07

 サミットの裏側、ALKALOIDは同じく解雇寸前の立場であるCrazy:Bと接触し、アイドルロワイヤルの参加を持ちかけられていた。当日であってもL$さえ払えば参加することができるという設定にしたためか、燐音は一彩たちに対して「返事は急がない」と伝えた。一彩はALKALOIDのリーダーとしてメンバーの意見を聞き、皆で考え、結論を出すべきだと考える。その場で選択を迫られなかったことは幸いだ。

 ALKALOIDが話し合える場を探している最中、カフェ・シナモンに訪れていたのは氷室美雪だった。時折、ニキがシナモンにてバイトをしていることを知っていた美雪は、従業員に彼が勤務しているか尋ねると「否」という返事を受け取る。彼が不在とはいえ足を運んだからには何かを注文しようと、美雪は案内された席に座ってメニューを眺めていた。
 ニキは美雪が興味を示したメニューを美雪が食べられる形にして持ってきてくれる。故に、彼を気に入っていた。

 美雪は彼がアイドルとしての活動にあまり興味がなく、寧ろ解雇されることを喜んでいる姿を見てきた。解雇されても料理人としてESに居てくれるのであれば、美雪としてはそれでも良い。行き場が無くなれば氷室財閥の料理人になってもらうのも選択肢としてある。
 ただ、それだけでアイドルとしての彼を終わらせてしまうのは勿体ないように感じていた。映像で観た彼の踊りは他のメンバーとは歩調の合わないバラついたものだ。ミスも多い。完璧に調律されたValkyrieを観ている彼女からすれば、それは一目瞭然だった。しかし椎名ニキにはそれを補えるだけの愛嬌があるのだろう。親近感という点では彼は他のアイドルよりも一歩抜きんでていると言える。

「ねぇ、君」
「……?」

 窓際の席に一人で座る美雪に声を掛けて来たのはスーツを着た男だった。どこかの事務所の職員だろう、美雪は彼の顔に見覚えがあった。男は美雪と目が合うと頬を染めて首を掻いた。

「あ〜っと……僕のこと、覚えてる?」
「……リズムリンクの」
「う、うん。凄いな……本当に覚えてるとは思わなかった」
「……ごめんなさい、お名前までは」

 去年のハロウィンパーティーの際、サインラリーをしている美雪とぶつかり、名刺を渡して来た男だった。美雪が謝罪をすると男は慌てて手を振る。

「良いんだよ。たった一回で覚えられるはずもないから……改めまして、リズムリンクの倉見(くらみ)と言います」
「……氷室美雪です」
「うん、知ってるよ。有名だから」
「……ゆうめい?」

 美雪が首を傾げると、倉見という男は「ここ、座っても良いかな?」と机を挟んで向かいの席を指さす。美雪が了承すると、彼はさっと腰を落ち着けて話を続けた。

「どの事務所が君を獲得するかって、結構話題になったからね。作曲家としても、アイドルとしても」
「……私、アイドルではありません」
「……らしい、ね。勿体ない」

 今でこそ美雪が作曲家であることはESの社員にも伝わっているが、ESが出来たばかりの頃は美雪をアイドルと勘違いした職員によって呼び止められアイドルとしての仕事を振られそうになったり、アイドルではないと説明するとスカウトされたりと、美雪にとっては要らないところで時間と労力を使わされた。四大事務所それぞれの職員に囲まれたときは流石に困り果て、それを聞きつけた英智によって「びっくりするくらいの美少女を社内で見かけてもスカウトしたり仕事を振ったりしないこと」という謎の命令がES社員たちに下った。それから美雪はESに訪れても平穏に過ごすことが出来ている。

「君が作曲家であることは承知の上なんだけど」

 倉見は指を組んで机に乗り出すようにして美雪に語り掛ける。

「本当に、勿体ないと思うんだ。君は綺麗だ。今ESで活動している女性アイドルの誰も、君には敵わない。作曲の才能も活かして、リズムリンクでアイドルにならない? 大規模なリストラはあったけど、君は上の人からも一目置かれているし……僕はたぶん、君を一番にスカウトした男だと思う。だから、他の事務所には譲りたくなくて──」
「失礼」

 倉見の言葉を遮るように凛とした声が差し込まれる。目を丸くした倉見が顔を上げると、声と同じく凛とした表情で朱桜司が佇んでいた。後ろには嵐も立っている。司は倉見と目が合うと怪訝そうな顔で口を開いた。

「氷室さんへのScout……こほん。スカウト行為は禁止されているはずです。天祥院のお兄様からそういった内容の通達があったはずですが、ご存知ありませんか?」
「はい、知った上でのスカウトです」
「お、おお……この反応は予想外です」

 てっきり慌てふためいて言い訳しながら撤退すると思っていた司は、倉見の真剣な眼差しに気圧された。これから彼をどうやって後退させようかと司が悩み出したところで、倉見は騒ぎを大きくしてはいけない、と荷物を纏め始める。

「では、僕はこれで。……氷室さん、前向きに検討してくれると嬉しい」

 倉見は席を立ちながら千円札を机上に置くと、司と嵐にも会釈をして素早くシナモンを後にした。嵐は「潔く帰って行ったわねェ……」と彼の背中を見つめた。

「まったく……まだ氷室さんを諦めていないScout Manがいるとは」
「アイドル以外からも人気なんて、美雪ちゃんは罪な女の子ね」

 二人は口々に言うと美雪の許可を取ることもなく、倉見が立ち去った後の席に詰めて座った。嵐は美雪からメニューを奪うと「アタシはケーキにしよっと。司ちゃんはカロリー制限中だから飲み物だけね」と司の返事を聞かずに決めてしまう。司は悔しそうに歯を食いしばったが、甘味を食べたことを泉に報告された方が面倒なことになると諦めた。

「今日は美雪ちゃんのお気に入りの彼、居ないみたいね」
「……はい」
「えっ、お、お気に入りっ? まさか……今度こそBoyfriendですか⁉」
「違うわよォ、シナモンと社員食堂でバイトしてる男の子のこと。料理がすっごく上手で、美雪ちゃんが気に入ってるみたいなの」
「顔が好みというのは……その彼ではなく?」
「え、顔が好み? 何それ」

 サミットで明らかになった「美雪の好みの顔がCrazy:Bの誰か」という話題が初耳だった嵐は目を丸くして司と美雪の顔を交互に眺めた。話を進めたかった司は嵐に「後で説明致します」と断ってから美雪に向かう。

「実は私の分家の者がCrazy:Bに居るのですが……もしかして、美雪さんの好みの顔というのは、桜河──」

 司は途中で口を噤む。司と嵐の少し後に店内へ入ってきた四人組が、Crazy:Bと同じ時期に生まれたユニットだということに気が付いたからだった。サミットの話題はCrazy:Bに飲まれALKALOIDは浮上しなかったが、解雇寸前という同じ状況である彼らが繋がっていないとは限らない。司は警戒して気配をなるべく消し、耳を澄ませた。嵐も彼の意図を察する。
 ALKALOIDの話はCrazy:Bを警戒し、彼らの誘いを断ろうというものだった。その会話の流れから、司は彼らがCrazy:Bとは異なる模範的で道徳的なアイドルであることを悟り、自身が気にかけている分家の弟分について尋ねることにしようと声を掛けた。

「なかなか興味深い話をしていますね、皆さん?」
「ひぇっ……⁉ なな、Knightsの朱桜司、……──」

 振り返った藍良はその瞳に司を映し、更にその隣に背筋が凍るほど美しい乙女がいることに気が付き、呼吸すら忘れてしまう。藍良のすぐ近くに座っていた一彩は何事かと身を乗り出して美雪を視界に入れると「あっ、精霊!」と声をあげる。

「藍良、彼女だよ。僕が見た精霊!」

 一彩が固まった藍良の肩を掴んで揺さぶると、藍良は飛ばしていた意識を取り戻ししぱしぱと瞬きを繰り返した。

「……え、あ、な、何? セイレーン?」
「せいれーん? それは何だ? 僕が言ったのは精霊だよ」
「俺が見た聖女でもあります」
「あ、ああ! 精霊兼天使兼聖女の……?」
「なんだか盛沢山ねェ?」
「うひゃあっ、鳴上嵐ぃ⁉」

 ビッグ3のアイドルに出くわした藍良は喜びで沸騰した。またしても彼らが何者かを知らない一彩にレオと同じユニットに所属するメンバーであることを説明する藍良はチラチラと紅茶を飲む美雪を盗み見ていた。

(あ、あれが名波哥夏……美少女すぎる、美女すぎる。あの子の周りだけ空気がぜんぜん違う……透明感すっご、背景に白百合が見える。……顔出しすれば良いのに。というか月永レオみたいに作曲しながらアイドルしてる人もいるんだから、そっち路線で行けば良いのになァ。あの見た目なら絶対いける、確実に売れる、おれ絶対推すもん)

 藍良はアイドル目線ではなくファン目線混じりの経営者目線で美雪のことを分析していた。彼女が作曲家でしかない、というのが藍良にはどうにも理解できなかった。誰もが彼女を放っておかないだろう。その見目で人々の心を容易く奪う、人を魅せる為に生まれて来たような乙女を。

(ESは女性アイドルも抱えてはいるけど、そっちはあんまりメインじゃないもんね。男性アイドルに特化してるせいで女性アイドルは埋もれがちというか、ES側が世話する余裕がないというか……時代がそういう流れなのかもしれないけど、やっぱり華が、花が欲しいよねェ、女の子が。ESを代表する女性アイドルって売り出したら良いと思うけどなァ……──うわっ、見つめ過ぎて目合っちゃった! ひぃっ、あんなにちゅるちゅるのお目目、見たことあるゥ⁉ ほんとに同じ人間かなァ⁉ なんだろう、種族が違う気がする! それこそ精霊というか)

 動悸が激しくなる胸を抑えた藍良は視界に入れておくと心臓が可笑しくなって内側から破裂すると思い、懸命に目を逸らした。
 マヨイは今すぐにでも天井裏に逃げたくて右往左往し、結局巽の背後に落ち着いた。

 司がALKALOIDに尋ねたかったのは朱桜の分家である『桜河』のこはくのことだった。サミットでいずれ彼が切られると聞き、司はそれを避け、弟分でもある彼を守りたいという思いが膨れた。桜河は朱桜の影。暗躍し、罪を背負わせているという後ろめたさもあった。

 Crazy:Bと対談したとはいえ、こはくと真面な交流があると言えるのは藍良のみだ。それに加えて、彼は現時点では昔ネットでこはくと知り合いだったという事実をまだ知らない。彼はこはくについての満足な情報を司に伝えることは難しかった。

「……成る程。あなた方も、Crazy:Bについては不明な点が多いのですね」
「すみません、力になれなくて……」
「ああ、いえ。気にしないでください。元はと言えば、貴方たちとCrazy:Bに深い繋がりがあると勘違いしていた私が悪いのですから」

 司はそう言って紅茶を飲み終えると、隣に座る美雪を横目で確認した。自分とは関係ない話であると興味を無くしたのか、美雪は五線紙を取り出して作曲作業に入っていた。Knightsにも少し目を離している隙に、否、目を離していなくても作曲を始めてしまう破天荒な元王さまが居るため、天才の奇行には慣れていた。藍良は両手にペンを持つという彼女の不思議な作曲スタイルに感激して注視している。

「彼らを気に入りましたか? 美雪さん」
「……? ……どなた?」

 レオのように彼らを気に入り、ALKALOIDに曲を作っているのかと思って発言した司だったが、どうやらそうではないらしい。ALKALOIDを見つめてもピンと来なかった美雪が首を傾げ、彼らが何者なのかを尋ねると司は苦笑を零す。

「美雪さんは本当に、自分が作曲していないUnitのことを把握していませんね……Crazy:Bという問題児のせいであまり注目されていませんが、彼らも新しく生まれた死にかけのIdolですよ」
(死にかけ……)
「ALKALOIDっていう子たちよ。事務所は確か、スタプロよね?」
「ウム。そうだよ、僕たちはスターメイカープロダクション所属だ」

 嵐の説明に一彩が元気よく頷いた。美雪はゆっくりパチリと瞬きをして一彩に注目する。彼の顔立ちに見覚えがあるように思えたのだ。

「……貴方、天城さんの、ご兄弟?」
「む? 精霊は兄さんを知っているのか」
「……精霊?」
「ああああすみませんっ! こら、ヒロくん! 名波さんが困ってるでしょ!」

 ベチンと一彩の体を叩いた藍良が自分を作曲家名で呼んだことを不思議に思った美雪は、今度は藍良をじっと観察した。フランス人のクォーターということで、藍良の顔立ちはどこか海の向こうの気配を帯びている。
 一彩は「精霊よ」と美雪に呼びかける。

「僕は天城一彩、来年の一月に十七になる。天城燐音は僕の兄だ」
「……紅葉と空。……貴方とお兄さんは、とても似ていると思う」
「よく言われるよ。兄さんと似ていることは、僕の誇りだ」
「……そう。……私は、氷室美雪。貴方と同い年」
「そうか。貴女は雪月花の精霊か?」
「……ふふ」

 何が面白かったのか、美雪は一彩の問いかけに小さく微笑んだ。突然の花の綻びに、巽は十字を切りかける。

「……冬の雪、秋の月、春の花。……夏はどこに行ったんだろうね」
「夏はホトトギスではないかな?」
「……ああ、道元禅師の。……雪月花は白居易だけれど、いつの時代も、似たようなことを考える人はいるんだね」

 二人のふんわりとした掴めない会話が成立しているのかどうか、藍良には判断が難しかった。何の話をしているのかもわからずに目を回していると、司がおかわりした紅茶を口に含む。

「何やら、レオさんがあなた方を気に入って曲を渡したんだとか」
「はい、有難いことに。ですが、今の俺たちには難易度が高すぎると言いますか」
「ああ……あの人は気を抜くと技巧を盛沢山する癖が抜けていないみたいで。最近は割と安定していたんですが、Slump続きでその辺りの螺子が緩くなったのかもしれません」
「……スランプ、不調。……あの人が?」
「おや? 聞いていませんか?」

 レオが夏頃からスランプ状態に陥っていたことを美雪も把握してたと思っていた司は目を丸くする。察しの良い嵐が「司ちゃん司ちゃん」と肩を突いて内緒話をする子どものように囁くが、聴力が高い美雪には聴こえている。

「たぶんね、レオくん隠したいんだと思うわァ。同じ作曲家の子に知られたくないっていうのと、かっこつけたいっていう気持ちがあるのよ」
「な、成る程……」

 恋煩いというのは難しいものだ、と司は唸る。その横で、美雪は書き終えた楽譜を集めて整えながらALKALOIDを見つめた。

「……貴方達には、月永先輩の唾がついているんですね。じゃあ残念」
「つ、唾?」
「……お互いの領域は、踏み荒らさない方が良いですから。……私がValkyrieに手を出されたら不愉快になるように、あの人も、Knightsを自分以外に染められるのが嫌なはず。自分が最初に手をつけたものに余計な手出しをされれば、気分が悪くなるでしょう」

 臨時ユニット抗争もそうして起こったものだった。彼女の目の前に現れたことはなくともずっと彼女を見守っていたマヨイは、当時のことを覚えている。それまで美雪の視界に入らないようビクビクと震えていたマヨイだったが、呼び起こされた記憶に胸が締め付けられ、切なそうに見つめた。彼女の庇護すべき愛らしさに加え、約一年間見守っていたことで彼女への情が生まれていた。
 あのとき、レオが彼女に言った「魔女」や「火炙り」という単語は、かつて迫害され隅に追いやられたことのあるマヨイにとっては苦しいものだった。もう美雪自身が気に留めていない事柄であっても。

「……自分がされたら嫌なことは、他人にしちゃいけないものね。そうしないと、争いが終わらないもの」
(……何言ってるのかよくわかんないけど、取り敢えず凄く良い子っぽい? ……うわ、タッツン先輩がついに十字を切った)

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