13

 筋トレを終えたジュンが事務所に顔を出すと案の定、茨が昼間と変わらない姿勢でパソコンに向かい、仕事を処理していた。ミネラルウォーターを持ったジュンは彼の隣の席に許可を得ることなくドカッと座り込む。茨は言いたげな視線を向けたがそれも一瞬のことで、彼らの距離感は去年と変わっていることが窺える。

「最近」
「唐突に切り出しますね、何です?」

 ジュンはペットボトルを開けて一口飲んだ後に切り出した。茨は突っ込みを入れつつ続きを促した。

「美雪さんがよく、サクラくんの話を振ってくるんすよ」
「サクラくん」
「ほら、オレの同室の」
「ああ、桜河氏ですか」

 『サクラくん』が誰だったか思い出そうとした茨が復唱するとジュンがすかさず答えを述べる。茨は相槌を打ってパソコンのキーボードを叩いた。よく人と話しながら仕事をできるものだ、とジュンは思う。

「何故、美雪さんが彼の話を?」
「さぁ? 『部屋ではどう過ごしているのか』とか、『彼が一人で出来ないことはないか』とか、質問攻めを喰らってます」
「……他には?」
「ほ、他?」

 突然、険しい顔で睨んでくる茨にジュンはたじろぐ。茨の質問に早く答えようと頭を回転させた。

「そうっすねぇ……シナモンとかで仲良さそうにしてるの見ましたよ」
「……美雪さんから、桜河氏に接近しているのですね? 積極的に」
「積極……まあ、積極的と言えば積極的ですかね。サクラくんが甘いものが好きって教えたら、和菓子の詰め合わせを買ってあげてたくらいですし」
「……」

 キーボードから手を放して深刻そうに考え込む茨の姿に、ジュンは自分が何か不味いことを言っただろうかと心配になるが、茨がそのような反応を示す理由が彼にはわからなかった。ジュンなりに、彼の心境を考えてみることにした。美雪がこはくに絡んでいることで、何か茨にとって不都合なこと。

「あ、もしかしてやきもち」
「違いますけど?」
「否定が早いっすね、図星ですかぁ?」
「ち・が・い・ま・す」
「ムキになってると更に怪しいっすよ」

 これ以上否定してもジュンを喜ばせるだけだと分かった茨はフンと息を吐いて腕を組んだ。

「答え合わせと行きましょう、ジュン」
「はい?」
「桜河氏の髪の色は?」
「髪? ……ピンクっすかね」
「目の色は?」
「……紫?」
「話し方は?」
「話し方? さっきから何なんすか」
「いいから」

 質問を返すことは許さないと言いたげな茨にジュンは大人しく従った。こはくの話している言語について思考を巡らせてみる。

「……あれは、何処の言葉なんすかねぇ。京都なのか神戸なのか……京都寄り? あっちの人は関西弁って一括りにされると怒るって聞いたことある気がするんすけど、オレはよくわからないんで関西弁としか」
「では斎宮氏の髪と目の色は」

 続けざまに尋ねられたジュンは、ここで何故いきなり宗の名前が出てくるのか分からずに首を傾げた。一先ず茨に尋ねられた通りに宗の顔を思い出す。

「……ピンクと紫っすかね」
「影片氏の話し方は?」
「……関西弁?」

 ジュンの言葉を皮切りに茨が唐突に立ち上がって指を鳴らした。謎の迫力に気圧されたジュンはソファに座ったまま茫然と見上げる。

「Q.E.D.」
「はい?」
「謎はすべて証明されました。ご苦労様です、ジュン。お手柄ですよ」
「はぁ……いや、あの、何が何だかさっぱりなんすけど」

 ただ世間話をしに来たようなもののジュンとしては、茨の機嫌が良くなったのは良いとして腑に落ちない。ルンルン気分で腰を落ち着けた茨は吊り上がった口角を隠すことなく、ジュンに解説を始めた。

「話題になった、美雪さんの好みの男性の話ですよ」
「ああ。……ん? 好みの『男性』でしたっけ。好みの『顔』じゃなくて?」
「細かいことは良いんですよ」
「いやそこ重要だと思いますよぉ?」

 茨は宗にその話をする際に尾鰭をつけていたことを忘れて話し始めた。たった一単語違うだけで深みが随分異なる、とジュンが訂正しようとしても無視だ。

「斎宮氏にCrazy:Bの中に美雪さんの好みの男が居るとお伝えしたところ、ヒントをいただきましてねぇ」
「ヒント? 見当がついてるってことっすか?」
「ええ、それはもう嫌味ったらしく言われましたよ。『あの子の考えていることくらい手に取るようにわかる』とね。あの閣下ですら彼女の思考を『わからない』と言うことがありますから、威勢を張っただけの虚言だと聞き流していたのですが。今のジュンの話を聞く限り、あながち間違いではないのかもしれません」

 魂の繋がりがある凪砂ですら彼女のことを全て理解できているわけではない。別の個体なのだから当たり前だ。相手の考えていること、相手自身のことを全て理解できる者は居ないだろう。自分を通して、相手を見ているのだから。

「斎宮氏が言うには、Valkyrieのお二人を足して二で割ったような人物が、美雪さんの好みだと」
「あの二人を足して二で割るぅ? 偏屈の塊の出来上がりじゃないっすか」
「おお、ジュンも結構言いますねぇ。今の録音しておけば良かったなぁ。お二人に聞かせてあげたいものです」
「大体そんな感じになるでしょうがよ。どの成分を抽出するかにもよるんでしょうけど」

 みかは宗に比べると柔軟で温厚なイメージを持たれているが、そんな彼でも制御が難しい部分がある。宗と行動するあまり、宗を敬愛するあまり、彼を取り入れてしまっているのだろう。ジュンはValkyrieの二人を合体させたらとんでもない我が侭モンスターが生まれると想像していた。
 茨は制御不能なValkyrieの二人を自分に代わって愚痴ってくれるジュン──本人にそのつもりはない──に対して満足気だった。

「──あ、それでサクラくんってことっすか」

 ジュンは漸く茨が言いたいことを理解することができた。
 彼は先程、『どの成分を抽出するかによる』と言った。それと同じことが起きており、ジュンは二人の性格を混ぜて割ろうとしたが、茨はそうではなかったということだ。

「ええ。斎宮氏は桜河氏と見た目が似ています」
「系統は違いますけど、カラーリングは一緒ですね」
「そして影片氏も桜河氏も関西弁です」

 宗の見た目の要素とみかの話し方の要素を兼ね備えたこはくは、二人を足して二で割った男に適していると茨は言いたいらしい。
 ジュンが納得して頷いていると、彼らのいるガラス張りの部屋の外を歩く人影が見えた。
 噂をすれば影が差す。美雪とこはくだった。

「……桜河くん、待って」
「しつこいぞ、おんどれ」
「……出た、おんどれ。アンドレみたいな言葉……カンプラのことを言っているの? それともカルディナル・デトゥーシュ? エルネスト=モデスト・グレトリ?」
「う、あ〜ぅ、わかる単語で話さんかい!」
「? ……アンドレが訛って『おんどれ』になっているのかと思ったんだけど……違う? ……あ、上手く話せないの?」
「ぬしはん、わしを煽っとるんか?」

 早足に立ち去ろうとするこはくを美雪が追いかけているようだ。美雪はこはくの発する「おんどれ」という言葉の意味を理解できずに尋ねているが、こはくは彼女の出すカタカナ単語の羅列に参っていた。全て作曲をメインに活動していた音楽家の名前である。欧米は日本に比べて些か名前のレパートリーが少ない。故にアンドレが何人も出てきてしまう。

「暇なんか? いつもいつもわしを見っけたら追っかけてきて……」

 こはくと初めて会った日にやたらと彼の世話をしたがった美雪は、あれからもこはくを見かける度に声を掛けていた。今まで年上や同い年に可愛がられていた反動だろうか。ジュンに彼の普段の様子を聞いていたのも、彼と親しくなるためだったと言える。

「……暇ではないと思うよ。今、Valkyrieの次のお仕事の曲を作ってるから……ネヴァーランド杯っていうの。なぁくんと日々樹先輩も出るって言ってた」
「ほー。忙しいんならさっさと作曲に戻ったらどうなん?」

 構われ過ぎた結果、こはくは彼女のことを鬱陶しいと思い始めていた。長い間座敷牢で過ごしていたとはいえ、彼女はこはくのことを幼児か赤子のように扱っている。いくら外に出られずともネットと繋がりがあった彼としては、彼女の方が余程世間知らずの幼女に見えていた。自分はお前に世話をされるほど小さくはないぞ、と反発するために素っ気ない態度を取っている。

「……桜河くん、洋菓子も好きだよね? マカロン、買ったの……Valkyrieのお二人が少し、揉めていたみたいだから、元気が出れば良いなって思って……買いすぎちゃったから、桜河くんにもあげる」

 美雪は手に持っていた箱を開けてこはくに差し出した。こはくに会う前に凪砂に出会い、彼に何個か渡したお陰で中身はいくつか減っている。お菓子を出されたこはくは一瞬だけ目を輝かせるが、餌付けされている子どもじゃあるまいし、とすぐに引っ込めた。

「……何味が良い? いくつ欲しい? ……箱ごとあげようか、HiMERUさんもスイーツ会だものね。彼にもあげて」
「…………」
「……どうしたの? 要らない?」
「……貰ってええなら、貰うけど」
「……良いよ、どうぞ」
「……おおきに」

 氷室の令嬢が持ってきたマカロン、やはり高価なものだろう。そもそもマカロン自体が高級なお菓子だ。がめついようにも思えたが、こはくは彼女が押し付けてくるならと受け取った。

「やあやあ! 珍しいお二人ですねぇ! 今日も大変良いお日柄で……☆」
「……七種さん、御機嫌よう」
「ええ、御機嫌ようであります!」

 部屋から飛び出して二人を追いかけて来た茨が敬礼をした。ジュンが後ろで「どうも」と会釈をしてきたため、こはくもそれに倣う。

「出会って早々申し訳ないのですが、美雪さん。桜河氏をお借りしてもよろしいですか? なあに、一瞬のことですよ。すぐにお返ししますので!」
「おい、物みたいに扱うなや。わしは氷室のもんではない」

 反発するこはくだったが茨に「まあまあ!」と部屋の中に促され、大人しく従った。ジュンは美雪を一人にするわけにはいかないと廊下に残り、世間話をすることにした。

 コズミックプロダクションのある一室。壁があるとはいえ外には超人並みの聴力を持つ作曲家がいるからと、茨は声のボリュームを落とした。

「いいですか桜河氏。今から貴方に重要な任務を与えます」
「……なんや」

 真剣な眼差しの茨にこはくは固唾を飲んだ。まさかこれから、何者かを消すために暗躍しろ、と脅迫されるのではないかと身構える。

「貴方は美雪さんに気に入られています」
「……ん?」
「その理由は、貴方の顔です」
「え? わ、わしの顔?」

 拍子抜けしてしまったこはくは戸惑いながら自分を指さした。茨は大きく頷く。

「ええそうです。そのキュートなお顔です」
「いや、ぬしはんに言われとぉないけど」
「俺の何処がキュートですか」
「目デカいやん」
「それほどでも」
「褒めてへんけどな」

 軽口を叩き合ったところで茨は本題に戻る。

「自分は美雪さんをコズミックプロダクションに引き入れるために様々な策を巡らせています、あの面倒な……厄介なValkyrieを招いた理由の九割は美雪さんです。ValkyrieとEdenが居るのですから、美雪さんが事務所の所属の選択を迫られたとき、コズミックプロダクションを選ぶことはほぼ確定だと思って良いでしょう。ですが万が一に備えて、もう一枚カードが欲しいと思っていたところなんですよ。それが貴方です」
「は、はぁ……」

 美雪は初対面のときこはくに、自分と境遇が似ていると語った。こはくはそのことから彼女が自分に構ってくるのかと思っていたため、不意打ちを喰らった気分で顔を触っていた。

「美雪さんに気に入られている自覚を持って、彼女を出来るだけ惹きつけてください。そして彼女が望むなら相手をして、機嫌を損ねないように。美雪さんはお世辞でも冗談でもなく魅力的な女性ですから、多くの男性が貴方を敵視することでしょう。ですが夏にあれだけの批判を喰らい、普段から殺気にも慣れている貴方なら平気ですよね」
「……わしに拒否権はないんやろ?」
「よくお分かりで」
「痛いくらいに理解しとるわ」

 ハニートラップのようなものだろう。やったことはないが、その一環だとこはくは理解した。美しさの権化のような彼女に、自分の色仕掛けが通用するだろうか、と思わずには居られなかった。

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