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「わははははっ☆ 来たぞ! 沖縄!」
「喧しいのだよ」

 空港にてキャリーケースを放り出して両手を突き出し、少年のように叫ぶレオの頭を宗が叩いた。地味な痛みを訴える頭を押さえたレオが振り返ると、そこには彼と同じようにキャリーケースを引いて来た宗が立っていた。

「名波は? 迷子か?」
「まさか飛行機から降りてこの距離で迷子になるわけがないだろう」

 宗はキャリーケースの持ち手の長さを調節しながら言う。丁度いい高さになったところで美雪がいる方角に顔を上げた。

「あの子はお付きの者と一緒にお土産を見ているのだよ」
「目的地についてすぐ土産を見るってどういう神経だ」
「好きにやらせてやろう。普通とは程遠い場所で生活していたのだからね」

 訳知り顔の宗に機嫌を悪くしたレオは「フンッ」と鼻を鳴らして宗のキャリーケースの上に腰を下ろした。ギャンギャンと喚く宗を無視して耳を塞いでいると、執事と共に美雪が歩んでくる。

「目ぼしいものは買えたかね?」
「……エビ」
「なんだそれ、ぬいぐるみか? ちっちゃいな」

 美雪は手のひらにオレンジ色のエビのぬいぐるみを乗せて二人に見せた。

「……ガチャガチャで、出て来ました」
「お前……沖縄に来てガチャガチャかよ。向こうにもあんだろ」
「……ここにしか、ないものかも」
「まぁ、それなら良いけどさ」

 ひらっと手をあげたレオは彼女の後ろで口を噤んで立っている執事に目をやった。レオと視線を交えた彼は目を伏せて会釈をして来たため、レオも軽く顎を突き出した。

「さて、荷物が邪魔になるから、まずはホテルに向かおうか」
「だな。名波の家がやってるとこなんだっけ?」
「……ええ。そう聞いています」
「すげーな、お嬢様は」
「……そうですか?」

 氷室財閥の傘下にある宿泊施設に向けて、美雪の執事が案内をすると言って先に進んだ。三人はその後ろに着いて行きながら会話をする。

「そりゃあ一般家庭出身のおれからしたらな。シュウの家もそれなりって聞いてるけど」
「僕はアイドル活動に一切の資金援助を得ないと啖呵を切ってしまったからね。理解のない家族を持つと苦労するよ」
「あー、その辺おれは応援してもらってる方かもな。……名波は?」
「……?」
「親から言われなかったのかよ、音楽なんて金にならない〜とか」

 美雪の家庭事情を知らないレオの質問に、宗は口を挟むか否か判断しかねていた。宗もつい先日、大まかな彼女の過去を知ることはできたが細かいところまでは理解できていない。兄がどんな人間なのか少しはわかったが、父親まではわからなかった。

「……お父様は、自由にしろと」
「へぇー。金持ちだからお堅いのかと思ったけど、意外と柔軟な父親だな。母親は?」
「……あまり、会ったことがありません」
「……ふぅん?」
「月永、無遠慮な発言は控えたまえ。詮索するな。間接的にとはいえ、これからお世話になる御人なのだから礼儀を忘れてはいけないよ」
「りょ〜」
「……りょ?」
「……なんだ、その『りょ』と言うのは」
「『了解』の略らしいぞ? 最近の女子高生の流行りなんだとか」
「『了解』くらい普通に言えないのかね……まったく」

 空港の外に出ると、黒塗りの外車が到着していた。一足先に沖縄に入り、車の前で控えていた運転手が「斎宮様! お久しぶりです!」とハキハキ挨拶をする。みかの誕生日の際、美雪が用意した誕生日プレゼントを運んでくれた彼と顔見知りになっていた宗は「こちらこそ、お久しぶりです」と丁寧に返す。彼も執事も美雪に仕えているだけで自分に仕えているわけではないと、宗は失礼のないように接していた。

「月永様ははじめまして! 運転手の代谷(兄)と申します!」
「括弧『兄』?」
「執事は俺の弟です! すみませんね、こいつ仏頂面で愛想がなくて。高校に入学してからというものの、色んな人にお嬢が取られるんで拗ねてるんですよ」
「おい、適当なことを言うな!」

 運転手である兄を睨む執事の弟に、レオは妙な親近感を抱いた。
 氷室財閥の者たちがぞろぞろと現れたかと思えば、宗とレオの荷物を積み込むと綺麗に空港の前に並んで見送りをする。車に乗り込んだレオは見慣れない光景に戸惑いながら、手触りの良い座席を撫で、隣に座る美雪をちらりと盗み見た。

 この沖縄の旅は三人のバカンス兼、宗とレオの卒業旅行でもある。
 宗が沖縄に新しくできた美術館のある企画に興味を惹かれたのが事の発端だ。はじめはみかを誘って美雪という作曲家も含めたValkyrie三人で向かうはずだったが、Valkyrieを引き継いだみかにアニメ制作会社との仕事が入ってしまった。三人で予約した飛行機のチケットをどうしたものかと思っているところに、手芸部室に乗り込んできたレオが「おれも行く!」と言い出し、そうして芸術家三人の奇妙な旅が始まることとなった。結果として氷室財閥が出て来たため、飛行機のチケットは大して気にする必要はなかったのだが。

 美雪は海外でさえなければ身動きが取れる。兄は世界的に有名なモデルであり、パリを拠点に活動しているとはいえ世界中を飛び回っているような男だ。ここにあの男の目がないと思って飛び出した結果、連れ戻されてしまっては元も子もない。そういった理由で美雪は夏頃fineに誘われても南国のバカンスに行くことができなかった。彼女ははじめての飛行機に胸を躍らせ、窓の外を何度も眺めていた。

「美術館行ったら、その後はどうすんだ?」

 瓦屋根の家を一通り眺めて満足したレオは、スケジュールの確認をした。美雪を挟んで隣に座っている宗が相槌を打つ。

「そうだねぇ……念のために観光ガイドも用意しているけれど氷室は僕たちより体力がないから、あまり振り回すつもりはないよ」
「あー、おねんねタイムがいるもんな、コイツ」

 レオが美雪の頭を小突くと宗が「止めないか」と美雪を引き寄せた。レオはむっと口を曲げる。

「……私は車内で眠れるので。お二人が回りたい場所があるなら、お好きになさって下さい」
「しかし君を置いて行くのは忍びないよ。折角の遠出だからね、共に思い出を作ろう。疲れたなら疲れたと言って良いからね。ホテルでゆっくりするというのも、また一興なのだよ」

 そう言って宗は美雪の髪を撫でた。丁度そのタイミングで車が止まり、運転手が後ろに座る三人に向かって振り返る。

「ホテル到着で〜す。貸し切りなんで伸び伸び過ごしてくださいね」
「か、貸し切りッ⁉」
「そこまでしていただかなくても……」
「いえいえ、いつもお嬢がお世話になっていますから〜。というかお嬢は人目の多い場所に行くと不味いので、貸し切りにしちゃった方が都合が良いんですよ。お気になさらず!」

 執事がさっさと助手席から降りて三人が出られるようドアを開けた。レオは「あ、どうも」とぺこりと会釈して車を降りる。その後ろを美雪と宗が続いた。

 天祥院に引けを取らない財閥である氷室の傘下なだけあって、ホテルは外観から内装まで立派なものだった。貸し切りのためかホテルの従業員が総出で出迎えをし、荷物を全て掻っ攫って行ってしまう。美雪は慣れているのか流されているのか平然としているが、レオは勿論宗までもが至れり尽くせりの状況にぽかんと口を開けている。

「先程、運転手が言っておりましたが、ホテルは全館貸し切りとなっております。何か御座いましたら使用人あるいは従業員にお気軽にお申し付けくださいませ。私も皆様の旅に同行させていただきますが、可能な限り視界に入らない場所から見守らせていただきますので、ご容赦ください」
「ああ、いえ。貴方にも役目があるのでしょうから。そんな頭を下げず……」

 宗がそう言うと執事は硬い表情をぴくりとも緩ませずに顔を上げた。
 三人はロビーのソファに腰を下ろして向かい合い、沖縄の旅をどう回っていくかの話し合いをすることにした。宗とレオのやりたいことが食い違うと、黙って眺めていた美雪が口を開いて示した案に二人は納得し、品性の欠片もなく吠えるのを止めた。

 飛行機の出発時間は八時頃で、到着したのは十一時頃。そうこうしている内にお昼時になってしまったため、三人はホテルのビュッフェで昼食を取ることにした。ちびちびとスープばかり飲んでいる美雪を見かねたレオが「炭水化物も食え」と言って、ダイナーライブで気に入っている様子だったふにゃふにゃのポテトを探して食べさせてやっていた。

 いつもは美雪にちょっかいを出すばかりのレオが彼女の世話を焼いている姿に宗はやきもきしていた。彼女が柔らかいポテトなら食べられることを知らなかった。対抗心を燃やした宗が豆腐や茶わん蒸しやゼリーなどの食べやすいものをどっさり持ってくると、美雪は「……そんなに食べられません」と遠慮した。

 昼食を済ませると美雪は寝る時間になってしまうため、ホテルの一室に引っ込んで行ってしまった。いつも手芸部室で眠っているため宗は思わず追いかけそうになってしまうが、此処はホテルで氷室の使用人もいることを思い出し踏み止まった。レオと宗は一時間ほど暇になってしまったため、それぞれ好きな時間を過ごすことにした。レオはいつものように作曲をし、宗はタブレットを用いてデザインを描く。パリに行っても使えるよう、電子機器に慣れようとしていた。

***

 美術館に辿り着いた三人は目的の展示会場に足を踏み入れ、静かに作品たちを眺めた。こうして過去の芸術家の作品を見ることは、現代の芸術家の刺激になる。レオはびびっと来る彫刻を見て飛び跳ね、五線紙が見当たらないなら壁にでも書いてやろうかと思ったが、此処が公共の場であることを思い出して理性が働いた。宗は同じ作品であっても角度を変えながら眺め、美雪は気に入った作品の前にあるソファに腰を下ろしてのんびり時間を過ごした。

「シュウ何買うのー?」
「ああ、ポストカードだよ。気に入った絵のね」

 レジ前に立つ宗を見つけたレオが横から身を乗り出した。宗は指の間で摘まんだポストカードをひらっと示して見せると、レジの店員に「お願いします」と言って差し出した。

「ポストカードな〜。お前みたいに几帳面なヤツなら使い道があるんだろうけど、おれは買ってもどっかやっちゃいそう。持って帰るまでに折れそうだし」
「何を買うのか見越した上で準備をするべきだね。僕はケースを持ってきているから、折れたり汚したりする心配がないのだよ」
「ポストカードっていつ使うの?」
「使わないよ、収集しているんだ」
「ああ、そういう」
「僕に構ってないで氷室を見てやってくれ。近くにお付きがいるから平気かもしれないが、念のためにね」
「へいへい。アイツまた変なものに興味示してないと良いけど」

 お土産コーナーを見渡すと、何かを手に取って眺めている美雪がすぐに見つかった。そこまで広々としていないのが幸いだった。

「何だ、それ?」
「……シール? テープ、でしょうか」

 小さな手のひらに乗っているのは丸い形に巻き付けられたテープだった。妹のルカが持っているのを見たことがあったレオはぴんと来た。

「マスキングテープか」
「……ます、きんぐ?」
「剥がしやすい紙製のテープだな。最近おしゃれなのが増えてるってルカたんが言ってた」
「……水張りテープに似ています」
「水張り? ……あー、お前絵描くもんな」

 水張りは主に水彩画などを描く際に、水分を吸った紙の表面が凸凹しないよう、事前に水を馴染ませる工程のことだ。水を馴染ませた紙をパネルに固定する際に使うテープもマスキングテープのような紙製のもののため、美雪にはそれがよぎったのだろう。

「水彩画の方が得意か?」
「……どうして?」
「タッチ的に」
「……そうですね。油絵は、まだ手に馴染んでません」
「……今度おれ描いて」
「……はい?」

 きょとん、と目を丸くした美雪にぱっと背を向けたレオは頬を赤くしていた。
 彼にしては珍しく、美雪に対して平穏に接することができていた。

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