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「──ケイトぉおおおおおおお!」
「うぉっ⁉ なんだ、月永か。大声を出すな、楽屋とはいえ本番中だぞ」

 ドアを突き抜けて壊しそうな勢いで飛び込んできたのはレオだった。いつになく必死な顔で片手にペン、逆の手に楽譜の束を持っており、力み過ぎているのか楽譜には皺が寄っていた。レオは楽屋にズンズン足を踏み入れて敬人に楽譜を押し付ける。
 紅月は出番に備えて腹ごしらえをしている最中。椅子に腰掛けた颯馬と紅郎は目を丸くして彼らのやり取りを見守っていた。

「頼まれてたヤツ! 出来たからハイ! さっさと受け取れ!」
「お、おお……早いな? しかしこれはお前が作曲で、氷室が編曲という話だっただろう? 氷室の姿が見えないが……」
「アイツのことなんか気にすんな! これで完成! はい、終わり!」
「何だ、その投げやりな感じは……ちゃんと氷室と話し合ったんだろうな? お前の独断で終わらせようとしていないか?」

 敬人は全てが解決したときの為の締めくくり、纏めにするための楽曲制作を美雪に依頼した。その際、近くにいたレオが「今度はおれが作曲する」と首を突っ込んできた。三月の沖縄旅行でレオが美雪の曲を編曲する機会があったため、それとは逆でやってみようという提案だった。美雪もそれに了承し、二人で作ることとなったはずだが。
 そこにレオを追いかけて来た美雪が飛び込んできた。レオから楽譜を受け取った敬人を見つけ歩み寄る。

「待ってください。まだ編曲が終わってません」
「このままで良いんだって! 余計な音を付け加えるな!」
「……あと四か所は付け加えた方が良いです」
「付けなくて良いの!」

 やだやだするレオに、敬人は案の定美雪が納得していない状態でレオが突っ走ったのだと理解した。小さく口癖を零してため息を吐く。
 レオを無視した美雪は彼に言っても埒が明かないと思ったのか、楽譜を持つ敬人の隣に移動すると左手に持つペンを走らせた。レオが目を吊り上げる。

「馬鹿! 勝手に書くな!」
「……スランプなら全部私に任せておけば良いのに」
「な、なんでスランプのこと知ってるんだよ……ってか、もう脱却したから! お前に任せたらおれの曲が変になる!」
「……今の方が変です、お粗末」
「誰がお粗末だ! 大体、今回みたいな曲はおれの方が得意だろ! お前は短調が得意なんだからValkyrieでドスーンズドーンってやってろ!」

 美雪は勝敗には興味がないと言っているが、これにはカチンと来たらしい。確かにValkyrieをメインに作曲しているだけあって、美雪は短調の曲を作るのが得意ではあった。しかしだからと言って長調の曲が不出来なわけではない。

「……じゃあ貴方は長調でピーヒャラピーヒャラやってれば」
「ぴ──ハアッ⁉」
「今のはお前が悪い」
「なっ、なんで!」

 敬人が窘めるとおにぎりを食べ終わった颯馬が「うむ」と頷いた。

「先に言ったのは月永殿である」
「ああ。目には目を、歯には歯をって言うもんな」
「ちっくしょう……お粗末って言い始めたのコイツなのに……」

 レオは自分の味方をする人間が居ないことに肩を落とした。レオの拘りを察した美雪は柔軟に対応しようと提案する。

「……わかりました、妥協しましょう。二十二小節目だけ修正します」
「駄目だ」
「…………」
「な、なんだよ。また縛り付けて針飲ませようとするのかっ?」

 妥協案に頷かないレオをじっと見つめた美雪は諦めたように目を逸らした。

「……はぁ。もう良いわ」
「えっ」

 自分に興味が失せたように背を向ける美雪にレオは焦り始める。嫌われたくはない、という思いがあった。レオは慌てて美雪の前に回り込む。

「わ、悪かったって……そんな臍曲げることないだろっ?」
「……」
「ンン、あぁぁ分かったよ! ほら、やりたいならやれ! 好きにしろ!」
「……最初からそう言えば良いのに」
「アアッ⁉」

 レオは先程は無理矢理押し付けた敬人から楽譜を奪い取ると美雪に差し出した。複数か所にペンを伸ばす美雪に、レオはビュッと楽譜を引き抜いて抗議する。

「おい! 二十二小節目だけって言っただろ!」
「……好きにしろって言いました」
「おまっ、揚げ足取るのばっか上手くなってんじゃねーよ!」
「……貴方が不注意なだけです」
「ぐぬぬぬぬぅッ!」

 美雪はレオが取り上げた楽譜の端を持つと最後の一音を記入し「……これで良いでしょう」と敬人を見上げた。

「……では、今から打ち込みます」
「おれもやる」
「……貴方は他にやることがあるでしょう。……アイドルなのだから、舞台に立ってください。私一人で事足りています」

 Knightsは今、桜河こはくを誘拐している。彼を人質にしALKALOIDに勝負を挑むことで、Crazy:Bを生かそうとする動きに少なからず不満を持っているファンの気持ちを代弁するという大きな役割を担っていた。それはビッグ3であるKnightsにしかできないこと。
 レオは美雪の言葉に大人しく引き下がり、打ち込みの作業は彼女に任せることにした。彼女と話し合いながら音を決めたいという気持ちもあったが、レオは彼女を信頼していた。

「……蓮巳先輩、人数分の楽譜を用意していただけますか?」
「ああ。すまないな、二人共。急に新曲を依頼してしまって」
「別にいーよ。すぐ作れるし」
「……紅月の出番は、もうすぐですか?」
「応。そうだ、月永、美雪ちゃん。握り飯が余ってんだ、食うか?」
「お、良いのか? じゃあ貰う〜♪ 腹が減っては戦は出来ぬってな」

 紅郎の誘いに乗ったレオは、彼の隣に椅子を出して座ると颯馬からおにぎりを受け取った。

「……私は結構です」
「ちゃんと食えよ? 斎宮が心配するからな」
「……最近は、食べている方だと思います」
「そうかい。なら良いんだけどよ」

 そう言う割には相変わらず折れてしまいそうな足をしていると紅郎は思った。無理に食べろ、と言われ続けるのも彼女にとっては酷だろう、とそれ以上は言わなかった。
 レオがおにぎりを頬張ったところで、美雪のスマートフォンに着信が入った。これから音源作成に入らなければならないこともあり、先輩四人に「失礼します」と断りを入れると楽屋を出た。

「……もしもし」
「お嬢様、例の二人を発見しました。捕縛する形で宜しいですか?」
「……あまり乱暴にしないでね。話を聞く耳を持たずに逃走するようなら、仕方ないけれど」
「畏まりました。……それと、何やら不審な人物が付近にいるのですが」

 電話の相手は執事だった。美雪は壁に凭れる。

「……不審な人物」
「はい。やたらと暑苦しい男が『流星レッドが参上した』と騒いでいます。もう一人は……揺れています」
「……ああ」

 執事が不審に思った人物が誰なのか、美雪の頭にはすぐに浮かんだ。

「彼らも例の二人を追っている様子なのですが、如何致しましょう」
「……二人を捕まえたら、彼らに引き渡して」
「宜しいのですか?」
「……彼らに任せた方が、たぶん良い。協力してあげて」
「御意」
「……お願いね」

 美雪は通話を切ると、敬人に依頼された曲の音源を用意するために設備が整っている部屋に移動した。静かな空間で、パソコンの前に座って暫く打ち込みをしていると、再び着信音が鳴り響く。美雪は電話を取るとスピーカーに切り替え、作業をしながら相手と通話することにした。

「……はい」
「ハニー」
「……その呼び方、もう必要ありませんよね? 今、急ぎの作業をしているので手短にどうぞ」
「相変わらずつれねぇなァ」

 燐音はおちょくるようにして言ったと思えば、しんと静まった。美雪は彼が話すのを待ちながらデータを打つ。

「…………なァ、今更俺を連れ戻してどうなるってんだよ。お前らの都合で、俺を舞台に立たせるな。もう、御免なんだよ。これ以上アイドルを、俺の中のアイドルを穢したくない……嫌いになりたくない」

 力なく吐き出された言葉は段々と怒りを帯びて強くなっていく。燐音は自分にだけ向けていれば良かった感情をぶつけていた。破滅すれば何の未練もなくアイドルを辞められる、破滅すれば自分は故郷に戻らざるを得なくなる、そうすれば弟は都会で幸せに暮らせる。
 大好きだったアイドルを否定された燐音は声を荒げた。民衆に声を轟かすために利用し、傷つけたアイドルがいる。彼らが許しても、彼らを愛するファンが燐音を許さないだろう。燐音はそのために、自分が全ての罪を背負って消えようとしていた。それを連れ戻そうとする者たちの行動は、燐音にとって『余計なこと』だった。

「……一つ、訂正します」
「……何だよ」
「……私が連れ戻したいのは椎名さんであって貴方ではありません」
「──へ?」

 不意打ちされた燐音は間抜けな声をあげた。

「……椎名さんがアイドルを辞めるなら、私のお家でシェフになって貰う予定でした。……だから、勝手に貴方の故郷に連れて行かれては困ります」
「え、い、いや。俺が無理矢理連れて来たんじゃなくてニキが自分から……」
「……貴方はついでに連れ戻すだけです。……貴方と話したいって言っている人が、沢山いますから」

 燐音は映像で見た弟の訴えを思い出し、口を噤んだ。美雪は静かになったスマートフォンに目を向け、作業の手を止めた。

「……辞めたいなら辞めれば良いと思います」
「……」
「……私、色んな人から『アイドルになれば良いのに』って言われて、結構鬱陶しいと思っています。なれないって言ってるのに、って。……だから、椎名さんが『アイドルを辞めたい』って言っているのは、それでも良いと思っていました。勿体ないとは思いましたけど……自由だから。アイドルに成るのも、アイドルを辞めるのも。貴方達にはそれが許されている」

 そう言うと、美雪はすぐに手を動かし始める。燐音の耳がマウスをクリックしている小さな音を拾った。

「……あと、少し怒っています」
「……?」
「……貴方は、私に作曲を依頼したとき、こう言いました。『自分たちが生き残るために力を貸して欲しい』って、『自分の声を聞いて貰いたい』って。……私、それなりに良い曲を渡したつもりです。……椎名さんが、アイドルも良いものだと、続けたいと少しでも思ってくれたらって。HiMERUさんが、HiMERUさんとしてではなく自分として歌えたらって。桜河くんが……真っ暗な部屋に戻らなくて済むようにって。……私、貴方たちが生き残れる曲を作りました」

 日和にホールハンズのデータを見せられたのはほんの一瞬の出来事だったが、美雪は彼らの写真や名前だけでなく、その下に書かれている詳細データも記憶していた。それに加えて燐音にCrazy:Bがどういう寄せ集めのユニットなのかを説明され、彼らが弱みを握られていることを知った。彼らがどんな事情を抱えているのか把握していた。

「……貴方が罪を背負うことで、他の三人はアイドルを続けられるかもしれません。でも、Crazy:Bでは無くなりますよね。私が作った曲の意味が無くなる。……『名波哥夏』の名前を公表しなかったのは、端からこういう結末にするつもりだったということですよね。『名波哥夏』が批判されないようにしたんですよね。……私、その説明、されていません。理由を聞いたのに、貴方にはぐらかされました」

 美雪は画面を見つめたまま、燐音が黙っているのを良い事に、彼女にしては珍しく話し続けた。

「……貴方、私に嘘を吐いたの? 嘘を吐いて、騙したの? 『生き残りたい』って、貴方の言葉では無かったの?」

 電話の向こうで、燐音は拳を握っていた。

「……だからね、私はとっても残念。……折角作ったのに、貴方が自分から破滅したらどうしようもない。こんな事なら、UNDEADに渡した方が良かったかしら? ……ダーリン。ねぇ、貴方に言っているのよ」

 美雪は最後の一音を埋め込み、楽曲を完成させた。スマートフォンのスピーカー機能を停止させ、燐音に伝える。

「……私と同じで、貴方に何の説明もされていなくて不愉快に感じている人がいます」
「……」
「……貴方と同じで、声を聞いて欲しいと思っている人がいます。貴方に、声を届けたい人がいます」
「……」
「……せめて彼らの声を聞いてください。……血の繋がったキョウダイは、仲が良いものなんでしょう?」

 耳元で響く美雪の声が燐音の胸を撫でた。荒波を立てていた燐音の心が穏やかに静まって行く。

「……いや、悪いヤツらも居ると思うぜ?」
「……前にも、そう言われたことがあります、『殺し合うほど仲の悪いキョウダイがいる』と。でも私、殺し合っているキョウダイを見たことありません」
「そりゃ人を殺しちゃアウトだろ」
「……私が知っているキョウダイは、結局は仲が良いように思います。愛だとか言うものの為に妹を閉じ込める兄は知っていますが、血は繋がっていませんから、キョウダイとは言えないのでしょう」
「何だよ、その複雑な家庭環境は……」

 燐音は首筋を掻いて長い長い息を吐いた。「早く行くぞ!」と腕を引っ張る千秋に適当な返事をして、まだ繋がっている美雪との電話に向けて言う。

「分かった。一先ずお前の言うとおりにしてやるよ、ハニー」
「……ええ。そうしてくださいまし」
「そこは『わかったわ、ダーリン♪』って返せよ」
「……もうそう呼ぶ必要はないでしょう」
「とか言っちゃって。さっきは呼んでくれたのになァ」
「切りますね」
「オイオイもうちょい名残惜しい感じを」

 データを出力し終えた美雪は敬人に渡すべく燐音との電話をぶつ切りにした。「……マジで切りやがった」と呟いた燐音は千秋と奏汰に抱えられ、会場に運ばれながら気絶している振りをした。

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