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 宙の世界は色に溢れている。人そのものが、感情が、万物が、色を持っている。
 中には見えづらい人間もいる。それは自我が弱い人間だ。宙の出会ってきた中では、同い年の美雪という少女がそれだった。透明で見え辛い。そのため宙は、自分が夏目やつむぎにして貰っているように、彼女のペースに合わせて優しく接することにしていた。

「んん〜……。おに〜さん、よく見えないです?」
「……そう。別に私のことは見なくても良いから、茨の話を聞いてあげて」

 一年前、つむぎが企画し、時代の流れやニーズから没となったワンダーゲーム。それを掘り起こして現代版にした企画を、EdenとSwitchがメインとなって行うこととなった。その打ち合わせの最中、宙ははじめて出会った凪砂という男の色が、美雪と同じように見え辛いことに気づいた。

 凪砂がワンダーゲームの打ち合わせの前、最後に夢ノ咲学院に足を踏み入れたのはリバースライブのときだ。リバースライブの観戦中、隣の席に座る魂を分け合ったはずの美雪との『ずれ』を感じた凪砂は、あれから美雪とうまく関わることが出来ずにいた。電話をかけたくても指が最後のタップを躊躇う。長く電話をしていないというのに、美雪からはかかってこないことも凪砂をやきもきさせた。

 打ち合わせ、そして本番でも夢ノ咲学院に来るというのに、凪砂は美雪に連絡することが出来ずにいた。彼女とずれてしまったことが、違うものになってしまったということが、凪砂にとっては残酷で、哀しみに暮れてしまう程の出来事だった。

 ワンダーゲーム開始から数日後、宙は色が薄すぎて見えない凪砂にくっついていた。凪砂に自身を肩車させることで、透明で光を通し過ぎてしまう彼をあっためるという任務に集中している。自我が乏しい凪砂は宙の行動を不思議に思いながら、しかし確かな温かみを感じながら廊下を歩いていた。

「あ、美雪です!」
「……」

 前方に美雪が現れた。丁度曲がり角、美雪は宙を肩車している凪砂を視界におさめた。
 二人が知り合い以上で、友達以上の関係であると知らない宙は、凪砂に美雪を紹介しようとする。

「おに〜さん、この子は美雪です! 美雪は、おに〜さんとそっくりな〜。おに〜さんと同じで、透明で見えにくい子です。心優しい子です」
「…………」

 凪砂はじっと美雪を見てハッとした。表情は彼と同じように乏しい。けれど二人は通じ合い、分かり合っていた。それが過去のことであっても、今にも通じるものがある。凪砂は美雪が悲しんでいるのが伝わってきて、震えた。自分が美雪を悲しませていることを察知した。

「? あれ? 美雪……ちょっと色が見えます。どうしました? 悲しい、ですか?」
「……君、降りて。今すぐ」

 宙も薄く滲んだ美雪の色に気づいたようだ。凪砂はぐっと堪えて宙の足首を掴み、降りるよう言う。凪砂の色が『怒り』や『後悔』であることがわかった宙は素直に従い、地面に足をつけた。

「……美雪、ごめん。……私」

 俯いて謝罪しようとする凪砂の胸元に、美雪はすり寄ってぴと、とくっついた。

「…………なぁくん」

 切ない声に凪砂は胸が締め付けられた。小さな美雪を腕の中に閉じ込める。

「……ごめんね。許して、美雪。……離れてごめん。不安にさせて、ごめん」
「……うん」
「……私には、美雪だけ。美雪にも、私だけだよ」
「…………うん」

 美雪は頷いて、凪砂の背中に手を回してきゅっと制服を掴んだ。

***

 ぶすくれた顔でも茨のパソコンを打つ手は止まらない。凄まじいブラインドタッチが炸裂していた。

 先程屋上で凪砂から「おいたが過ぎるぞ」と忠告という名の脅迫を受けた茨は、蛇に睨まれた蛙のように、身がすくんで動けなくなった。制御をしているつもりで今まで散々振り回されてきたが、ここ最近は美雪の名前が上がることもなく駄々を捏ねることもなく、やや不調であっても大人しく過ごしている凪砂を見てコントロールできていると思ってしまったのだ。その驕りに釘を刺され、主従関係の再確認をされた。改めてお前が下だ、と。

 ワンダーゲームにはEdenとSwitch以外にも大勢のユニットが参加する。近くの宿泊施設を借りて通って来ている茨たち他学校の生徒たちだったが、茨は現在夢ノ咲学院のレッスン室の一部屋を借りていた。シャワールームが備えつけられたそこは、秀越学園のレッスン室に比べれば大した設備ではない。

 夢ノ咲に来たと言うのに美雪の名前を出さず、ただ黄昏ている様子の凪砂だったが、あっさり仲直り──というよりも、すれ違いの解消──をしていつものイチャイチャを始めるようになった。前までは凪砂が美雪に触れるばかりだったというのに、美雪が凪砂にくっついて離れない珍しい姿に茨は目を点にした。

「茨〜、います〜?」
「ああ、ジュン。何です? 何か問題でも?」

 今は今日の『アリス』に他のグループが指導をしている時間。Edenは本番に向けて休息を取っていた。茨はパソコンから目線だけをジュンに向け、手を止めることはなかった。

「問題っつーか、ナギ先輩に連絡取ろうとしても繋がらなくて」
「閣下に? 自分を通してくれます?」
「いや身内なんだから別に良いでしょ、直接やり取りするくらい」
「ジュンは閣下に余計な知識を植え付けそうなので」
「モンペか」

 ジュンは扉を閉めてレッスン室を見渡し、シャワールームが使われていることに気が付いた。

「ナギ先輩、シャワーっすか?」
「ええ。自由時間だとわかった途端、美雪さんを連れて土いじりに行ってしまったので放り込みました」
「へぇ〜、美雪さんも土いじりするんすね。綺麗すぎてイメージ湧かねぇや」
「あの方は閣下に着いて行っているだけでしょう。土いじり自体に興味があるのかは知りません」

 茨の隣に腰を下ろしたジュンだったが、何故か茨はパソコンを抱えてジュンから距離を取る。同じユニットで同い年だと言うのにこの距離感。

「そんなあからさまに距離を取られると傷つくんすけど。汗臭かったですかぁ〜?」
「いえ。自分、パーソナルスペースが狭いので」
「とか言って。実はそっち系のサイトでも見てたんじゃないっすかぁ〜?」
「……ジュン」
「冗談っすよ。ガチで睨んで来ないでください」

 隠されると気になるのが性だ。ジュンは茨のパソコンの画面をちらりと覗いてみる。いつものように小難しい、何が書いてあるのかわからない文書や何を表しているのか理解不能なグラフでも見ているのかと思えば。茨が見ているのは通販サイトだった。

「……え、茨そういう趣味があるんすか?」
「ちょっと。覗き見しないでください」

 茨は可愛らしい動物の人形が表示されている画面を手で隠した。幼女向けの玩具でジュンが遊んだことは少なくその人形を触ったこともないが、アニマルドールハウスのCMはジュンも幼少期に見たことがある。

「なんでまたシル*ニアファミリーなんて見てるんですか」
「普通に閣下と美雪さんの為ですよ」
「何処が『普通』なんだよ……茨は何になろうとしてるんすか? 幼児の母親?」
「あの二人には玩具でも与えていないとすぐに外に行こうとするので、せめて室内遊びをして貰おうと思いましてね。目の届く範囲に居て貰わないと困りますから、こうして幼児向けの玩具を探しているんですよ」

 茨は買い物かごのボタンをクリックしてアニマルドールハウスを購入した。ジュンは「えマジで買ったんすか⁉」と目を剥く。

「美雪さんが遊んでるのは可愛いですけど、ナギ先輩とシル*ニアファミリーはミスマッチすぎるでしょ、厳つ過ぎます」
「閣下だって幼女のようなものでしょう」
「……茨。疲労で識別がガバガバになってません?」

 突如、ガチャンと音がする。ジュンと茨が音のした方に目を向けると、パタパタと駆け出してくる美雪の姿があった。美雪は二人に向かって突進してくる──素っ裸で。

「──ちょっ、待っ」
「──は、ああぁああぁぁあぁっ⁉」
「パパっ、見て! 虹色のクラゲ……!」

 美雪の手の中には小さなクラゲのフィギュアがあった。なかなか土いじりを止めようとしない二人の興味を惹きつけるために茨が「このボールをお風呂に入れるとあら不思議! 中から小さなフィギュアが出てくるんですよ〜!」と言って持たせたバスボールの中から出て来たものだ。バスボールの袋には色とりどりの水の生き物の見本が示されていたが、虹色のクラゲの姿はなかった。つまりシークレットなのだろう。濁った湯船に浮かんできたクラゲにはしゃいだ美雪はシャワールームを飛び出して茨──ゴッドファーザーと呼び間違えている──に見せに来た、ということだ。タオルも服も忘れて。

 絵画の女神のような見た目だ、発光しているようにも見える。女の子の大事なところはうまい具合に髪の毛で隠れていた。奇跡だろう。ジュンは顔を真っ赤にして狼狽え、茨も同様の反応をしたが瞬時に我を取り戻し、ジュンの目を潰しにかかった。ジュンは茨の攻撃を防御することが出来ずにまんまと喰らい、絶叫しながら地面に伏せる。

「ぎゃああああああぁッ⁉ てんっっ……めぇ! 何しやがるッ! くっそ、だああああああッ、いってぇぇえええええええええッ⁉」
「すみません! 気が動転して! 美雪さんの裸体をジュンに見せてはいけないと思って、つい!」
「『つい』で済むかぁああッ……⁉」
「大丈夫! 手加減はしたはずなので失明はしないはずです! 急所は外してますから!」
「くそがぁああああああああああああッ!」
「言葉遣いが汚いですよ、ジュン! アイドル、アイドル!」
「てめぇ煽ってんだろ……⁉」

 珍しく言葉のとおりに茨は動転していた。咄嗟の自分の判断が適切だったのか客観視することが出来ていない。ジュンは目を押さえながらゴロンゴロンと辺りを転がっていた。

 禍々しい殺気を察知した茨は振り返る。美雪にタオルを被せた凪砂が彼女を抱き締め隠すようにして立ち、二人を見下ろしていた。世界の頂点に君臨する神の如き、冷たく鋭い目。茨はヒュッと息を飲み、ジュンも静かになった茨に違和感を覚えて涙目で見上げ、凪砂を捉えて冷や汗を流した。

「……見たの?」
「え、あ、い、いや」
「……美雪の裸、見たの?」
「み、み、見てません! まったく! 一ミリも!」
「オレは茨に目潰しされたんで! 全然!」
「俺はっ、美雪さんが発光してたんで! その光で目が潰れましたので! ご安心を、閣下! そしてお許しください! また屋上から落とされそうになるのは勘弁です!」
「え、屋上から……えっ?」

 茨が怒った凪砂によって命の危険に晒されたことを知らないジュンは思わず二度見をしてしまった。二人の必死な言い訳に、凪砂は目を細めた。自分のせいで二人が凪砂の圧力を受けて縮こまっていることを知らない美雪は三人を茫然と見つめるだけだ。

「……記憶から消してね。……じゃないと、いくら君たちでも」
「あ、あー! オレは今まで何をしてたんだったかなー⁉ ねぇ茨!」
「えっ? あ、ああ、そうですねぇジュン! 自分たちは何をしていたんでしたっけねぇ⁉ ここは誰で、自分は何処でしたっけ⁉」
「逆、逆。茨、逆になってます」

 記憶から消せと言われた二人は惚けて見せた。
 二人の反省する姿に──不憫にも不本意な事故で反省を強いられるのもなかなかの苦行だ──凪砂は目を瞑ることにしたのだろう。二人に向ける鋭い空気を引っ込めると、腕の中の美雪に向かって微笑みかける。

「……もう。着替えが済んでないから、行っちゃ駄目って言ったのに」
「……あ。……ごめん」

 自分が裸であることを思い出した美雪は、凪砂に掛けられたタオルを握って恥じらった。

「……ふふ。お転婆だね。……さあ、戻ろう。これから暖かくなってくるけど、風邪を引いたら大変だから」
「……うん」

 凪砂に肩を抱かれた美雪は促されるまま脱衣所に向かった。再びガチャン、と閉まった扉を見た茨とジュンは大きなため息を吐いた。

「……それで?」
「はい?」
「閣下に用事があったのでは?」
「……ああ。別に大したことじゃないんすけど、この間ナギ先輩がレンタルショップに行きたいって言ったんで、付き合ってやり方を教えてあげたんすよ。それの期日があるから、ちゃんと返してたかなーって思って」

 再び壁沿いに座り直した二人。茨はジュンの事後報告に目を吊り上げた。

「は? 報告されてませんが?」
「え、こんなのも報告しなきゃいけない感じっすか? 別に良いでしょう、ナギ先輩が何を借りて見ようとあの人の自由でしょうが」
「破廉恥なビデオを借りて来ちゃったらどうしてくれるつもりです」
「破廉恥って……高校生は借りられないでしょ」
「わかりませんよ? 閣下はあの見てくれですから、店員が年齢確認を怠る可能性は否めません。Edenの乱凪砂がそんなビデオを借りていることがわかれば……ああ、想像するだけで悍ましい!」

 わざとらしく二の腕を摩る茨をジュンは白けた目で見た。コズプロはSSでやらかしてしまったため、茨が権利を握りつつある。いざとなれば彼の権限でもみ消そうと思えばもみ消せるのではないだろうか、とジュンは考える。
 茨は通販サイトの画面を閉じると新たなタブを開いた。

「ジュン、そのレンタルショップで閣下は何を借りていました?」
「えー、そこまではちゃんと見てないっすよ……普通にアニマルビデオとか?」
「アニマルビデオ……」
「略してAVっすね」
「その言い方は止めましょうか。アイドルですから」
「……あ、思い出しましたよぉ。洋画借りてました」
「ほう。タイトルは?」
「いやそこまでは覚えてないですよ」
「使えませんねぇ……パッケージは? どんなでした?」

 タイトルがわからないなら見た目から絞り込めば良い、と茨は検索エンジンにカーソルを合わせた。ジュンは何とか記憶を蘇らせようと眉間に皺を寄せる。

「えっと……なんか、男と女がいました」
「途轍もなくアバウトすぎて眠気が飛びましたよ」

 そんな情報だけでは調べようにも調べられないではないか、と茨は仕事用のページを開いて作業に取り掛かることにした。

「ああ、そうだジュン。バッグの中にシール帳と、大量のシールが入ったケースがあるので出してください」
「は? シール帳……?」
「自分の趣味ではなく、閣下と美雪さんの遊び道具です。二人が出てきたら渡してあげてください」
「シールって。そんなんではしゃぎます?」
「はしゃぐんですよね、これが」
「……ガチで幼女なんすね」

***

 脱衣所から出て来た凪砂と美雪の髪を乾かし、シール帳を与えたジュンは凪砂にレンタルしたDVDをきちんと返却したかどうかを尋ねた。期日があるとは知らなかった凪砂は返し方がわからないと言ったため、ジュンはそれに付きそう日を設けることとなった。

 一通りのお世話を終えたジュンは再び茨の隣に腰を下ろした。Edenは今、自由に過ごして良い時間だ。日和は外でショッピングをしている。ジュンは筋トレでもするか、とレッスン室の空いているスペースを探す。美雪と凪砂が静かにシールをぺたぺた貼っているソファと丁度逆の位置に、腕立て伏せが出来そうなところがあった。そこでやることにしよう、と決めたジュンは筋トレしようにもタオルやらドリンクが無いと気づき、はじめから持って来れば良かったと反省しながら腰を上げて荷物を取りに一度外に出た。

 レッスン室に帰ってきたジュンは飛び込んできた光景に目を見張った。ソファの上で凪砂が美雪を押し倒し、イチャイチャちゅっちゅしている。

「え、ちょ、い、いば、茨。あ、あれ大丈夫なんすか?」
「ん? ……ああ。大丈夫ですよ」

 ちらっと眼を向けた茨はすぐさまパソコンに画面を戻してしまう。SSの前、凪砂によって美雪が楽屋に呼び出されることが数回あったため、ジュンも彼女と面識があった。そのときは「距離が近いな」程度で済んでおり、ここまで濃厚的な絡み合いをしている様を見たことが無かった。

「……ぁ、う、なぁく……ん」
「……ん」
「……ひゃう、ぁ」
「ちょ、茨っ? ナギ先輩、服の中に手ぇ突っ込んでますけど⁉」
「いつものことですよ」
「いつものこと⁉」
「双子のパンダの赤ちゃんが戯れているようなものです。あれと同じですよ」
「いや全然違うでしょ」
「じゃああれです、仔猫と大型犬が一緒に遊んでいる動画。あれです」
「だからそんな可愛いもんじゃないんですってば。もっと生々しいですって。見てみろよ!」

 ジュンは茨の頭を掴んでパソコンから二人に視線を移させた。茨は半分ほどしか開いていない目で、凪砂と美雪の触れ合いを眺める。

「……うん。絵画みたいですね、我ながら素晴らしい」
「現実逃避しないでください⁉ ……茨、さては徹夜してますね? 何徹してんのか知りませんけど、ちゃんと睡眠取ってもらわないと! 正常な判断ができないのは困りますからねぇ⁉」

 ジュンは「寝ろ」と言いながら茨の頭を元に戻そうとベシベシ叩いていた。先程の目潰しの仕返しの意味も込められているだろう。

「……美雪、口、開けて」
「……? ん、んっ……?」
「ん……はぁ、ん」
「ぁ、や……ふ、あっ……!」
「茨! 茨! マジでヤバいですって! あの二人ディープキスしてますよ⁉」
「……はぁっ⁉ ディープキスぅッ⁉」

 漸く目を覚ました茨がすぐさま凪砂に近づいて美雪から引き剥がそうとした。肩を掴んでも凪砂は美雪にしがみついて離れない。舌の絡み合う水音と吐息が生々しい。茨の必死な表情を見たジュンも助太刀し、何とか凪砂を剥がすことに成功した。二人は肩で息をしている。そもそも体格が違い過ぎるのだ、この神に愛された男とは。

「……何するの。茨、ジュン」
「それは此方の台詞です、閣下。キスはまだ認められますが」
「認めてんすか」
「ディープまでは認めてませんからね!」
「……でぃーぷ? 深い?」

 不機嫌そうにしていた凪砂は知らない単語に首を傾げた。日本語訳しても意味がわからず、凪砂は意味を尋ねた。

「はぁ……舌を絡ませ合うのがディープキスです。まったく、一体どこでこんなものを覚えたんですか」
「……この間借りた、洋画でやってた。だから、美雪としたくなった」
「……ジュン」
「えっ、お、オレのせいっすかぁ⁉」

 茨に睨まれたジュンは首をブンブン振って否定する。凪砂は自分への注目が薄れたのをこれ幸いと、ソファの上でふぅふぅと呼吸を整えている美雪に再び圧し掛かった。

「こらあ! 閣下ぁ!」
「……茨、五月蠅い」
「ディープなキスは駄目! 追加項目です!」
「……もっとしたい」
「駄目です! 洋画も禁止です!」
「……駄目、禁止。制限されてばかり。──誰に向かって指図してんだ、ああ?」
「ヒッ」

 屋上での悪夢が蘇った茨はびくっと肩を跳ねさせた。凪砂の変わり様にジュンも目を丸くする。このモードが効果的だと気づいてしまった凪砂は内心ほくそ笑みながら二人に睨みを利かせた。

「……なぁくん?」
「……ん?」

 凪砂が組み敷いている彼女に目を向けると、美雪はきゅっと制服のシャツを握って不安そうに凪砂を見上げていた。凪砂ははっとして美雪の頬を撫でる。

「……ごめん、怖かった?」
「……ん」
「……ごめんね、怖い振りをしているだけだから。ちゃんと私だよ、大丈夫」
「……うん」

 こくんと頷いた美雪に胸を撫で下ろした凪砂は首元にすり寄った。

「……ね、さっきの、気持ちよかったね」
「……? さっきの?」
「……ディープキスって言うんだって。茨が教えてくれた。……またしよう? 美雪と、したい」
「……ぇ、ぅ、で、でも」
「……駄目? ……ね、もう一回だけ。もう一回だけだから……」

 慣れない感覚がまだ怖いのか、美雪は近づいてくる凪砂に対して控えめに抵抗した。胸に手を置いてやんわり止めようとしているが、凪砂は関係なしに迫る。

「たっだいまー! お土産にキッシュを買って来たね! ぼくに感謝して皆で食べ……きゃーーーーーーーーーーーーッ⁉」

 レッスン室に自分以外のメンバーが居ると連絡されていた日和は、ショッピングのついでに購入したキッシュの箱を見せびらかしながら入ってきて、ソファの上の状況に悲鳴を上げた。

「な、ななな、なッ……だめだよ凪砂くん、美雪ちゃん! そういうのは結婚してから! 濃厚に絡み合ってるのは知ってたけど、ここまでだとは思わなかったね⁉ ほらほら、離れる離れる!」

 パンパン、と拍手をした日和に、凪砂は美雪から渋々離れた。日和は美雪に駆け寄って手を差し出し、起き上がらせると「怖くなかった? 嫌だったら嫌って言って良いんだよ。相手が凪砂くんでもそれは同じだね!」と乱れた制服と髪を整える。

「……美雪に拒まれたら、私……寂しい。死んでしまうかもしれない」
「また兎さんみたいなことを言って……」
「……あれ? 日和くん、私、なんだか生殖器が熱いんだけど……何かわかる?」
「せっ、生殖……⁉ そ、それってつまり……」

 股間が熱いという主張、男の体の本能だろう。凪砂にそのつもりがなくとも、ただ美雪と触れ合い口付けたいという欲求だとしても、体は子孫を残そうと働いてしまう。凪砂のとんでもない質問に、日和はわなわなと震えて後ずさってキッと茨を睨んだ。

「毒蛇! 性教育はどうなってるの⁉」
「知りませんよ! 殿下がされていたのではなかったのですか⁉」
「ぼくがそんなことするわけないでしょ!」
「基礎知識でしょうっ、子どもの作り方くらい!」
「あっ、馬鹿! そんな言い方したら……」

 日和は「まずい」と双子人形を見遣る。凪砂が顎に手を当てて「ふむ」と考え込んだ。

「……子どもか。ずっと疑問だったんだけど、精子と卵子はそれぞれ男性と女性が持っているものだよね。お互いに無いものを、どうやって出会わせるんだろう?」
「……なぁくんも、知らないの?」
「……うん」
「ほらぁ〜〜〜! 君のせいだねっ、毒蛇! 余計なことを言うから!」
「そもそも日和殿下が最初っから丁寧に性教育をしていれば良かった話では⁉」
「ちゃんと本を与えたってば、『やさしい性教育』ってヤツ!」
「そんなんでは微塵も本質を理解できませんよ!」

 育児と責任の押し付け合いのような光景。ジュンは(やべぇな……ゴッファの双子)とゴッドファーザーを簡略化した。

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