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 プロデューサーからオーディション用の台本を受け取って目を通したHiMERUの頭に一番に浮かんだのは美雪の顔だった。

 森の奥深くに位置する白亜の館。そこで過ごす幼い令嬢と、令嬢をお世話し護衛する役割を与えられた五人の執事の物語、『真夜中のBUTLERS』。
 令嬢は設定では七歳──物語中で誕生日を迎える──とされているが、美雪も令嬢と呼ばれる身分にあることをHiMERUは把握していた。彼女が幼い子どものように行動する一面があることも同様に。

 『HiMERU』は特殊なアイドルであるため、誰かの真似をし、誰かに成る『演技』が得意だった。五人の執事にはそれぞれの色があるが、HiMERUは「どの執事をやれ」と言われても卒なく熟せる自信があった。

(──ですが、これを利用しない手はないでしょう。名波さんにアプローチをする良い機会です。HiMERUがソロで活動するための曲を請う為にも、彼女と関わるのはプラスになるはず。シナモンで漸く出会えたと言うのに肝心の名波さんは桜河に夢中で、真面目に仕事の話をできませんでしたから。……あそこに天城や椎名が居るのも良くありませんね。天城は名波さんに馴れ馴れしいですし、椎名も名波さんに懐かれている様子で……──邪魔だな)

 一応は仲間であるCrazy:Bのメンバーにかなり辛口のHiMERUは、台本を片手に歩き出す。美雪の居場所を推測し、候補に挙がった場所を虱潰しに当たって行くつもりだ。彼の推理によれば彼女が今日ESを訪れているとすると、居場所はコズプロの事務所か、あるいはカフェ・シナモン。そのどちらでも無ければ彼女と行動している可能性が高いであろうこはくに連絡すれば、彼女の足取りを掴むことが出来るだろう。

 彼女がコズプロの事務所の、副所長によって立ち入りを禁止されているある一室──凪砂と文字通り密接になるための部屋だ──に消えていくことがあると小耳に挟んだことのあるHiMERUが向かうと、事務所にはこはくの姿があった。

「──桜河」
「ん? ああ、HiMERUはん。どないしたん?」
「名波さんを探しているんですが、今日は見かけていませんか?」
「なんでわしに聞くん」

 こはくは口を曲げてじとりとHiMERUを睨んだ。自分よりも精神年齢の幼そうな彼女に子ども扱いされて辟易しているのをお前は知っているだろう、という恨みの籠った目だった。HiMERUはこはくがプリプリしているのが面白く、自然と笑みが零れていた。更に目を吊り上げていくこはくをからかうように言う。

「桜河は彼女と親しいでしょう?」
「……この間地雷踏んでから会ってへんわ」
「──地雷?」

 HiMERUが首を傾げると、こはくは辺りを見渡して人の目がないか気にする素振りを見せた。

「……副所長に、美雪はんの『好みの顔』だか『好みの男』だかがわしや、って言われてな」
「好み……」
「わしらCrazy:Bの中にいるっちゅう話らしいで」

 こはくはHiMERUに手招きをして、彼の綺麗な顔が近づいてくると声のボリュームを落として内緒話をする子どものように囁いた。HiMERUは彼女の『好み』がこはくなのか、と耳を傾ける。

「せやから、美雪はんの機嫌を損ねないようにしながら誘惑して、コズプロとズブズブにするために誘導しろ〜って命令されて。わしはまんまとそれを信じて美雪はんに、まあ、ちょっとした〜……アタックみたいなこともしたんやけど」
「──ほう、アタックですか。聞いている限りはハニートラップの系統のようですが、どんな風にアタックしたんですか? 口説いたんですか?」
「な、なんでそんなに気乗りしてくんねん」
「興味があって」

 HiMERUがからかっているのだと気づいたこはくは肘でやんわりどついた。HiMERUは余裕の笑みで続きを促す。

「そんなわしの気苦労も水の泡になった。美雪はんの好みっちのは、わしじゃなかったんや」
「? 何故それが分かったのです?」
「それは……わしがヘマこいて」
「へま」
「さっき地雷踏んだ言うたやろ、それや」
「地雷とは?」
「……詳しく聞かんといて」

 美雪がこはくを避けているのではない。こはくがアヴェ・マリア以来、美雪を徹底的に避けるようになったのだ。こはくは茨に言われた『好み』が自分ではないなら、彼女に媚びを売る必要はないだろうと考えた。それに加えて、あれだけ構って来ていた美雪に「違う」と言われて臍を曲げてしまった。合わせる顔がないというのはこの事だろうか、とこはくは思う。

 苦い顔で目を逸らすこはくに、HiMERUはそれ以上追及するのは控えようと身を引いた。
 こはくが事務所に居て、彼女と気まずい状況にあると言うのであれば、彼女は此処には居ないのだろう。HiMERUはそう推理すると、こはくに声を掛けて事務所を出た。


 二つ目の候補のシナモンに行こうとHiMERUが廊下を進んでいると、あるレッスンルームの扉が開いていた。不用心に思ったHiMERUは扉を閉めようとドアノブに触るが、中から聞こえてくる声に手を止める。

「美雪さぁ、その棒読み何なの?」
「……ごめんなさい。お手本がないと、お芝居はまだ、上手くできなくて」

 探していた彼女は此処に居たようだ。HiMERUは扉の僅かな隙間から中の様子を窺う。

「……執事がどういう振る舞いをするかはお伝えできますけど、何故私が演じなければいけないのですか?」
「演技して、俺の動作の何処が執事っぽくないか言って」
「……私が令嬢役をやる必要があるのかと聞いているのですが」
「良いじゃん。日々樹に付き合わされて演劇部でお芝居に触ったことくらいあるんでしょ〜? それにしては全く感情が籠ってなくてドン引きだけど」

 中にいるのはレッスンルームに備え付けられているパイプ椅子をくっつけて出来あげたベッドもどきに腰掛けた美雪と、その傍に跪いている泉だった。
 HiMERUは彼らの会話から、泉も自分と同じように『真夜中のBUTLERS』のオーディションのため、美雪に声を掛けたのだと理解する。泉は実際に執事に仕えられている彼女に教えを乞うことで、自分の中の執事像を現実的なものにしようとしているのだろう。

「ドラマティカだって顔出してるんでしょ? だったらアイツらの演技観てるはずじゃん」
「……ドラマティカは、斎宮先輩が出演するときに曲を預けているだけで、後は月永先輩の独壇場です」
「ふーん、まあいいや。じゃ次の場面ね」
「…………」

 抗議する美雪を無視した泉はオーディションの台本を捲った。芝居モードに切り替え、きりりと表情を引き締める。

「『お嬢様、お目覚めのお時間です』」
「……『あと三十分』」
「『そんなに眠っていては牛になってしまいますよ』」

 美雪は泉に抗議するよりも付き合った方が解放される時間が早くなるだろうと、諦めたように台本に目を落として書かれている通りに読んだ。

「何してるんら? お前」
「──ああ、すみません。邪魔になってしまいましたね」

 外で二人を眺めているHiMERUの背後に人影。
 HiMERUが振り返ると、そこにはミネラルウォーターのペットボトルを抱えたなずなが立っていた。ペットボトルの本数は三本。なずな自身と中に居る泉と美雪の分だろう、とHiMERUはよく回る頭で導き出した。なずなはHiMERUの顔をまじまじと見つめる。

「えっと……HiMERU、だっけ?」
「ええ。そうです」
「泉ちんか名波に用か?」
「はい。名波さんに用事があったのですが……」
「あー、悪いな。今度オーディションがあるから、泉ちんが演技の練習だ〜って付き合わせてるんだよ。……おれも、まあ、成り行きで」
「──HiMERUもご一緒して宜しいですか?」
「へ?」

 HiMERUの申し出になずなは目を丸くする。

「おれは構わないけど……泉ちんに許可貰った方が良いかもな」

 なずなはそう言うと、肩で扉を押して体を滑り込ませた。腕が塞がるのを見越して態と扉を開けていたのか、とHiMERUは納得する。

「おーい、泉ちーん。水買ってきたぞ〜」
「ああ、なずにゃん。ありがと……って何でCrazy:Bのヤツが居んの?」

 なずなの後ろからヌッと現れたHiMERUに、泉はゲッと虫でも見たような反応をする。なずなが机にペットボトルを置きながら「名波に用があんだって〜」と暢気に説明すると、泉は詰まらなそうな表情を浮かべた。

「ただでさえ美雪と二人になれると思ったところになずにゃんが出てきて萎えたっていうのに、また新しい男が……あーあ、うざったぁい。うざうざのうざ」
「すみません。HiMERUも執事役のオーディションを受けるので、名波さんにご指導をいただければと」
「──名波?」

 HiMERUの美雪の呼び方に泉が反応したかと思えば、彼はニマニマと笑みを深めていった。

「へぇ……アンタも名波呼び派なんだ? れおくんが怒るな〜♪」
「あ〜、おれに『キャラ被るじゃん!』って言ってきたヤツか」
「そうそう、それ」
「──呼んではいけませんでしたか? 名波さんからお咎めは無かったのですが」
「いや。レオちんが勝手に騒いでるだけだから気にしなくて大丈夫だぞ」
「? 左様で」

 問題ないのであればこの話を打ち切っても構わないだろうと判断したHiMERUは本題に入ろうと美雪に微笑み掛ける。

「──名波さん。そういうわけで、HiMERUも執事の『いろは』をご教授いただきたいのですが、参加させてもらっても良いですか?」
「……構いませんが、私よりも伏見先輩に伺った方が良いのではないでしょうか?」

 弓弦こそ──アイドルでもあるが──執事を生業にしている男だ。美雪は執事に仕えられて数年の立場の自分よりも、生まれてから執事である彼に聞いた方が良いのではないかと考える。もしくは、生まれてから弓弦という執事に仕えられている桃李という手段もある。
 HiMERUが応える前に泉が口を挟んだ。

「それはそれ、これはこれ。美雪はお嬢様なんだから、執事に対応される側の目線でアドバイスできるでしょ〜?」
「……瀬名先輩にはしました。私から語れることは以上です、もうありません」
「生意気〜! お世話になった先輩がオーディションに合格できるように尽力しようとは思わないわけぇ⁉」
「──恩着せがましい男ですね」
「はぁ? 今何か言った?」
「いいえ? オーディションに落ちたとき、名波さんを言い訳に使うようなことはやめてくださいね」
「は? するわけないでしょ、俺は合格するから」
「──ほう、大した自信ですね?」
「おいおい、もしかしたら共演することになるかもしれないんだから、今からドンパチするなよなぁ〜……」

 互いに煽り合う男二人になずなが呆れた様子で呟いた。
 Valkyrieを抜けた彼は美雪と接することに多少の引け目を感じている。泉に絡まれている彼女を見かけたとき咄嗟に廊下の角に隠れてしまったが、宗とみかに大事にされている彼女を男と二人きりにしておくことは、彼女を避けること以上に避けるべき事柄だと思い直し、「そのオーディション、おりぇも受けりゅかりゃ!」と飛び出したのだった。

 なずなが止めようとするも、彼らはよく回る口で毒を吐き合っている。泉は鬼の形相、HiMERUは笑みを浮かべながらも強かに応対していた。このままでは埒が明かないと思ったなずなは、喧嘩を売られた泉が立ち上がってHiMERUに近づこうと美雪の元を離れたのを良い事に、勇気を出してそろそろと彼女に接近する。

「えっと、おれも、ちょっと聞きたいことあるんらけろ……良いか?」
「……ええ。なんでしょう」

 美雪はベッドもどきから足を下ろしてなずなを見上げた。なずなは一瞬目を逸らして頷き、ベッドもどきを構成している一つのパイプ椅子に腰掛けた。

「名波のとこりょの執事って、おれは会ったことないけど、桃ちん……姫宮の執事とは、結構違うか? 性格とか振る舞いとか、信念……? とか」
「…………」
「あー、えっと、違う人間だかりゃ、そりゃ違うとこりょだってあるんだろうけろ……執事としての共通点があるなら、そこが執事の『揺るがないところ』だりょっ? この作品って執事が五人も出てくるらしいかりゃさ、執事としての芯があれば、演じる上でそこを意識しようって思えりゅっていうか……」

 なずなは所々噛みながら美雪に質問した。一通り話し終えたため、手に滲んだ汗をズボンで拭って彼女の返答を待つ。

「……私には執事が二人います」
「え、二人?」
「……ええ、兄弟の執事です。……厳密に言うと兄の方は運転士で、弟の方は私のお付きです」
「へぇ〜、そうなのか。運転士な……」

 今回オーディションが行われる作品内に運転士が出てくる場面はないが、現実のお嬢様にはそういう役目の人間も付いているのか、となずなは感心したように復唱した。

「……兄弟でも、随分違います。運転士は根明ですが、執事は根暗です」
「根暗って。結構言うんだな。……兄弟って、めちゃくちゃ似てるパターンと正反対のパターンがあって面白いよな。正反対でも、遺伝なのか似てる部分があったりするし」
「……朔間さんと、天城さんもそうですね」
「そう考えると朔間は見た目も性格もまあまあ似てる方な気がする。おれはあんまり天城の方は知らないけど……ちゃらんぽらんな兄貴ときびきびしてる弟って感じか? あそこは」
「……天城さんは、敢えてそう振る舞っているだけでしょうけど」

 美雪は泉に押し付けられたオーディション用の台本を捲った。この段階では全てが書かれているわけではない。オーディションで演じる場面の台詞と、注釈でその前後のエピソードの概要が書かれている程度だった。オーディションを受けるアイドル・俳優らはそこから自分なりに世界を広げて演じなければならない。

「……伏見先輩は、何があっても姫宮くんのことを守るのでしょう。姫宮くんの身に危険があれば、自分の身を挺して彼を庇う。……私の執事と運転士は、私の我儘でアイドルの皆さんの前までは付いてきません。でも、心配してくれています、たぶん。……他の人に、私のことをお願いするくらいには」

 美雪の頭にはマヨイの顔が浮かんでいた。そのことを知らないなずなは「宗かみかのことだろうか」と彼らを思い出す。

「……この台本には全てが描かれていませんから、五人の執事がそれぞれ主人に対して何を思っているのかはわかりません。……考えてみると、氷室のお屋敷に仕える者で、命を賭してまで私を助けようとする者は居ないかも。……皆、当主であるお兄様を優先するはずだから。主人の性別というのも、鍵になっているのかもしれませんね」
「……執事と運転士はどうなんだよ。……お前に仕えてるんだろ? お前を優先するんじゃないのか?」
「……どうでしょうね。……最近、執事が冷たいんです。……前みたいに、不器用でも、笑いかけてくれることが少なくて。……二人は私に沢山のものをくれたけれど、立場上お兄様には逆らえませんから」

 彼女が語る兄弟の執事は本当に美雪を『最優先事項』として捉えてはいないのだろうか。なずなは彼らを知らないため、美雪の言葉で想像しながら話を聞くしかなかった。執事兄弟に仕えられている彼女本人が言うならそうなのかもしれない。ただ、なずなはそうではない事を望んだ。

「……このお話の執事の中には、もしかすると主人に対して良くない感情を持っている人もいるのかも。いざとなったら自分を優先して、逃げようとする人もいるのかも。……それも、賢い生き方ではありますけどね」
「う、うぅん……」

 自分から尋ねておきながら、なずなは彼女から得られた回答によって自分の中の執事像が搔き乱されたように感じていた。「こういう執事もいるけど、ああいう執事もいるよね」といったぼんやりとした答えだ。

「……これは日々樹先輩が言っていたことですが」
「?」
「……キャスティングされなければ、そのときはそのときだ、と。監督のイメージにそぐわない場合はどうしてもある、と仰っていました。……皆さんがこうして自分なりの執事を探しているように、監督の中にも監督なりの執事が居ますから。監督の持つイメージと一致した雰囲気や演技でなかったとしても、それは仕方のないこと、運や縁がなかっただけのこと。……それを意地でも引き寄せるために演技力を磨くのでしょうけど、それは天賦の才でもない限り、時間をかけて身に付けるものですから。これから頑張っていきなりどうにかなる、というものではありません」
「……励まそうとしてるのか突き落とそうとしてるのか、どっちだ?」
「……貴方の受け取り方次第ではないでしょうか」

 彼女の回りくどい語りに体力を削られたなずなだったが、ご尤もだと納得できる部分もあった。一先ずこれで質問の回答は貰えたものとして、次の質問をしようとしたタイミングで泉の「あ〜〜!」という大声。

「なずにゃんが抜け駆けしてる!」
「いやいや。そっちが勝手に言い争いを始めただけだろ〜? おれは時間を有効活用しただけで……というか泉ちんはおれが自販機行ってる間に練習できてたみたいだし良いじゃん」
「五月蠅い! 世界は俺中心!」
「スケールでか」
「──とんだ自己中心野郎ですね」
「はぁ〜〜〜〜? ヒメルだかハメルだか知らないけどアンタ生意気すぎない?」
「HiMERUを下ネタみたいに言うのはやめてください」
「ちょっと。美雪の前でそういうこと言うのやめて」
「貴方が最初に言い始めたことですが?」
「俺はアイドルだから下ネタなんて言わないけどぉ⁉ アンタが勝手にそっちで解釈しただけでしょ⁉」
「心外です。HiMERUだって下ネタは言いません、トイレにも行きません」
「ふぅ〜〜ん? じゃあ今すぐペットボトル飲み干してトイレ我慢しな!」
「はいはいどうどう、わかったから落ち着けって二人共。な? ……中学生の言い合いじゃないんだからさ」

 なずなは今度こそ二人の間に入ってくだらない争いを止めた。泉はフンッとそっぽを向き、HiMERUも詰まらなそうにツーンと清ましている。これではまるで引率の先生だ、となずなは頭を抱えた。
 肩を竦めたHiMERUは流れるようになずなが座っていたパイプ椅子に腰をかけて足を組み、美雪の隣を占領した。泉はピキリと血管を浮かび上がらせる。

「──名波さんのお時間をHiMERUが頂戴しても宜しいですか?」
「……ええ。お二人は終わりましたから」
「それは良かった」

 HiMERUがにっこりと微笑む横で「ちょっと美雪! 俺はまだ終わってないけどぉ⁉」とキレる泉をなずなが抑えていた。

「──名波さんは、執事さんに何をされたときが嬉しかったですか?」
「……嬉しい、ですか?」
「ええ。実際に令嬢を演じるのは子役ですが、レディに変わりはありません。映画を見る年齢層は十代から二十代が多いでしょう。執事さんでなくとも、名波さんが男性にされて嬉しかったことを参考にさせていただければと思いまして」

 つまり、HiMERUはファンである女性を喜ばせるために令嬢である以前に女性である美雪の意見を聞きたいということだった。映画に直接リンクせずとも、アイドルとしての活動や今後のドラマ映画撮影の参考にもなるかもしれない。
 HiMERUの質問の意図を理解した美雪は執事あるいは男性にされて「嬉しかったこと」を考えるが、かなりの長い間が生まれていた。

「……………………」
「…………難しかったでしょうか?」
「……ごめんなさい。少し、待って。…………音が鳴るのは、知らないことを見聞きしたときや、経験したとき。これは『嬉しい』と言える……? 男性……殿方に? 斎宮先輩、影片先輩…………お二人が舞台にいるとき、嬉しいです。あと、大切にされていると思えるとき、あったかいです」
「……そうですか、成る程」

 なずなはHiMERUが困っている気配を敏感に察知していた。あまり参考になる例ではなかっただろう、なずなは彼に同情していた。
 HiMERUは次こそは上手く質問しようと彼女が受け答えしやすい問を考える。イエスかノーで答えられるものが望ましいだろう。HiMERUが真剣な表情で眉間にわずかな皺を寄せると、美雪が覗き込んでくる。HiMERUは突然近づいてきた彼女に動揺して目をぱちくりさせた。

「──え、ええっと、何でしょう?」
「……HiMERUさんは、お顔がとても綺麗。……ミステリアスで、華やか」
「──はい? あ、ああ。ありがとうございます、名波さんのような方にそう仰っていただけると、自信になりますね」

HiMERUの時間が早く終わらないかとイライラして足踏みをしていた泉は目を剥いて美雪に迫った。

「ええっ! 美雪ってばコイツの顔が好きなのっ? 俺よりぃ⁉ よく見てみなよ、俺のこのご尊顔を!」
「自分で『ご尊顔』とか言っちゃうか?」

 なずなが横から突っ込みを入れた。そう自負してしまう程に泉の顔が整っていることはなずなもわかっているが、謙遜する素振りも見せない辺りに泉の性格が出ている。

「……瀬名先輩もお綺麗ですけど、甘さが足りないです」
「あ、甘さ……お、俺が、こんな男に、ま、負け……」

 膝から崩れ落ちた泉は頭を抱えてうずくまった。なずなは泉のプライドが布の端切れのようにズタズタのボロボロになってしまったのを憐れみ、彼の背中を撫でた。
 HiMERUは負けてひれ伏す泉に気を良くしていたが、そこで彼女の言葉に引っかかる。先程事務所で出会ったこはくに彼女の『好み』の話を聞いた。こはくは自分が彼女の好みであると茨から説明され、それを真に受けたと言っていたが、同時に「彼女の好みは自分ではなかった」とも言った。

 HiMERUはチラリと美雪を見遣る。目が合うと美雪は薄く微笑んだ。

(──この反応……彼女はまさか、HiMERUを?)

 自覚した瞬間、HiMERUは「ははっ」と笑みを零していた。らしくもなく顔が熱くなり、風邪でも引いたかのように背筋がゾクゾクと震える。

(桜河ではないなら椎名なのかと思いましたが……そうですか、そうですか。HiMERUがお好きなのですね。ふふ……久しぶりに高まります。女性から求められるのは気分が良い。しかもそれが、誰もが手を伸ばすような女ときた。──ああ、『HiMERU』ではなく『俺』を、『俺』を……)

「……HiMERUさんが私の執事になってくれたら、嬉しいかも」
「──……ふふ、とても光栄で」
「けど、インテリアになってくれたら、もっと嬉しい」
「…………インテリア?」

 熱で高揚しながらも、HiMERUは突然飛び出した単語に固まった。美雪は微笑んだままだ。HiMERUの体温はひゅ〜っと下がって行く。

「……インテリアというのは」
「……そのまま。HiMERUさんをお部屋に飾ったら、素敵だと思うの」
「……HiMERUを飾る」

 HiMERUは意図せず韻を踏んでいた。そんな現実逃避をしたくなるような会話だった。

「えー……HiMERUはこれでも一応人間なので、インテリアとして飾られるのは少々困ると言いますか」
「……何故? 私はインテリアになっていたこともある」
(インテリアになるって何だよ)

 彼からは余裕の表情が消えていた。助けを求めるようになずなを見ると、彼もまた「やべーこと言ってるぞコイツ」という顔で引いていた。泉はHiMERUに負けた事実に打ちのめされたままだった。

「……不自由で詰まらないけれど、慣れれば大したことはない。……大丈夫。ご飯も食べさせてあげるし、お風呂にも入れてあげる。……一人ぼっちだと寂しいから、誰かもう一人連れてきましょうね。……そうだ、お外にも定期的に出してあげるわ。……私よりもかなり優遇されている条件だけど、どう?」
「遠慮しておきます。HiMERUはアイドルですので」
「……そう。残念」
「いや、了承するヤツの方がかなり珍しいと思うぞ……?」

 なずなの台詞にHiMERUは「よく言った」と心の中で彼の背中をバシンバシンと叩いていた。物言わぬ人形のように操られていた時期のあるなずなは、インテリアなんかにされては溜まったものではない、という気持ちが強かった。
 幼少期にそうやって扱われてきた美雪なりの、気に入ったものの愛し方だった。

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