07

「久しぶりじゃのう、斎宮くん。息災かえ?」
「ああ。君はえらく……雰囲気が変わったね、零」
「そうかのう?」
「草臥れた老人のようだよ、最近の君は」
「くく……あながち間違いでもない」

 三年A組の教室。宗は窓辺の席で紙コップを持っていた。紙コップの底には糸が通され、対になるであろう紙コップの元へとピンと伸びている。

「……あれ、糸電話だよね?」
「ああ、そうだな?」
「奇人たちは真面に携帯も扱えないわけぇ?」

 宗は共に五奇人と呼ばれfineによって討伐された魔王・朔間零と通話をしていた。その光景をはじめて見たクラスメイトはコソコソと話し合う。それを横目で睨んだ宗は声のトーンを落とした。

「なるべく教室で通話をしたくはないのだがね、好奇の目に晒されるのは気持ちの良いものではない。要件があるならさっさと済ませてくれると有難いのだけれど」
「冷たいのぉ……我輩たちの仲ではないか」

 わざとらしく「おいおい」と鳴き声をあげる零に、宗はため息をついて眉間を揉んだ。旧友の要件を聞かずに一方的に通話を切って糸電話を仕舞いたい、と考えずにはいられない。ところが零の次の言葉を聞いた途端に、宗の態度は急変することになる。

「実はの……斎宮くんが仲良くしている、ほら、あの子。おるじゃろ? 可愛らしい……君の好きそうな、お人形さんのような、お姫様のような女の子じゃ」
「氷室っ? 氷室がどうかしたのかねっ」
「おお、物凄い食いつき」

 乙女の存在を仄めかしただけで態度をころっと変えた宗に、零は苦笑する。糸電話をガサゴソと持ち替えているのであろう音を、宗の糸電話が拾った。

「その子がどういうわけか、我輩の棺桶の中におってな」
「は? まさかとは思うが……君、氷室の愛らしさに目が眩んで人攫いを」
「してないしてない。……まあ、このまま我輩の棺桶をこの愛らしいお嬢ちゃんが占領し続けると言うのならば、魔物の餌食に成り兼ねぬかも、しれんな。美しい乙女の血は果実のように甘く、吸血鬼である我輩の糧とな……あれ? 斎宮くん聞いてる? 全然音がせんのじゃけど。斎宮くーん? ……あ、待って。我輩ちょっと嫌な予感がしてきた。もしかして斎宮くん、教室を飛び出して軽音部室に向かって来てる感じ? それは勘弁してほしいぞい? さっきも訂正したけど、我輩が拉致ったわけでは」
「氷室ッ! 無事かッ⁉」
「おお、早い到着じゃ。廊下を走ると危ないぞい? ……待って? 何持ってるの? それ斧じゃない? 我輩流石に死んじゃうから待っておくれ。どっから持ってきたの、それ?」
「零……そこに直りたまえ! 首を落としてやるッ!」
「怖」

***

 冷静さを欠いてしまった宗に、零はなんとか弁解した。
 誘拐したわけでも手を出そうとしていたわけではなく、零が眠りにつこうと棺桶を開けたらびっくり、そこに美少女が眠っていたことを。その美少女が最近アイドル科で噂になっている音楽科の生徒であることと、宗と関わりが深いことを知っていた零は、埃をかぶっていた糸電話を引っ張り出して旧友に電話をかけた、という筋書きである。

「まったく……氷室は警戒心が薄すぎる。此処がアイドル科で、野蛮な獣たちの巣窟であることを知らないようだ」
「箱入り娘なんじゃろ。如何にも大事にされていそうな見た目をしておる」
「ふふん、当然だ。氷室はこの世の何よりも、どんなものよりも美しい。お砂糖とスパイス、素敵なもので形作られているのだよ、この子は」
「なんで斎宮くんが得意気なんじゃ?」

 零の棺桶の中の眠り姫は目を覚まさない。宗は何処からともなく一眼レフカメラを取り出して、美雪をあらゆる角度から連写し始めた。カメラマンのように膝をついたり、逆に背伸びをしたり、床に寝っ転がったりしている。零は格式の欠片もない、見たこともない体勢になっている宗を引きながら見下ろした。

「……斎宮くん、許可を貰った方が」
「以前『撮りたい』と言ったら拒否されたんだ。今の内に撮っておく」
「待て待て待て。拒否されてるなら撮っちゃいかんじゃろ」
「いやぁ……絵になるな、流石僕の氷室。ああ、今すぐに僕が作った完璧な衣装を着せてあげたい……! だが眠ってる間に着せ替え人形にしたら氷室に嫌われてしまうな……」
「……斎宮くんは本当に、懐に入れたものに関しては気持ち悪いのう」
「君に言われたくないがね」

 何度かカメラのシャッターを押した宗は顔をあげてキョロキョロと軽音部室内を見渡す。

「……零、何か、小道具はないか。薔薇とか」
「そんなものあるわけないじゃろ。……あ、蝙蝠さんの髪飾りならあるぞい♪」
「ノンッ!」
「えー? ……じゃあ髑髏の置き物」
「チッ」
「舌打ちされた」

 零が取り出したUNDEADらしいアクセサリーは次々却下される。零はシュンとして髪飾りと置き物を元の位置に戻した。

 カシャ、カシャ。カシャシャシャシャシャシャシャシャ。

「…………ちぃと連写しすぎではないか?」
「黙っていたまえ、集中できないのだよ。……あっ、身じろぎした! ンン、かぁわいい……♪」
「あ、ほんとじゃ。かぁわいい……♪」
「……おい。氷室に近づくんじゃない」
「え、この距離でそんなこと言う? 斎宮くんの方が近いじゃろ」

 零は理不尽な宗を恨めしそうに睨む。宗はそんな旧友を無視してレンズを覗き込み、「ああ、可愛い……可愛いよ、氷室」とシャッターを押し続けている。

 零はニヤリ、とほくそ笑んで宗の目の前を突っ切った。「おい!」と怒れる宗をスルーして、棺桶の中に長い脚を入れる。

「おい、待て! 待て、零! 氷室に触れるな!」
「これ我輩の棺桶じゃもーん」
「き、貴様……ッ!」

 零はもぞもぞと動き、棺桶を占領する乙女と川の字──だとすると一本足りないが──になるようにして寝そべった。宗は歯軋りして零を引っ張り出そうとズンズン足音を立てて近づくが、零と美雪の並んだ光景にハッと息を飲む。

「どうじゃ? 良いじゃろ、我輩とこの嬢ちゃんのツーショット」
「……ぐぅッ! く、悔しい……君の顔は美しいからね……氷室と並んでいると、芸術作品のようだよッ!」
「〜♪」

 零は鼻歌を歌いながら美雪の髪の毛を流し、首筋を露わにすると口を開けて牙を突き立てるようなモーションをする。噛みつきはしない、寸止めだ。

「ああッ、氷室の首筋に……そ、それはいけないよ、零! あ、ああ、だが、これはとても……美しいッ! シャッターを切ってしまう……! うう、羨ましい!」
「……妻を寝取られている状況に興奮してる情けない夫みたいなリアクションじゃな」
「氷室の前で下品なことを言うんじゃあないよ」
「寝てるから平気じゃろ〜……というか、斎宮くんもそういうの知ってるんじゃな」
「……君が嫌がる僕に無理矢理見せつけてきたんじゃあないか」
「そうじゃったっけ? 最近物忘れが激しくてのう」

 都合の悪い記憶は抹消してしまったのか、零は「はて?」と首を傾げて惚けてみせる。宗は眉間に皺を寄せ、カメラを構え直す。

「フン……それよりも零。僕の氷室と同衾するのなら、もっと先程のように背徳的で、劇的に頼むよ。君はファントムのように醜くはないが、宛ら歌姫を攫う怪人のようにね」
「はいはい。……これなんかどうじゃ?」
「あ、あああッ! 素晴らしいッ! あ、零、やめ、そんなことをしては氷室が……あああ、美しいッ!」
(愉快じゃの〜)

 零の一挙手一投足に、宗は海老のようにビクビクと反応したり、背筋を反らしたりする。

「眠っている氷室を好き勝手されていながら、美しさのあまり身動きの取れない僕……ああ、この葛藤! くぅっ! …………零、交代してくれ。僕も氷室とのツーショットが欲しい!」
「えー、我輩動きたくなーい」
「駄々を捏ねるな、独り占めは良くない」
「あーん、引っ張らないでおくれ〜」

 宗は零の腕を掴んで、無理矢理棺桶の中から引きずり出そうとする。零は「嫌じゃ嫌じゃ〜」と抵抗し、美雪を腕の中に閉じ込める。

「なッ……氷室を抱きしめるとは! 僕もまだしたことないのに!」
「うわぁ〜ん。斎宮くんがいじめる〜ぅ」
「ええい、この魔物めッ!」
「……んぅ?」

 二人が騒がしくしているせいで意識が浮上したのだろう。零の腕の中の美雪は瞼を開けてぼんやりと辺りを見渡した。

「ああ、氷室。起きたのか」
「……あれ? ここは……」
「我輩の棺桶の中じゃよ、嬢ちゃん」
「…………ああ、すみません。廊下で寝てはいけないと思って、寝床を探したんです。そしたら、寝るのに丁度いい棺桶を見つけたもので、つい入ってしまいました」

 美雪は此処に至った経緯を話す。零が腕を放すと、美雪はむくりと棺桶から起き上がった。

「棺桶を見つけて真っ先に寝ようと思うのかね……?」
「おお。嬢ちゃんも我輩と同じ、吸血鬼なのか」
「吸血鬼……? あの、血を吸う?」
「そうそう。我輩は血を吸うとウェってなっちゃうんじゃけど」
「私も……血は飲みません」
「いや、君はそもそも吸血鬼ではないだろう」

 否定をする箇所が違う、と宗が訂正を入れた。
 美雪はまだ眠いのか仔猫のように小さい欠伸をする。宗はすかさずカメラを構えてシャッターを押した。宗は画面に表示された美雪の愛らしい姿を見止め、上機嫌に微笑む。

「……撮らないでって言いましたよね」
「アッ」

 美雪がジトリと睨むと、宗はあたふたし始める。零は「よっこいしょ」とおじいちゃんのように棺桶から立ち上がった。捨てられた仔犬のようにシュンとした宗は棺桶の傍に膝をついて赦しを請うた。

「すまない、氷室……君があまりにも可愛いものだから……」
「……もう。世に出回らないようにしてくださいね」
「ああ、わかっているとも。すべて僕のコレクションにする」

 宗は眉をキリリと勇ましくさせ、首から提げた一眼レフカメラを抱えてみせた。美雪の透き通る瞳がじっと宗を捉えると、宗の心臓はドキリと音を立てた。

「……何枚も撮ってたんですか?」
「アッ」
「斎宮くん、墓穴掘りまくりじゃの」

 見たこともない宗の姿に、旧友の零は肩を竦めて笑った。
 美雪は軽音部室の窓辺に佇む零を丸い瞳で見上げる。棺桶の中で姿勢を正しくすると、零に向かってお辞儀をした。

「……はじめまして、朔間先輩。私は氷室美雪と言います。音楽科の一年生です」
「おお、我輩を知っておるのか。嬢ちゃんはUNDEADのファンかえ? 最近は『推し』、とも言うんだったか」
「……いえ、私はValkyrieのファンです。昨今の言い方をするなら、Valkyrie推しです」
「え。そ、そうなのか?」

 話題に挙げられたValkyrieのリーダーである宗は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして美雪に伺った。美雪は「何を今更」と呆れたように言う。

「当たり前ではありませんか。私がここまで贔屓して曲を預けているのはValkyrieだけです」
「『曲を預ける』……ははぁ、成る程。音楽科の美少女がアイドル科に出没し、それを斎宮くんが庇護しているという話は我輩の耳にも入っておったが、嬢ちゃんは作曲家だったのか。そしてValkyrieを贔屓にしている、と」

 点と点が繋がり、線になった零は推測された事実を呟く。
 日々、美雪から塩対応されている宗は、美雪の唐突なデレに頬を染めた。荘厳たる舞台を作り上げる指を、いじらしい少女のようにもじもじとさせている。

「そうか……Valkyrieだけ……僕だけに……ふふ……」
「うわ、斎宮くんキモ」
「チッ。氷室の前でそういう言葉を使うんじゃあないよ。覚えてしまうだろう」
「モンペか」

 だらしない表情を浮かべていた宗は、零の言葉遣いの荒さに目を吊り上げて指摘した。零は呆れた顔で突っ込みを入れる。

「……もんぺ、ってなんですか?」

 美雪が棺桶の縁に両手を添えて無垢に尋ねる。零は「モンスターペアレントのことじゃよ〜」とにこやかに教えた。

「もんすたー、ぺあれんと…………怪物の、親?」
「直訳するとそうだね。子どもを愛しすぎるあまり、教師や保育士などに対して無理難題を押し付けたり難癖を付けたりする親のことだよ。両親の場合は『ペアレンツ』と複数形になるようだ」
「……無理難題って、どんな?」
「そうだね、僕は遭遇したことがないから具体的な例を出しにくいのだけれど……例えば、『どうしてうちの子がお遊戯会のシンデレラ役じゃないんだ〜』とか、『うちの子が可愛すぎて心配だから、登下校は教師が送り迎えしろ』、とかだろうか。前者についてはシンデレラ役が何人もいたら混乱してしまうし、後者については集団下校ならまだしも、送迎は教師の仕事ではないからね」

 宗は自分のわかる範囲で美雪の質問に答えていく。その答えの中で、美雪は更に疑問に思った単語を尋ねた。

「……集団下校って?」
「ふむ……学校は本来、一人または友人などの複数人で行くものなのだけど、集団下校の際には同じ地区に住んでいる者と一緒に帰るのだよ。学年の違う、異年齢の生徒と関わることになるね。まあ、交通機関を利用して色んな地域から生徒が通う私立の学校で実施するのは、難しいらしいが」
「……そうなんですね……知らない事ばかりです」
「気にすることはないよ。僕も俗世のことはよくわからないから」
「……それでも、貴方は私より詳しいです」
「ふふ、恐縮だよ」

 二人のやり取りを見守っているだけだった零は、猫可愛がりしているとはいえ、宗が懇切丁寧に美雪と会話をしている様子に面食らった。幼い子どものように次々と質問を繰り出してくる美雪に、宗は慣れた様子で解説をしている。宗と美雪は手芸部室でValkyrieについて対談を重ねることで、信頼関係を築いているのだろう。

「ところで氷室。今日は僕たちのところに来るのか?」
「……いえ、そのつもりはありませんでした。今日は三毛縞先輩にお願いされた曲を持ってきたので、彼に渡そうと……」

 美雪は棺桶の横に置いていたヴァイオリンケースに手を伸ばし、中に仕舞っていた楽譜を取り出した。窓辺に立っていた零がひょっこり顔を覗かせる。

「見せておくれぇ〜♪」
「……零。氷室に馴れ馴れしいぞ」
「男の嫉妬は見苦しいぞい、斎宮くん。可愛い子には旅をさせよ、じゃ」
「大事にしまっておいた方が良い気がするけどね。この子は何処か危なっかしいよ」
「だからこそではないか。危険を知ることで子どもは学んでいくんじゃよ」
「……私、子どもじゃありません」
「子どもは皆そう言うんじゃよ〜」

 とんがった牙を見せつけるようにして笑った零は、美雪の手から楽譜を抜き取って眺めた。右上に書かれた作曲者名を見た零は「おお?」と声をあげる。

「この文字の羅列は見たことがある。嬢ちゃん、UNDEADにも歌を作ってくれておるな?」
「……はい。何曲か」
「意外や意外。あれだけパンチのある曲を作っていながら、Valkyrieの壮大たる音楽まで作り上げておるとは……いやはや、作曲家というのは恐ろしいものじゃのう。…………ふむ、ふむ。この三毛縞くんに渡す予定の曲も良い良い♪ 我輩がこのまま貰っちゃいたいくらいじゃ」
「零」
「冗談じゃ、冗談」

 宗の鋭い瞳に睨まれた零は目を通し終えた楽譜を美雪に返した。
 宗は床から腰を上げ、いつまでも棺桶の中に座り込んでいる美雪に手を差し出した。美雪は控えめに宗の手のひらに自分のそれを重ね、立ち上がって棺桶から抜け出した。

「前にも言ったがね、氷室。あまりあちこちで作曲家であることを言わない方が良いと思うよ」
「……貴方まで椚先生みたいなことを。言いふらしているつもりはありませんが、言わなければ私はアイドル科に立ち入れませんし、ユニットの方針も求めている曲もわからないんです。何より、アイドルを知ることで曲に厚みや深みが出る。平面だったものが立体になるんです、貴方ならわかりますよね?」
「拘りはわかったが……君が作曲家をやっているからと、力量不足な輩が言い寄ってこないとは限らない。ヤツらは蝗のように食い荒らすだろう。君と君の曲が弄ばれるのは……僕には耐え切れないのだよ」

 悲痛な表情を浮かべた宗は訴える。美雪は宗を見上げ、フッと目を伏せた。長い睫毛が影を作る。

「私だって、曲を預ける人くらい選んでいます。そこまで自分の曲を安売りしているつもりはありません。私がアイドルだと思う人にしか、曲は作りません。武器は渡しません」

 曲の安売り。それをしてしまい、自分の身を削ってしまった者が、去年夢ノ咲学院にいた。
 零は宗が同じ芸術家である彼のこと、そして仁兎なずなのことを思い出しているのではないかと思い、瞼を閉じた。

 宗は自分が受け入れたものに対して、とことん愛情深く接する性格だ。美雪がかつて愛していた人形や共に五奇人と称された友人と同じように、自分と同じように、修復不可能になってしまうのではないかと案じているのだろう。

 美雪の言葉をじっくり味わった宗はか細い息を吐いた。

「……そうか。だがね、力づくにでも君に迫る輩はどうしてもいる。僕には想像できる。僕が力の限り君を守ると誓うが、常に君の傍に居られるわけじゃあない。僕は心配なんだよ、氷室。愛しい君が、もし、怪我でもしたら。組み敷かれ、一生消えない傷をつけられでもしたら。僕は悪魔よりも悍ましい怪物へと成り果て、君を痛めつけた人間を許すことはないだろう。額を地面に擦りつけて許しを請われても、僕はその頭を踏みつける。そいつらの生涯を、犯した罪を償う時機として扱う。絶対に、呪うよ。呪詛を唱え続けてやる」
「……斎宮くん、愛が重いぞ」
「僕は本気だよ。愛しい子が利用され、傷つけられ、それを許せる保護者が何処にいる」
「斎宮くんはこの子の保護者のつもりなのかえ?」
「…………」

 からかうように言ってきた零に、宗は口を噤んだ。『保護者』であると、胸を張って言える立場に宗は居ないのだ。

 なずなの美しさに目を奪われて窓から飛び降りたことはあったが、美雪とはじめて出会ったときの宗の衝撃は、果たして同じものだったか。
 宗の美雪に対する感情は、なずなへのものと同じであると言えるか。

「まあ良い。意地悪な質問をしてしまったのう。久しぶりに話した旧友に不快な思いをさせてしまうのは我輩の本望ではない。斎宮くんは昔から、からかいがいがある」
「君たちは僕の反応を見て楽しんでいたからね、今更なのだよ」

 宗は「はぁ」とかぶりを振った。
 棺桶から出て宗の横顔をじっと見つめている美雪に、零はズイ、と迫った。

「ところで、美雪のじょーうちゃん♪」
「……はい。なんでしょう?」
「UNDEADにもまた、歌を作ってくれぬか。嬢ちゃんの曲は我輩だけでなく、メンバーも気に入っておる」
「……ええ、是非。今日は三毛縞先輩とお話しないといけないので、『UNDEADの日』を設けても良いですか?」
「……『UNDEADの日』?」

 スケジュール帳を取り出した美雪に、零は首を傾げる。

「氷室は色んなユニットに楽曲を提供しているからね。そのユニットが次に参加するライブやフェスの題目やメンバーの申し出を聞いて、この子は曲を作っているのだよ。……先日はあの忌々しい『fineの日』だったと聞いたが、天祥院に何もされなかったかね?」

 口を挟んだ宗が眉間に皺を寄せて美雪に尋ねた。宗は去年の事件から、主犯格である英智に対して良い感情を抱いていない。Trickstarに先を越されてしまったが、復讐をしようとしていた程に。

「特に……何も?」
「君がそう感じても、ヤツは人の良さそうな顔の下で悪事を企んでいるからね。油断は禁物なのだよ」

(この子は、知っているのかのう。Valkyrieが失墜した理由を。その事件の裏で、天祥院くんが糸を引いていたことを。……知るわけがないか。Valkyrieを贔屓しているというのならば、そのことを知っているのであらば、fineに曲を渡すはずがない)

 零はじっと美雪を観察した。宗の好きそうな、人形のような少女。白い肌に長い睫毛。彼女を見て目を奪われない者は居ないだろう。その美しさに息を飲まない者は居ないだろう。いつものように昼寝をしようとしていた零も、蓋を開けた途端飛び込んできた彼女に数分は停止した。あまりの眠たさに乙女を攫ってしまったのではないかと一瞬でも考えてしまった。

(しかしその事実を、彼女に教えてやるつもりも斎宮くんにはないのじゃろうな。この子がfineをアイドルとして認めているのを否定することになる。一年前の事件は、一年前の夢ノ咲学院は、無垢な子には毒でしかない。──夢と希望を黒く塗り潰す、残酷にも程がある凄惨な記憶じゃ)

「……零、顔が老人のようになっているよ」
「え、やだぁ。我輩まだピチピチなのに」
「老人ぶっている癖に、今更何を言っているのかね……」
「あ、そうじゃ、美雪ちゃん。その『UNDEADの日』とやらを決めてしまおう。ちょっとサボり気味なメンバーもおるんじゃけど、美雪ちゃんがいるならきっと来てくれるじゃろう」

 零はノリノリで美雪のスケジュール帳を覗き込んで日取りをした。
 美雪は零に指定された日付に蝙蝠のマークを描き込んだ。

「お、上手じゃのう。じゃあ……この三日月は紅月か」
「……はい」
「これは流星隊かの?」
「……いえ、それはTrickstarです」
「おお、そうか。流星隊はこっちの流れ星なんじゃな」
「……ええ」
「……それにしても、歯車のマークが多すぎるのう。斎宮くん、独占しすぎではないか?」

 星のマーク、流れ星のマーク、羽のマーク、稲妻のマーク。今日の日付のところには六芒星。
 沢山の目印がある中、一際美雪のスケジュール帳を埋めているのは歯車だった。

「ふん、当たり前なのだよ。他のユニットと違って、氷室はValkyrieの専属だからね。逆に感謝して欲しいくらいだ。僕が氷室を貸してやっているのだよ」
「所有物みたいな言い方をするでない」

 零は宗にデコピンをして窘めた。地味な痛みに宗は額を抑えてがなった。

 UNDEADの日を取り決めた美雪は軽音部室を後にすることにした。斑に会いに行くという彼女に宗は付き添い、斑探しに隆起した。学院内をうろついている斑はなかなか見つからず、漸く彼を捕まえた宗は思い切り睨みつけてやった。「氷室の手を煩わせるんじゃあないよ……」と自分よりも美雪を優先している宗に、斑は失笑した。

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