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 幼馴染である紅郎と、成り行きで一緒に行くこととなった美雪と祖父の病室に辿り着いた宗は、祖父にうっかり自分とみかの現状を零してしまった。弱っているはずの宗の祖父は眉間に濃い皺を作り、目を吊り上げて雷を落とした。その顔は孫の宗とそっくりで、美雪は宗の隣で感心したようにやり取りを見ていた。

 案の定美雪の前で情けない姿を晒すことになった宗が一先ず夢ノ咲に帰ろうとすると、宗の祖父は共に席を立とうとした美雪を引き留めた。宗は残ろうとしたが、祖父の一声で彼女を送るのは紅郎に任せることになり、後ろ髪を引かれながら学校へと戻った。

 紅郎は病院の待合室に移動し、美雪は宗の祖父を見つめた。皺が刻まれ、手の節が浮き出ている。宗もいずれこのように老いていくのだろうか、とぼんやり考えていると、先程の怒号とは裏腹に静かな声が響いた。

「お嬢さん」
「……はい」
「宗のことを、頼むよ」

 窓の外、日の沈む景色を見ながら呟かれた宗の祖父の言葉の意図を美雪は考える。

「……何故、私に頼みますか? 私は、何をすれば良いですか?」

 美雪の返しに宗の祖父は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で振り返り、唖然とした。その後、可笑しそうに吹き出したかと思えば「カカカッ!」と笑い始める。

「何をしろと言うわけではない。ただ、あの子は繊細だから……お嬢さんが離れてしまえば、あやつは悲しむだろう。だから、出来るだけ傍に居てやってくれ。勿論、そんな価値もない情けのない男だと判断すれば、見限っても構わないが」
「……まさか」

 ゆったりとかぶりを振った美雪は薄く微笑んだ。

「……私の自由が許される最後のときまで、私は彼の傍に居ます。私が宗様の力になれるなんて、この上ない幸福ですから。いつか消えて居なくなっても、私の曲が彼の傍にある。私の曲では力不足でも、みか様が居ます。……ですから、ご安心くださいませ、お祖父様」

 宗の祖父は暫く美雪を見つめた後、ぐっと眉間と唇に力を入れて不器用に笑って見せた。病院の真っ白なシーツを握り、新たな皺を作る。

「……孫娘がもう一人増えたら、幸福だな」
「……?」
「宗には兄と姉がいるのだよ、あの見てくれでね。よく末っ子なのを意外だと言われる」

 美雪はスターライトフェスティバルの前に斎宮家に上がったことがある。そのとき、宗の兄も姉も不在だった。

「……以前お邪魔したときには、ご挨拶できませんでした」
「それは申し訳ないことをしたな。氷室の御令嬢が来ると言うのに……無作法ですまないね、ああ嘆かわしい」
「……ふふ」

 宗と似たような話し方をする祖父に、美雪は思わず笑いが零れてしまった。それを見た宗の祖父は感嘆の息を漏らし、まじまじと美雪を観察した。視線に気づいた美雪ははっとして「……すみません」と小さく呟いた。

「いや……宗が君を気に入るはずだ。あれは小さいときから、綺麗なものが好きだったからね。……ああ、これでは曾孫が生まれるまで死ねないな」
「……曾孫? ……お兄様かお姉様にご予定が?」
「ふむ……私が期待しているのは、ああいや、止めておこうか」

 氷室財閥の娘だ、正式な相手が居ても可笑しくはない。それに一方的な期待と圧を寄せても仕方がないだろう。宗の祖父はそう判断して、淡い望みを口にすることはなかった。

***

 みかが戻ってくることを信じた宗は手続きを踏んで返礼祭に参加することを決めた。みかを心配して宗に文句を言いに来た嵐に、それをみか本人には言わないよう頼み込んだ。宗の予想通りに地下ライブハウスで作業をしていたみかは、嵐にそれを告げられ大慌てで衣装を持っていくこととなった。

 前半戦が終了し、みかは嵐に礼を言いにKnightsのスタジオを訪れた。Knightsでも新たな王を決めるための儀式『レクイエム』が身内で催され、それの演目を考え立ち回らなければならなかった。そんな苦労をしておきながら自身を気にかけてくれた友人の嵐に、みかは返礼をしたかった。

「おおきに、なるちゃん。良かったら、ずうっと一生お友達でいてな……♪」
「…………」
「あ、あれ? ごめんなぁ、一生とか重たすぎるやろか? んああ、また距離感を間違えた〜⁉」
「う、ううん。みかちゃんからそんな風に言ってくれるなんて思わなくて、ちょっと驚いちゃっただけ!」

 ぶんぶんと手を振った嵐は胸を押さえる。

「とっても嬉しいわァ、これ以上ないぐらい!」
「ほ、ほんま? ほんならよかった〜」
「……えっと、それでね? ところでなんだけど」
「うん?」

 嵐は遠慮がちにみかの後ろを指さす。

「それ、美雪ちゃんよね?」
「おん」

 みかの背中には美雪がぴったりくっついていた。レオは面白くなさそうな顔で、その光景を視界に入れないようそっぽを向いている。偶然にもスタジオに居合わせている真緒と桃李、英智も興味津々だ。

「どうしちゃったの?」
「あ〜、なんかおれが居なくなったんが悲しかったみたいで……どっか行こうとすると不安になるんか知らんけど、ずっと着いてくるんよ。さっきも『行かないで』って上目遣いで言われて、おれ、もう、持っちゃあかん感情がグワーッと……ハァ、美雪ちゃんみたいな子を『魅惑的』って言うんよな。いけない子やわぁ。美雪ちゃんはお師さんだけ誘惑してればええんやで?」

 美雪は宗と共にあるべき存在。それがみかの中での認識だった。だからこそ、自分が二人の邪魔をするようなことがあってはならないのだが、こうして宗ではなく自分を優先してくれる彼女を愛しく、嬉しく思ってしまうみかもいる。不安そうに見上げられ、おねだりをされたみかは宗を差し置いて『抱きしめてしまいたい』という願望を持ってしまったが、忠誠心と理性で堪えた。

「んへへ。でもひよこさんみたいにちょこちょこ着いてきて、ほんまに可愛い……♪」

 みかはだらしなく頬を緩めて美雪の頭を撫でた。嵐は片時もみかから離れない美雪にくすっと笑みが零れてしまう。

「引っ付き虫みたいねェ」
「美雪ちゃんを虫扱い⁉ なんやねん! 流石にお友達でも許せるもんと許せんもんがあるで!」
「ああああ、ごめんなさいっ? 引っ付き虫って虫じゃなくて植物だったはずだけど……友情を確かめ合ったすぐ後に喧嘩なんてしたくないわァ⁉」

 急にキレるみかに嵐も平謝りだ。相変わらず沸点がわからない、みかは宗と美雪が絡むとよくわからないスイッチが入ることがあった。

「でもなぁ、おれも困ってるんよ〜、お師さんから憎しみの籠った目で見られるし。美雪ちゃんええ匂いするから変な気持ちになるんよ、なんかこう……ほわっとするっていうか、どきどき? んああっ、これ病気やろか?」
「──ええ、病気ね」
「や、やっぱり⁉」
「そうよ、恋の病よ!」
「んあっ、恋ィ?」

 何でもかんでも恋に結び付ける嵐がビシッと指を立てた。みかはぽかーんと口を開け、けらけら笑う。

「まっさか〜。そんなわけあらへんよ。美雪ちゃんはお師さんと結婚するんやから」
「…………結婚?」

 ぴとっとくっついていた美雪が怪訝そうに顔を上げて聞き返した。

「……私と、斎宮先輩が? ……それは有り得ません」
「え、え? 何で⁉ 何でなん⁉ お師さんのどこが不満なんっ? 二人以外ありえへんって! 結婚しよ? な? な? 怖くないから。結婚しよ。結婚しよて、な?」
「みかちゃん……傍から見るとアンタが美雪ちゃんと結婚したがってるみたいよ?」

 みかは目をかっ開いて振り返り、美雪にずいずいと迫っていく。美雪は後ずさり、嵐の後ろに隠れた。

「……アイドルが結婚したら、悲しむファンが居ます」
「そんなんええよ、隠れてこそっと結婚したらええやん。というか名波哥夏とお師さんが結婚ってなったらValkyrieのファンなら大歓喜やで? 膝ついて涙流して花火ぶっ放して神輿でも上げるんちゃうか?」
「カオス状態じゃない」
「…………宗様が結婚するのは嫌です」
「相手自分やで?」
「…………」
「解釈違いみたいよォ」

 みかは何故美雪が拒否するのか心底不思議で納得できないらしい。嵐という壁だけでは守れない程、真顔でどんどん詰め寄っていく。

「美雪ちゃんは御令嬢だから、自分で結婚相手は決められないんじゃないかな?」
「アンタは黙っといて。おれらの話に入ってこんで。一生関わらんといて」
「嫌われてるねぇ。というか、君はどんどん斎宮くんにそっくりになっていくから見ていて面白いよ」
「会長……あんま煽らないでくださいよ」

 口を挟んでくる英智を一睨みしたみかは後半戦に間に合うよう、美雪を連れてスタジオを後にした。

 舞台袖に着いても美雪はみかに引っ付いて離れない。合流した宗は眉をぴくりと動かしてぷいっとRa*bitsの舞台に目を向けてしまった。着替えをしようにも美雪がいるために出来ないみかは衣装を抱えたまま「んあ〜」と鳴き声を上げた。

「あ、あのぅ、美雪ちゃん。お着替えしたいんやけど……ええ?」
「……」
「ご、ごめんて。心配かけたのは謝るから……もう大丈夫やから、どこにも行かんから。な? 此処でおれたちのこと、見ててぇな」
「……ずっと、ですか?」
「ん?」
「…………ずっと、お二人は、アイドルで居てくれますか? 私の歌を、歌ってくれる?」

 顔を出した美雪はみかを見上げて子どものように言った。

「……Valkyrieが無くなっても、お二人がアイドルを続けるなら、私、それでも良いのかなって。……お二人が決めたことだから、私は、嫌って言えなくて、でも……やなんです。Valkyrieが、私の光だから、居なくなっちゃ、や…………だから、やめないで」
「──ん、んああ、ぁあっ!」

 どんどん瞳を潤めていく美雪に耐え切れなくなったみかは衝動的に抱きしめていた。横に立つ宗がぎょっとして引き剥がそうとする。

「おい待て、待て、影片! 氷室を掻き抱くなど、頭が高いッ!」
「やって、やって……! 美雪ちゃんの泣き顔、可愛すぎて他人なんかに見せられんもん!」
「氷室はどんな顔をしていても可愛いからね! 無理もない……っじゃなくて、まず泣かせるんじゃあないよ!」
「こ、これはおれだけのせいやなくない⁉ トータルでおれらのせいやん! お師さんも同罪やで⁉」
「何っ⁉ ぼ、僕は氷室を泣かせてばかりっ……!」
「ごめんなぁ、ごめんなぁっ、美雪ちゃん……!」

 なかなか引き剥がすことのできない宗は、美雪と一緒に泣き出すみかに「ああもうっ」と呆れて、腕を拡げて二人ごと抱いた。

「……僕の、僕と君たちの、愛しいValkyrie。姿形を幾度となく変えても、その根本にある意識は変わらない。美しきものを、選ばれしものを天国に誘う。僕が無理でも影片が、影片が無理でも、氷室が。僕たち三人が居れば、必ず成し遂げることができるだろう。……愛しているよ、君たちを。心の底から、永遠に」

***

 前半戦で優秀な成績を収め、見事一位で通過したKnightsは後半戦のトリをすることになっていた。
 準備をしなければ間に合わなくなるというのに、レオの気持ちはまだ騒めいていた。一年前のように何かが崩れていってしまうのではないかと思うと、足がすくんで動かなくなる。

 駐輪場の屋根の上で瞑想をしていたレオは真に声をかけられ、ひょいひょいと身軽に地面に降り立った。心配する真と言葉を交わし、Knightsの楽屋へと向かう。

 舞台袖に来たレオは、そこに美雪がいることに気づいた。宗とみかは出番を終え、楽屋に引っ込んでいるらしい。美雪は自分が作曲したユニットの、三年生卒業前の最後の舞台を見届けようとしていた。

 とんとん、と美雪の肩を突いたレオは人差し指を立てて彼女が振り返るのを待ち構えた。美雪は疑いもせずに振り返り、頬にレオの指が突き刺さる。

「……月永先輩」

 悪戯が成功したレオはニッと笑って手首を掴み、彼女を引き寄せた。肩に額を当て、深呼吸をする。

「……すぅぅ、はぁぁ」
「…………」
「…………うん、大丈夫だ」
「…………何がです?」
「ん〜、充電?」
「……充電?」
「お前、マイナスイオンみたいなの出てるから。それを吸った」
「……」

 レオの言葉を真に受けた美雪が真剣に考え始める前に、レオがちょん、と美雪のおでこを突いた。目を丸くする美雪の顔を覗き込んだレオは「ふはっ」と笑う。

「変な顔」
「……」

 レオはマントを翻して美雪の隣に並び、いつかのときのように舞台袖から舞台を見つめた。顔はそのままで横の美雪に言う。

「見てろよ、カワイ子ちゃん。新たな王が生まれる瞬間を」
「……貴方は、王さまじゃなくなるの?」
「うん。世代交代だよ、今度こそ。漸く肩の荷が下りる」
「……そう」
「誰になると思う?」

 唐突に投げかけられた問に、美雪はパチリと瞬きをして考える。

「……朱桜くん?」
「なんで?」
「……なんとなく」

 美雪の言葉を聞き届けたレオは、曲と共に舞台に駆け出していった。

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