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 美雪の前には机があり、その上に四枚の札が並べられた。彼女は自分を囲むようにして座る先輩等と何人かの同輩の顔を改めて確認し、横に座るP機関の教師陣をチラ見した。視線に気づいた章臣が反応するも、美雪はぱっと視線をカードに落とした。

「やあ、美雪ちゃん。よく来てくれたね。早速で悪いんだけど此処に事務所のロゴが書かれたカードが四枚ある。直感で好きなものを選んでくれないかな」
「……選び取りですか?」
「まあそうだね。それと同じだと考えてもらって良いよ」

 子どもが一歳になった記念に、その子の将来を占う行事が『選び取り』だ。子どもがはじめに興味を示し手に取ったものが将来どんな才能に芽生え、どんな職業になるか結果を定める。あくまで占いのためその結果が未来に必ず訪れると確定できるものではないが、我が子の成長に期待を抱く、喜ばしい行事だ。
 美雪は占いを信じているわけではないが、信じていないからと言って全くの無関心あるいは嫌悪感を抱いているわけではなく、興味はそれなりにあった。選び取り・占いと似たようなものであるならば、と身を乗り出してカードを眺めようとしたところで章臣から待ったがかかる。彼は美雪の肩を掴んで引き戻し、眼鏡を押し上げた。

「天祥院くん、おふざけはその辺に」
「はぁい。わかっていますよ」
(……『邪魔だ』とでも言いたげな顔ですね。こうなると分かって意地でも出席してるんですよ、私は)

 素直にカードを集める英智の貼り付けた笑みに章臣は密かに思う。「すみません、うちの長が悪ふざけを」と横に立つ姫宮の執事が謝罪した。英智が「さて」と切り出したことで章臣は本格的に黙って──口を挟まなければ埒が明かないことにならなければ──見守りに決め込むことにした。

「P機関のお咎めもあったことだし、そろそろ本題に入ろうか。今日美雪ちゃんにサミットに参加してもらったのは君の、名波哥夏の所属する事務所について本人を交えて話し合いたいと思ったからだよ」
「何故今まで本人不在で話し合っていたのか理解に苦しむがな」
「Crazy:Bに刺されるまでサミットに参加する兆しも見せていなかった君に言われたくはないけどね」

 敬人の指摘に英智は肩を竦める。夢ノ咲で生徒会副会長を務めていた敬人は生徒会の業務で紅月のメンバーに苦労をかけていた部分があるからと、今年度に入ってからはアイドル活動に集中していた。とはいっても、リズムリンクは大御所が所属している大所帯のため、上役の接待に追われていたこともある。

「敬人がこんなことを言っているけど、僕たちは何も美雪ちゃんが居ないところで勝手に美雪ちゃんの事務所を決めようとしていたわけじゃないよ」
「ええ、そうです。美雪さんが何処に入るかを決めたときに揉めないよう、事前に我々でシミュレーションをしていただけのことですので!」
(よく言うわい。流されやすいこの子が自分で決める前に掻っ攫おうとしていた連中が)

 自分たちの株を下げまいとする英智と茨の言い訳に、零は呆れて口に出すこともしなかった。

「とはいえ、君なしで会議していたことに関しては謝罪しよう。あまりにも醜い男の争いだったから見せられるものじゃなくてね。まさに『会議は踊る』状態だったよ、一向に話が進まないんだ。そんなものに君を付き合わせるわけにはいかないからね」
「……お気遣いありがとうございます」
「いいえ♪」

 朗らかに微笑んだ英智は続ける。

「君も知ってのとおり、ESは春に設立したばかりだからね。何回か話し合ったけどMDMのこともあったし、一先ず保留という形で収めたんだ。これからSSの予選がはじまって忙しくなるから、その前に四大事務所各々がプレゼンして、美雪ちゃんに考えておいて貰いたいなって思ってね」
「……考えておく」
「今すぐに決断が欲しいわけじゃないんだよ、君にも考える時間が必要だろうから。現在ESに所属しているアイドルは現役高校生の子もいるけれど、ゆっくり考えて、高校を卒業してから事務所に入るという選択肢もある。そちらを選んで貰うと事務所側が君にアピールをする機会が増えるから、僕たちとしても損にはならない」
「逆に言えば!」

 会議が英智の色に染まっているのを感じ取った茨が両隣に立つ2winkも耳を塞ぎたくなるくらいの声量で発言した。何としても船頭を譲りたくない彼に、英智は(可愛いなあ)と余裕ぶっているが、焦る気持ちもあった。ここで彼女に選択される可能性が一番高いのはコズミックプロダクションだということを理解していた。

「さっさと決めなければ色んな事務所から言い寄られるということです! それが煩わしいようであれば、今、ご決断していただいても構いませんよ! 我々コズプロは今すぐにでも美雪さんを迎える準備ができております! 斎宮氏も閣下も、美雪さんをお待ちしておりますからね!」
「七種先輩、それは卑怯な手段です」
「おおっと人聞きの悪い! 自分は美雪さんと親しいお二人の気持ちを代弁しているだけですが⁉」
「よく言いますよ、これだから……ゴホン」

 美雪の視線に気づいた司は咳払いをして誤魔化した。隣に座るつむぎが苦笑いを浮かべ、用意した書類の端を整えるように机上に軽く落とす。

「それじゃあ、まずはじめはニューディからで良いですか?」
「良いわけがないでしょう。トップバッターは記憶に残りやすいんですよ?」
「ええ〜? コズプロは一番可能性が高そうなんですから良いじゃないですかぁ。ちょっとくらいニューディに見せ場をくれても……」
「却下です」
「意地汚い男じゃの〜」
「そうです。自分、汚い人間なので。最低野郎なので。それにしてもリズムリンクは先程から文句が多いですね」
「さっきのは蓮巳くんなんじゃが」
「連帯責任ですよ」
「文句を言いたくなるような独裁政治をしているのはお主らじゃろう」
「意味深な顔で黙り込む楽な役職を独占しているのは君だけどね」
「度し難い。話が進まないようならリズリンから始めるぞ」
「だから駄目ですってば。初手はコズプロと決まっています」
「誰が決めたのかな? スタプロだって最初に美雪ちゃんにアピールしたいよ」
「ええい、埒が明きません。ここは公平にRock-Paper-Scissorsで決めましょう」

 さり気なく自陣に有利に進めようと動いたつむぎを止めようとした茨から再び話が停滞し始め、司の提案で事務所の代表四人がじゃんけんをすることになる。指を組んで力をためる者、手のひらをすり合わせて神頼みをする者と様々。立ち上がった彼らが中心に集まろうとすると、それまで眺めているだけだった美雪が口を開く。

「……あの。折角なんですけど、プレゼンは遠慮します」
「えっ⁉ きょ、今日のために資料とか用意したんですけどぉ……?」
「……それは、ごめんなさい。でも、資料をいただいても有効活用できないと思うので……再生紙にした方が良いかと」

 つむぎは「とほほ……」とどんよりした空気を纏い、ほろりと涙を流した。美雪の発言に面食らう人物が多い中、一人だけ目を輝かせているのが茨だ。

「プレゼンの必要がない、ということは……もう既に心に決めているのですね⁉ さぁどうぞ! その事務所の名を! 高らかに! コズミック〜〜〜⁉」

 興奮し切った茨が耳の横に手をやって彼女の返答を促した。きょとんとした美雪は緩く拳を握って軽く上げる。

「……? ぷろだくしょーん?」
「Welcome to COSMIC PRODUCTION!」
「──待ったぁああああああああ‼」

 勝ち誇った茨が腕を大きく広げて歓迎すると、後ろで座っていたリズムリンクの代表と補佐が同時に立ち上がって抗議を始めた。零はバンバンと机を叩き、敬人は零の裏のリズムで叩いている。

「違うじゃろっ、今のはコール&レスポンスじゃ‼ 七種くんが言わせてる!」
「ああ、今のが認められるわけがない!」
「五月蠅いですよ。選ばれなかった事務所は引っ込んでいなさい!」
「引っ込むのは貴様の方だ七種ぁ! いいか、よく見ていろ!」

 エッフンと咳払いした敬人は真剣な表情で「氷室」と呼び、美雪の注意を引いた。深呼吸をしてたっぷりの間を置いた後に発する。

「りずむ〜?」
「……りんく〜」
「ほら見ろ、コイツは呼びかけに応答しているだけだ! どの事務所がやっても同じ結末になる!」
「じゃ、じゃあ俺も……ニューディ?」
「…………めんしょーん?」
(区切りそこなんだ)
(ニュー・ディメンションじゃないんだ)
(あれ美雪ちゃんも「そこで区切る?」って思ったよね?)
(応答に時間かかってたもんね)

 つむぎが確認のためにおこなった呼びかけに葵双子は目と目で会話をしていた。今回2winkが呼び出されたのは美雪と同い年の二人を持ってくることで親しみを抱いて貰うという茨の戦法だった。
スタプロの補佐は本来ならば桃李だが、今回のサミットもどうせしっちゃかめっちゃかになると見越した英智が弓弦を連れて来たため、この場には居ない。桃李に泣き落としをさせれば良かっただろうか、と英智は密かに考える。

「ふんっ、分かりましたよ。悪ふざけが過ぎました。……では美雪さん、伺っても? 貴女のお心を!」
「……その前に質問なんですが」

 コズプロ以外の選択肢がないと決めつけている茨は目を丸くして「え、ええ。どうぞ?」と言った。美雪は小首を傾げて「心底理解できない」といった表情を浮かべている。

「……私って、何処かの事務所に入らないといけませんか? 必須ですか?」
「と、言いますと?」
「……今の私はどの事務所にも所属していません。そして偏りはあれど、どの事務所にも楽曲提供していることになります。……現状維持で問題ないように思うのですが、お金の問題ですか?」

 どのユニットにも平等に接しているわけではない自覚は、彼女には勿論あった。事務所で見ると最も入れ込んでいるのは言わずもがなコズプロ、二番手にスタプロ、楽曲提供が稀なRa*bitsのいるリズリンは三番手、月永レオがいるためニューディは四番手になるだろう。つむぎはニューディが選ばれる可能性が一番低いことを理解して、有利にプレゼンできるよう動こうとしていた。

 彼女の質問にその場にいる全員が目を見合わせた。腹の探り合いにも見えるそれの意図は何か。企みをどこまで話すべきなのか、誰が最初に切り出すか睨み合っているようだった。

「……じゃあ、正直に言おうかな」
(何を言い出すつもりだ、この男)

 茨の視線を物ともせず、英智は美雪に語る。

「ここまで君の所属事務所に拘る理由は、皆が事務所内で名波哥夏を独占したいからだよ」
「……事務所内」
「そう、事務所内。つまり他の事務所には君の楽曲を渡さないってこと。もしリズリンに所属すればUNDEADと紅月、それからRa*bitsを含むその他諸々のアイドルたちに君の曲を預かる権利が与えられる。リズリンは大御所も大勢いるから、多忙だろうね。曲を生み出すマシーンとして扱われるかもしれない」
「ならん。そんなものを許すはずがなかろう」
「勿論、敬人も朔間くんも尽力してくれるとは思うけどね、はっきり言ってリズリンでの二人の立ち位置はたかが知れてる。こんな風に代表としてしゃしゃり出てくるけれど、リズリンは老舗だからね。その分上役が面倒臭いのさ」

 リズリン代表と代表補佐は反論したくとも反論できない部分があった。自分たちの地位を確立するだけでも齷齪しているというのに、彼女を確実に守れる保障はない。
 英智は続けて他の事務所の欠陥を指摘し、攻撃した。

「ニューディに行ってもねぇ。ビッグ3のKnightsはいるけど、彼らには知ってのとおり月永くんが居る。だから君はその他のユニットに提供することになるわけだけど……ニューディの場合は若手を抱えているから、実力が伴っていない可能性が高い。満足に歌いこなせない子たちに君の曲を与えるのは、豚に真珠だよね。あと、月永くんがニューディ内で幅を利かせているせいで逆に出番がなくなるとか」
「なっ、レオさんは氷室さんを尊重されています! レオさんのせいで氷室さんの出番が無くなるなどあり得ません!」
「そうかな? ニューディの人手は充分足りているんじゃあないかい?」
「分かっているでしょう、貴方なら……!」

 司は天祥院の御曹司に無礼を働かないよう懸命に努めているが、苛立ちを隠すことが出来ずにいた。このままでは英智の独壇場になってしまうため、唯一英智に刺されていない茨が口を挟んだ。

「お言葉ですが、人手という点ならスタプロも同じではありませんか?」
「へぇ、コズプロは人手不足なんだ?」
「作曲家枠なら丁度一つ空いています♪」
「わぁ、偶然。スタプロもなんだ♪」

 英智と茨はにっこり微笑み合う間で火花を散らしていた。ほとんどのものには見えない火花が見えているが、美雪には見えていない。二人の言葉を真に受けて思ったことを口に出す。

「……空いていても回せているなら私は要りませんよね」
「要ります」
「要るよ」
「……」

 一斉に二人に振り返られた美雪は押し黙った。

「英智猊下は他の事務所ばかり攻撃していますが、『事務所内で独占する』というのはスタプロも企んでいることですよね?」
「いいや? 僕はスタプロがそうだなんて一言も言ってないよ」
「……はい?」

 英智はその指摘が来ると分かっていたのか得意気に笑っていた。彼は美雪をスタプロに所属させるために、彼女が頷きやすい案をしっかり練ってきていた。

「名波哥夏を独占したいのは他の事務所の話、スタプロは別だよ。君がスタプロに所属したら、まあ所属してもらっているからにはスタプロのアイドルに作曲する機会を増やしてもらうことにはなるだろうけど、今まで通りValkyrieに作曲してもらって構わない。彼らを中心にしてもらって何の問題もない。どうしてもと言うならEdenを追加しても良いよ」
「そんな条件をコズプロが許すとでもお思いで? 回りくどいことをせずにコズプロに所属していただければ、Valkyrieにも我々Edenにも、これまで通りに作曲して貰えますが?」

 英智はちらりと茨を横目で睨む。それは一瞬のことで、すぐさま切り替えてパッと美雪を見遣った。

「美雪ちゃん。今のところ君の中ではValkyrieがいるコズプロが一番の選択肢なんだろうけど、コズプロのアイドルだけに作曲するというのは息苦しいんじゃないかな。そんな閉鎖的なところでは伸び伸び作曲できないと思うんだよ。だから他所の事務所にも作曲することを許可する代わりに、君という作曲家の籍をスタプロに置いて貰いたいなって。スタプロの長は僕だから、多少の融通は効くんだよ。リズリンとニューディが同じ条件を出して来たとしても、僕の方が絶対にスムーズに事を運べる」
「それはコズプロだって同じことですけどねぇ? 自分が居ますので、美雪さんの我が侭にもお答えできますよ⁉」
「……」

 美雪が小さくため息を吐いたのが隣に座る章臣には分かった。彼女は頭は悪くない、英智の話の内容は理解しているはずだが、退屈に感じているのだろうか。

「……堂々巡り。何のための話なのか分からない。こんなことの為に時間を使いたくない」
「……美雪ちゃん?」

 聞き取れないくらいに小さな声で呟いた美雪はそれを皮切りに、いつになく早口で誰かがしゃべる暇も与えずに話し始める。

「だからね、私は今のままで良いって言ってるんです。特定の事務所だけに作曲しろって命令されるのはちょっと嫌だし、スタプロの条件だって現状と何ら変わりはないように思います。だったら所属していようがいまいが私にとっては同じ。それから、私はこれからValkyrieを優先したいので他のユニットに作曲する頻度を下げたいと思っています。だからEdenは新しい作曲家を探した方が良いです」
「──は?」
「事務所には所属しません。夢ノ咲を卒業しても所属しません、できません。ごめんなさい、帰ります」

 すくっと立ち上がった美雪はさっとお辞儀をして部屋を出て行った。慌てて立ち上がった章臣がその後を追いかけていく。陣は「アイツってあんなに早く喋れたっけぇ?」と素っ頓狂な声をあげ、あんずも目をぱちくりさせて章臣の後ろ姿を追っていた。

「待ちなさい、美雪さんっ。これは貴女の将来のために必要な選択です。P機関所属という手もありますが、P機関は公平中立でなければならないのでコズプロに偏ってる貴女には厳しいでしょう。ですからフリーになりたいと言うのならせめて何年かは一つの事務所に所属して……美雪さん! こら、待ちなさい! 走るんじゃありません、危ないですから! ……止まらないとお父様に言いつけますからね⁉ ……あ、な、何故スピードアップ⁉」

 章臣のよく通る声は遠く離れて行ってもサミットの会議室まで響いていた。

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