09

 MDM前夜祭に登壇することになったのはビッグ3と謳われるfineとEdenだ。旧fineのメンバーが三人、そして彼らに討伐された五奇人の日々樹渉がいる。感慨深さもあったのか彼らは楽屋で閑談してから前夜祭に向かった。

 英智はセットリスト一番の曲を歌い踊りながら追憶にふけった、自らの過去・消すことのできない行いを。もっと上手くできたかもしれない物語。かつて友だった、今は道を別けてしまった旧友。血祭にあげた憧れの人。返り血に塗れた自分の前に舞い降りた天使。
 Crazy:Bは自分と同じである、と英智は言い知れない責任感に駆られていた。

 舞台上で語り合うのは夢ノ咲出身アイドルの悪い癖だ。それに耳を傾けるファンもいるため、一概に『悪い』とは言えないのかもしれない。しかし、観客からすれば今回のライブに関係のある話をしているのか、意味深な単語だけで完璧に理解することはできない。お客様の為にパフォーマンスをしてこそアイドルではある。茨の言う夢ノ咲イズムというものはなかなか抜けることが出来ないらしい。

 一曲を歌い終えたところでCrazy:Bが登壇し、アイドルロワイヤルを含む今回の騒動についてのけじめとして謝罪をする予定だったが、fineとEdenが整列しても彼らが現れる様子はない。その手筈を整えるべきコズミックプロダクションの副所長である茨に、英智らの苦情の矢が向けられた。

「……ご安心を。ややこちらの計画とは異なる流れになっていますが、全ては順調そのものです」

 舞台上だからか、この状況下だからか。茨は普段よりも静かにそう言い、ステージ袖から現れた人物に仰々しく手を差し向けた。

「ご覧ください、皆さんお捜しのCrazy:Bが姿を見せましたよ。精々、拍手で出迎えてあげましょうか。これから彼らが辿る地獄の道程を思えば、その程度では慰めにもならないでしょうけど。まぁ彼らが自ら望んで得た立場です、因果応報といったところでしょう」

 馬鹿なことをした、誰がそこまでしろと言った。茨は視線の先の燐音に思う。
 スタプロがはじめたアイドル計画に乗っかり、コズプロもALKALOIDを追いかけるようにしてCrazy:Bを創り上げた。上手くいけば英智の手柄を横取りすることができる、コズプロが去年のSSで痛手を負った取返しを目論んでいた。

 それが上手くいかずともEdenのために有効活用する手筈だった。他のアイドルを煽り・攻撃し、予防接種の役割を担わせ来るべきときにEdenが討伐する。二年前の夢ノ咲で起きた革命と同じような筋書きを辿ることで、Edenへの名声を高めることもできた。

「まさか単独で来るなんて──天城燐音くんは、自分一人で全ての泥を被ろう、と思い詰めるような高潔な人物だったのかい?」

 計画では四人全員が登場するはずだったが、階段を降りて二つのユニットが立つ場に歩んで来たのはたった一人、燐音だけだった。

「だとしたら、君主としては正しいと評価できるけど。単にかつての僕のように『お前の巻き添えは御免だ』と、仲間に見捨てられて孤独になっただけかな?」

 英智の呟きに、隣に立つ凪砂が反応する。

「……その表現には語弊がある。かつての私たちには、君が望めば一緒に手を取り合って戦場から離れる用意もあった」
「そうそう。君が望んで居残ったんだね、君が作った戦場に」

 凪砂の横で日和が大きく頷いた。
 旧fineの最後の舞台、かつて革命のために共に立ち上がったはずの彼らは分解寸前だった。当初は同志だった彼らの関係は抗争の度にひびが入り、修復が難しくなってしまっていた。ビジネスライク、契約だと割り切っていた英智はつむぎを突き放し、血塗れで弱り果てた日和と凪砂は夢ノ咲を去った。

「……あのとき、倒れる君を私は助けなかった。疲弊で、もうあの場に居たくなくて、君を置いて離れた。……だけどそのことを、一度も後悔しなかったとは言えない。友達なら、日和くんのように手を放すべきではなかったのかもしれないと」

 凪砂と英智の間に明確な亀裂が奔ったのはValkyrieを葬ったときだろう。氷室の屋敷から出ていなかった美雪と凪砂は、椚章臣を通じて手紙のやり取りをしていた。凪砂はfineとして帝王を倒さなくてはいけない、それがValkyrieを贔屓していた美雪にとって不本意であることを悟り、事前に「Valkyrieが負ける」予定であることを伝えておいた。ただ、英智の策略によってValkyrieはただ「負ける」だけでは済まなくなってしまった。

「……私の大切な子が、どうして今でもfineに力を貸してくれるか、考えたことはあった?」
「……」

 英智は横目で凪砂を見た。凪砂は正面を見据えていて英智を捉えていない。
 何故、Valkyrieを陥れたfineに名波哥夏が作曲を続けているのか。七夕祭という例外はあったが、それからも変わらず英智が依頼すれば美雪は曲を持ってきていた。その理由を英智が考えないわけがなかった。

「……お家の問題か、君の古巣だから……君が所属していたから。そのどちらか、あるいは両方だと僕は推測したけど」

 氷室美雪という「存在しない妹」を、巴財団が保護するはずだった彼女を氷室豊が誘拐した事実を知ってしまった英智に恩を売っておくのは、氷室財閥の名誉のためにも当然のことだろう。英智が氷室財閥を貶めることがないように計らうのは不思議なことではない。美雪は時折「お家の迷惑になる」という言葉を残していたため、英智はそう判断した。片割れの凪砂が脱退したとしても所属していたユニットのfineに、情けをかけているのだと。

「……私が居たから。……うん、半分正解かな」
「──半分?」
「……あの子のお家のことは、私もよく分かっていない。『あの男』が何を企んでいるのかも。だから、推測の一つである『お家の問題』っていうのは知らないけど……──私がお願いしたんだ。fineを、友人を見捨てないで欲しいって」

 凪砂は目を伏せる。

「……ただ、お願いしただけなんだけどね。……あの子はあれを私との『約束』だと思って、私が居なくなったfineを受け入れた。……夢ノ咲の革命を、無かったことには出来ない。犠牲になった者たちの為にも『良かったこと』で、『必要なこと』だったとは言えない……でも、あの子は既に私たちを許している」

 赤い瞳に見つめられた英智は不自然に目を逸らし力無く拳を握った。許されるよりも敵意を向けられた方がまだ理解ができる英智にとって、自分を許し何事も無かったかのように行動する人間の存在が底気味悪かった。
 英智もまた、彼女の音楽と彼女自身に魅了されている身。彼女に対する疚しさと確かにある微々たる喜びに、英智は舞台上にも関わらずアイドルとしての顔ではなく、ただ一人の人間としての表情で立ち竦んだ。


 Crazy:Bはアイドルを攻撃し過ぎてしまった。今から首を切ろうとも彼らが反抗しESと敵対する陣営につかれては、ただでさえ泥や毒を被せられたESも溜まったものではない。故に、茨は『すべてはコズプロ上層部・SSで生き残った悪人の仕向けたことである』と説明し、Crazy:Bは悪人に利用された可哀想なアイドル・同情すべき被害者であるとした。それを「落としどころ」とした。存在しない悪人を作り出した。

 ところが燐音は舞台から飛び降り、「アイドルを憎み、自ら望んでアイドルを傷つけていた」と声高々に叫んだ。紅月や流星隊、UNDEAD。Crazy:Bが傷つけた有力なアイドルのファンを煽り、蛮行に異議を唱える自分以外のCrazy:Bのメンバーを無理矢理従わせていたと吹聴した。

「その調子だッ、怒れ! 大好きなものを汚されて、それでも我慢を強いられる方が間違ってるっしょ!」

 燐音が自分で仕掛けておいたペットボトルを落としたのを皮切りに、我慢の限界になったファンたちが物を投げつけ始めた。燐音はそんな彼ら、彼女らの行動を受容する。

「他人に黙って従うお利口さんより、罵られて石を投げられる馬鹿になれ! そっちの方が百倍も二百倍も愉しいだろォ?」

 燐音が笑いながら駆け出していくと、それを追いかけるように大勢のファンが会場から流れ出た。

***

「あぁ、よぉく見たらわかるわ。HiMERUさんやのうて、アンタは十条要さんの方やんなぁ♪」

 袖に立つHiMERUに近づいて来たみかはまじまじとHiMERUの顔を見たかと思うと、彼の本体の名を口にする。HiMERU──を演じている男は突然のことに表情を崩した。相手に失礼なことをしている、と宗がみかを叱りつけた。

「他人を間近からジロジロ見てはいけないよ、影片」
「んあ〜? それもお師さんも同じやん?」
「……まあ、そうだねぇ」

 みかに指摘された宗は否定することなく「ふむ」とHiMERUを上から下まで眺め、顔をじーっと見つめた。Valkyrie二人に観察されたHiMERUは自慢の綺麗な顔を隠したい衝動に駆られる。見られ慣れている職業とはいえ限度というものがあるだろう。彼らは無遠慮にHiMERUを鑑賞していた。

「──うむ、分からなくはない。だが気に食わないね」
「せやね。おれらじゃ満足できひんのかなぁ?」
「……?」

 二人の発言の意味が理解できないHiMERUは表情を歪めた。それを見止めた宗は彼に忠告をしようと口を開く。

「影片が不用意に口にしたとおり、僕たちは君の正体を知っている。同じコズプロの、七種何某に聞いてもいないのに教えられたからね……まあ、Crazy:Bは嫌でも把握しなければいけなかったわけだけど」

 鬱陶しい羽虫を払うように手を振った宗は「ともあれ」と続ける。

「『HiMERU』の居場所も把握しているし、僕の実家はそれなりに金と権力を持っている。そして、僕らの背後にはワルキューレがついている。つまりね、──その気になればいつでも君の『本体』を潰せる」
「──それは脅迫ですか?」
「うむ。脅迫しているのだよ、僕の流儀ではないのだけど。無作法には無作法で返すしかない、野蛮人に対して礼儀を尽くしても虚しいだけだからね」

 『ワルキューレ』が何を示しているのかHiMERUは頭を回転させる。ワルキューレは彼らのユニット名・Valkyrieをドイツ語で表す単語だ。「Valkyrieの背後にワルキューレ」では重複している。

「まあ、あのダーリン」
「──ダーリン?」
「ゴホン、失敬。誤りだ」

 宗が咳払いをする横で、みかがムスッと膨れていた。

「あの天城燐音とやらが戻らない以上、君たちが同じような戦術をとるとは思わないのだけど。そこまで愚かではないだろう、君も。他人を貶めて己を高めるというのは、この業界ではよく見かける光景ではあるけれど。君達のやり口は度が過ぎているし、何より美しくないのだよ。恥を知りたまえ」

 二年前、実際に貶められた経験を持つ彼ならではの台詞だった。黙りこくるHiMERUに宗は余裕綽々といった表情で腕を組む。

「喧嘩を売る相手を間違えなかったという点では命拾いしたね。同じ事務所だったから攻撃対象ではなかった、と言われればそうかもしれないけれど。もし誤って僕らを刺していたら……いくら君たちを『多少』気に入っているとはいえ、あの子が黙ってそれを見ているわけがない。一切の躊躇なく君たちを見限っていただろう」

 これまで美雪と過ごしてきた宗は、自分たちに何かあれば彼女がどんな行動を取るのか想像がついていた。ちらり、と舞台袖からALKALOIDのパフォーマンスを見た宗はすぐに視線を戻してHiMERUを見据えた。

「僕の警告はその延長なのだよ。もしも君たちが僕たちの芸術活動を邪魔するなら。いいや、僅かでも汚すなら、君の最も大事なものを奪い取って泥の海に放り捨てよう。……Valkyrieを穢す者に決して容赦はしない、僕も、あの子も。それをよぉく覚えておきたまえ」

 警告を受けたHiMERUはすんなり頷いて引き下がり、汚名返上のために下働きしようとその場を去った。儚く消える涙のような色の髪を靡かせるHiMERUの後ろ姿をValkyrieの二人はじぃっと眺めていた。みかの双眼は暗闇で怪しく光っていた。

 茨の交渉によって、今回MDMではコズプロの評判のためにも所属するアイドルの出番が多くなっていた。2winkと対話をしている内に宗がフラついた。みかがすかさず支え、寝不足を指摘する。

「お世話係としておれもパリに行きたいって言うたのに〜?」
「ふん。思い上がるな影片、僕がお世話する側だろう? というかそれ以前に、あの子を一人にしてはおけない」

 みかが瞬時に解決策を提案する。ピコーンと頭の上に電球の光が点灯した。

「んじゃ三人でパリに行けば良えんちゃう? ナイスアイディアや〜ん♪」
「駄目に決まっている。あの子は日本から出られないのだよ」
「んあ? なんでなん?」
「日本が一番安全だからだ」
「はぁ。治安的なヤツぅ?」
「……まあ、そういうことにしておくよ」

 うっかり口を滑らせてしまっては溜まったものではない、と宗はみかに美雪の兄についての話をしていなかった。信頼しているが、彼をよく知っているからこそ与える情報を制限していた。

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