12

 てんやわんやのMDMが無事丸く収まって幕を下ろしてから一週間程度経ったある日のこと。夏休みを終え、学院は二学期がスタートしている段階。

 宗に手芸部室を任されたみかは昼間に眠りにくる美雪を守るために仕事がない日はほぼ常駐していた。最近は昼寝をしない日もある美雪だったが、みかはいつものようにやってきた彼女を招き入れ、ベッドに促す前に採寸を強請った。
 みかは宗の期待に応えるためにも自分で新たな衣装を制作しようと考えていたのだが、どうにも筆が進まず、宗が「氷室を見ているだけで湧き上がるものがあるだろう」と発言していたことを思い出し、彼女に衣装を作ろうとすることで稲妻のようなインスピレーションを得ることができるのではないかと思いついたのだ。

 みかが指をちょんちょん突きながら「あの……採寸しても、ええかな?」と尋ねると、美雪は悩む素振りも見せずに了承した。女の子の体に触れる、しかもそれが美雪となると、みかは「たかが採寸」と心に言い聞かせても緊張と罪悪感を払えずにいた。メジャーを伸ばして美雪の腕に当て測っている最中、みかはふと疑問が浮かぶ。

(お師さん、よう美雪ちゃんに服作っとったけど、あれって採寸……してたんかな。お師さんのことやから美雪ちゃんにピッタリにしとったはずやけど、お師さんが美雪ちゃんの採寸してるとこ、見たことないような気ぃするわ)

 みかは美雪の腰に腕を回してウエストを測ろうとした。髪から甘い香りが漂い、みかはそれを余すことなく吸い込んだ。尊敬している芸術家に似てきているのは言うまでもない。
 去年、宗が近くにいるからという理由で遠慮がちなみかだったが、彼が居なくなった途端に美雪をとことん甘やかし二人っきりの時間を堪能している。

「お師さんにも採寸してもろた事あるん?」
「……いえ」
「え、そうなん? でもドレスとか作ってもろてるやろ? あれピッタリやんな?」
「……そう、ですね」
「…………」

 みかは悟った。

(あ、これお師さん、美雪ちゃんが寝てる間に採寸したヤツや)

 寝ている間に守っていたはずの男に何をされていたのか。宗は彼女の愛するあまり暴走して脇を舐めたり脱がせようとしたりしていたため、採寸していたという事実は軽いように感じてしまうみかだった。

 順繰りに測っていくみかだったが、最後の部位には勇気が必要だった。胸囲だ。採寸するということは美雪のスリーサイズを把握するということだが。

(お師さんを差し置いて……って思っとったけど、お師さんも美雪ちゃんが寝とる間に無許可でメジャー巻き付けとったなら、えっか)

 開き直って美雪に向き合ったところで、みかはふと違和感を覚える。

「……んん〜? んあ〜? んあ、あ〜?」
「……何か?」

 まじまじと胸囲を見つめ続けるみかに美雪が尋ねると、みかはビクッと肩を跳ねあげて目を泳がせた。

「い、いや、大丈夫やで? 大丈夫……うん、えっと」

 口では「問題ない」と言っておきながら、みかはチラチラと美雪の胸を盗み見ていた。
 みかの勘違いではなければ、美雪のそこの膨らみは以前よりも増している。慎ましかったはずだが丸みを帯びて、少しの出っ張りを見せていた。
 鼻から大きく息を吸って全身に新鮮な酸素を回したみかは、肩を落としながらゆっくり吐き出した。ゆでだこのように赤くなっている彼はメジャーを引き出し、改めて美雪の前に立つ。

「えーっと、つかぬ事を、伺いますがぁ」
「……はい」

 震える手で美雪の背中にメジャーを通したみかは不自然な敬語を話し始める。

「その、美雪ちゃんは、下着って……えっと、サイズ、いや、ん、んあ〜……」
「……下着のサイズですか?」
「ゆゆゆ言わんでええで⁉」
「……いつもメイドに任せているので、把握していません」
「あ、そ、そうなん?」
「……この間、『そろそろ変えましょうか』と言われました」
「へ? 何を?」
「……下着をです」
「や、やっぱり……!」
「……やっぱり?」
「あ、ああ、いや。あはは……」

 下着を替える、ということは下着自体に寿命が来た可能性と、下着を着用している人物の胸が成長したという可能性があるが、みかは自分の憶測が合っているのだと確信した。宗は2winkの双子をたった数ミリの髪の長さで見分ける目の持ち主だ、みかもその影響を受けている。つまり、みかの色違いの目が捉えている美雪の胸の大きさは、明らかに以前とは異なっているのだ。

「んあ? 美雪ちゃん、おねむ?」
「……すみません、少し」

 メジャーを合わせてバストを測ったみかが美雪の顔を覗き込む。美雪は瞼が重たくなっているのか、額に手を当てて謝った。その顔色はいつもより白い。

「ええって。もう採寸終わるから、おねんねしよな」
「…………はい」

 みかはメジャーを片付けると美雪の手を取ってベッドに導こうとした。彼女の手の冷たさに、みかは思わず指先を観察してしまう。真っ白で、いつも体温が低い彼女だが、今日の冷たさは異様だ。みかは血がちゃんと通っているのか心配になる。

「……美雪ちゃん、ちょっとおでこ、ええ?」
「…………はい」

 こくんと頷いた彼女の額に手を伸ばしたみかは「うむむ」と頭を悩ませる。特に熱さは感じない、平熱──彼女にとっての──のようだった。みかは手を下げて彼女の頬や首元にも触れてみるが結果は変わらなかった。

「冷房の効きすぎかもしれんなぁ……一旦消そか」

 美雪をベッドに寝かせたみかは教室の壁に設置された冷暖房のボタンを押し、冷房の供給を止めた。

「ちょっと外出るけど、すぐ帰ってくるさかい」

 みかはスマートフォンを持つと美雪にそう声を掛けて手芸部室を出た。美雪は静かになった部屋でシーツにくるまり、重たい体を憂欝に感じながら目を瞑った。
 廊下に出たみかは美雪だけ残した部室に誰かが入らないようにするため、部室の扉の対面の壁に寄りかかった。スマートフォンを耳に当て、相手の男が出るのを待つ。

「──あっ、お師さん? 今ええかな?」
「何かね……朝っぱらから」
「んああ、ごめんなぁ。でも、お師さんに伝えなあかんって思て……」

 パリは朝の五時頃だった。みかの電話に起こされた宗は、みかに聞こえないよう欠伸を嚙み殺し、要件を尋ねた。

「それで? 何だ」
「あんなぁ、心して聞いて欲しいんやけど」
「……?」
「美雪ちゃんのおっぱいが──大きくなっとるんよッ!」
「おっぱ……──おッ⁉」

 寝起きの宗はみかの言葉を処理するのに時間がかかったらしい。漸く内容を理解した宗はベッドから起き上がろうとして倒れ込み、ドタバタと音を立てる。

「さっき採寸しようとして、なぁーんか変やなって思ったんやけど」
「……待て。氷室の胸部を注視したのかね?」
「やってぇ……というかお師さんにとやかく言われとぉないで?」
「君は最近ほんとうに反抗的だね……」

 今までの自分の奇行を棚に上げて責めてくる宗に、流石のみかも反論したくなったのだろう。みかは腕を組んで電話の向こうにいる宗を問い詰める。

「お師さん、美雪ちゃんが寝てる間に勝手に採寸してたやろ」
「な、何故それを……⁉ 僕は確かに氷室と二人っきりのときに採寸したはず……!」
「すぐボロ出すやん。よう美雪ちゃんにお洋服プレゼントしとったから、そうなんやろなーって思っただけやで。……流石に服の上からやったんよな?」
「も……勿論だ」
「……なんでどもるん」
「どもってなどいない」
「どもっとったで。で、脱がしたんか?」
「脱がし……たい、と、思ったことはあるが、実行は出来ていないのだよ。僕のダイヤモンドの理性で全て未遂に終わっている」

 みかは密かに(ほんまかなぁ……)と思う。彼の言うダイヤモンドの理性はガラスか、あるいは豆腐の理性ではないかという疑いがみかの中であった。彼は美しいもののことになると箍が外れる、美雪なら尚更だ。
 宗はわざとらしく咳ばらいをしてみかに告げる。

「良いかい、影片。女性の胸が膨らむのは第二次性徴の特徴の一つだ。つまり氷室は第二次性徴が始まったと言って良いだろう。あの子は栄養が足りていないし高校生になるまで満足に陽の光も浴びていなかったようだから、平均よりも遅れているのだろうね。体の変化に戸惑うかもしれないから、君が支えてあげるんだよ」
「おん。わかっ」
「あと氷室のバストサイズを教えたまえ」

 みかの顔からストンと表情が落ちる。

「僕も把握しておかなければね。君だけ知っているのは狡いだろう。ああ、バストが大きくなったということはヒップも変動があるかもしれないな。そっちも教えたまえ」
「セクハラなんよなぁ……」
「なっ、ぼ、僕はそんなっ、性的な目で氷室を見ているわけでは……!」
「ほんまかなぁ……」
「せ、成長は喜ばしいものだろう!」
「……お師さんも男の子やもんな。おっぱい好きなん?」
「やめろ‼ 氷室の胸は『おっぱい』などという単語で語られて良いものではない‼」
「やめてや‼ お師さんは『おっぱい』なんて言わん‼ あとおっぱい舐めんなや‼」
「ど、どういう憤り方をしているのかねっ⁉」

 自分が発した単語を宗が言っただけで解釈違いを起こしたみかに宗が戸惑っていると、みかの耳が部室内の物音を拾った。ガタン、と何かが落ちたような音だった。みかはサッと顔色を変えて電話口に言う。

「ごめん、お師さん。一旦切るわ」
「? あ、ああ。わかったよ」

 通話を切ったみかはスマートフォンを片手に手芸部室の扉を開いた。覗き込むと、美雪のために宗が用意したベッドの下に、美雪が蹲って倒れ込んでいた。

「──美雪ちゃん!」
「……ぅ」

 血相を変えたみかが駆け寄って背中を撫でる。彼女はベッドから落ちてしまう程に寝相が悪いわけではない。

「だ、大丈夫? どっか痛いん……?」

 みかは苦しそうに表情を歪めている美雪に触れて良いものか困り果てていた。こんなことなら宗との通話を切らずに彼から助言を得られるようにしておけば、と後悔しても遅い。
 美雪から視線を逸らしたことで、みかはベッドの上の赤に気が付いた。

「──血?」

 デュベについているのは血液だ。みかは今度こそ血の気が引く。美雪が何処か怪我をしているのか、吐血をしたのか。どちらにせよ保健室に行くか、救急車を呼ぶか、宗にまた連絡するか。みかはグルグルと頭と目を回していた。

「んああっ、どないしよ……! お、お師さんに電話……いや、佐賀美先生のとこに……きゅ、救急車? あ、執事さんに連絡……あ、あかん! 何が正解なんかわからん!」

 ワタワタと慌てふためく彼の足元で、美雪は浅く呼吸をしていた。みかはぎゅうっと唇を噛んで彼女を守らなくてはと頭を振り、冷静になろうとする。スマートフォンを握りしめ、どの番号にかけるべきなのか睨んでいると上から何かが降ってきた。
 人だ。天井から人。

「えっ? あ、あんた、今どっから……」

 狼狽えるみかを無視して天井から現れた人──礼瀬マヨイはデュベを引っ張り、美雪を包むと抱えて立ち上がった。

「代谷さんに連絡を。私は美雪さんを彼の元まで運びますっ」
「……え」
「お願いしますね……!」

 みかに執事への連絡を任せたマヨイは手芸部室を飛び出した。
 マヨイは走りながら腕の中の彼女に目を落とす。小さく呻く彼女に、マヨイの腕には力が籠もった。今度こそ彼女を助けなければと、マヨイはその意思に突き動かされていた。

「だいじょうぶ……大丈夫ですよ。大丈夫」

 自分に言い聞かせているようにも聞こえる言葉に、美雪は薄っすらと目を開けてマヨイの顔を見上げた。

***

「初潮です」
「…………」
「……しょちょう?」

 病院の待合室。ソファに座って待っていたみかとマヨイの前に現れた執事が放った言葉にマヨイはポカンと口を開けた後、合点がいったと納得したように頷いたが、みかはキョトンと目を丸くして首を傾げる。

「しょちょうって……事務所とかの? 所長さん?」
「いいえ。はじめて迎える生理のことです」
「せいり……──えっ、生理⁉」

 意味がわかったみかはギョッとして執事を見つめた。執事は目を瞑って静かに頷く。

「お嬢様は発達が非常に遅れておりますから。一般的に初潮を迎えるとされる平均体重を満たしてはいないのですが、この頃普段よりも食事を摂取するようになったお陰か、体が急激に成長しようと働き始めたようで……負荷がかかったのかと思われます」

 美雪の体の変化をつい数時間前に感じ取っていたみかは執事の説明に納得がいった。執事は綺麗なお辞儀を披露する。

「影片様、ご連絡ありがとうございました」
「い、いや。おれは礼瀬くんに頼まれてやっただけで……おおきに。礼瀬くんがおらんかったら大変なことになっとったかもしれんわ」
「い、いいい、いえいえっ。わ、私は責務を全うしただけと言いますか……!」

 みかに礼を言われたマヨイはブンブンと手を振って謙遜した。

 みかが連絡し、美雪を抱えたマヨイが執事の元に彼女を届けると氷室財閥によって呼び出された救急車が到着していた。結果は病気ではなかったわけだが、広々としたロビーに残されたマヨイとみかは気が気ではなかった。
 体中を隅々まで調べられた美雪は個室に居るらしい。念のために検査をされ、今は薬が効くまで安静にしていなければいけないようだ。みかとマヨイは執事に病室へ通される。

「大丈夫?」
「……ええ、すみません。大事になってしまって」
「美雪ちゃんは丁重にせなあかんし、女の子の体の神秘やもん。大事にして当然やで」

 体を起こそうとする美雪を止めたみかは、横に用意されている椅子に腰を下ろした。マヨイもそれに続き、控えめにお尻を乗せた。

「体、辛くないん?」
「……はい。だいぶ落ち着きました」
「ほっか。……その、執事さんとかから言われたかもしれんけど、毎月来るもんやから。ほんで人によっては辛かったりするみたいやから、体調悪かったら無理せんで言ってな?」
「……はい」

 デリケートな話題だからと、みかは深く踏み込まないよう配慮しながら伝えた。素直に頷いた美雪は、みかの隣に座るマヨイに目を向ける。視線が絡んだマヨイはビクッと跳ねて「あうあう」言いながら挙動不審になった。

「……礼瀬さん」
「は、はいぃ」
「……代谷から聞きました。貴方が、アイドル科で私のことを見てくれていたって」

 マヨイの体温がぐっと上昇した。一気に額に汗が滲んで焦っているマヨイに気づかず、美雪は続ける。

「……変だと思っていたんです。……アイドル科には一人で行きたいって、通らない我儘だと思ったのに、あっさり承諾されてしまったから。……そうは言っても、護衛が後をつけているんだろうと踏んではいました。……でも、貴方だって、知らなかった」
「……あ、す、すみません」
「……何故、謝るんです?」

 塩をかけられたナメクジのように縮まっていくマヨイをみかが心配そうに見つめていた。マヨイはズボンを握りしめて不安定に揺れる声で告白する。

「わ、私は……貴女に何かあったら守るように言われていたのに、その役目を碌に果たせていません。……今まで、アイドル科で危険な場面があったでしょう? 私は本来なら、その度に貴女の盾にならなければいけなかった、守らなければならなかった。それなのに……足が竦んで、動けなくて」
「……? 貴方は氷室の使用人ではないのだから、私を守らなくて良いと思います」
「へっ、あ、えぇ?」
「……それは代谷の役割。貴方は、私の身に何かあったとき、代谷に知らせるだけで良いんです」
「そ、そうです、かね? そうかも、しれませんけど……でも、私は……」

 言われてみれば、確かに執事の代谷に「美雪を守れ」とは言われていなかったと思い返すマヨイだったが、だからと言って目の前で襲われ傷つけられそうになっている彼女を見ているだけだった自分に不甲斐なさを感じずには居られなかった。見ていたのなら、何かやれることがあったのではないかと後悔し続けてきた。今日動くことができたのは、それまでの積み重ねがあったからだろう。

「……私、本当なら執事に仕えられるような器ではないんです」
「え?」
「……だからね、貴方が気に病む必要はないんです、礼瀬さん」

 氷室の執事が仕えるべきは氷室の血筋の者、義理の兄に連れて来られた美雪はそれに値しない、というのが美雪の考えだった。数年前から氷室の娘として教育を受けた彼女は、そう振る舞わなければならないと分かっていても考えを改めることはなかった。
 もじもじと指を触っているマヨイをしっかり視界に収めた美雪はふっと口角を上げた。

「……でも、いつも守ってくれて、ありがとう」

 薄く微笑まれたマヨイの目に熱が集まっていく。マヨイは涙を流すまいと必死に瞬きを堪え、目に浮かんだ水が乾くよう念じた。

「……貴方もアイドルとして忙しいでしょうから、ご自分を優先してくださいまし。……どちらにせよ、貴方も影片先輩もご卒業されるから、来年は護衛をつけることになるはずなので」
「んあ〜……美雪ちゃんもパリに来ん? 三人で暮らすの、おれの夢なんよ〜」
「……難しいと思います。私は一生、海の外へは出られないでしょうから」
「えぇ〜、寂しいわぁ。ずっと三人で一緒がええのに」

 暫くして、美雪の体調に変化がないことがわかると、彼らは学院へと戻ることとなった。はじめて氷室の送迎車に乗ったマヨイは壊れた洗濯機のようにガタガタと震えていた。

「……今度、月永先輩に聞いてみます」

 アイドル科の前に到着すると、下車するマヨイの背中に向かって美雪が言う。

「……私も、ALKALOIDに作曲して良いかって。お礼にね」
「へ」
「……それでは、御機嫌よう」
「御機嫌ようさん〜♪」

 車窓が閉じていく。茫然としているマヨイの横で、みかは小さくなっていく送迎車に手を振った。

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