、疑問に思った渉が尋ねて来た。美雪は言葉を探しているらしい。

「……今は、自由時間なんです」
「自由時間?」
「……はい。でも、人前に出てしまうと、その時間が終わってしまうので」
「……終わってしまうと、どうなるのでしょう?」
「…………また、暗い部屋に後戻り」
「──美雪さん」
「あああああああああッ!」

 顔色を変えた渉が再び尋ねようとすると後ろで渉のスマートフォンを弄っていた友也が大声をあげた。北斗と渉が注目すると、友也は手に持つスマートフォンを指さす。

「何だよ、これ!」
「ああ。それは美雪さんの寝顔です」
「なんでこんなの撮ってんだ!」
「手芸部室にお邪魔したタイミングでお昼寝をしていらっしゃったので♪ あまりの愛らしさに手が勝手に動いてしまいました。宗も美雪さんの寝顔をホーム画面にしているようで」
「……え?」

 友也が指さしたのはベッドに横たわる美雪の写真だった。宗のホーム画面事情を知らなかった美雪は口を開けて渉を見上げる。

「うぅ、女神の寝顔なんて……羨ましい!」
「さっきから思ってたんですけど、友也くんは美雪さんのことを『女神』と呼んでいるのですね。入学当初は私のことをそう呼んでくれたのに……!」
「あのときの俺の目は曇っていた。俺は、真の女神を見つけたんだ」
「それでこんなに愉快なことになっているんですねぇ」

 友也は今まで舞台上で見たこともないくらいに凛々しい姿で立ち、何処を見ているのかわからない。その目は確かに太陽に照らされたように光り輝いているようにも見える。
 渉の横で北斗が「うんうん」と腕を組んで頷いた。

「ああ。今日の友也はちょっと可笑しい」
「これを『ちょっと』で済ませる貴方も貴方ですけど」
「まさか美雪を拉致してきて俺達に『眠り姫』を演じさせようとするとは思わなかった」
「拉致してきたんですか⁉ 友也くんが⁉ 何それ面白い! 君もそんな愉快なことが出来たんですね、Amazing!」

 フンスフンスと息を荒くした渉が鳩を出しながら友也に近づこうとするが、友也は険しい顔をしてアタックしてくる鳩を躱す。

「いや、普通に連れて来ただけですよ。人聞きの悪い」
「え、なぁんだ。詰まんないの」
「少なくとも俺には拉致に見えたんだが……台車に段ボールを乗せて、その中に美雪が入っていた」
「めちゃくちゃ面白いじゃないですか!」

 渉が撒き散らした薔薇の花びらが美雪の頭にふわりと降りた。北斗がそれをそっと取ると、まさに王子と姫の絵に見えた友也が「きゃあっ」と黄色い悲鳴を上げた。

「捨て猫みたいで可愛かったな……美雪という美しい仔猫を捨てる飼い主など居ないだろうが」
「そんな芸当をやってみせるなんて……全然普通じゃないですよ、友也くん。よかったですね、普通脱却・変人の仲間入りです☆」
「うげっ、アンタと一緒にされたくない!」
「ふふふ……♪ ツンデレですねぇ、友也くん! 知ってますよ、貴方がなんだかんだ私を尊敬してくれていることを……!」

 くるくるっと舞ってみせた渉は部室の壁まで辿り着き、大晦日に大掃除をして整理された棚を物色する。友也が持っている『眠り姫』の台本を発見するとパラパラと捲り出した。

「ふむふむ。では私は妖精の役でもやりましょうか!」
「悪役が居ないぞ」
「友也くんがやれば良いのでは?」
「俺は監督なんで」
「謎の拘りですね。貴方も演者でしょうに」

 仕方がない、と肩を竦めた渉はいざとなれば足りない役は自分が全てやれば良いだろうと判断し、妖精の台詞を読み始めた。

「『姫様に贈り物を致しましょう。私は美しさを』『それでは私は賢い知性を』『私は富を』『美しい心を!』」
「まさに女神のことだ……女神は天から沢山の贈り物を授かっている!」
「監督、五月蠅いですよ。ちゃんと指示をしてください」
「はいはい。部長は引き続き足りない役どころを補って行ってください」

 どんどん脚本は進んで行く。王子と姫の出番はこの場面では全くと言っていい程ないため、美雪と北斗は捌けて渉の演技を見ていた。妖精ごとに立ち位置と声色を変える渉の技術は高度なものだ。

「さぁ、美雪さんの出番ですよ」
「……でも私、劇、やったことないです」
「まあまあ。一先ず読んでみましょうよ。次は森の中の小鳥たちと歌うシーンです」
「……歌? 楽譜がないです」
「雰囲気ですよ、雰囲気。天才作曲家の貴女なら出来るでしょう」
「……」

 美雪はじっと台本を見下ろし、『眠り姫』の世界を想像して音を紡いだ。小さく、歌詞もない歌声は演劇部室に響き、そこを木々の生い茂る空間へと変えていく。先程渉のオーバーサイズの制服の下から解放され、衣装がかかったハンガーラックで羽を休ませていた鳩が羽ばたいて美雪の元に飛んで行った。美雪が細い指を優雅に出すと鳩はそれに止まり「クルルル」と胸を膨らませた。

「素晴らしいです、美雪さん! 流石ですねぇ!」
「ああ、お前には才能がある」
「お、俺の目に狂いはなかった……! で、では女神っ、続きの台詞をどうぞ!」

 一連の動作に感激した三人は次を促した。美雪は鳩から目を逸らして台本を見つめる。

「……えっと、『ああ、夢に見た王子さま』……『いつかお会いできるかしら』」
「うーん、素晴らしい程の棒読み!」

 感情の起伏がまるでない。抑揚も何もなく平淡な台詞だった。ただ書かれた文字を読み上げただけ、当然だ。渉はばっさり切り落として美雪に近寄る。

「良いですか、美雪さん。想像してみましょう、お姫さまの気持ちを」
「……気持ち」
「魔女に呪われたお姫さまは森の中で過ごしています。夢に出て来た王子さまに憧れているのです。いつか会えるのではないか、迎えに来てくれるのではないかと期待をしているのですよ。はい、ではその気持ちを言葉に乗せてみましょう!」

 振られた美雪は眉を下げて渉を見上げた。

「……んっと、お手本を見せてもらった方が、早いです。……抑揚なら、耳でわかります。見れば、真似できます」
「んん〜。真似っ子ではなく、美雪さんがどう感じ、どう表現するかが大事なんですがねぇ……まあ、まだ美雪さんには早いかもしれませんね。それに、誰しも真似事から入門するものですから! 模倣は芸を学ぶ第一歩です。それでは私がお手本を示しますので、まずは真似っ子をしてみましょうか!」

 ノリノリでお姫さまを演じ始めた渉に美雪は目を見張ったが、そもそもなぜ自分が演劇部室で劇をしているのだろう、と思わずには居られなかった。

 様々な役を次々模倣していく美雪に興奮した渉が長時間に渡って美雪を拘束し、それだけでは飽き足らず、後日、美雪を見つけ次第部室に連れて行こうとするようになった。満更でもなく部室で彼女を待つのが北斗で、部長と同じように連行しようとするのが友也だった。

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