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「……美味しい?」
「ふむご……お、おいひい、れふ」
「……そう、良かった。……まだあるから、遠慮しないで食べてね」
「ひゃ、ひゃい」
「……あーん」
「ま、まだ飲み込んでましぇん!」
「……わかった。飲み込んだら言って?」
「ふぁい……」
「……」
「……」
「……」
「……ん、んん。飲み込みました」
「……そう。じゃあ、あーんして?」
「あ、あーん……」

 スプーンを差し向けられた藍良は大人しく頬張っては咀嚼して飲み込んでいた。それを無視してどんどん詰め込もうとしてくる美雪を慌てて止めた藍良だったが、彼女がまだ満足していない気配を悟って付き合うことにした。

(『気分転換にお料理したら作り過ぎちゃった』って言ってたけど……名波哥夏の手料理を食べるなんて恐れ多いよォ! しかも『あーん』なんて……! Valkyrieのオタクに叩かれるゥ! というかその前に色んなアイドルから敵視されて殺されちゃう気がする……!)

 主にコズプロのアイドルから睨まれるのを想像してビクビク震える藍良に気づいた美雪が「……具合が悪い?」と顔を覗き込むようにして尋ねた。藍良はブンブン手を振り、「大丈夫です!」と誤魔化す。

「……ふふ。白鳥くんは、可愛いね」
「ひぇ⁉ そ、そうですかっ? いやいや、美雪先輩の方が断然可愛いし綺麗だし、おれなんて醜いアヒルの子です!」
「……それ、自分のことを『白鳥(はくちょう)』だって言いたいの?」
「え⁉ い、いや別に自分のことを綺麗だって言いたいとかそういうわけではっ」
「……ああ、貴方の苗字とかけているの? ……うふふ。貴方、ほんとうに面白くて可愛い」

 美雪は口元を隠して可笑しそうに微笑んだ。ここまで表情豊かな美雪を見たことがなかった藍良は恥ずかしさに俯きながらもチラチラと盗み見る。

(ううう……そんなつもりじゃなかったのに、洒落を言った感じになってる。でも、喜んでもらえてるなら、良いのかな。自虐ネタのつもりだったんだけど……確かに、物語の結末を考えると『自分はいずれ大成します』って生意気を言ってるようなもんか)

 美雪は手料理を詰めた弁当箱から次に食べさせるものを選び、箸で食べやすいサイズに切りながら口を開く。

「……目標を持つのは良いことだと思うよ」
「へ?」
「……星や神、キラキラしたもの。私が耳にしたもののほとんどは抽象的だけど、皆いろんなものに成ろうとしてる。人の数だけ輝きがある。……成れると良いね、白鳥(はくちょう)のように」

 ぽぽぽ、と顔を赤くした藍良が髪を耳にかけると、美雪が小さく切った玉子焼きを箸で摘まんで運んできた。藍良は「あー」と口を開いて受け入れる。美雪は雛に餌付けしている親鳥の気分だった。

(なんか……えへへ。ちょっと嬉しいかも。お姉様にお世話してもらってる気分……♪)

 もきゅもきゅと咀嚼する藍良は頬を緩ませた。

「美雪先輩は、よくお料理するんですか?」
「……頻繁では、ないかな。……自分で作っても食べられないから」
「た、食べられるものを作ったら良いんじゃ……?」
「……作ったよ。スープもゼリーもヨーグルトも。……でも飽きちゃって」
「え、ヨーグルトって作れるの?」
「……作れるよ? ……人の手で作れなければ、そもそも市場に出回らないわ」
「いや、そりゃあ発酵食品を作る工場とかでは作ってるだろうけど、ヨーグルトを一からって凄くない? なんちゃら菌とか、どうやって?」
「……乳酸菌ね。……お家がやってる工場があったから、そこにお願いして貰ったの」

 次に差し出されたブロッコリーを頬張った藍良は「そういえばお嬢様なんだっけ」と美雪の家柄を思い出した。もしかすると今自分が食べさせられているのは一流の高級食品なのかもしれない、そう思うと震えそうだった。

「……白鳥くん、何か食べたいものはある?」
「え。うーん、そうだなぁ……お腹空いてるときは『あれ食べたいな〜これ食べたいな〜』って思い浮かぶんだけど、お腹が満たされてるときってあんまり浮かばないんだよね」
「……じゃあ、手料理と言えば、思い浮かぶものは?」

 質問された藍良は顎を突き出して天井を見上げた。パッと思い浮かんだ単語を言ってみる。

「肉じゃがとか? ブナンだと思うけど」
「……肉じゃがね、わかった。今度作ってみるから、良かったら食べて」
「え、いいの⁉ 肉じゃがって、ザ・彼女の手料理ってイメージなんだけど⁉」
「……そうなの? ……誤解されたら良くないよね、白鳥くんもアイドルだもの。やめておこうか」
「いや別にやめて欲しいわけじゃないんですけど寧ろ嬉しいっていうか食べてみたいっていうか」
「……? 作ってきても良いの? 食べてくれる?」
「モチロン‼」

 作るのをやめようとする美雪を必死に引き留めた藍良は身を乗り出して肯定した。彼女の手料理を再び食べる機会を得られた喜びに胸を躍らせていると、藍良はふと疑問に感じる。

「というか、おれが食べても良いんです? 他にも食べたがる人、いると思うんだけど……」

 ALKALOIDはマヨイ以外のメンバーは美雪とあまり関わりがない。それでも彼女が数多のアイドルに愛されていることを藍良は理解していた。きっと彼女が料理をして「食べてくれる人を探している」と言えば、名乗り上げる者が大勢いるだろう。

「……お料理がしたいっていうのもあるけど、食べさせてあげたいなって。お世話がしたいの」
「お、お世話?」
「……うん。お世話は、年上が年下にすることでしょう?」
「まあ……一般的にはそうですかね?」

 藍良は自分よりも年上の一彩にお世話しているときがあるため、「確実にそうである」とは言えなかった。他にも真緒が凛月のお世話をしたり、晃牙が零のお世話をしたりと、例外が幾つか存在している。

「……桜河くんは、私にお世話されるのが嫌みたいなの。だから、白鳥くんが良いなら、貴方のお世話をしたいわ」
「え」

 藍良が固まると美雪は彼が返答に困っていると思ったのか、箸を置いて藍良の指先をそっと触り、眉を下げる。健気なボディタッチと上目遣いに藍良の心臓が跳ねた。

「……だめ? ……時々で良いの。白鳥くんが忙しいなら遠慮するし、私も今、ちょっと……いっぱい作曲しないといけないから、忙しくて。お料理もお世話も気分転換の一つで、度々していることではないわ。……貴方を煩わせないから、お願いできない?」
「ひゃ、ひゃい! おおお、おれで良ければ喜んで!」

 火山が噴火するように一気に顔に熱が溜まって爆発した藍良はシュバッと美雪の手を取り両手で握りしめた。アイドルの握手会に来たファンの姿勢になっている。美雪は目を丸くした後、きゅっと口角をあげて「……ありがとう」と囁いた。

(──うぐぅぅッ……! 美雪先輩ってなんで作曲家してるの⁉ いや作曲の才能があるからなんだけどっ、天才だからなんだけどっ! この顔と声でなんで作曲家なのかなぁッ⁉ おれもうっ、美雪先輩推してる! 一生美雪推し! ンもう好きぃぃッ! 好きだぁああああああッ‼)

 藍良は今にでも机を拳で殴って頭を床に打ち付けたい衝動に駆られたが何とか踏ん張って耐えた。心中では鉢巻を結んでウルトラオレンジのサイリウムを四本持ちして振り回している。

「……白鳥くん。手、痛い」
「はっ! す、すみませんッ! 名曲を生み出す御手に、おれは何てことを……!」

 藍良は衝動に耐え抜くために握りしめていた美雪の手を慌てて放し、自分のせいで少し赤くなっているように見える白い手にフーフーと息を吹きかけた。それで何とかなると思っているわけではなく、テンパっていた。

「お、お箸持てます……?」
「……そこまで脆くないよ、大丈夫」

 美雪は箸を持ち直すとご飯を一口分摘まんだ。藍良が瞳を閉じて待っていると「待てや」と低い声がする。

「あ、あれ? こはくっち?」
「……」

 藍良が目を開けるとこはくが立っていた。彼の手は藍良の口の前にあり、美雪の箸を止めていた。こはくは眉間に皺を寄せて美雪を見下ろしている。

「……なんやねん。燐音はんの言うように尻軽なんか、ぬしはんは。燐音はんの次はわしで、わしの次はラブはんか。ころころ変えおって」
「……え、こはくっち?」
「……桜河くん、どうかしたの?」

 ぶつぶつと愚痴ったこはくはキッと美雪を睨んだ。

「どうしたもこうしたもあらへん。ラブはんが困っとるやろ、やめんか」
「お、おれは別に困ってないから大丈夫だよっ?」
「……満更でもないっちゅうんか。そうやろな、美雪はんは顔はええから騙されるのも無理ないわ。……わしのことも期待させるだけ期待させといて、これやからな」
「ちょ、ちょっとこはくっち、どうしちゃったのォ?」

 こはくの吐く言葉は棘だらけで、藍良は無表情の美雪を心配しながらこはくに問いかけた。手を引っ込めたこはくは美雪の手元の弁当箱を見て不服そうに顔を背ける。

「ラブはん。悪いことは言わん、この女はやめといた方がええで」
「え?」
「見てくれがええから男が虫みたいに仰山寄ってくる。自分だけが特別やと思ったらふらふら〜っと別んとこに行ってまうし、迂闊に地雷踏んだら何してくるかわからん女や。別嬪さんやけどめっちゃ翻弄されるで。優しくしてきたかと思えば平気で突き放してくるし、こっちが勘違いするようなことも言ってくるし。箱入り娘でわしより世間知らずの癖して世話焼いてきて、性格も良い子ちゃんの感じやけど細かいし面倒臭いし……ほんまに顔だけはええんやけどな。綺麗な薔薇にはってヤツや、分かったか?」
「う、うん……こはくっちが美雪先輩の顔が大好きなことは分かった」
「アアッ⁉ どついたろか⁉」
「おおお怒んないでよォ⁉ 今の台詞だけだとただの『美雪先輩の顔大好き人間』だよォ⁉」
「ちゃうわ、呆け!」

 否定するこはくがムキになっているのを察した藍良は、美雪とこはくの間にすれ違いがあるのではないかと考えた。美雪は「こはくが自分に世話されるのが嫌らしい」と言っていたが、こはくはそうでもなかったのではないか、と藍良は推測する。

 実際、こはくは「世話される」というよりも「子ども扱いされている」のが不愉快だった。それ故に彼女への態度がつっけんどんになっていたが、茨の命令によって美雪と親しくなろうと努力はした。結局、彼女の好みはHiMERUだったため、その努力は水の泡と化した。気恥ずかしくなったこはくは彼女を避けるようになり、骨董市で関係にひびが入る。

「安心してよ、こはくっち。おれと美雪先輩は付き合ってるわけじゃないし、無理矢理お世話されてるわけでもないから、こはくっちが恐れているようなことは何もないよ」
「その生暖かい目をやめんか!」
「……ええ。さっき白鳥くん本人から許可は得たから、もう桜河くんを追いかけ回したり、お世話をしようとしたりしない」
「へ」

 自分から避けておきながら、彼女がずっと自分の世話を焼きたがっているものだと勘違いをしていたこはくは、ポカンと口を開けて固まった。藍良はパッと口を噤んでこはくと美雪を交互に見遣る。かなり気を遣っていた。

「ほ、ほんなら、……ええんやけど」
(本当に? 本当にいいの? こはくっち)

 藍良はよく顔に出るタイプだ。訴えかけるようにこはくをガン見している。

「で、でもラブはんを脅迫したんちゃう? わしの身代わりにしようとしてるんじゃあ」
「……脅迫なんてしてないよ。……白鳥くんには、ちゃんとお願いしたから。お世話しても良いかって。……貴方にはそれをしてなかったよね、ごめんなさい。嫌だったんだよね?」
「嫌、っちゅうか……」
(こはくっち頑張れ)

 二人のやり取りを固唾を飲んで見守る藍良は心の中でエールを送った。ぷるぷる震えるこはくは口角をひくひく引き攣らせて喋る。

「……そ、そうや。嫌やったんや」
(こはくっちぃ〜〜〜〜〜‼)

 藍良は思わずこはくの脛を蹴っ飛ばしていた。こはくはビクッと反応して藍良を睨んだが、藍良が自分以上に恨めしそうに睨んできていたため狼狽えた。

「なんでそんなこと言うのォ⁉ 美雪先輩が傷ついちゃうでしょ〜⁉」
「せ、せやかて」
「……白鳥くん、良いの。……私が、彼の気持ちを無視していたのが良くなかった」
「う……」
「……こはくっちぃ〜?」

 藍良にジト目で見つめられたこはくは「ぐぅっ」とたじろぎ、目を泳がせてため息を吐いた。余っている椅子の背もたれを掴んでスペースを開け、体を滑り込ませて腰を落ち着けた。

「……その、悪かったわ。骨董市んとき、ぬしはんを……兄貴に似てる言うて」
「……ああ、そのこと」

 自分の知らない話が始まった、と藍良は黙って聞くことにした。骨董市と言えば、二週間ほど前に開催されたP機関主催のライブだ。氷鷹北斗の父・氷鷹誠矢が出演したこともあり、藍良の頭に色濃く残っている。

「……気にしてないよ。私とお兄様は恐らく、似てはいないのだけれど、前に『雰囲気が似ている』と言われたこともあるから。……私も、貴方に酷いことを言った。謝るわ、ごめんなさい」
「……」
「……三毛縞先輩から、聞いた? 私からの伝言」
「……ん、聞いてる」
「……そう、それなら良かった。……そういうことだから、安心して欲しい」
「…………おう」

 話が終わりそうな気配に、藍良が再びこはくの脛を蹴った。先程よりも手加減はされていたが、こはくは思わず「何やねん!」と声を荒げる。

「『お世話されるのは嫌いじゃありませんでした』って言ってない」
「す、好きでもなかったわ!」
「うっそだぁ。満更でもなかったんでしょ?」
「ちゃうわ!」
「へ〜、さっきおれが美雪先輩に『あーん』されるのを止めた癖に。これからはおれ一人が美雪先輩のお世話を受ける権利があることになるけど、それでも良いんだァ?」

 敢えて挑発するように藍良が言うと、意地になったこはくはぷいっと顔を背けた。

「……別に、ええわ。清々するわ」
「だからなんでそうなるかなァッ⁉」
「……白鳥くん。そろそろ作業に戻りたいから、お弁当を食べ切って貰えると有難いのだけど」
「あ、はい。了解です」

 美雪に頼まれた藍良が口を開けると、ピクリと眉を動かしたこはくが止めようとする。こはく自身が世話されているときはひたすら躱そうとした忌々しいその行為が、今のこはくの目には羨ましく映っていた。

「自分で食べればええやろ」
「お世話される権利のないこはくっちは黙っててくださーい」
「なっ」
「美雪先輩っ♪ あーんしてっ、あーん!」
「……そんなに気に入ってくれたの?」
「うんっ」
「……ふふ。素直な子は好きよ」
「すっ──ハァッ⁉」

 ぎょっとするこはくを放置して、美雪は「……あーん」と藍良の口に食事を運んでいく。こはくはわなわな震えて止めるか否か葛藤していた。というよりも怒りかもしれない。

(お、おんどれぇ……! あんだけわしに引っ付いてきてた癖にっ……こんなん浮気やん!)

 付き合っても結婚してもいないため浮気には値しない。が、こはくは葛藤するあまり混乱する頭でそんなことを考え、美雪の手首を掴んで引き寄せ、箸の先端を口に含んだ。

「あーーーーッ! おれのウインナーだったのにィ!」
「喧しいッ! おんどりゃあ一回手ぇつけたんやから最後まで面倒見ろやタコ!」
「……? ウインナー、食べたかったの? お腹が空いていた? ……あ、タコだから、タコさんウインナーが良かったってこと?」
「わしの世話をしろ言うとんねん‼ ラブはんやのうて‼」
「やだやだっ、おれだって美雪先輩にお世話されるんだからァ!」
「最初にされてたのはわしや‼」
「嫌がってた癖に‼」
「あれは芝居や‼」
「はぁ〜〜〜〜⁉ 誰が手助けしてやったと思ってんのォ⁉」
「……えっと、そんなに頻繁にお世話は出来ないんだけど……あと、二人は多い」

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