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「──んん〜?」

 鳴き声を耳にした泉は顔を上げてペットを探し、視界に尻尾を収めた。ヘッドフォンをした彼は真剣な表情で考え込んでいるようだ。さっきの声は思わず出てしまった唸りなのだろう。

「なに?」
「ん、あー、いや……」
「歯切れ悪」
「ん〜、ん〜……」

 レオは落ち着かない様子で立ち上がり、椅子に跨った。体重を後ろにかけてギッタンギッタンと揺らすと、飼い主から「頭ぶっけるからやめな」と静止が飛んでくる。

「悩んでるなら聞くけどぉ?」
「悩んでるっていうか……聴いて貰った方が早いな」

 レオはヘッドフォンを外して泉に差し出した。受け取った泉が装着すると、レオはスマートフォンを操作して先程まで聴いていた音源を再生し、泉の耳には馴染のない音楽が流れ始める。

「……どう思う?」
「どうって。別にふつーに良い曲だと思うけど」
「いやまあ、そうなんだけど……何か変なんだよなぁ」
「そーお? そのままで良いと思うけど、アンタが納得してない部分があるなら今からでも修正したら? いつ締め切りなの?」
「ううん。これおれのじゃない」
「ん? れおくんのじゃないの? あんま作んなそうな曲調だとは思ったけど……」

 一通り聞き終えた泉の言葉を、レオは素直に受け取ろうとはしなかった。泉はレオの曲を歌い慣れ、聴き慣れているだけあって少しの違和感には気づいていたが、それは「レオの曲にしては」という点だった。レオの感じているものとは異なる。

「名波の曲なんだよ」
「美雪の?」
「うん、コンクールに提出されたヤツ」
「へぇ〜、審査員以外も聴けるんだ?」
「視聴者投票って言うの? そういうコンクールらしい。おれは最近海外がメインになってるから、これには応募してないんだけどさ」
「……ふーん」

 にまにまと意味深な笑みを浮かべる泉に、レオは「なんだよ」と口を窄める。

「いや? 自分は応募してないのに、態々美雪のを聴いてあげるんだーって思って」
「そりゃあ聴くだろ」
「好きだから?」
「すっ……、……」
「あれ。否定しない」
「うっせ」

 レオはぶっきらぼうにそう言うと、耳を赤くして泉からヘッドフォンを引っ手繰った。じっとスマートフォンの画面を見つめ、再びヘッドフォンを装着して美雪の曲を聴き直すが、彼にはどうにも腑に落ちない点があった。

「なんていうか、こう……本調子じゃない感じがすんだよなー」
「え、美雪が?」
「んー」
「スランプ?」
「……ただのスランプなら『お前も漸くおれの気持ちがわかったかー!』って高笑い出来るんだけど、そういうんじゃなさそう」

 泉の頭上にクエスチョンマークが浮かんだ。同じ作曲家である彼にしかわからないものなのかもしれない。泉はレオが何を感じ取っているのか聞き出そうとする。

「俺は美雪の曲を歌い慣れてないから、どの辺りが変なのか気になるんだけど」

 泉はマグカップに珈琲を注いでレオに渡した。はじめてレオが珈琲を飲んでいる現場を見たときは顔と性格に見合わないと驚いたものだ、と泉は思い出す。一口飲んだレオは口を結んだ。泉の質問への返答を考えているようだ。

「……強いて言うならヴァイオリンが変」
「ヴァイオリン?」
「うん。なんか雑」
「雑? ……斎宮ほど拘ってるイメージないけど、美雪は几帳面な子なんじゃないの?」
「アイツはいっつも正確で完璧だよ。だからこそだな。緻密に計算して音を置いてるから、そうじゃなくなったときに分かり易い」
(……分かるのは一握りの人間だけだと思うけど)

 事実、泉は気づかなかった。聞かされた曲が美雪のものであるということも分からなかった。レオが『雑』と表現したのは、飽くまで彼女にしては、という前提がある。いつもの彼女の音を知っていて、レオほど良い耳を持ち合わせているか、あるいは凪砂のように魂の繋がりが無ければ、違和感に気づくことは出来ない。

「おれもアイツもほとんどキーボードで打ち込んで作ってるけど、名波の場合、ヴァイオリンは実際に演奏した音源を使ってることが多いんだよ。ヴァイオリン使ってる曲はアイツだって分かり易いと思う。音が特徴的だから。良いヤツ使ってるよ、まじ」
「ふーん、ヴァイオリンね。今度から意識して聞いてみる」
「逆に言うとヴァイオリン使ってない曲は素人には分かりにくいと思うぞ。Edenとか、アイツらのはほぼほぼ電子音だからな」

 美雪の家柄を考えてみても、ヴァイオリンの音色が特徴的だというレオの言葉は事実なのだろう、と泉は頷いた。レオは耳が肥えている。安物の楽器と高級な楽器の聞き分けくらい容易い。

「じゃあヴァイオリンが雑っていうのは……やっぱり美雪が不調ってことなの?」
「ん〜、分かんない。……このコンクールを捨てたのかも」
「捨てる?」
「うん。アイツにしては雑な仕上がりだなって感じするし…………何か、焦ってんのかな? 申し込んだは良いけど、これがどうでも良くなるくらいの何かがあった、とか? おれらだって似たような現状だろ?」

 三月頃に欧州で開催される音楽と芸術の祭典に招かれたレオと泉は快く引き受けた。しかし急遽その巨大イベントの開催が早まり、SSの予選会の時期と重なった。SS予選中は他の地域への移動を禁止されている。破れば指令と同じように罰金が科せられるため、アイドルたちは予選地域の外に出ることが出来ない。つまりKnightsは関西地方から出られないため、泉とレオが海外へ飛ぼうとするとKnightsは罰金を支払わなければならなくなる。彼らにとって日本国内の巨大イベントであるSSが重要でないというわけではなく、世界的に注目を集める祭典と比べれば、優先度は後者の方が高かったという話だ。海外で伸び悩んでいる泉としては尚更、欧州の方を蹴るわけにはいかなかった。

 関西地域予選でおこったのは、ESアイドルに課せられた指令内容の暴露だった。指令は地元のアイドルには与えられていないため、彼らはESアイドルの弱みを握ることができたと言える。Knightsが恐れているのは「ライブ対決をしてはならない」という裏指令の暴露だった。常に戦、戦、戦と闘い続けているKnightsが予選ではライブ対決をしていない理由が暴露されれば、他のユニットはこぞってKnightsにライブ対決を挑もうとするだろう。挑戦を申し込まれそれを拒めば、所持しているSSL$の半分を支払う必要がある。何度も何度もそれを繰り返せば、やがてKnightsはSSL$を失い、SS本戦出場も叶わなくなる。

「……ま、おれが言っても仕方ないよな、アイツにはシュウがいるし。ミカエルだって名波の調子が悪かったら気づくだろ」
「……そうやって声掛けずに見て見ぬふりして、後悔しないなら良いけどねぇ」
「うーわ。怖いこと言うなよぉ」
「やって後悔よりやらない後悔の方がダサくない? 後悔するくらいなら行動してた方がマシじゃん」

 泉の言うことも一理あるか、とレオは珈琲に目線を落とした。

「……んー、そうだな。Valkyrieも予選で名波と離れてるはずだし、終わって会えたら、シュウに聞いてみる」
「何を遠慮してるんだか」

 そこで美雪本人ではなく宗に尋ねるのか、と泉は頬杖をついて呆れたように言う。目をぱちくりさせたレオは顎を突き出して聞き返した。

「遠慮? 何にだよ」
「斎宮に」
「シュウに? どこが?」
「あーあ。もう知ーらない」
「え、ちょ、セナぁ! 教えてってば!」

***

 時は流れ十二月上旬。斑の危機を聞きつけ、自分の代わりを変装した姉に任せて四国へと向かったこはくが関西地方に戻ってきたところだった。こはくが空港を見渡すと、公共の場だと言うのに痴話喧嘩をしている男が二人。その内の一人はこはくに気づくと「ママの子分でスオ〜のゆうくんの!」と摩訶不思議な呪文のような言葉を発し、「えっ、ゆうくん? ゆうくんがいるの? ゆうくんどこ⁉」と騒ぎ始めたもう一人の男から逃げてこはくの後ろに隠れた。

 レオはこはくの手を引っ張り、空港内のテナントショップまで走った。自分の名前をまるで覚えていないレオに名乗ったこはくは彼の話についていけない、と数回離れようとする度に引き留められていた。

「わはは! 悩んでため息ついてるときの顔がスオ〜そっくり! スオ〜二号!」
「まぁ血縁はあるし、遺伝子的にも多少は似通ってんねやろ」
「うん! 良いよなぁそういうのっ、おれもルカたんがおれと似てたり同じ動きしてたりすると無限に幸せになる! 遺伝って最強だよな! 偶に似てないキョウダイ見かけるけど、あれは父親似か母親似かってことなのか? それとも愛人の子どもで義理のキョウダイとか⁉ 昼ドラどろどろ妄想が拡がるぅ! 楽しいな!」
「不謹慎やわ……」

 こはくはボソッと突っ込みを入れつつ、周りのキョウダイ事情を思い出した。天城兄弟は性格は兎も角、系統は違えど見た目は似ている。朔間兄弟もそっくりだ。こはく自身の姉も、入れ替わっても気づかれない程に、双子ほど似ている。

「……そう考えると、美雪はんはあんま兄貴と似てへんか」
「──名波?」
「名波? ぬしはんも作曲の方の名前で呼んでるんか」

 こはくが独り言のように言った台詞は勿論レオに聞こえていた。レオは美雪の名前が出た途端、じっとこはくに注目した。こはくの言葉が引っかかったレオはズイッと身を乗り出す。

「『も』? 他にも誰か呼んでるのか? ナズ以外に?」
「な、なんや急に……HiMERUはんが『名波さん』て呼んでるんは知っとるけど……」
「ひめるぅ? 誰だよそいつ! キャラ被るんだけど!」
「きゃ、キャラ……?」
「くっそ〜! ナズだけだと思ってたのにもう一人増えやがった! おれがどんどんその他大勢に飲まれていく〜! やだぁ〜〜! おれだけがアイツの特別になりたーい! 無理なんだけどさぁ‼」
「大声出したら気づかれるで?」

 地団駄を踏み始めたレオにこはくが呆れ顔で言うと、レオはフンフンと息を荒くしながら大人しくなった。まるで獣だ。呼吸を落ち着けたレオはジトリとこはくを睨む。

「……お前、名波とどういう関係?」
「え。ど、どう言われてもなぁ。……世話焼きな姉はんやなって思っとるけど?」
「世話焼き? え、おまえ名波に世話されてんの? え、名波に世話してるんじゃなくて? お前が名波に世話されてる側なの? マジで? あーんとかされてんの? 世話ってどういう世話? 何処までの世話?」
「近い近い」

 こはくはキスしそうなくらい近づいてくるレオの顔を手で止めた。コホン、と咳払いをしたこはくは弁解しようとする。

「別に、わしが世話されたくてされてるんやないでっ? あの『いとさん』がわしの世話したい〜言うから、わしは仕方なく付き合ってやっとるだけの話で……」
「…………同じ匂いがする」
「は?」

 表情が抜け落ちたレオは真顔でこはくに詰め寄った。こはくが「せやから近い言うとんねん」と文句を言ってもスルーだ。猫のような目で見つめてくるレオにこはくはたじろいだ。

「──お前、さてはツンデレだな?」
「……は?」
「そうだろ、ツンデレなんだろ‼」
「い、いやいや。わしがツンデレて」
「そうやってどもる感じとかツンデレのそれじゃんか! 否定するってことはツンデレ確定! お前、名波のこと好きなんだろ⁉」
「す、好きちゃうわ‼」
「ほら見ろ! あなたはツンデレです! おめでとう、クソが!」
「ハァ⁉」
「おれとキャラ被ってるヤツが増えていくよぉおおおおおお‼ ママぁああああああ‼」

 突然ツンデレだと決めつけられ罵倒されたこはくがキレる前にレオが発狂した。頭を抱えてゴロゴロと床を転がっていく。通行人の視線を感じたこはくは(同行者に思われとぉない!)と必死に止めにかかった。

「やめんか、公共の場で! おんどれには羞恥心っちゅうもんが無いんか!」
「いやだぁあああああああああ!」
「ほら、追っかけてきとる人に気づかれるで⁉」
「もっと嫌ぁあああああああああ!」
「あーあーわかったわかった。ぬしはんが美雪はんのこと大好きなのはわかったから」
「べべべ別に好きじゃねーし⁉」
「あ? ぬしはんのがツンデレやん」
「ツンデレって言う方がツンデレなんだよ‼」
「小学生か」
「見ぃつけたぁあああああ……♪」
「にぎゃーーーーーーーーーーーーーッ‼」

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